後悔薄明(3)
日が出始めたアクィラの街。午前六時より少し前という早い時間。
朝早くから活動しているヒトはあまりいないようであった。時折犬の散歩を楽しんでいる姿が見られるが、街はまだひっそりとしていた。
レグルスは、アルファルドと共に坂道を上る。スピカ達が屋敷に囚われているであろうということは、容易に検討がついていた。今すぐにでも押し掛けてやりたいが、安易な行動はできない。
先に行かねばならない場所がある。
「ファミラナに話聞かねえと」
レグルスは呟く。ファミラナの家に行き、彼女に尋ねるつもりであった。
家にいるという確証はない。だが、タラゼドと組んでいるのであれば、彼女もアクィラにいるはずだ。ならば家に帰っているのではないかという単純な考えであった。
アルファルドは、レグルスの言葉に首を振る。
「会ってどうする? 彼女のあの態度で十分だろう」
「十分じゃねえよ。ファミラナはおかしかった」
レグルスは反抗する。
「あいつ、気が弱い奴なんだよ。人の顔色
ダチを嵌めるようなこと、できるわけねえんだよ」
アルファルドは、その話を信じることができない。だが、それ口にしたところで仕方がなく、ただレグルスの後ろ姿について行く。
「なあ、任せてよかったのか?」
レグルスは顔だけ振り向き、アルファルドに問いかけた。
「日記の半分、カペラとグリードに取りに行かせてさ」
アルファルドは苦い顔をする。
「
「いくら双子が
コレ・ヒドレに行かせた方がマシだったんじゃねえの?」
レグルスの言葉はもっともだ。
しかし。否、だからこそ、登りきった先は安全が確保される。
「カペラもグリードも、敵に顔が割れているんだ。
「あーなるほど。辿り着いたら安全ってことか」
「何より、コレ・ヒドレには自分が行かなきゃならんからな」
アルファルドは自嘲する。レグルスは、その表情の意味が読み取れず眉を寄せた。
そのうち、二人は屋敷の前にやってきた。
花の香りがほんのりと漂う。庭には薔薇が咲き乱れ、まるでレグルス達を中に誘っているようである。
「あら、レグルス」
庭から女性の声が聞こえた。若草色の縦ロールヘアが印象的な女性が、レグルスを見ていた。
「クリメレさん、久しぶり」
レグルスはクリメレに片手を上げる。
クリメレは薔薇に水やりをしていたようだった。使用人に混ざって花の世話をするとは。どうやらガーデニングが趣味のようである。
「ファミラナは? 帰ってない?」
レグルスはクリメレに問いかける。クリメレは眉を下げて首を振った。
「帰っておりませんわ。蛇使いの大賢人と一緒にいると聞いてたから安心していたのですけれど……何かありまして?」
レグルスは項垂れた。あてが外れてしまったのだ。
「ファミラナに何かあったのですわね?」
「ファミラナにというか……ファミラナが、というか……」
レグルスは上手く説明ができず、頭を掻き毟る。彼には何もわからないのだ。だから話を聞きたいのに、ファミラナはここにいない。
「……そちらの方は?」
クリメレがアルファルドに目を向ける。レグルスの後ろで様子を伺っていた彼だが、目を向けられると会釈した。
「ファミラナの友達のお父さん」
「ヒュダリウムです」
クリメレはスカートを摘み、腰を落とす挨拶をする。
アルファルドは鉄門に近付くと、クリメレに声をかける。
「あなた方は、烏の一族とお聞きしております。鷲の賢者に仕えているとも」
互いの間に門を挟んでいるとはいえ、長身の男性に詰め寄られ、クリメレはたじろいでしまう。
「ええ、そうですわ」
「タラゼド……鷲の賢者は、牡牛の大賢人との交流を絶っていたはずでは?」
「そうですわ。ファミラナの代で、既に交流は絶ってらっしゃいますの」
アルファルドは顎に手を添えた。
妙ではないか。交流を絶っているのであれば、何故スピカを宮殿へと連れて行こうとするのか。
初めてスピカがアクィラを訪れた時も、タラゼドはスピカを宮殿に導こうとしたらしい。
何が目的なのか。
「中にお入りくださいな」
唐突なクリメレの申し出に、レグルスもアルファルドも驚いた。
「いいのですか?」
「よくありませんわ。こんな朝早くから」
クリメレは、声をやや太くして怒りを表す。早朝から、見知らぬ男性に押しかけられているのだ。怒るのも無理はない。
それでもクリメレが、レグルスやアルファルドを招き入れるのは、理由があってのことらしい。
「ファミラナのことを聞かせなさいな。今あの子は何処にいるの?」
