後悔薄明(5)

 鷲の賢者の屋敷、その裏手。レグルスは声を潜めて隠れている。

 正門の様子を見に行っていたアルファルドは、駆け足でレグルスの元へとやって来た。親指を立てて門の方を指し示し、レグルスに合図を送る。

 レグルスは合図の意味を即座に理解し、鉄柵に手をかけ登り始めた。

 古びた鉄柵は雨風に晒され、所々に赤茶けた錆がこびりついている。手のひらの皮膚が引っかかり、浅い傷が幾つもできるが、それに構っていられなかった。

 鉄柵の頂点まで登り跨いで、柵の内側へと下り始める。やがて地面に降り立つと、柵の頂点を見上げた。

 レグルスが柵を下り始めてすぐに、アルファルドも柵を登り出していた。素早く柵を登る彼は、今頂点にいる。

 こそこそと忍び込んでいると、気持ちがはやるものだ。レグルスは使用人に気付かれることを恐れ、辺りを忙しなく見回す。


「何してるの?」


 頭上から、重たい羽音が聞こえてきた。見上げると、柵より高い位置から、ハーピィの少女が居た。十歳にも満たないであろう彼女は、二人を見下ろしている。


「やべ……」


 レグルスは呟く。

 屋敷の使用人は幼い少女ばかりだ。そのため、見つかった際に術や戦闘で片をつけるといった方法を取ることは難しい。だからこそ、見付かりたくなかった。

 何を思ったか、アルファルドがハーピィに笑いかけた。

 レグルスはその意図が読めず、緊張の面持ちで二人を見守る。


「しー」


 アルファルドは人差し指を立て、自分の口元に寄せた。


「しー?」


 少女は柵に跨り、アルファルドの真似をする。


「そう。ナイショだ」


「どうして?」


「お爺様をびっくりさせるんだ。今バレたら、台無しになってしまうだろう?」


「うん、そうだね」


 アルファルドの言葉を聞いて、ハーピィの少女はクスクスと笑う。タラゼドの驚いた顔を想像しているのだろう。彼女の頬は悪戯いたずらっ子のように綻び紅潮している。


「お爺様びっくりするとこ見たいー」


「じゃあ、中入ってもいいかい?」


「うん、いいよ!」


 あっさりと侵入を許したハーピィの使用人に、レグルスはぽかんと口を開ける。

 アルファルドはハーピィに懐かれたようだ。背中にハーピィを背負って、悠々と柵を降りる。

 妙に手慣れたアルファルドの様子を見て、レグルスは思い出す。彼はスピカの、女の子の親だった。


「流石、慣れてんだな」


「スピカも、この歳の頃は好奇心の塊だったからな。大人が慌てれば、逆に騒ぎたくなるんだ」


「ふうん」


 アルファルドはハーピィを地面に降ろし、問いかける。


「裏口は何処にあるんだい?」


「えっとねー。こっち」


 ハーピィはアルファルドの手を引いて案内する。

 人の目を気にしながら、三人は庭を駆け足で横切る。その先にはサンルーム。ハーピィが率先してスライドドアを開け、中へと入る。

 そこには、ラタンで作られた二人がけのソファと、ガラスのローテーブルが置いてある。


「ここに座るとね、お日様ポカポカで気持ちいいんだよー」


 アルファルドは、ハーピィの言葉を適当に流しながら、屋内の様子を確認する。

 どうやらこの屋敷の中には、女性しかいないらしい。しかも子供ばかりだ。


「ここには女の子しかいないのか? 男の子や、大人の人は?」


 アルファルドはハーピィに問う。ハーピィは考えるが、すぐに片手の拳をもう片方の手のひらにポンと打って答えた。


「いるよ、男の子。

 えっとねー、昨日の夜にお姉様が連れてきたお兄ちゃんとお姉ちゃん。

 あ、あとね、ちかってところに、私のお兄ちゃんがいるの。いつもお勉強してるんだって」


 アルファルドとレグルスは、互いに顔を見合わせる。

 昨日連れてきたという人物は、おそらくスピカとアヴィオールだろう。

 ならば、地下にいるというお兄ちゃんとは何なのか。


「お前のお兄ちゃんなのか?」


 レグルスはハーピィに問いかける。

 ハーピィは満面の笑みで頷いた。


「そうだよ。いつもお爺様は、お兄ちゃんのこと褒めてくれるの。ガマン強い、いい子だって!」


 アルファルドは、ハーピィの頭を撫でて笑いかける。そのぎこちなさに、ハーピィは首を傾げた。

 背中を這い上がる悪寒に、アルファルドは喉を鳴らす。嫌な予感が胸を渦巻いていた。


「レグルス、頼めるか?」


「どっちを?」


 レグルスもまた、この屋敷の異様さに気づいていた。だから「何を」ではなく、「どっちを」選択すべきか問うた。

 アルファルドは指示を出す。


「レグルスは地下へ。あの老人、何をしてるかわからんが、囚われているとしたら、その子の兄だけではないだろう。自分はスピカとアヴィを探す」


「了解」


 幸い、屋敷はそう広くない。手早く回れば、短時間で事は済むだろう。

 

 何も起こらなければ。

 

