輝きは誰がためのものか(3)

 ほんの数分だったか、それとも数時間か。気絶していたスピカは、不意に意識を取り戻す。目を閉じていても、真っ暗な視界がぐるぐると回っているようで気持ちが悪い。

 何処かに寝かされているらしい。横たわっているそこは柔らかく、触れる布地は滑らかだ。

 喉奥には、嘔吐した後の不快感がこびり付いており、飲み込もうと喉を鳴らす。

 

『あら、エルアより弱いのね』


 エウレカの声が聞こえた。ということは、乙女の宮にいるらしい。


『継承の儀、上手く行くかしら』


 彼女は、スピカに声が聞こえていることに気付いていないらしい。語りかけるというよりは、独りごちるといった話し方である。

 言葉の内容とは裏腹に、妙に明るいエウレカの声に、スピカは違和を感じる。


「エウレカ……?」


 スピカは呟き、目を開く。

 ぼやけた視界は、数回瞬きするうちに、はっきりとしたものになる。目の前にはアヴィオールの顔。


「大丈夫?」


「……大丈夫……」


 スピカは呂律ろれつが回らない舌で返事をする。それを聞いたアヴィオールは眉を下げた。


「大丈夫じゃないでしょ。柘榴水飲める?」


 体を起こすのが億劫で、スピカは首を振る。

 そこは確かに乙女の宮で、寝室だった。アヴィオールだけでなく、そこにはアルデバランとサビクの姿もある。

 アルファルドの姿を探してみるが、当然そこにはいなかった。


「アルフにも伝えたんだ。けど、牢から出ることを許されなくてね。酷く心配していたよ」


 サビクはスピカに語りかける。弱っていたスピカは目を潤ませ、涙を押し留めるため瞬きする。


「例の発作だろう? なら大丈夫だな」


 アルデバランが会話に割って入る。スピカの額を軽く撫で、にこりと笑った。スピカはそれを嫌がり、彼の手から逃げる。

 サビクはオドオドしながら、アルデバランに声をかける。


「わかっただろう。スピカはエルアより症状が重い。慣例に従って、継承は細かく分けないと無理なんだ」


「……」


「早く継承してほしい気持ちもわかる。僕だって、彼女がいいならそうしてほしい。でも、実際無理なんだよ」


 スピカはサビクの言葉をぼんやりと聞いている。サビクはスピカの身を案じてくれている。信頼に足る人物だ。

 しかし、実父の方はどうだろうか。スピカをかえりみてくれているのだろうか。

 これが義父であれば。アルファルドであれば、国のことなど二の次で、自分の体を案じてくれたかもしれないと、そう思った。


「そうだわ……」


 アルフに呼ばれていたことを思い出し、スピカは体を起こす。アヴィオールは驚いてスピカの肩を押し返し寝かせた。


「アルフには僕から言っておくから」


「でも、私呼ばれてるのよ」


 二人の会話を聞いたアルデバランは、眉をひそめてスピカを見下ろす。


「アルフに呼ばれているのか?」


 スピカはアルデバランを見上げ、彼の顔を見ると途端に目を泳がせる。その顔が怒っているように見えた。


「あいつは殺人犯だぞ」


 スピカは首を振る。


「そんなの有り得ないわ。お母さんを殺して私だけを攫うなんて有り得ない」


「乙女を絶やし、冬を呼ぼうとしている。そう考えたらおかしくない」


「おかしいじゃない」


 スピカは再び体を起こす。目眩の余韻よいんで視界がぐらつく。リボンが解け、黒髪が彼女の顔を隠した。


「それが望みなら、私も一緒に殺すはず。それをしなかったんだもの。

 アルフは人殺しなんかじゃないわ」


