光を燻しタルタロス(2)
神殿の入口まで戻ると、アヴィオールは階段に腰を落として座る。落胆し、肩をがっくりと落とす。
世界の真実を知ったところで、元の世界に戻れないのであれば意味がない。このまま死んだ身として居るしかないのだろうか。体を無くし宝石の姿で釜に放り込まれる運命なのだろうか。
しかし、宮殿の外へ無造作に投げ捨てられた無数の石、煤になった星屑を見ると、物悲しくて仕方ない。自分達の行く末が、星屑ではないただの屑であるというのは、堪らなく悔しい。
「大丈夫か?」
背中に声が投げかけられ、アヴィオールは振り返る。アルファルドだ。彼はアヴィオールの隣に腰を下ろす。
アヴィオールは、アルファルドを横目で見ながら返事をする。
「大丈夫じゃない」
「そうだよな」
暫しの沈黙。突き付けられた真実の重さに押しつぶされそうだ。
ややあって、アルファルドが口を開く。
「申し訳ない。こんなことになって」
声は沈み震えていた。
「堕ちたのが自分だけならよかった。こんな風に巻き込んでしまうなら、最初から大人しく処刑を待てばよかった」
まるで
「それは違う」
悔しい気持ちがないわけではない。しかし、今の状況はアルファルドが原因ではない。
「だって、アルフに協力するって言ったのは僕だ。タルタロスの蓋が開けられた時に飛び込んだのは僕だ。アルフのせいじゃない」
アヴィオールはそこまで言うと顔を俯かせた。アルファルドは「すまん」と呟き、アヴィオールの肩を撫でた。
「にしてもさ。これ、凄いよね。この山」
アヴィオールは目の前の石の山を見つめる。
冬が無くなって千年。ユピテウスの話を聞く限りでは、冬という休眠期間が無くなったために、光を生み出すことができなくなったと理解できる。この大量の黒い石は、千年もの間に死んでいった命の残骸なのだろう。
「これが命の行く先だなんて、なんだか虚しいね。冬が途切れなかったら、きっと星屑の結晶として僕らの世界を循環してたんだ。
どうしてこんなことになったんだろう。賢者達が守りたかったものって、何なんだろう」
アルファルドも、目の前に積まれた石の山を見る。眉を
アヴィオールはその様子を目の端で捉える。興味を引かれ、顔をアルファルドへと向けた。
アルファルドが取り出したのは、一つの石。親指ほどの大きさのそれは、星屑の結晶によく似ている。相違点は、黒い光を放つこと。
色形だけ見れば、目の前に積まれた石によく似ていた。
「これ、何処で?」
「これは……」
「貴様、その手に持つ物は何だ」
背後からユピテウスの声が聞こえ、二人は振り返る。ユピテウスの顔は驚愕と怒りがない混ぜで、眼光は鋭い。
「見せろ。何だそれは」
詰め寄るユピテウスを見て、アルファルドは立ち上がり警戒する。
「自分にもわかりません。見知らぬ女性から渡されたものです。ただ、これがあれば、何処からでも抜け出すことができると。
もしかしたら、これを使えばタルタロスから抜け出せるかもしれない」
ユピテウスは目を見開いた。彼から稲光が発生する。耳を突き刺すような不快音が断続的に響く。
「邪悪なものだ。使うな」
突然、足元の地面が爆ぜた。視界は眩い白で塗り潰される。一瞬で視界は戻り、足元は黒く焦げている。
輝術だ。おそらくアルデバランと同じ、雷を自由自在に生み出す術。だが、先程の雷はあくまでも脅しなのだろう。当てようと思えば当てられたはずだ。
「それは魔女のものだ! 使うな!」
ユピテウスはじりじりとアルファルドに近寄り、煤で汚れた手を伸ばす。
「ま、魔女? 彼女が?」
アルファルドは困惑から言葉を零す。魔女など空想上の存在だと思っていた。
