表面輝度によるパラドクス(6)

 スピカは、家の正面にあるベンチに腰掛けて空を見ていた。

 クリスティーナは今頃、皆にエウレカの過去を語っているのだろう。二度も同じ話を聞きたくなくて、何より、同席はエウレカが嫌がるだろうと考えて、スピカは席を外していた。それより、見てきたことを考えている方がずっといい。

 だが頭の中はあまりに散らかっていて、考えがまとまらない。


「隣、いい?」


 アヴィオールに声をかけられ、スピカは左手を見る。アヴィオールもすっかり疲弊ひへいしているようだ。笑みを浮かべてはいるが、ぎこちなかった。

 スピカは右側に体を動かし、空いた場所にアヴィオールが座った。

 スピカの左手を、アヴィオールは右手で握る。とても話ができる心境ではない。

 ベンチに座ったまま、二人は町の風景を眺める。目の前の、大して整備されていない土道を、数人の子供が追いかけっこしている。歳は五歳程だろうか。黄色い笑い声を上げながら走り回っている姿は愛らしく、平和な風景だ。


「ねえ、覚えてる?」


 アヴィオールがスピカに尋ねる。


「僕ね、スピカに怪我させちゃったことあるんだけど」


 スピカはアヴィオールを見上げた。覚えていないが、察しがつく。クリスが言っていた火傷の件だろう。


「クリスさんが、今朝言ってたんだ。スピカが五歳の頃、大火傷してここのお医者様を頼ったって。

 あの火傷ね、僕が原因なんだ。ごめん」


 スピカは気にしていなかった。火傷の痕は残っていない。何より、当時のことは自分の記憶に残っていない。


「エウレカが泣いてた時、すごく鮮明に思い出したんだ。スピカが火傷して大泣きした、あの時のこと。

 エウレカへの術を止めたのは、僕が原因だ。クリスさんは、僕の『もういい』って言葉で術をやめた。

 僕のせいで、大切なことを見逃した。クリスさんの言う通り、非情になるべきだった。本当にごめん」


 スピカは首を振る。アヴィオールが悪いわけではない。

 何より、アヴィオールの静止がなければ、エウレカの絶望に飲み込まれていたかもしれないのだ。むしろ、助けられたと言っていい。


「あのね、私、あの時危ない状況だったの」


 スピカは呟く。


「私、もしかしたら、エウレカの記憶の中で死んでたかもしれないの。でもね、白鳩が助けてくれたのよ。

 アヴィが助けてくれたの。だから、そんなに卑下しないで」


 アヴィオールは何も言わない。ただ一つ頷いて、スピカの手を強く握り締めた。


「これからどうしようかしら」


 スピカはぼやく。

 エウレカの記憶からは、有力な情報があまり出てこなかった。

 また、エウレカの悲劇を目の当たりにした今、彼女を敵視などできやしない。

 再度エウレカの記憶を紐解くのは酷だ。同じ手を使いたいとは到底思えない。

 次第に日が傾いてきた。吹き抜ける風が、少しだけ冷たい。


「何でラドンは、エウレカを呑んだんだろう」


 アヴィオールが疑問を口にする。

 スピカは首を振った。


「わからないわ。何か理由があったのでしょうけど」


 スピカは立ち上がる。そろそろ家の中に入ろうかと考えた。


「これが鍵じゃないのかな」


 アヴィオールは更に疑問を投げ掛ける。だが、スピカの頭は働いていない。そろそろ休みたいのだ。


「明日じゃ駄目かしら? 私、疲れちゃって……」


「……いや、でも、何かわかりそうな気がするんだ。後回しにしたら忘れちゃいそうで」


 アヴィオールはスピカの手を握ったまま。空いたもう片方の手で額を押さえている。


「アヴィ、とにかく中に……」


 入ろうと言いかけて、スピカは口を閉じた。

 ファミラナが、こちらに向かって歩いてきていた。彼女の足取りは覚束おぼつかない。朝から今まで、何処に行っていたのだろうか。


「ファミラナ、お帰りなさい」


 スピカはファミラナに声をかける。

 アヴィオールもファミラナに気付く。立ち上がるとスピカを庇うように一歩踏み出す。


「アヴィ。そういうの、今はやめましょ」


 スピカは小声でアヴィオールに言う。しかしアヴィオールは聞いていないのか、ファミラナの顔をじっと見つめていた。


「何処に行ってたの?」


 平常を装い、アヴィオールは問いかける。ファミラナはそれに対して首を振る。


「スピカちゃん、手伝って欲しいことがあるの」


 ファミラナはスピカに声をかける。抑揚のない声に、スピカは違和を感じた。


「ファミラナ? 体調悪いの?」


 見ればファミラナの目は虚ろで、どこを向いているのかわからない。口元には薄く笑みを浮かべているが、それがかえって寒々しい。


「僕が行こうか? スピカは帰ってて」


 アヴィオールはファミラナから目を離さない。

 ファミラナはアヴィオールを見つめ、考える素振りをした。


「じゃあ、二人とも来てくれる?」


「じゃあって何なの?手伝って欲しいことって何?」


「ついて来て。後で教えるから」


 アヴィオールは問うが、ファミラナはたじろぎすらしない。淡々と言葉を吐き出している様は、カラクリ人形のようだ。

 ファミラナはスピカの腕に手を伸ばす。アヴィオールは即座に反応し、ファミラナの手首を掴んだ。

 次の瞬間、アヴィオールの体はぐらりと倒れた。あまりに突然のことで受身が取れなかった。硬い地面に背中を打ち付け、痛みのために声が出せず悶絶する。


「アヴィ!」


 浮き落としを食らったアヴィオールに、スピカは声をかける。何が起こったかわからず、その場から動けない。

 ファミラナはアヴィオールにかかり体重をかけ、起き上がれないよう固定した。ファミラナの体格は華奢きゃしゃであったものの、アヴィオールの体勢が崩れているために、跳ね除けることができない。


