後悔薄明(6)

 遮光カーテンが引かれた拷問部屋。

 今朝までアヴィオールが部屋の隅に横たわっていた。今はいない。何処か別の部屋へと連れていかれてしまった。

 部屋の扉は施錠されており、内側からは開けることができない。

 スピカは部屋の中を行ったり来たりしながら考えていた。

 このまま部屋で縮こまっていても、何も進展しない。アルデバランが来れば、おそらく宮殿に連れ戻されてしまう。何とかここから出る方法はないものか。

 スピカはカーテンを開ける。日の光は穏やかだ。時計がないため時間はわからないが、朝早い時間帯なのだということはわかる。

 窓を開ける。朝の新鮮な空気が部屋の中に入り、カーテンを揺らす。

 ここは二階。地上からはかなりの高さがある。スピカの心臓は早鐘を打ち、それを押さえつけるべく深呼吸した。

 髪をポニーテールに結い直す。窓の横桟に足をかけ、体を持ち上げる。風に煽られ、スカートがはためく。体がよろけそうになり、カーテンレールを強く握る。


「あっ」


 ヒト一人の体重に耐えきれず、カーテンレールがぐにゃりと曲がる。慌てて手を離し、縦桟にしがみついた。


「大丈夫よ、スピカ。きっと上手くいく」


 スピカは自分自身に言い聞かせ、恐怖を紛らわせる。そして左右見回した。

 隣の部屋の窓に飛び移るつもりなのだ。


「ちょっとジャンプするだけよ。同じようなこと、小さい頃はやってきたじゃない。今更怖くなんて……」


 右隣の部屋の窓。そこなら手が届きそうだ。縦桟を掴んだまま体を反転させ、片足を伸ばす。辛うじて爪先が届くが、踏ん張れそうにない。


「うう……」


 やはり、落下のリスクを考えると恐ろしくて仕方ない。

 その時、扉の方から解錠の音が聞こえてきた。だれか来たらしい。蝶番が錆び付いた音を立てながら、中に人影が入ってくる。


「スピカ、そこで何をしている」


 アルデバランであった。

 時間はわからないが、今はおそらく朝の早い時間帯だ。そんな時間から実父が来ると思わず、スピカは体を強ばらせた。


「今行く。待ってなさい」


 アルデバランはスピカに近付いてくる。その顔が、激怒しているように見え、スピカは恐怖を感じた。

 隣の窓を見る。先程はつま先が届いた。跳び移れば、しがみつけるかもしれない。

 スピカは跳んだ。体勢が整っていない状態だったため、跳ぶ瞬間に桟から足がずり落ちる。

 手を伸ばす。左手が、隣の部屋の窓を掠める。爪が割れるのも構わず、片手で横桟にしがみついた。

 体が大きく揺れる。反動を利用し、右手も横桟にしがみつく。


「ああくそ。手こずらせるな!」


 アルデバランが怒っている。振り返れば、拷問室の窓から顔を覗かせるアルデバランがいた。

 手を伸ばしてくるが、スピカには届かない。スピカは逃げるように横桟を伝って離れる。

 

「そこで待ってろ!」


 アルデバランは吐き捨てるように言い、窓の内側に顔を引っ込めた。隣の部屋からスピカを引き上げるつもりらしい。

 スピカの顔は真っ青だ。手の痛みと自身の体重を考えれば、これ以上しがみついているのは難しい。逃げ場がない中、アルデバランを待つしかないのだろうか。


「スピカ、待たせたな」


 カーテンが開かれ、窓が開けられる。


「遅くなってすまん。大丈夫か?」


 窓から顔を出したのは、アルファルドであった。


「アルフ!」


「無茶をするな。爪が割れてるじゃないか」


 アルファルドはスピカの両手を掴み、部屋の中へと引き入れる。

 ここはタラゼドの寝室らしい。窓際にあるのは柔らかなベッド。サイドテーブルには、薬瓶がいくつか置かれている。

 スピカは部屋に入ると、ベッドの脇でくずおれてしまった。恐怖のために膝が震えて力が入らない。


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫……」


 スピカが立ち上がろうとしたその時、部屋の扉が開かれた。

 中に入ってきたのはアルデバランだ。彼は怒りをあらわにして詰め寄ってくる。


「ふざけているのか。お前が死んだら、エウレカはどうなるんだ」


 娘のことなど全く気にかけていない発言に、アルファルドは憤慨ふんがいした。

 

