ヘリアカルライジング(2)

 駅の中は帰宅客でごった返している。ほとんどがサラリーマンや学生といった、フォーマルな姿のヒトである。待合室には目もくれず、休息できる我が家へ向かって、足を早めていた。

 静かな待合室の中で、つば広のキャペリンを被ったスピカは、アルファルドと向き合っている。


「これが大結晶だ」


 ロングコートに身を隠したアルファルドから渡されたのは、一際大きな星屑の結晶であった。両腕で抱える程に大きなそれは、銀のワイヤー装飾に包まれており、見た目には美しいスフェーンのように見える。

 スピカはそれを両手で受け取り、その軽さに驚いた。まるで空気を抱えているかのような軽さである。


「早くしまいなさい」


 アルファルドに言われ、スピカはそれを慌ててショルダーバッグへと詰め込んだ。ファスナーを閉じてしまえば、中に何が入っているかなどわからない。


「自分は大先生と一緒に戻る」


 アルファルドはグレイに目を向け、二人して頷いた。アヴィオールの両親が来た際に当事者不在という状況は好ましくない。


「無事に帰ってきてくれ」


 アルファルドの心配に、スピカはくすりと笑いをもらす。


「アルフってば、心配症なんだから。大丈夫よ」


 スピカはキャペリンの唾をぐいと前に引っ張り、待合室の出口に向かう。ガラスのドアを引き開けて外に出ると、カペラとグリードがそこで待っていた。


「お待たせ」


「早く行きましょ」


「次の汽車まで時間がない。この人混みは厄介だな」


 グリードが先頭を、続いてカペラ、スピカが、ホームに向かって歩き出す。

 改札口を抜けると、そこはまるでヒトの海である。スピカは人波に流されまいと、早足にカペラやグリードの背中を追いかける。天井からぶら下がる時刻表を確認しながら、特急の汽車が停まる4番ホームへと急いだ。

 チコが常駐しているであろうダクティロスの駅は、首都からだとかなりの距離がある。いつ追っ手が迫って来るかわからないという問題もある。どんなに混んでいようと、特急に乗るつもりでいた。

 カペラが時折「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。スピカは帽子の唾を押し上げて、カペラに目線を送る。


「大丈夫。ちゃんとついて行ってるわ」


 やがて三人は、4番ホームに停まっている特急列車へと滑り込んだ。警笛が鳴り響き、煙が辺りに漂う。


「いい絵が撮れましたー」


 いつの間に撮っていたのだろうか、カペラはインスタントカメラから排出されたであろう写真を手に取り、機嫌よく言葉をもらした。スピカはカペラを振り返り、写真を覗く。


「どうですか?」


 写っているのは駅の外観。インスタントカメラ特有の画質の粗さがレトロ感をかもし出しており、味のある一枚となっている。


「やっぱりカペラって、写真撮るの上手ね」


「えへへー。それ程でもありますよー」


 カペラは胸を張って答える。写真撮影が特技だということは自負しているのだろう。


「素晴らしい。カペラ嬢は、写真の才があるのだな」


 横からグリードが写真を覗き込んでくる。その褒め言葉には悪い気はしないようで、カペラはにっこりと得意げな笑顔を浮かべた。

 汽車は走り出す。吹き出す煙は風に流れ、視界から消えていく。レールに沿って空へと向かう汽車は帰宅客が多く、すし詰め状態であった。


「そういえば、グリードさん首輪どうしたの?」


 スピカは訊ねる。宮殿内は賢者、使用人関わらず、全員狼の賢者から首輪を強いられていたはずだが、グリードの首には見当たらない。


「ああ、即位の儀の直前に、双子の大賢人殿に外してもらったのだ」


「ああ、あれ、狼の賢者による『失せもの探し』の輝術と言ってたものね」


 スピカは会話を切り、外の景色に目を向ける。何度見ても、汽車から見る景色は美しい。

 雲を突き抜け空に浮かぶと、そこは幻獣の世界。空イルカが雲を泳ぎ、ペガサスが空を舞う。時折雲から顔を覗かせるのは、ケートスという怪物だろうか。犬に似たマズルが雲の表面に浮かんでくる様が面白い。


