表面輝度によるパラドクス(3)

 スピカがバスルームから出てくると、リビングには皆揃っていた。クリスティーナから話があるらしく、彼を中心にソファとテーブルを囲んでいる。

 全員ではなかった。アヴィオールとファミラナがそこにはいない。


「アヴィとファミラナは?」


 スピカは、乾かした直後の絡まった髪をくしで梳かしながら、誰とも無しに問いかける。その問いにレグルスが返事をした。


「アヴィは食品の買い出し。ファミラナはわかんね。部屋にはいなかった」


「お喋りしたかったのになー」


 続けてカペラがそう言い、頬を膨らませる。

 アルファルドは丁度いいとばかりに、ため息混じりに話を始める。


「みんなの気分を悪くするかもしれんが、すまん。ただ、自分はファミラナを信用できん」


 スピカはくしをポーチにしまいながら、輪の中に入る。アルファルドを見上げると、眉間に皺を寄せて言う。


「アヴィもアルフも、ファミラナに当たりがきついのね」


 アルファルドは首を振る。当たりが強いということは確かだが、信用できない理由が彼にはある。


「継承の儀の直前で、自分とアヴィを襲ってきたことが、どうも引っかかっててな」


 しかしレグルスはそれに反発した。


「俺はファミラナに、手を出さないでくれって言ったはずだ。人違いなんじゃねえの?」


「自分とアヴィが、どちらも見間違えたとは考えにくい」


「ファミラナは否定したんだろ?」


「口だけの否定なら誰でもできる」


 アルファルドの言葉は厳しい。レグルスはどうにかファミラナを庇おうとするが、これ以上の言葉は見つからないようだった。黙ってソファに深々と腰掛ける。


「某にも、ファミラナが裏切り者には見えませぬが」


 グリードがアルファルドに言葉を投げ掛ける。蛇使いの一族は、烏の一族と親交がある。ファミラナの性格を知っているからこその言葉だ。

 しかし、アルファルドはファミラナを知らない。


「生憎、自分はファミラナを知りません。だから昨日は交流しようとしました。ですが、彼女は自分を避けています。信用しようにも、関われないなら信用できません」


 それはファミラナの引っ込み思案な性格が災いしてのことではないかとスピカは思う。だが、それが信用できない理由になり得るのなら、ファミラナの立場は非常に危ういのではないだろうか。


「でも、ファミラナちゃんは、白山でレグルス君を助けてくれたんでしょう?」


 クリスティーナがレグルスに問い掛ける。レグルスは頷いた。


「ああ。テレパシーで助けを呼んでくれた。だから俺はファミラナを信じてる」


 クリスティーナは唸る。スピカはその意味ありげな声を聞いて首を傾げた。


「わだかまりを解消するために、一つ方法はあるのよ」


 クリスティーナは、テーブルに置かれた箱型の機械に両手をそえる。表に時計と星座早見盤、裏にダイヤルが取り付けられたそれは、中からカチカチと一定のリズムを刻んでいる。。


「時計の一族の輝術は、過去を見る術。家宝の振り子時計は甥に譲ったけど、私の時計でも術は使えるわ」


 スピカはその時計をまじまじと見た。輝術を使えば、ファミラナの過去を覗きやましいことがないか探ることができる。しかし、ファミラナにもきっと見られたくない過去があるだろう。果たして、術をかけることに同意してくれるだろうか。


「最終的にはファミラナちゃんの同意が必要だけど、みんなはどう思うかしら?」


 クリスティーナが問いかける。

 皆押し黙ってしまった。術をかけるということは、ファミラナを信用できないと言うようなものだ。おそらく誰もが術をかけることに賛成をしているだろうが、それを口に出してしまうことがはばかられた。