 アルファルドは、サンルームと廊下を繋ぐ扉を開ける。屋敷の内側に開けられた扉の向こうには誰もいない。左右を確認し、早足で、だが足音を立てずに屋敷へと入る。

 レグルスもそれに続く。サンルームを出る直前、ハーピィを振り返ると、彼女はレグルス達の緊張が伝わったのか泣き出しそうな顔で見上げていた。


「お兄ちゃんに何かあったの?」


「大丈夫。何もないさ」


 何もないと良いのだが。

 その不安は胸の内にしまい込んだ。


「いいな、レグルス。危なくなったらすぐ逃げろ」


「善処しとく」


 レグルスの返事に、アルファルドは苦笑する。レグルスのことだ。どんな状況に追い込まれようと、逃げることはしないのだろう。


「烏の屋敷で落ち合おう」


「おう」


 二人は別れる。

 アルファルドは廊下を右手に、レグルスは廊下を左手に。

 地下室への階段が何処にあるかなど検討はつかないが、レグルスは早足にそれを探す。

 時々使用人と鉢合わせしそうになるが、廊下の曲がり角に隠れてやり過ごした。

 幸い使用人達は幼い少女ばかりで、かつ彼女らの注意は散漫らしい。隠れながら屋敷を回るレグルスの姿には気づかないようだった。

 いくつかの洋室と二部屋の書斎を見て回る。しかし地下への階段は見つからない。

 迷っているうちに食堂へとやって来た。大きめの長机に椅子が十脚、壁には絵画が飾られており、キャビネットには薔薇の花が活けられていた。

 そこにいたのは、自分と同じくらいの歳のハーピィとニンフ。

 二人はどうやら軽食の準備をしていたらしい。コーヒーとケトル、そしてクッキーが置かれたワゴンに手をかけて、しかしレグルスと目が合ったために固まっている。


「やべ」


 年端もいかない幼児であればともかく、自分と同じ年頃の少女となれば、丸め込むのは難しい。言い訳がいくつか頭に浮かぶが、どれも彼女らには通用しないだろうと考えた。


「お爺様に伝えなきゃ……!」


 ニンフが震えた声を絞り出す。ハーピィは踵を返し、厨房へ向かおうとした。その時だ。


「何かあったの?」


 食堂の奥側にある扉が開かれ、そこから少女が姿を現す。

 ファミラナだった。彼女はレグルスを見るが驚くことはなく、ぼんやりとした表情でよそよそしくお辞儀する。


「お客様がいらっしゃる予定は聞いておりませんが……」


「ファミラナ!」


 レグルスはファミラナの言葉を遮って、ファミラナに早足で近付いた。彼女の両肩をがしりと掴むと、乱暴に体を揺さぶった。


「俺がわかるか? レグルスだ。聞こえるか?」


 ファミラナは体を揺らされるまま、頭も前後に激しく揺れる。糸だけで体を支えるマリオネットのように。その姿は、誰が見ても異常だとわかる。


「お前、操られてんだろ? お前の意思でスピカやアヴィを連れてったわけじゃないんだろ?」


「やめてください」


「なあ、応えろって!」


 突然ファミラナに胸倉を掴まれた。驚く間もなく、レグルスの体は放り投げられる。

 華奢な体の何処に力があったのか。レグルスはファミラナの背負い投げを食らい、床に激突する寸前で受身を取った。

 痛みはあるが、動けない程ではない。すぐにファミラナの手を振りほどいて距離を離す。今や自分が食堂の扉を背にしている。


「おやおや、いらっしゃい、レグルス君」


 背後から声が聞こえ、レグルスは反射的に振り返る。

 タラゼドの姿がそこにあった。


「君は呼んでいないはずなんだが……まあいい。一緒におやつでも食べるかい?」


 レグルスの表情が凍りつく。

 対して、タラゼドの表情は普段と変わらず柔和なものだ。しかし、腹の底では何を考えているのかわからない。


「なあ、爺さん。スピカとアヴィ、何処にやったんだ?」