「スピカちゃん、汽車はあまり乗らないんですよね?」


 カペラが訊ねてくる。

 確かに、以前はアルファルドの心配症のために遠出が許されていなかった。汽車に乗ることは少なく、こういった景色は新鮮だ。


「前はそうだったんだけど。でも、今回の騒動で何度か汽車には乗ったわ。空イルカはちょっと苦手」


「可愛いのにー」


「可愛いけど、私を引きずり降ろそうとしてきたもの。ちょっと怖いわ」


 カペラはそれを聞いてカラカラ笑う。スピカが災難に見舞われたところを想像したのだろう。スピカはムッとしてカペラを振り返る


「確かに私が迂闊うかつだったけど、笑わなくたっていいじゃない」


「ごめんなさい。でもおかしくて」


 カペラはすぐに笑い声を止めたものの、にやけた表情は直らない。スピカはすっかり機嫌を悪くしてそっぽを向いてしまった。


「して、ダクティロスとはどのような町なのだ?」


 グリードがカペラに訊ねる。


「ダクティロスは造船の町ですよ。街中に水路があって、その水路を渡るための小舟がいくつかあって。

 いいとこですよ。ダクティロス。あ、スピカちゃん、家寄ってみたらどう?」


 カペラは問いかけ、しまったと言うように片手で口を覆う。

 スピカは気落ちしていた。アヴィオールのことを思い出していたのだ。可能性に賭けたいとは言ったが、果たして竜に会えるのか。確証がない。

 カペラはスピカの片手を握ると、それを自分の胸に引き寄せ、両手で包み込む。


「大丈夫、大丈夫。きっと竜が助けてくれます」


 窓の外を見ているうちに一時間程経過し、やがて汽車は速度を緩め、雲の下へと潜っていく。車掌のアナウンスが流れ、駅に停車した。

 この駅で下車する客は多いらしく、出入口にヒトが集まる。スピカ達は下車する客に道を譲るため、ヒトとヒトとの隙間を縫うようにして汽車の奥側へと進む。息が詰まりそうな混雑の中スピカは目を回しそうになる。