 三分、五分、時間は経つが、誰も口を開かない。


「あの、クリスさん」


 スピカは堪らず口を開いた。


「あの、二人で話せないでしょうか?」


 クリスは柔和に微笑みを浮かべ、スピカを見つめて頷いた。時計をテーブルに置いたまま立ち上がる。


「みんな、ごめんなさいね。ちょっと出掛けてくるわ」


 クリスティーナはそう言って、スピカの肩に片手を乗せる。アルファルドはクリスティーナへ「頼む」と言うように頷いた。

 その他からも反対はない。クリスティーナはコートハンガーから、シースルーのショールを外し、両肩に羽織る。

 外出の準備をするクリスティーナに、スピカはおずおずと声をかけた。


「あの、部屋でも大丈夫ですよ」


 スピカは言うが、クリスティーナは首を振る。


「ううん。私がお散歩したいの。ね、行きましょ」


 クリスティーナにそう言われれば断る理由もなく、スピカは頷いた。


「そうね、三十分くらいかしらね。荷物はいらないわね」


 クリスティーナはキャビネットの引き出しから、いくつかの鍵が繋がれたキーケースを取り出す。荷物はそれだけ。財布は持っていくつもりがないようだ。

 皆に見送られるまま、スピカとクリスティーナはリビングを後にする。玄関に向かい、クリスティーナの手がドアノブを捻り、内側に開ける。


「あ、ただいま」


 買い出しから帰ってきたのだろう。アヴィオールが紙袋を抱えて玄関の前に立っていた。


「おかえりなさい。大変だったでしょう?」


「ううん、大丈夫」


 クリスティーナは扉を片手で押さえ、アヴィオールが家の中に入るのを待った。アヴィオールが中に入ると、スピカと目が合った。


「ただいま」


「おかえりなさい」


 和やかとは言えない空気。気まずいのだろう。互いに顔を伏せて、顔を合わせないようにしている。


「今から出かけるの?」


「ええ。クリスさんと、ちょっと散歩に」


「気をつけてね」


 それだけ言葉を交わすと、アヴィオールは家の奥へと入っていく。

 目を逸らしてしまったことを、スピカは後悔する。素っ気ない態度を取りたいわけではないのにと。


「お先にどうぞ」


 クリスティーナがスピカに声をかける。スピカは頷いて玄関の外に出た。

 アンティキティラは、山と大河に囲まれた土地。田舎であるこの町は、時計の生産地として有名である。

 あちらこちらに時計の工房があり、時を刻む音が、通りから絶え間なく聞こえてくる。スピカにはその音が心地好くて、つい聞き入ってしまう。

 クリスティーナが玄関の外に出て、スピカにキャペリンを差し出した。スピカは髪を結ばないまま、それを頭にかぶる。


「似合うわね」


「ありがとうございます」


 クリスティーナの褒め言葉に、スピカははにかむ。

 二人は歩き出す。クリスティーナは行き先を決めているようだ。迷いないクリスティーナの一歩後ろを、スピカは歩く。

 街中の景色からは、新鮮さよりも懐かしさを感じた。アルファルドが時計屋を営んでいたからだろうか、だから親近感が湧くのだろうかと、スピカは考える。

 しかし、感じているのは既視ではなく懐かしさなのだ。その理由を探してか、スピカは辺りを忙しなく見回してしまう。


「スピカちゃん、覚えてるかしら?あなた、大分前ここに住んでたことがあるのよ」


 スピカの心情を読んだかのように、クリスティーナは声をかける。


「え?」


 スピカはクリスティーナを振り返る。クリスティーナは昔を懐かしんでいるようだ。笑みを浮かべ、時折声に出して笑いながら、スピカに語る。


「アルフ君が宮殿から逃げ出した直後、手に職つけるため私に弟子入りしたの。貴方を連れて押し掛けてきてね。二年ここで勉強しながら暮らしたの」


 スピカが物心つく以前の話である。思い出せるはずもなく返答に困っていると、クリスティーナは更に続けた。


「あと、あなたが五歳の頃に半年くらい。顔に大火傷したこと、覚えてない?」


 スピカは目を瞬かせた。


「え? 大火傷?」


「覚えてないなら、その方がいいわ。何せ、随分痛がってたから」


 今でこそ思い出話だが、クリスティーナは当時を思い出し両腕を抱く。

 