 レグルスは単刀直入に問う。緊張のせいで鼓動は激しく、大きく胸を上下させる。

 タラゼドは聞こえないふりをして、レグルスの脇を通り抜けた。


「さっき、アサド君とクリメレさんが来たんだよ。クッキーを持ってね。こんな朝早くから、不思議だね」


「聞いてんのか」


「君こそ、聞いているのかい?」


 タラゼドはレグルスを振り返る。その顔をニヤリと歪め、クッキー缶を手に持ち撫で回す。

 アサド達が尋ねて来た時点で、レグルス達の侵入に勘づいていたと、そう言いたいのだろう。


「メイド達には、屋敷を巡回するよう言っておいたはずなのだが。誰かな、君達を見過ごした悪い子は」


 ハーピィとニンフは、タラゼドの言葉に顔を青くする。まるで、タラゼドの悪意を感じているかのように。

 レグルスは動けない。タラゼドとファミラナに睨まれているこの状況だ。少しでも動けば、きっとファミラナに捕えられてしまうだろう。

 ならば、アルファルドがスピカを探し出すまで時間稼ぎをするしかない。


「前から変だと思ってたんだがよ。この屋敷、気持ちわりいよ。

 使用人は全員女。しかも子供ばっか。孤児を雇ってます、なんて言いながら、男の姿は一人もいない。

 なんなんだ、あんた」


 レグルスは尋ねる。

 嘘ではない。以前から不気味だと思っていた。誰もがそう思うだろう。

 だが聞けないでいた。表向きは孤児の育成だったから。この土地の領主である賢者に疑いを投げ掛けるなど、きっと烏の賢者だって出来やしまい。

 レグルスの問いは、タラゼドの表情を変える。微笑みはそのままに、しかし目は悲しげに伏せた。


「昨年、私は余命宣告を受けた」


 タラゼドは缶を開け、中のクッキーを覗き込む。しかしすぐに興味は薄れたらしい。ニンフにそれを押し付けて、話を続ける。


「胃癌だ。転移してしまって、もうどうにもできない。もって一年。早ければ半年だろうと。

 ワシはね、以前から孤児には目をかけていたのだよ。それは本当だ。子供が好きだからね。

 ファミラナと共に、アクィラと近郊地域の孤児院を回り、働く気概きがいがある子達を男女問わず雇った。男子は土木工事の会社にやり、女子は製糸工場で仕事をさせた。

 だが、こんなに社会貢献しているワシに対して、神様は残酷だ。

 胃が痛む。骨が痛む。頭が痛む。

 何故こんな苦行を強いるのか。ワシが何かしたのかね」


 レグルスは眉を寄せた。

 その境遇には同情する。残酷だと思う。だが、それが今回のことと何の関係があるのか。


「だからね。ワシは欲のままに生きようと決めたのだよ。

 意見の違いから関係を絶っていたアルデバラン君に再度声をかけ、昔聞いた、世界を無に帰す計画に乗った。

 どうせこの世界は、乙女の賢者が生まれた時から終わりなのだ。ならば、何をしようと良心が痛むことはない」


 レグルスの背中を冷たいものが這う。悪寒を堪え、踵を返して扉を開ける。

 察してしまった。この男がこの屋敷で何をしているのか。

 扉を開けた先は厨房だ。そこには給仕係の使用人が二人。驚く彼女らには目もくれず、レグルスはパントリーへと向かう。

 他の部屋は探し尽くした。あるとすれば、ここしかない。


「やっぱり……」


 レグルスは呟く。

 パントリーの床には取手が二つついていた。一見、それは床下収納のようだ。その取手を握り、持ち上げる。

 存外軽かった。蓋のようなそれを持ち上げ、脇に避ける。その下は階段になっており、暗い地下へと続いている。


「その先へ行ってはいけないよ」


 背後からタラゼドの声がする。しかし構っていられなかった。

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