後悔薄明(4)

 アサドとクリメレは、両親に断りを入れ屋敷を出る。時刻は七時に差し掛かっていた。他人の家を訪ねるには、かなり早い時間だ。


「クリメレ、どうするつもりだ?」


「どうするも何も、私達はタラゼドお爺様の気を、レグルス達から逸らすだけですわよ」


「そのための菓子か」

 

「ええ」


 クリメレはふふと笑う。彼女の手にはバスケットが、その中にはクッキー缶とコーヒー缶が一つずつ入っていた。


「そんなに上手く行くか? タラゼドも警戒してんじゃねえのか?」


「お爺様が玄関まで出てくれれば、それだけで十分ですのよ」


 鷲の賢者の屋敷は、この街の最も高い場所にある。

 アサドとクリメレは敢えてゆっくりとした足取りで坂を上る。今頃、レグルスとアルファルドは別ルートで屋敷に向かっていることだろう。彼らと息を合わせるには、彼らより先に屋敷に着いてはいけない。

 とはいえ、烏の屋敷から鷲の屋敷までは、差程距離は離れていない。のんびり歩いても十五分程度で到着してしまう。


「二人は屋敷の裏手に着いたのでしょうか」


「知らね。タイミングが合わなけりゃ、次の手を考えるまでよ」


 屋敷の門を見上げ、クリメレは喉を鳴らした。門の脇に取り付けられたチャイムのボタンを見て、それに手を伸ばす。

 ボタンを押す。カチリという軽い感触。おそらく屋内では呼出音が鳴っているだろう。

 暫く待っていると、ハーピィのメイドに連れられてタラゼドがやって来た。重々しい音を立て、門が開かれる。


「こんな朝早くからどうしたんだい?」


 タラゼドはにこやかに問いかける。

 アサドはわざとらしくため息をつきながら、クリメレに向かって顎をしゃくる。


「クリメレが、どうしても渡しておかなきゃってさ」


 クリメレは、緊張で震える手をぐっと握り、バスケットをタラゼドに差し出した。顔には笑顔を貼り付ける。


「お、美味しい焼き菓子のお店を昨日見つけたので、お爺様にも食べて頂きたいと思いまして」


 しまった。クリメレは笑顔を崩しはしないものの、首筋に冷や汗をかいた。声が上擦ったのだ。

 アサドはクリメレを流し目で見る。即座に彼は取り繕うように愛想笑いを浮かべた。


「今日この後用事があるって言うんで。朝早くからわりいな」


 タラゼドはクリメレを見て、アサドを見る。すっと目を細めるが、普段通りの柔らかな立ち振る舞いでいた。


「ありがとう。だが、次からはもう少し遅い時間にしておくれ。

 君たちも、私の病気のことは知っておるだろう? 最近朝が辛くてな」


「はい、申し訳ありません」


 クリメレは目を伏せ、落ち込んでいるフリをする。


「だが、折角持ってきてくれたんだ。頂こうじゃないか」


 タラゼドの言葉にハーピィは頷き、クリメレに両手を差し出す。

 クリメレはハーピィの両手にバスケットを乗せた。クッキーの甘く香ばしい匂いに、ハーピィは頬を弛める。


「後で、あの子たちと一緒に食べようね」


 タラゼドはハーピィの頭を撫でる。ハーピィは嬉しそうに目を細めた。

 これだけを見れば、世話好きな爺にしか見えない。先程のアルファルドの仮説は間違っているのではないか。そう思ってしまう。


「ファミラナは元気だよ」


 突然、タラゼドはそう言った。

 アサドもクリメレも体を強ばらせる。


「今はお友達と一緒だ。心配することはないよ」


 タラゼドは、何もかもを見透かしているかのように、目を細めてにんまりと笑った。目の皺、頬の皺が深まる。穏やかな表情は、底冷えするかのような目の冷たさを際立たせた。


「お爺様……」


「ファミラナはよくやってくれておる。何も心配することはない」


「お爺様!」


 クリメレは堪らず叫ぶ。唇が、声が小刻みに震える。


「全て、見透かしているのですか?」


 タラゼドの表情は変わらない。


「はてさて、何のことやら」


 そうして門は閉じられる。

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