「ファミラナ、どういうことなの!」


 スピカはファミラナに駆け寄るが、ファミラナの後ろから近付いてくる姿を見て、足を止めた。


「久しぶりだね。元気だったかい?」


 現れたのは、タラゼド・アクィラ。鷲の賢者であった。

 そもそもファミラナはタラゼドの部下だ。タラゼドと共にいることは、何ら不思議はない。

 だが、スピカを見るタラゼドの目はおかしい。先日のような穏やかさはなく、獲物を見つけた猫のように爛々らんらんとしている。

 ようやくスピカはファミラナを疑った。彼女が、スピカの居場所をタラゼドに教えていたのだろう。


「私に何か?」


 スピカは震える声で問いかける。

 それに対し、タラゼドは表情を崩さずスピカに語る。


「共に宮殿へ帰ろうじゃないか」


 その言葉で、この状況を瞬時に理解した。

 今までファミラナは敵方のスパイとしてスピカと共に行動していたらしい。だが、それはいつからなのか。わからない。

 スピカはほんの少しの期待を込めて、ファミラナに顔を向ける。助けを求めたいところだが、ファミラナはアヴィオールを組み伏せたまま、スピカには顔を向けない。


「ファミラナを責めないでやっておくれ。ワシの言う通りに動いておるだけだ」


 タラゼドはファミラナの頭を撫でる。ファミラナはそれに対し反応しない。


「さあ」


 タラゼドは返答を迫る。

 スピカは怒りから顔を歪める。幼なじみを人質にするなど、卑劣ひれつ極まりない。


「先にアヴィを解放して頂戴」


「それでは交渉にならんではないか」


 タラゼドがファミラナを一瞥いちべつする。ファミラナの手がアヴィオールの首に伸びた。


「冗談キツいって……」


 アヴィオールは顔を仰け反らせ抵抗するが、ファミラナの手がアヴィオールの首を鷲掴むと、ぐっと締め上げた。


「っ……」


 アヴィオールは抵抗するが、存外ファミラナの力は強い。次第に酸欠で思考力が落ちていく。

 微かにファミラナの唇が動く。何かを呟いている。アヴィオールはぼんやりとする視界でそれを見ていた。

 スピカは弾かれたように踵を返す。仲間に助けを求めようとしたのだ。だが。


「いけない子だ」


 早足に近付いてきたタラゼドは、スピカの片腕を掴み、自分の胸へと引き寄せる。彼女の顎を掴むと、無理矢理顔を上に向かせた。


「輝術を使わずに連れて行きたかったが、仕方ないね」


 タラゼドの足元から、ふわりと光が舞い上がる。

 スピカはその光を浴び、くらりと目眩がした。このまま術を受けてはいけないと思うものの、警戒は融けて消え、瞼が重くなってしまう。

 タラゼドの輝術は催眠だ。術にかかった者の意思を操り、意のままに操ってしまう。


「いい子だから、おやすみ」


 タラゼドの手が、スピカの瞼を撫でる。スピカはそれに従い目を閉じた。体の力が抜け、体を預けてしまう。


「スピカ、何かあったのか?」


 騒ぎを聞きつけて、アルファルドが玄関の外へと顔を出す。

 タラゼドに抱かれるスピカを見て、アルファルドは呆気に取られた。何が起こっているのか、理解ができない。


「君かな? スピカちゃんのお義父さんというのは」


 タラゼドは、スピカを横抱きにして問いかける。アルファルドは辺りを見回した。

 見れば、ファミラナがアヴィオールを組み伏せており、アヴィオールは気を失っている。タラゼドは、それを咎めようとしない。

 アルファルドは途端に理解する。


「子供達を置いて行って貰おうか」


 アルファルドは、ギロリとタラゼドを睨み付けた。しかし、タラゼドは涼しい顔をしている。


「あなたの子ではないでしょう?」


「いや、うちの子だ。解放しろ」


 アルファルドは足を踏み出す。

 タラゼドは肩をすくめた。


「リュカ、頼んだよ」


 タラゼドの声と同時に、屋敷の屋根から人影が飛び降りてくる。地面に着地した人影は三人。狼の賢者リュカと、ワーウルフの男が二人。いずれもナイフを逆手に持っていた。


「何だ、騒がしいな」


 屋敷の中から、レグルスとグリードも顔を出す。


「出てくるな!」


 アルファルドが叫んだ。

 リュカがアルファルドに襲いかかる。腕を振り上げ、アルファルドの胸を斬りつけた。

