表面輝度によるパラドクス

表面輝度によるパラドクス

「だから、僕は帰らないってば」


 汽車の中、ボックス席の窓際で、アヴィオールは声を上げる。隣に座るアルファルドは叱り飛ばしたいのを堪え、腕組みしてため息をついた。

 昼間に走る汽車の中は、差程混みあっていなかった。そのため車内に声がよく通る。

 アルファルドはそれを気にして、小さめの声でアヴィオールに言う。


「お前は死にかけたんだぞ。奇跡的に生き返ったから良いが」


「生き返ったからいいでしょ。とにかく、僕はついて行くからね」


「二人とも、喧嘩はやめて頂戴」


 そう言ったのは、向かい側に座るクリスティーナだった。彼は、一口大のチョコレートがいくつか入った紙袋を二人に差し出しながら、中性的な顔を柔和にゅうわほころばせた。


「私は、アヴィ君が戻ってきてくれて嬉しいわ。スピカちゃんもそうでしょ?」


 クリスティーナの隣に座るスピカは返事をせず、ぼんやりと窓の外を見ていた。ミルクチョコレートを一つ口に入れ、舌で転がし溶けるのを待つ。次第に舌の上にまろやかな甘みが広がる。


「聞いてるの?」


「え? ええ……旅行みたいで楽しいわね」


「……そうねえ」


 クリスティーナはやや呆れながら、スピカにもう一つチョコレートを差し出す。礼を言いつつ受け取ると、スピカはそれも口に入れて窓の外を見た。

 スピカはすっかり心ここにあらずといった調子だった。

 エレボスの回廊で見かけた少女の姿。崩れ行く彼女の姿に見覚えがあった。

 現実世界で見たものではない。あの姿は、初めてエウレカの記憶を盗み見たあの時、鏡に映った姿と同じだった。


「だとしたら、あの子はエウレカ……?」


 スピカは呟く。自分の中にいるはずのエウレカに声をかけたつもりだが、まだ彼女は眠っているらしく、何の返事も寄越よこさない。


「スピカ、今後のことだが」


 スピカはアルファルドに視線を向ける。

 アルファルドは真剣な顔でスピカを見つめていた。


「お母さんの日記を見てみたくはないか?」


 スピカは目を瞬かせる。


「お母さんの日記?」


 そのような物があるなど、寝耳に水だ。今まで日記の存在についてアルファルドから聞かされたことはなかった。


「確かに興味はあるけど、何で急にそんな話を?」


 スピカは問う。アルファルドはチョコレートをクリスティーナから受け取り、包み紙を剥がしながら、視線はスピカに向けている。


「以前、お前のお母さんから預かったものなんだ。ただ、中身が中身なだけに、手元で保管することは危ういと判断してな」


「日記でしょ? 見られて困るようなものなの?」


 アルファルドはチョコレートを口に放り込む。噛み砕いて飲み込むと、続きを語る。 


「日記とは言っても、暗号みたいなものでな」


「暗号?」


 アルファルドは頷く。

 何故日記が暗号で書かれなければならず、それをアルファルドに託されたのか。それはすぐに、アルファルドの口から語られる。


「お母さんは乙女の呪いについて調べていた。乙女の呪いは、エウレカやカオスに深く関わっている。

 おそらくだが、カオスが近付く今この状況を打破するための何かしらが書いてあるのではないかと」


 アルファルドはエルアと共に乙女の秘密を探っていた。その彼が言うのだから間違いないと、スピカは確信した。


「ええ。見てみたいわ。カオスを遠ざけるための手掛かりを手に入れるため。

 そうでなくても、お母さんの形見だもの」


 スピカがアルファルドに賛成し、アヴィオール、クリスティーナも頷いた。


「で、その日記って何処にあるの?」


 チョコレートを頬張りながらアヴィオールが問いかける。アルファルドは苦い顔をしながら答えた。


「当時の自分は、追っ手に追いつかれまいと必死で、日記を誰にも手を出せないところに隠してしまってな……」


「手を出せないところ?」


 アヴィオールは首を傾げる。それに答えたのはクリスティーナだった。

 

「まず、これから行くアンティキティラ。私の家に鍵があるの」


 「鍵がある」ということは、日記はアンティキティラにはないらしいとスピカは推測した。

 その答えはすぐにクリスティーナの口から語られる。


「次にコレ・ヒドレの町。アルフ君の実家に日記の半分が隠してあるのよね? また別の鍵と一緒に」


 スピカは絶句した。仮にも母の形見である。それを半分にしたということは。


「日記、破っちゃったの?」


 スピカはアルファルドに問いかけ、アルファルドはスピカから目を逸らした。罪悪感があるのだろう。


「暗号だと気付いたから、それが敵に渡った時に、読み解かれないようにな。

 三、四ページ目を実家に、五、六ページ目を牡羊の賢者に預け、七、八ページ目を実家に……といった感じでな」


 紙を一枚一枚バラバラにし半分に分け、二箇所に保管したということらしい。無茶苦茶な保管方法ではないかと、スピカは肩を落とす。


「昨夜、カペラからの電話に『アンティキティラへ行け』って言ったのも、そういうこと?」


 アヴィオールはクリスティーナに問いかける。クリスティーナはチョコレートを一つ口に入れて言う。


「そうよ。カペラちゃんには、今後も頼ってしまいそうだもの」


「まあ、攻撃的な輝術を使えるなんて、僕らの中じゃカペラくらいだもんね」


 追っ手側であるアルデバランは、雷を操る輝術を使う。スコーピウスはどのような術を使うのか未知数だが、攻撃的な術であるかもしれない。

 一方逃げる側であるスピカ達は、防御の術を扱う賢者ばかりだ。

 唯一戦える賢者であるカペラの協力は、今後も欲しいところである。


「でも、カペラはカオスの騒動に関わりがないから、あまり無理強いはしたくないわ。カペラ、家出扱いになってるらしいし」


 スピカはボヤくが、アヴィオールは笑う。


「カオスは世界の問題なんだから、関係ないとは言えないよね?」


「それはそうかもしれないけど……」


「なら、カペラが協力してくれるって言うなら、協力して貰ったらいいんじゃない?」


 安易にも思えるアヴィオールの言葉に、スピカは「そうなのかしら?」と一言こぼす。


「あ、そうそう。竜に会った時、ファミラナもいたんだよね?」


 アヴィオールが続け様に問いかける。スピカはそれに頷いた。


「ええ。レグルスと一緒に竜に連れられてたわ。カペラがレグルスと一緒なら、きっとファミラナも一緒よ」


「そっか」


 アヴィオールはアルファルドをちらりと見る。2人が考えていることは、おそらく同じだろう。しかし、それを口には出さない。


「ん、わかった」


「え? 何が?」


「ううん。ファミラナに会ってから、必要なら話すよ」


 そう話しているうちに、記者は雲の下に沈んでいく。各駅停車の汽車は、田舎の駅に着陸しようとしている。


「十分後に特急が来る。乗り換えよう」


 アルファルドが皆に声をかける。銘々自分の手荷物を確認すると、忘れ物がないように鞄の中にしまい込んだ。

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