鉄門が自動で開かれる。使用人達はジョウロやスコップを片付け、クリメレからの指示を待つ。
「お二人を中庭に案内なさい。貴方にはコーヒーをお願いしますわ」
初老の使用人がアルファルドを見、続いてレグルスに目を向ける。「どうぞ」と一言発すると、手のひらで庭を指し示し、二人を案内し始めた。
薔薇が咲く庭を通り抜け、屋敷の中へと入る。まだ家人は起きていないらしい。静かであった。
「兄を起こして参りますわ」
クリメレはそう言うと、そそくさと屋敷の奥へ消えてしまう。使用人はお辞儀をしてそれを見送り、すぐにレグルス達に向き直る。
薄暗い廊下を歩いていくと、廊下の先に扉が現れた。使用人は扉を押し開ける。
そこには美しい中庭が広がっていた。小さな箱庭の中に、薔薇やヒナゲシ、サルビアといった愛らしい花々が咲き誇っている。
中庭の中央には、四人が向かい合って座れる程のテーブルと椅子が設置されていた。使用人に勧められるまま、レグルスとアルファルドは並んで座る。そこにワゴンを押しながらメイドが現れ、二人分のアイスコーヒーをテーブルに並べて去って行った。
朝早くに押しかけてしまったという罪悪感もあり、レグルスは気まずさを感じていた。辺りをキョロキョロと見回して、クリメレの姿を探す。
一方アルファルドは、待つしかないとばかりにアイスコーヒーを一口飲んだ。
およそ十五分程経っただろうか。クリメレはアサドを連れて中庭へとやって来た。
「お待たせ致しました」
見れば、余所行き用のドレスを身にまとい髪を結い上げたクリメレと、寝癖がついたままのラフなTシャツ姿をしたアサドがそこにいた。アサドは
「朝早くからすみません」
「いや、いいんだけどよ」
アルファルドの丁寧な物言いに対し、アサドはぶっきらぼうに返す。早朝に起こされて不機嫌らしい。彼の表情には、その感情がありありと浮かんでいる。
「ファミラナのことですけれど」
唐突にクリメレが問いかける。
「ファミラナは、アクィラお爺様から預かった時計を直しに首都へ行き、その後、大賢人アスクラピア様から宮殿に呼ばれたと聞いておりますわ」
クリメレの発言は、レグルス達の周りで起こった出来事とは、認識のズレがあるようだった。おそらくファミラナは、あまり姉に語ることをしなかったのだろうと予想がつく。
「その後も宮殿で足止めされていると聞いておりますが、先日の乙女の後継者誘拐事件と関係がありますの?」
レグルスはアルファルドを見る。果たしてスピカの話をクリメレ達にして良いかどうか、判断がつかなかった。
アルファルドは目を閉じ少しだけ考える。だが、自分達が巻き込まれている騒動を話さねば、ファミラナの行動は説明ができない。そう考え口を開いた。
自分が昔、乙女の後継者を預かったこと。
その後継者であるスピカが、タラゼドの勧めで宮殿へ向かったこと。
それにファミラナが同行したこと。
再度スピカを宮殿から連れ出したこと。
タラゼドの指示でファミラナがスピカとアヴィオールを
クリメレは黙って聞いていたが、そのどれもが信用できず、頭を抱えてため息をつく。
「おじ様……語るなら、もっとマシな御伽噺にして下さいませ」
「嘘ではありません。確かに信じられないかもしれませんが、全て本当のことです」
クリメレはレグルスを見る。初対面の男より、妹の友人の方が信頼がおける。
そして、レグルスもまた頷いた。
「妹は……ファミラナは……随分と大変なことに巻き込まれておりますのね……」
呆れ返っているクリメレとは対照的に、アサドは豪快に笑った。
「あっはっは! ファミラナのやつ、随分と楽しそうなことしてんじゃねえか」
「アサド、意味わかっておりますの?」
次の瞬間、アサドは笑っていた顔を引き締める。コーヒーを煽るように飲み下すと、その苦さに顔をしかめた。
「ダチはな、裏切っちゃならねえのよ。ファミラナは一体何してんだ?」
どうやら怒っているようである。アサドの凄んだ声に、レグルスは慌てて言葉を返した。
「いや、けど、ファミラナの意思で裏切ってるとは思えねえんだよ」
「ファミラナの意思じゃない?」
「ああ。だってさ……」
レグルスは一旦口を閉じる。言うべきか悩む。自分の見間違いかもしれない。
アサドは「言ってみろ」とばかりに顎をしゃくる。
レグルスは再び口を開く。
「ごめんねって言ってたんだよ」
アサドもクリメレも、眉を顰めるだけ。だが、アルファルドはレグルスを見て訝しんだ。