 スピカは嗚咽を漏らす。

 ようやく答えが出たのだ。育ての親は、信用に足る人物だと。皆が言うような悪人などではないと。


「私は、ディクテオンさんを信用できません」


 そして、娘をかえりみない実父が信用できないと。


「アルフが心配してたのは、貴方のことだったんですね。だから、私を宮殿から遠ざけたんですね。他にも理由は沢山あるだろうけど……

 私は、貴方が怖いです」


 部屋がしんと静まり返る。スピカの発言を聞いた皆、押し黙ってしまった。窓もドアも締め切った寝室の中、時計の音だけがうるさく響く。

 刺すような視線を感じ。スピカはおそるおそる顔を上げる。

 アルデバランが、スピカを見下ろしていた。無表情……否、双眸そうぼうは怒りを顕にしている。赤い瞳に睨まれ、スピカは息を飲んだ。

 親が子に向ける感情としては異質すぎる。彼の顔からは憎しみさえ感じた。スピカは恐怖を感じ、息を飲む。


「バラン……アルデバラン」


 サビクが声をかける。アルデバランは我に返り、にこやかに笑みを浮かべてサビクを振り返る。

 今の表情は、スピカにしか見せていなかったのだろう。


「とにかく、今はスピカを休ませてあげて。体力が戻らないと何もできないよ」


「そうだね。後で夕食を持って来させよう。今日は寝てなさい」


 アルデバランはスピカを撫でようとし、スピカは頭を軽く振ってそれを拒否した。


「仕方ないね」


 アルデバランはそう言って手を引く。そして寝室を出て行った。

 足音が遠くなり、やがて聞こえなくなると、スピカは糸が切れたかのように項垂れた。浮遊感と嘔吐感で、まだ気分が悪い。


「今、何時?」


 スピカはアヴィオールに問う。


「今は五時半。夕方だよ」


 アヴィオールは窓の外を見て答える。窓からやや黄色がかった日が入り込んでいる。まだ明るさは残っている。


「やっぱり、アルフに会いに行かなきゃ」


 スピカはベッドから足を下ろす。アヴィオールもサビクもぎょっとした顔。今まで気絶していた彼女を歩かせるわけにはいかなかった。


「駄目だよ! 今日は寝てて!」


「君に何かあったら、アルフに顔向けできないよ。今日は大人しくして」


 しかしスピカは首を振る。


「私が会いたいの。行きたいの」


 スピカは立ち上がる。しかしまだ足は覚束無い。ふらつき壁に寄りかかる。

 その肩をサビクが支えた。


「自分の意志を強引に通すところは、アルフそっくりだよ」


 しみじみといった様子で、言葉を続ける。


「愛されて育てられたんだね」


 スピカは頷く。何度も頷く。

 サビクは部屋の外に顔を出すと、待機していたグリードに声をかける。


「車椅子を取ってきてくれないかな」


「やはり必要になりましたか」


 グリードはため息混じりに声をもらす。そしてホールまで駆けて行き、暫くして車椅子を押しながら寝室へと入ってきた。

 サビクはスピカをそれに座らせる。スピカは病人扱いされたことに頬を膨らませるが、実際体調は良くないのだから仕方ない。


「プライベートな話だろうし、一人で行く?」


 アヴィオールが後ろから声をかける。彼の手は車椅子に添えられているが、スピカは少し考えた後に頷く。


「一人で行くわ。アヴィにはまた後で話すわね」


「わかった」


 アヴィオールの手が離れる。スピカは車椅子の車輪に手をかけて、力を入れて回す。自分自身が腰掛けている車椅子を動かすのは初めてのことで、想定以上の力が必要だということにやや驚いた。

