バイオシグナチャーを信じて(4)

 スピカは目を開く。

 それは眩しい程に光が満ち溢れた空間。真っ白な神殿の中央に、宝石が詰まった釜が置かれている。

 ここはタルタロスだと、伝達の竜、ヘルメスから教えられた。タルタロスとは竜のむくろ。星屑を作り出すために、太陽釜を熱する場所なのだと。

 スピカは理解していた。これはエウレカの記憶であること。命が終わってしまったエウレカの魂は、タルタロスへと向かわなければならないということ。


『復讐、したくないのー?』


 少女の声が聞こえた。光り輝く空間にはそぐわない、欲という泥に塗れた不快な声だ。


『竜族はあなたを裏切った。世界はあなたを忘れ去った。

 ねえ、悔しくないのー? 私ならそのお手伝い、してあげられるよー?』


 スピカは拒否したかった。しかし、この体の持ち主には、その提案は魅力的だった。

 エウレカの中には怒りがあった。悔しさも、悲しさもあった。あんな痛みを強いられたことを、忘れられたくなかった。


「あんなって、一体何のこと……?」


 スピカは無意識に呟く。声が出せると思っておらず、驚いて口元を片手で覆った。


『あれー? エウレカじゃないね。

 もしかしてー、スピカ?』


 声はスピカの名を言い当ててケラケラと笑う。

 ここはエウレカの記憶の中では無いのか。スピカは狼狽うろたえた。


『ここは確かにエウレカの記憶の中だよー』


 声は無邪気さの中にほんの数滴の邪悪さを滲ませて、記憶の中のエウレカではなく、スピカという現在の存在に語りかけてくる。


『私は魔女なの。何だってできるから、何にも不思議じゃないでしょー?』


 辺りが突然暗くなる。否、色が消えたのだ。上下左右がわからない程の黒さの中、スピカは語りかける。


「エウレカのほんの一欠片の記憶から、私は全部知ったわ。冬は星の眠り。光を世界に循環させるために、なくてはならないもの。

 エウレカはこの世界を滅ぼしたいと願ってるわ。あなたが手引きしていたの?」


 スピカの語りかけを、魔女は笑い飛ばした。


『手引きだなんて、嫌味なこと言わないで。私はお手伝いしただけだよー』


「ふざけないで!」


 スピカは魔女の姿を探す。しかし、どこを見ても真っ黒しかなく、魔女の姿など見当たらない。


『探しても見つからないよー。だって、この私はエウレカの記憶でしかない』


 スピカは闇雲に手を伸ばす。

 この黒が、紙のようにちぎれてしまえばいいのに。そう思い、拳を握った瞬間、真っ黒な空間をぎゅっと掴んだ。


「え?」


『え?』


 スピカは驚く。握ったまま腕を引くと、真っ黒な空間は紙のように裂け、ちぎれて辺りに散らばった。

 その先にいたのは、黒髪に赤目の少女の姿。自分によく似た顔立ちだったが、垂れた目には邪悪さが浮かんでいた。


「あなたが魔女ね!」


 スピカは魔女に向かって叫び、早足に近付く。魔女の腕を掴むと、怒りの形相で睨みつけた。


『流石だねー。でも、やっぱり大した魔術は使えないのねー』


「え? 何言って……」


 魔女は姿を消す。エウレカの記憶の中に存在する彼女は、姿を消すのもお手の物らしい。

 そして、声だけがスピカの耳に入る。


『まあ、足掻あがいてみるといいよー。そっちの方が、見てて楽しいもん!』


「待ちなさい!」


 スピカは魔女の姿を探す。しかし見つからない。先程やってみたように、黒を掴んで、力任せに引きちぎる。

 黒を剥がした先に、景色が見えた。


「これは……」


 アズテリスモス神殿から、広場に集まる群衆を見つめている。

 これは、エウレカが見ている景色なのか。今見ているものなのか。

 自分の体を勝手に使うエウレカに怒りが湧いた。理不尽だと思った。スピカは語りかける。


「私の体で好き勝手するのはやめて頂戴」


『煩いわね……』


 脳裏に言葉が過ぎった。エウレカの声だ。

 何故呆れられているのか。体の所有権は自分にあるのではないのか。


「死人のあなたが、生者である私の体に執着するなんて。駄々をこねるのもいい加減にして頂戴!」


 スピカのその言葉で、エウレカが怒るのを感じた。我を忘れるその一瞬の隙を突き、目の前の映像を片手で握る。僅かな繋がりを手繰たぐり寄せるかのように拳を引くと、映像がぐらりと傾いた。


「ほんの一欠片だけど、見てしまったのよ。あなたの記憶。

 この世界は嘘ばかりだわ。あなたがねじ曲げてるのね!」


『勝手に見ないでって言ったじゃない!』


「あなたの方が勝手なことしてるわ!」


 もう一度拳を引く。映像がスピカに近付いてくる。それに手を差し込むと、スピカは引っ張られるようにして映像の中に飛び込んだ。

 入れ替わるように、金色の髪が視界の端を掠めていく。

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