「スピカが連れていかれた時か?」
「ああ、その時」
あの時、レグルスはファミラナを凝視し、動けないでいた。アルファルドはそれを思い出す。
言っていたと言うよりは、ファミラナの口の動きがそう見えたのだろう。そのことが、レグルスの中では違和感として残っているのだ。
「ここに来たのは?」
アサドに問われ、アルファルドが答える。
「ファミラナさんは、鷲の賢者と共に行動しております。ならば、アクィラにある、自分の家に帰っているのではないかと思った次第です」
アサドは頭を掻き毟る。そしてぽつりと呟いた。
「変な話していいか?」
レグルスとアルファルド、そしてクリメレも、アサドの顔を見る。アサドは背もたれに寄りかかり、苦い顔をしながら語り始めた。
「タラゼドはさ、昔は真っ当な奴だったんだ。孤児を引き取って、女は製糸工場、男は土木会社、年端もいかないガキらは自分の屋敷で面倒見てた」
「あら……そうでしたわね」
クリメレが相槌を打つ。
レグルスはそれを
「あれはいつだったか……」
「昨年の秋ではなくて?」
アサドは頷く。
「ああ、そうだった。
タラゼドの奴、病気しちまってよ。胃癌だったか?それがあっという間に頭に転移したんだと」
アサドはクリメレを見る。クリメレは頬に手をそえて、宙を見つめながら記憶を呼び起こす。
「屋敷に女の子しか見なくなったのはその頃からですわね。まあ、ファミラナが監視をしていますから、下手なことはしないと思っていますが」
「そういやファミラナの奴、鷲の屋敷に泊まり込むこと多くなったよな。爺さんを心配してのことかね」
アサドとクリメレが話し込む中、アルファルドは顎に触れる。
レグルスの発言に疑わしさは感じない。アサドとクリメレの話は妙に引っ掛かる。
暫し考えを巡らせていたが、やがて、仮説にも満たない妄想が頭の中に広がっていく。
「レグルス。もしかしたら、君の言うことが合ってたかもしれん」
「ファミラナがおかしいってやつか?」
アルファルドは頷く。
「催眠術だ。
おそらく、タラゼドが病気になったとかいう昨年の秋、ファミラナはタラゼドの催眠術にかけられていたんじゃないか? もしそれを、今回利用したのだとしたら?」
ファミラナは、もしかすると、タラゼドから催眠術をかけられているのではないだろうか。それは、かつてのタラゼドがファミラナを従わせるためだけにしたことで、今回のこととは本来関係がないものではないかもしれない。
今回ファミラナの裏切りについて、逃げ出した乙女を捕まえるため、タラゼドが術を発動させたのが理由だとすれば、全ての
なんて。
「なんて、都合よすぎた考えだろうな」
アルファルドは自嘲する。
しかしレグルスは目を丸めていた。
「ああ、スピカが継承するちょっと前くらいからおかしかったのって……
よく考えたら、
時々、ファミラナの発言がおかしかったり、周りから疑われたりすることはあった。レオナルドの「信用するな」という言葉も、あながち間違いではなかったようだ。
レグルスは項垂れる。
「ファミラナのこと、もっと見るべきだったんだな」
しかしここで落ち込んでいても仕方ない。レグルスは両手で両頬を思い切り叩くと、アルファルドに向き直った。
「スピカとアヴィだけじゃない。ファミラナも助けてやらねえと」
アルファルドは頷く。そして立ち上がる。
「突然押しかけて申し訳ありませんでした。我々はこれで」
レグルスも立ち上がる。
これから、鷲の賢者の屋敷へと向かうつもりでいた。街の最も高い場所にある、あの洋館へ。
「二人で行くのか?」
アサドが問いかける。アルファルドは頷いた。
「これでも私は海蛇の賢者崩れですので。いざとなれば、その地位を使います」
「あー……あんた、以外と無鉄砲なんだな」
アサドは呆れて苦笑いする。
「でもさ、無鉄砲でもなけりゃ、乙女を
「まあ、否定はできないな」
レグルスに言われ、アルファルドは開き直る。それがあまりにおかしかったらしく、アサドもクリメレも声に出して笑う。
だが、アルファルドの無鉄砲さには賛同しかねる。
「おじ様、少し、私達も協力させて頂きます」
クリメレがそう申し出て立ち上がる。アサドも頷き立ち上がった。
「部下が上司を訪ねるのは、不思議なことではありませんものね」
「親父らには内緒だけどな」
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