 寝室を出ると、グリードが入口正面に立っていた。


「大丈夫か?」


「大丈夫よ。ありがとう」


 漕ぎ方はぎこちないが、しっかりと進めている。車体を左に向け、ホールへと向かう。キイキイと、擦れるような金属音が少々耳障りだ。

 ホールでメイドと鉢合わせする。彼女は慌ててスピカに声をかける。夕飯の支度が済むまで寝ていて欲しいとのことだが、スピカは首を振って宮を出る。

 日は傾き、目に突き刺さる。眩しさに目を細め、スピカは進む。先日まで抱いていた不安感は、今やない。むしろ、早くアルファルドに会いたいと、腕に力がこもる。

 だが、あまり進まないうちにまた目眩が邪魔をして、倒れはしないものの項垂れた。視界は歪み、再び嘔吐感が強くなる。


「スピカ、大丈夫か?」


 不意に聞こえた女性の声に、スピカは顔を重たげに上げる。

 誰かが庭を駆けてくる。女性だろうか。


「無理はするな」


 アンナだった。彼女はスピカが座る車椅子を見て、その取っ手に手を伸ばす。


「いいの。大丈夫」


 スピカは咄嗟に声を上げる。アンナは驚いて手を引っ込めた。


「私が一人で行くって言ったの。だから大丈夫」


 えずきながら声をあげるが、思ったよりも大きな声が出ず、蚊が鳴くかのような微かな声しか出ない。そんな自分に苛立ち、膝を叩く。


「何処に行くんだ。近くまで送ってあげよう」


 アンナの提案に、スピカは首を振る。しかし、アンナは引かなかった。


「君の後ろに嫌な影が見えた。頼む。送らせてくれ」


「……影?」


 アンナは再び車椅子に手を伸ばす。スピカは拒否せず、アンナに押されるまま。


「何処に行くんだ」


 再び訊かれ、スピカは答える。


「アルフに会いに行きたいです」


 アンナは顔をひそめるが、それがスピカに見えることはない。アンナは何も言わず、スピカの車椅子を押す。

 薔薇のアーチを抜け、小さな果樹園の中を進む。丸々と実った葡萄に時折見惚れながら、しかしろくに話もせず、ただ進む。


「カルキノスさん」


 スピカがアンナに問いかける。


「私に会いに来たんでしょう? 何かご用事があったんですよね?」


 アンナは「嗚呼ああ」と小さく漏らす。


「確かに、君に会いに来た。君に言っておきたいことがあって」


 容易に想像がついた。スピカが倒れたその時、発動していたアンナの術についてだろう。アンナもまた苦しんでいた様子だったことを思い出す。

 

「カルキノスさんは、例えば、触れた相手に共感するような術なんですか?」


「そうだ。蟹の術は、触れた相手に危険が迫っていれば、それが見える。同時に、危険の度合いによっては、私も体調を崩してしまう」


 アンナが体調を崩したのは、彼女自身の術によるものであったらしい。「なるほど」と、スピカは声をもらす。

 となれば、あの時アンナに触れていたスピカには、何かしら危険が迫っているということではないだろうか。


「私はな、君に危険を知らせに来たんだ」


 スピカの肩が小さく跳ねる。危険とは何だと。


「普段ははっきり見えるビジョンが、今回は見えない。ただ、大きな影のようなものが、視界の端から端まで埋めつくしていた」


 スピカは生唾を飲み込んだ。

 そんな話は知らない。そんな危険なんて、全く心当たりがない。

 言いようのない恐怖に耳を塞ごうとしたが、好奇心が勝ってしまう。次に語られる言葉を、怖々と待っていた。

 

「君の危険は、あまりに大きすぎる。何を抱えているんだ?」


 考えられることと言えば、継承の儀に対する不安感。そして、実父に対する不信感だ。

 目を覚ました時のことを思い出す。エウレカもサビクも、スピカの体を弱いと言っていた。

 倒れる瞬間を見ていたアンナも、同じことを思っただろうか。


「私、母よりも発作が重いみたいですね」


 スピカはぽつりと呟く。


「私の体で、継承が耐えられるのか。父は私を単なる跡継ぎとしてしか考えてないのか。それだけが不安です。

 いや、『それだけ』じゃないです。それこそが不安で、私、踏ん切りがつかないんです。

 そこに、危険が迫ってるなんて言われたら、もう決まったようなものじゃないですか」


 大きく息を吐き出す。そして大きく息を吸い、声を震わせ問いかけた。


「私、継承の儀で死ぬんですか?」


 大袈裟な表現をしてみたが、それが大袈裟ではないことは、アンナの沈黙が肯定した。


「母は、こんな重圧を独りで耐えてたんですか?