「友達とふざけて星屑を炙ってたら爆発しちゃったらしいわね。ただ、あなたの出生のこともあるから大きな病院には行けなくて、腕が立つアンティキティラのお医者様に診てもらうことにしたの。その療養りょうようで住んでたのよ」


 スピカは再度辺りを見回した。

 きっと当時とは景色が違うだろうが、漂う空気はそう変わるものではない。この街に自分が昔暮らしていたことを考えると、くすぐったいような感じがした。


「今から行く場所はね、時計の一族が管理している遺跡なのよ」


 町はそれほど大きくない。話しているうちに、目的地へと着いたようだった。

 そこは草が生い茂る空間。クリスティーナの背より高いアイアンフェンスに囲まれた空間は差程広くない。石造りの祭壇と日時計があるだけの空間だった。訪れる者はいないのだろう。雑草は伸び放題で荒れている。


「あら。ここ最近忙しかったから、つい管理サボっちゃったわ」


 クリスティーナは扉に向かい鍵束を取り出して、二つある南京錠の内一つに差し込む。もう一つはダイヤル式で、三つのダイヤルを回し鍵を外す。


「この中に連れて来たかったんだけど、荒れてしまってるし……スピカちゃん、待っててくれる?」


 クリスティーナはスカートの裾を摘み、フェンスの内側へと入る。


「中に何かあるんですか?」


 わざわざ散歩のコースに指定したのだ。何か理由があるのだろう。スピカはそう考え問いかける。

 クリスティーナは振り返って答えた。


「鍵、ここに置いてるの」


 スピカはそれを聞くと、クリスティーナの背中に続きフェンスの中へと入った。


「私も行きます」


「待っててもいいのよ」


 スピカは首を振る。傍観者で居たくはなかったのだ。

 クリスティーナは草をかき分けて進み、スピカはその後ろを歩く。

 フェンスの内側は、イネ科の雑草が腰まで伸びており、正に荒れ放題であった。時折ひざを雑草に引っ掛け、浅い切り傷ができてしまう。痛みに顔をしかめながら行き着いた先には、小さな遺跡が佇んでいた。

 小さいとはいえ、それは一般的な神殿と比べてのこと。円形の祭壇は小さいが、それを囲むように設置された四つの円柱は、ヒトの背丈を優に超える。あまりに大きなそれを見上げ、スピカは感嘆する。


「その昔、この国は竜に支配されていた。初代乙女が率いる人類は、ラドンに立ち向かい勝利を収めた。なんて言い伝えられているわね」


 クリスティーナは語る。

 竜は悪者ではないこと、百年戦争の原因は竜とヒトとの仲違いであることを、スピカは知っている。

 だからクリスティーナの語る言い伝えは、後世による作り話だと察しがついた。否定などといった野暮やぼなことはしないが。


「この地は、人類がラドンの首を切り落とした地として言い伝えられているの。候補の内の一つとしてだけど。

 そもそもこの言い伝え、本当かどうか怪しいけれどね」


 クリスティーナはそう締めくくり、祭壇の石段に手をかける。もろくなっていたその石は、祭壇から一つだけ外れてしまった。

 スピカは驚き慌ててしまう。


「ええっ! 石が!」

 