 客がある程度外へと出ていくと、先程とは打って変わって、車内はほとんど乗客がいない、がらんとした空間になる。

 ややあって扉が閉まると、再び汽車は空へと昇る。


「この時間、だいたい今の駅で降りるお客様が多いんですよ」


 カペラは慣れているのだろう。人混みに揉まれても涼しい顔をしている。一方、スピカもグリードもげっそりとした表情で、空いた席に座った。


『次は、ダクティロス、ダクティロス』


 車内放送が聞こえる。

 次とは言ったが快速の汽車である。長い距離を走るそれは、出発駅から停車駅までの時間が非常に長い。カペラは腕時計をちらりと見て時間を計る。


「あと一時間くらいですねえ」


 スピカも鞄にぶら下げたキーホルダー付きの時計を見る。針は二本とも六の数字を指していた。


「チコ、駅にいるかなぁ。いるといいんですけど」


 カペラはそわそわと紙製の時刻表を見る。使い古されたそれは既にボロボロで、今にも破れてしまいそうだ。

 ふと、グリードが顔を上げた。進行方向を見る。


「グリードさん?」


 スピカは声をかける。

 グリードの目は鋭い。手は背中に伸ばし、腰のベルトに差したメイスを握っている。


「二人とも、後ろの車両に向かえ」


 グリードの動作、そして緊迫した声から、スピカは理解した。この汽車に、追っ手が乗っているということを。


「あの、私も。私も戦えます」


 カペラは片手を上げるが、グリードは首を振った。


「カペラ嬢、申し訳ないが、君の術には頼れまい。汽車もろとも吹き飛ばしかねない」


 カペラはそろそろと手を下げる。グリードの言う通りだ。狭い車内では術が使えず、足でまといになってしまう。


「カペラ、行くわよ」


 スピカはカペラの手首を握り、ぐいと引っ張る。二人は早足に車両の連結部へと向かい、扉を開ける前にグリードを振り返った。


「やはり貴公らか」


 グリードはメイスを握りしめ、盾を掲げる。

 前方車両の扉を開け、グリードの正面に現れたのは、ワーウルフの男性だった。フードを下ろした彼の顔は狼特有の細長さがあり、全身体毛に覆われている。

 ワーウルフは吠える。ヒトというよりは、獣に近かった。あまり知性がないように見える。


「逃げろ! 早く!」


 グリードが怒鳴る。スピカは引き戸に手をかけて、力任せにスライドさせる。

 車両を移動すると、乗客がまばらに座っていた。前方車両から聞こえる怒声に驚いたらしく、顔をこちらに向けている。

 スピカはかまわずカペラの手を引いて汽車の中を走る。背後から激しい物音が聞こえるが、振り返らないよう努めた。

 更に奥の連結部に向かい、扉に手をかけてスライドさせる。

 目の前に、一人の男が現れた。


「こんにちは」


 背の高い彼は、連結部の扉を塞ぐように立っており、スピカ達の行く手を阻む。後部車両からこの車両を跨ぐように足をかけると、スピカの顔を見下ろした。


「探しましたよ、賢者サマ」


 スピカはたじろぎ、数歩後ろに下がる。


「ダクティロスに家があるんでしたっけ? そこまで逃げるんだろうなと思いまして」


「ダクティロス行きの、この時間に居合わせるなんて、どんな魔法を使ったのかしら」

 

「我ら狼の一族、数はいますからね」


 数打てば当たる、ということなのだろう。男は不敵な笑みを浮かべている。


「私を連れ帰ってどうするの?」


 スピカは問う。男は笑みを崩さず首を傾げる。


「さあ?」


 その一言に、スピカは眉をひそめる。


「エウレカが宮殿を支配することで、カオスがもたらされてしまうのよ」


「ふうん」


 男はただ相槌を打つのみ。そこには彼の意思などないように思える。


「わからないの? この星が死ぬのよ? ディクテオンさんから、そのくらいの説明はあったでしょう?」


 スピカは必死に訴える。ただ目の前の男が気持ち悪い。違和を感じて仕方ない。

 ややあって男は口を開いた。


「我ら狼、リーダーのリュカ様が仰せのままに動くのみですから」


 ぞっとした。賢者であるリュカの命令は絶対だと、そう言っているに等しい。そこに個人の意思はないのだろう。


「それも、輝術……?」


「いえ? 呪いのようなものです」


 男はスピカに手を伸ばす。スピカは咄嗟に腕を掲げ、防御の姿勢をとる。

 突然、カペラがスピカを押し退けた。

 

「はい、チーズ!」


 一眼レフカメラを掲げ、シャッターを切る。外付けのストロボが鋭い光を放った。

 男はフラッシュを受け、その眩しさに目が眩む。目を閉じたその瞬間を見逃さず、カペラは前のめりになると頭突きをした。巻角の先端が男の腹にめり込み、男は痛みに呻きながらどうと倒れた。


「スピカちゃん!」


 カペラはスピカに手を伸ばす。スピカはそれを握り、男の傍を横切って後部の車両へと向かう。乗客は皆一様に、唖然呆然とした表情でスピカ達を見送った。

 三つの車両を渡り、やがて最後尾までやってくる。その車両には乗客はおらず、随分と静か。しかしただ一人、車掌だけがそこに立っていた。


「え?」

 