 乙女を継がないと世界が滅びて、乙女を継いでも自分の体が光に耐えられないだなんて」


 アルファルドの言葉を思い出す。『あれは自殺だった』とは、真実なのではないだろうか。


「アルフが殺したんじゃない。母は、重圧に耐えきれずに自殺したんじゃないですか?」


 言いたいことを全て一息に吐き出し、スピカはアンナを振り返る。

 アンナは憐憫れんびんを帯びた目でスピカを見下ろしていた。


「わからない。判断材料がないんだ」

 

「わからないから、アルフに全部押し付けたんですか?」


「……」


 アンナは答えられない。伏せた目をスピカから逸らし、車椅子の取っ手をぼんやりと見つめる。

 スピカは怒りもせず、しかし悔しさはその目ににじませて、再び目線を前方に向ける。

 庭の先には湖の畔。宮殿がある島をぐるりと囲う歩道がある。日は落ちかけてオレンジに色付いていた。

 面会時間は夜八時まで。それまでにはおそらく間に合うだろうと踏んでいる。アンナをこき使うつもりで、スピカは口を開く。


「私、一人で帰れそうにないので、帰りもお願いできますか?」


 アンナはため息をつく。


「そのつもりさ。だが、あまり遅くならないように頼む」


 アンナに押され、スピカが座る車椅子は進んでいく。目指しているのは、牡牛の宮にある地下牢だ。

 湖を吹き抜ける風はひんやりと冷たく頬を撫でていく。鳥達は静まり、代わりに蝙蝠達が飛び始めた。

 十五分ほど時間がかかっただろうか。牡牛の宮に到着する。しかし、宮の正面には今回用事がない。花畑を横切り、宮の裏側を目指す。

 牡牛の宮には、裏側にもう一つ入口がある。この宮にだけ、小さな地下牢が備え付けられているのだ。

 扉の傍には、青い制服を着た男性の看守が一人立っている。スピカは彼に声をかけた。


「すみません、面会お願いします」


 看守はスピカを見るなり深々と頭を下げた。しかしそれは形式上のこと。彼はいぶかしんでスピカを見下ろすと、冷たく問いかける。


「こんな時間に、ですか?」


「はい。呼ばれてますので」


 スピカは苛立ちながらも、強気に返す。看守は「はぁ……」と生返事をし、スピカを見つめる。頭から爪先、車椅子まで視線を動かし、アンナの顔を見つめる。


「車椅子は入れませんよ。階段ですから」


「大丈夫だ。歩けないわけじゃない」


 アンナの言葉を肯定すべく、スピカは車椅子から立ち上がる。頭は随分はっきりとしてきた。足元もしっかりとしている。問題ない。

 アンナは引き続きスピカに付き添うようで、スピカの隣に寄り添った。


「暗いので気を付けてくださいね」


 看守はスピカとアンナに声をかける。二人は頷く。

 看守を先頭に、地下牢を進む。そこは差程広い場所ではないようだ。地下の空間に、牢屋が五つ並んでいる簡素なものである。

 その一番奥の独房に、アルファルドは閉じ込められていた。ベッドに座り、用意された食事に手をつけず、苛立っているのか貧乏揺すりをしている。

 スピカは彼の姿を見付けると、たまらず駆け寄った。

 アルファルドはスピカの姿を見ると目を丸くし、ベッドから立ち上がり格子に手をかける。


「スピカ、大丈夫か?」


 スピカが倒れたことは、アルファルドにも伝わっている。未だに青いスピカの顔を見れば、本調子ではないことは容易に判断できる。だがスピカは「大丈夫」と言葉を返し、アルファルドに語りかけた。


「ごめんなさい、疑って。

 私、アルフがお母さんを殺したなんて信じない。私がアルフに引き取られたのは、何か理由があってのことだって信じてる。

 言うこと聞かなくてごめんなさい。我儘わがままで家を飛び出してごめんなさい」


 スピカの震え声の謝罪を聞いて、アルファルドは首を振る。


「いや、自分も、きちんと説明してなかったのが悪かった。すまない」


 アルファルドはスピカの頭に手を伸ばす。大きな手のひらはスピカの頭を包み込み、髪の流れに沿ってふわりと撫でる。その手つきには安心感があった。スピカは柔らかな笑みを浮かべる。