「大丈夫よ。前からこうだったもの」


 しかしクリスティーナは涼しい顔で、外した石を石段に置くと、穴に手を突っ込んだ。何かを取り出したようだ。


「はい、鍵。持ってて頂戴」


 クリスティーナから差し出されたのは、真鍮しんちゅうでできた小さな鍵だった。スピカはそれを受け取る。


「アルフ君に渡しても良かったけど、これ、あなたのものだものね」


「私の……?」


「あなたのお母さんの日記なんだから。その鍵もあなたのものよ」


 スピカは鍵を強く握る。無くしてはいけないと強く思う。


「さて、話したいことは、ファミラナちゃんのことかしら?」


 クリスティーナは石段に腰掛けて、スピカに問いかけた。スピカは頷き、クリスティーナの隣に腰を下ろす。

 話したいと言ったのは自分だが、いざ話すとなると、何から言えばいいのかわからない。スピカは小さく口を開き、出ない言葉を飲み込んで口を閉ざす。

 クリスは黙って待っていた。時折流れる雲を見つめながら。


「ファミラナは、大切な友達です」


 スピカは呟く。


「私には、何が正解で何が正しい行いなのかはわかりません。でも、ファミラナをみんなで疑いにかかるようなことはしたくないの。だから、みんなの前で術を使うのは、やめて欲しいんです」


 スピカはもごもごと、小さな声でクリスティーナにそう頼む。失礼な物言いではなかったかと不安だった。

 クリスティーナはスピカの言葉を想定していたようで、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。


「そうね。なら、まずは私とファミラナちゃんと、二人だけで話しましょう。それでも真実がわからなければ術を使う。それなら大丈夫かしら?」


 スピカは頷く。


「ありがとうございます」


 スピカが礼を言うと、クリスティーナはふふっと笑みを浮かべた。それを不思議がって、スピカは首を傾げる。


「アルフ君ね、最初は子育てなんて自信がないって言ってたの。でも、その心配なんて杞憂だったのね。

 友達想いの、優しい子になってくれた」


 スピカは顔を赤くする。褒められるとは思わなかったのだ。クリスティーナから顔を逸らして立ち上がると、祭壇へと顔を向けた。


「ここ、ラドンが死んだ地なんですよね。この祭壇も、ラドンに縁が?」


 照れ臭さを誤魔化ごまかすために、スピカは尋ねる。

 質問を受け、クリスティーナも立ち上がり、スカートについた砂埃を払う。


「そう。ラドンの首がこの祭壇の下に埋められたっていう話よ。何せ、初代乙女が、この場でラドンの首を落としたらしいから」


「ラドンの首を……」


「その祭壇を見てご覧なさい」


 クリスティーナは祭壇に近付き、祭壇の隅に置かれた竹箒を手に取る。円形の床に積もった砂埃を箒で払うと、縁に彫られていた絵が現れた。スピカは祭壇の中心に立ち、絵を見回す。

 風雨による劣化のせいで削れてしまっているが、読み取れない程ではない。

 描かれているのは、三体の竜と多数のヒト。三体の竜の内一体は、ヒトと向き合い威嚇している。竜に向き合っているのは、おそらく女性。足元に麦の穂が描かれている。

 麦は乙女のシンボルだ。今まで散々見かけてきた。とすれば、竜に向き合う女性は、初代乙女であるエウレカなのだろうか。


「なんだか、変……」


 スピカは呟く。

 祭壇に描かれているのは、おかっぱ頭の女性の姿だ。髪にあたる部分は全て彫られている。すなわち、濃い色の髪だったのだろう。

 だが、スピカは何度かエウレカの姿らしきものを見ていた。彼女はウェーブがかった金色のロングヘアだったようなのだ。決しておかっぱではない。

 描かれた女性は何者なのだろうか。スピカはまじまじと絵を見つめる。


「スピカちゃん?」


 クリスティーナはスピカに声をかける。ただならぬ表情の彼女を心配したのだろう。


「エウレカじゃないわ……」


 スピカはぽつりと呟く。

 エウレカではないとすれば誰なのか。そもそもエウレカは竜に見初められたのではないか。何故竜と対立する必要があったのか。

 その理由を知らなければならないと、強く思った。


「クリスさん。お願いがあるんですけど……」


 スピカはクリスティーナを見上げた。彼女の顔は決意に満ちていた。

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