 アルファルドはそれを避けることなく、リュカの腕を片手で掴む。胸の傷は光に覆われ、瞬きするうちに消えてしまった。

 リュカは舌打ちをする。


「生意気!」


「どっちが!」


 アルファルドはリュカの腕を捻りあげる。リュカはもう片方の手で、力任せにアルファルドの手にナイフを突き立てた。アルファルドは痛みに怯み、手を離してしまう。

 リュカの膝が、アルファルドの腹にめり込む。的確に急所を狙われ、アルファルドは咳き込んだ。その隙を見逃さず、リュカは続け様に、アルファルドの腹にナイフを突き刺した。

 グリードは視線を走らせる。しかし状況を把握する間も無く、ワーウルフの男、内一人に襲われた。ナイフを振り下ろされる寸前、グリードは盾でそれを受け止める。

 レグルスは戦えない。そのような訓練は受けていないし、自身の輝術は輝術にしか対抗できない。だから、二人の後ろで様子を見ているしかない。


「ファミラナ……?」


 レグルスは呟いた。

 ファミラナの姿が視界に入った。顔が俯いているために表情は読めないが、その態度からは、とても味方とは思えなかった。


「ファミラナ、何してんだよ?」


 問いかけるが、返答はない。


「ファミラナ、行くよ」


 タラゼドはスピカを抱いたまま、ファミラナに声をかける。ファミラナは頷き立ち上がると、ぐったりとしているアヴィオールを、ワーウルフの男に預けた。


「待てよ! どういうことだ!」


 レグルスの言葉に、ファミラナは振り返る。その顔からは感情が読み取れない。無表情であった。

 ファミラナの口が動く。声は聞こえなかったが、レグルスはそれを見て目を見開いた。


「待て!」


「タラゼド殿! どういうことだ!」


 アルファルドとグリードが叫ぶものの、タラゼドは彼らに目もくれない。

 ファミラナはレグルスから顔を反らし、徐に片手を上げる。それを合図に馬車が現れると、タラゼドはスピカ達を連れて乗り込んだ。

 このまま逃げられてはまずい。アルファルドは追いかけようとするものの、リュカの猛攻のせいで身動きが取れない。


「パパさん! グリードさん! どいてください!」


 カペラの声が聞こえた。アルファルドは反射的に身を屈め、グリードは体を捻った。

 金色のチャリオットが、アルファルドの頭上を掠めた。それは、リュカの頬に傷をつけ、ワーウルフの男の腕を折る。男はその痛みに叫び、地面を転がった。突然のチャリオットの攻撃に、リュカは呆気に取られている。

 チャリオットが突進した先は、斜向かいの住宅。轟音と共に壁が崩れ、チャリオットは止まる。住宅は幸い空き家らしく、崩れた壁の穴から見えた内側は、誰もいなかった。

 地面を転がり回るワーウルフの男を、グリードが捕まえる。片腕が折れているため、折れていない方の腕を掴み、無理矢理立ち上がらせる。

 それとほぼ同時に、アルファルドはリュカを押し倒した。ナイフの切っ先が首を掠めるが、それに構っていられる程の余裕はない。


「離せ! 離しなさいよ!」


 リュカが暴れるが、アルファルドはそれを許さない。彼女の両手首をベルトで後ろ手に縛りあげる


「スピカ!」


 顔を上げた時には既に遅く、馬車は見えなくなっていた。


「レグルス、こいつを頼む!」


 アルファルドはレグルスを振り返る。リュカを預けて、すぐにでもスピカを追いかけたかった。

 しかしレグルスは上の空であった。


「ファミラナ……何で……?」


 レグルスは呟く。思考がまともに働かない。

 目の前で裏切られた。それと同時に、彼女の顔が頭から離れなかった。


「みんな、大丈夫?」


 クリスティーナが顔を出す。彼はまだ本調子ではなく、足元はふらついている。

 それでも、レグルスよりは頼れると判断し、アルファルドは声をかけた。


「先生、こいつを頼みます!」


 クリスティーナはふらふらとアルファルドに近付くが、リュカを押さえるだけの力がないと判断し首を振る。

 まだ近くにいるはずなのに、追い掛けられない。アルファルドは「くそっ」と一言吐き捨てた。

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