 そして、アルファルドはスピカを見つめる。真剣な眼差しだ。


「今から話す内容は、宮殿で語られる話とは全く違う。嘘だと疑うかもしれない。だが、スピカには話さないと」


 アルファルドは言い、アンナを見る。スピカ以外に語るのは躊躇ためらわれるのだろう。しかしアンナは、立ち去る様子はない。


「私も立ち会いさせてもらう」


「しかし……」


「お前に拒否権はない。

 『連盟の友よ、これは、連盟の賢者による命令だ』」


 アルファルドは苦虫を噛み潰したような顔をし、続いて深くため息をつく。


「自分の言葉に口を挟まず、黙って聞くのであれば従う」


「何だって?」


「そうやって話を途切れさせるからだ。時間がないんだ。一切口を挟むな」


 アンナは口元を歪ませ怒りをこらえる。アルファルドの言葉に従うことを決めたようだ。冷たい石の床にどかっと座る。

 アルファルドはそれを確かめると、再びスピカを見下ろした。スピカも黙って聞くつもりで、口を真横に結んでいる。


「質問は最後だ。まず聞いてくれ」


 そう言って話し始めた内容は、耳を疑うものだった。


「自分がエルアと、スピカのお母さんと幼なじみだったことは、おそらく聞いただろう。昔から仲がよかった。

 十二歳の夏、エルアは継承の儀を受けた。その頃には、お前と同じように、輝術の光で体調を崩す体質となっていた。乙女は元々そういう一族だ。だが、今の状況はおかしいと、エルアは思い始めた」


 スピカは思わず口を挟む。


「なんでおかしいだなんて」


「スピカと一緒だよ」


 スピカはハッとする。

 自分だけが特異体質だなんて理不尽だと、母もそう思ったに違いない。


「だから、体質改善の方法を探し始めた。勿論自分もそれを手伝った」


「だから私の補佐をやめたのか……」


 アンナがそうボヤいた瞬間、


「口を挟むなと言ったはずだ」


 アルファルドはアンナを睨みつけた。アンナはすぐに口を閉じ、不貞腐ふてくされて目を逸らす。


「最初はめぼしい情報など出てこなかった。だが、何年も調べていくと、色々情報が集まるものでな。

 ある日、眠りの賢者、牡羊おひつじの一族に属する、シェラタンという人物にコンタクトを取ったところ、とんでもない話をされた」


 アルファルドは悩む素振りを見せた。しかし、息を軽く吸い込むと、小さく言葉を吐き出す。


「冬を止めるべきではなかった。この世界にも眠りは必要だと」


 スピカは耳を疑う。

 牡羊おひつじと言えば、13の大賢人の一人である。しかし、輝術の特異性から、宮殿には立ち入れないと言われている。

 大賢人が、冬がない今の世界を否定するとは、とても思えない。


「でも、私は冬の訪れを見たわ。麦も星屑の結晶も、みんな腐って……」


「自分も最初は疑った。しかし、詳しい話を聞かずに、頭ごなしに否定するなどできない。自分はエルアを連れて、『眠りの銀原ぎんばる』……牡羊おひつじが統治する地方へ向かうことにした。

 だが、アルデバランが、お前のお父さんが、それを許さなかった」


 ふと、地上から足音が聞こえてきた。誰か地下牢に来たらしい。看守は重たげに足を上げ、階段を上がっていく。

 アルファルドは早口で話を続ける。


「アルデバランは、昔からエルアに対しておかしかった。冷たい言葉を浴びせ、時には暴力を振るった。何がそうさせていたのか、自分にはわからん。だが、自分が柘榴水の作り方をサビクから教わった次の日から、エルアを乙女の宮に軟禁するようになった。