「お前は娘の心配もできないのか!」


 アルデバランは、アルファルドの怒号を笑う。


「それはエウレカの器だ。生まれる前からそう決まっている」

 

 スピカはいきどおりりを感じた。乙女の一族がどんな運命にあろうと、どんな呪いを背負っていようと、自分の存在を否定され続けるのは真っ平だった。


「ふざけているのはどっちよ。この体は私のものよ」


 アルデバランは足を止める。

 アルファルドが、銃口をアルデバランに向けていたからだ。


「……これ以上罪を重ねるか?」


 アルデバランは問いかける。大賢人を撃ったとなれば、大きな騒ぎになるだろう。

 だがアルファルドはそれを鼻で笑った。


「今更だろう」


 スピカを連れ去った時点で、自分の罪は確定している。そう言いたげだった。


「むしろ、あなたの方が罪深いんじゃないかしら」


 援護するように、スピカは声をあげる。


「娘を心配せず、むしろ娘の死を望んでるだなんて。

 私が可愛くないのは、この際どうだっていいわ。でも、何故そんなにエウレカに依存するの?」


 自分で認めるのも辛いが、言わずにはいられない。目頭にじわりと熱が込み上げる。

 心の何処かでは期待していたのかもしれない。父の胸の中には、欠片でも娘への愛があるのではないかと。

 だが、父は自分を愛してはくれない。それどころか、乙女の大賢人しか存在を知らなかったはずのエウレカに、随分と執心している。

 

 それこそ、恋焦がれているかのように。


 先程のアルデバランの言葉で、そのことを再認識してしまった。

 アルデバランはスピカを睨む。


「ああ、お前は全くもって可愛げがない。エルアと同じだ。

 私にも、乙女の一族の血が流れているというのに、私はエウレカの器になれない。だからお前に、その素晴らしい役目を与えようとしたのに!」


「何が素晴らしいだ! スピカの存在を踏みにじるな!」


 アルファルドが吠える。引き金にかけた指が震える。

 撃ちたくても撃てない。アルデバランが愛していなくても、スピカの前で父親を殺すようなことはしたくない。


「私は、もう二度とエウレカの寂しさを無視したりはしない」


 アルデバランは呟く。


「え?」


 聞き間違いかと思い、スピカは間の抜けた声をもらす。

 二度と、とはどういうことか。


神成かみなりの賢者、我が名はアルデバラン・ディクテオン……」


 アルデバランが呟く。

 スピカの視界がくらりと回る。輝術だ。


「スピカ!危ない!」


「落ちよ、霹靂へきれき!」


 倒れそうなスピカの体を、アルファルドがスピカの体を抱きかかえる。

 小さな雷が炸裂する。アルファルドは自分の身も省みず、スピカに多い被さった。

 アルファルドの背中に衝撃が走る。肉が焼けた、焦げ臭い匂いが辺りに漂う。


「アルフ!」


 スピカは叫ぶ。ぐらぐらと揺れる視界に、アルファルドの苦しげな顔が映った。


「やはりな。アルフ、お前、私の術には対処できないのだろう」


 アルデバランの声は、笑みを含んでいた。

 スピカはアルファルドの腕を掴む。軽く揺さぶると、アルファルドは呻いた。雷が掠めた背中が痛むのだ。


「アンナが言っていたよ。海蛇の輝術は、一部の傷に対処できないと。

 一つは脳に受ける傷、一つは心臓に受ける傷。

 そして一つは、大賢人の輝術」


 アルデバランは、アルファルドに近寄る。スピカを連れて行こうと、彼女の腕に手を伸ばした。


「痛みで起き上がれないだろう?」


 アルデバランの問いかけに、アルファルドは笑った。


「娘を守ることくらいはできるさ」


 発砲音が炸裂した。


「あっぐ……」


 銃口がアルデバランの足に向けられていた。銃弾が靴を貫いて、絨毯じゅうたんに血がにじんでいく。


「舐めるな。自分は父親だ。こんな傷食らったくらいで娘を手放すと思うな」


 肘を曲げ、アルデバランの体を腕で押し退ける。足に傷を負ったアルデバランは、バランスが取れず尻餅をついた。


「スピカ、立てるか?」


「ええ」


 アルファルドは、背中が痛むのもかまわず立ち上がり、スピカの腕を引く。スピカも目眩を堪え、立ち上がった。

 アルファルドはスピカを引っ張って、駆け足で部屋を後にする。

 

「くそっ。おい! 誰かいないか!」


 アルデバランは声をあげる。しかし、屋敷の使用人は誰も返事をしなかった。

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