「あっ」


 カペラと車掌が顔を合わせた瞬間、お互いの口から言葉が漏れ出た。


「カペラ!」


「チコ? え、乗ってたんですか!」


 カペラはスピカから手を離すと、チコに向かって歩を進める。


「会いに行こうとしてたんです! 今日は当番だったんだね!」


「帰宅ラッシュで身動き取れなかったんでしょ? 大丈夫だった?」


 チコは呑気にカペラに笑いかけるが、それどころではないことにすぐ気付いた。スピカの不安げな顔と、前方の車両から近付いてくる物音を聞いて、厳しい顔をする。


「何? また痴漢?」


「ううん、人攫いです」


「人攫い?」


 チコは一瞬驚くが、すぐに理解した。


「ふーん、狙いはスピカさんかな?」


「そうそう。どうしよう?」


 チコは思案し、辺りを見回す。ふと座席に目を向けると、ウエストバッグからベルトを取り出した。そして、すぐさまスピカに指示を出す。


「スピカさん、おとりになってくれます?」


「お、おとり?」


「そう。一番奥に立ってくれるだけでいいんです。

 カペラはこれ持って、あっちの席に隠れて」


 チコはカペラにベルトを差し出す。車椅子と車両の手すりに結びつけ、固定するためのベルトだ。その片側のみをカペラは受け取り、ボックス席に向かうと屈んで隠れた。

 チコはベルトの片側を持ち、カペラとは反対側のボックス席に屈んで隠れた。ベルトは床にたるませておく。

 そこでスピカもカペラも、チコの意図を理解した。スピカはいささか不安を感じ、車両の壁に顔を向けて、両手を組みひたすら祈った。


「ふざけんなよ、このガキが!」


 隣の車両から怒鳴り声が聞こえる。続いて、金属を引っ掻くような耳障りな音、乗客の悲鳴。

 声質から判断すると、先程追ってきていたワーウルフの男だろう。カペラがフラッシュで目眩しをしたために、怒りを顕にしているようだ。

 スライドドアが、激しい音を立てて開けられる。スピカは恐る恐る振り返った。

 男はまだ目が眩んでいるらしい。瞬きしながらスピカを探している。車両の奥に彼女がいるとわかると、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「あの雌山羊めすやぎ、ビビって逃げたか? まあいい。あんたさえ連れ帰ればいいんだからな」


 スピカは目を反らさず、男を睨み付ける。そして思い付く限りの悪態を吐き出した。


「あなた達に着いてくわけないじゃない。帰って頂戴! この、唐変木とうへんぼく!」


 その一言で、男の怒りは頂点に達した。狼のような唸り声を上げながら、スピカに向かって走り出す。スピカはきつく目を閉じた。


「せーのっ!」


 チコがベルトを引く。彼の掛け声に合わせ、カペラもベルトを引っ張った。ピンと張られたベルトは、男の足首に引っかかる。足をすくわれた男の体は、情けなくその場に倒れてしまった。

 男は何が起きたのか理解できないようで、目を白黒させている。怒りのあまり注意散漫で、ベルトが全く見えていなかったのだ。

 男の背中にチコが覆いかぶさり、男両手を後ろに組む。足を引っ掛けたベルトを回収すると、両腕にぐるぐると巻き付け、解けないように結び付けた。


「ふう。何とかなったね」


「何しやがんだ! 糞が! 離せ!」


 狼は暴れるが、男性が背中に覆いかぶさっている状況では身動きが取れない。チコは、じたばたと暴れるワーウルフを押さえつけながら、進行方向にある車両に目を向ける。

 乗客は全員怯えきっており、椅子や壁は鋭利な何かで所々傷付けられていた。男の手を見ると、鋭い爪に僅かな木片が引っ掛かっている。


「乗客を襲い、汽車を傷付けるだなんて。随分酷いことするね、君」


 チコは冷たく吐き捨てる。

 続けて、激しい足音が前方から聞こえてきた。続けて、スライドドアを開ける音。こちらに近付いているようだ。


「チコさん、まだワーウルフが一人残ってるんです」


 スピカがチコに声をかける。チコは舌打ちする。

 足元の男を放っておくわけにはいかない。しかし、迫ってくる物音にも対処しなければ。

 運転室にいる車掌に助けを求めるべく、無線機のマイクに手をかける。通話のスイッチを入れようとしたその瞬間。


「カペラ嬢! 大事ないか!」


 扉を開けて車両に入ってきたのは、傷だらけになったグリードの姿であった。

 グリードの言葉に、チコはぽかんと口を開き、スピカとカペラは安堵する。


「チコ、その人はお友達です。大丈夫です」


 カペラはチコに近付いて、


「チコ、ありがとう」


 と、にっこり笑いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る