 その間に妊娠、その後お前が生まれた」


 スピカは顔を歪ませた。その続きを聞きたくないと思った。だが、聞かねばならない。避けようのない恐怖に、心臓は早鐘を打つ。

 アルファルドはスピカの頬を撫でる。


「ある日エルアは体調不良を装い、自分を呼んだ。

 乙女の宮に行くと、だだっ広いその宮に、エルアとスピカしかいなかった。自分は、その時初めてお前に会った。

 エルアは何かに気付いたらしかった。乙女を継ぐべきではなかったと言い、私にスピカを預けた。育てられないからと。

 エルアは度重なる暴力で痣だらけだったよ。

 幸いお前には一切傷がなかった。だからこそ、お前が暴力を受ける前に自分に託したんだ……いや、他にも理由はあったんだが……」


 そして、静かに続けた。

 

「翌日、エルアは湖に身を投げた」


 言葉が詰まる。アルファルドは涙を堪えているようであった。瞳は潤み、口元を歪ませている。


「乙女は……春待ちの賢者はおかしいんだ。

 お前は乙女を継承してはいけない。エルアの二の舞になるのが怖い……」


 スピカは唇を震わせながら開く。


「私、継承の儀で死んじゃうかもしれない……」


 アルファルドは目を丸める。


「どういうことだ?」


「ディクテオンさんが、継承の儀は早く済ませてしまおうって……」


「特例を使うつもりだと、バランが言っていた」


 上手く説明できないスピカの代わりに、アンナが言葉を引き継いだ。それを聞いた瞬間、アルファルドは激昂げっこうする。


「あいつ……エルアだけじゃなくスピカまで……!」


 その時だ。地上へと繋がる階段、地下牢の出入口から、看守に連れられて男が下りてきた。アルデバランだ。

 彼はスピカの姿を見るなり、やれやれといった様子で肩をすくめる。


「スピカ、寝てなさいと言ったはずだろう」


 スピカは彼の声を聞いた瞬間、足がすくんで動けなくなってしまった。

 乙女の宮で見てしまった、アルデバランのあの目付き。そして、先程アルファルドから聞いた話。その二つを思い出した途端に、恐怖が足に絡みついてしまったのだ。


「アルフ、私の娘から手を離してくれないか」


 アルデバランの視線は、アルファルドの手に向いている。スピカの頬を撫でていた手を、忌々しげに見つめている。

 アルファルドはスピカから手を離す。そして、スピカだけに聞こえるよう小声でささやいた。


「獅子を頼れ。そして、すぐに宮殿から逃げろ」


 スピカは目だけをアルファルドに向ける。


「宮殿内の全てを疑え。実態のない声に会ったら無視をしろ。返事をするな」


 ドキリとした。実態のない声には心当たりがあった。スピカは問いかける。


「エウレカのこと……?」


 アルファルドの顔が驚愕に変わる。そして、見る見るうちに青くなる。


「言葉を交わしたのか……?」


 アルデバランが大股で近付いてくる。アルファルドは口を閉ざしてしまった。スピカはアルファルドの反応に疑問を持ったまま、しかし質問をぶつけることができない。


「面会は終わりだ。早く帰りなさい」


「……わかりました」


 スピカは声に不満をにじませる。だが大人しく引いた方が良さそうだ。


「アンナ、帰りも頼めるか」


「わかった。スピカ、行こう」


 アンナは立ち上がり、尻を叩いて砂埃を落とす。スピカに近寄ると手を差し出す。しかしスピカの体質を思い出して、すぐに手を引いた。

 スピカは急ぎ足で地下牢を後にする。階段に足をかける前に、ちらりとアルファルドを振り返った。彼は弱々しい笑顔を浮かべ、片手を振っている。

 この地下牢に閉じ込められたということは、濡れ衣を着せられ、負わなくて良いはずの罪を背負うことになるのだろう。

 スピカはそれが嫌だった。


「アルフ、また明日来るわ」


 スピカはそう言い、正面に向き直ると階段を上がる。そして、アンナに声をかけた。


「カルキノスさん、お願いです。レグルスとファミラナを、乙女の宮に呼んでください」


「こんな時間からか?」


 アンナの問いに頷く。


「相談したいことがあります。お願いします」


 アンナは後頭部を軽く掻いた。

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