ユピテウスが伸ばす手を、アルファルドは後退して避ける。
「渡せ! 焼き壊してやる!」
ユピテウスは我を忘れている。目はアルファルドの手しか見ておらず、唾を飛ばすほどに叫んでいる。今にも飛びかかりそうなユピテウスを見て、アヴィオールは二人の間に割って入った。
「ちょっと待って!」
両手を広げるアヴィオールに、ユピテウスは面食らう。
「さっき、タルタロスから出る方法について訊いた時、あなた何も言いませんでしたよね?」
「それがどうした!」
「あなたは、余程僕らを帰したくないんですね」
ユピテウスの顔色が変わる。怒りから無表情、そして悲しみに。アヴィオールの言葉によって、我に返ったらしい。
「何か企んでるんですか?」
ユピテウスはふらりと後ずさりし、階段に腰を下ろす。
「違う、そうではないんだ」
ユピテウスは力なく呟く。そして片手で顔を覆った。アルファルドはユピテウスに近付き、彼を見下ろして問いかける。
「何が違うんだ」
ユピテウスは答える。
「帰す気がないわけではない。できるならしたい。だが、それは理に反する」
アヴィオールは、なおもユピテウスに問いかけた。
「これは何なんですか? 魔女のものっていうのは、どういう意味ですか?」
ユピテウスは首を横に振って答える。
「言葉の通りだ。その石からは、魔女の光を感じる。使い潰した星屑の結晶に、魔女の光を無理矢理詰め込んだのだろう」
そのように説明されても、魔女が何なのか、石が何なのか、さっぱりわからない。
「魔女とは何なんだ」
アルファルドが問いかける。ユピテウスは答えを渋ったが、アルファルドから睨まれるとため息をついて説明を続ける。
「竜とヒトの間に生まれた人種、それが魔女だ。竜はその昔、ヒトに寄り添い生きていた。ごく稀に、ヒトと婚姻を結び、子を成す者がいたのだ」
「竜って、ヒトを虐げていたんじゃ……」
「そんなことはない。竜はヒトを慈しみ、ヒトは竜を崇めていた。竜に見初められるということは、これ以上ない栄誉なことだった。
竜の力を宿した子は、竜が使う魔術を使える。輝術のような、ほんの欠片の力ではなく、だ」
聞いたことの無い話だ。それも当然。世の中の常識は、竜がヒトを虐げていたという話。寄り添いあって暮らし、更には婚姻関係を結ぶなど、そのような話は知らない。
「その石は邪悪なものだ」
ユピテウスは震える指でアルファルドを指さした。
「ここは冥府のタルタロス。次の光を生み出す場所だ。本来、ここの出入りは竜しかできない。ヒトは入ることはできても、出ることはできない。
それをねじ曲げようとすれば、必ず代償を払うことになる」
アルファルドは石を見て暫し考える。そしてアヴィオールの顔をじっと見つめた。
「お前は帰れ」
「え?」
アヴィオールは目を瞬かせる。
「自分が代償を払う。巻き込まれただけのお前は、無傷で帰らせなきゃならん」
アルファルドの言葉に、アヴィオールは首を振る。
「いやいやいや、アルフだって帰らないと! 何勝手に犠牲になろうとしてんの!」
「勝手に殺すな。自分も一緒に帰るぞ。寿命の半分くらいなら払ってやるつもりだ」
「寿命の半分って……」
アヴィオールは絶句してしまう。しかし、理に反する行為をするのであれば、魔女の力を借りるしかないのだろう。ユピテウスの言葉を信じるのであれば、の話だが。
「どう使うんだ?」
アルファルドはユピテウスに詰め寄る。ユピテウスは憐れむようにアルファルドを見、深く長くため息を吐き出した。
「寿命の半分で済むかはわからない。それでも試すのか?」
「ああ。ここでぼんやりしてたら、あの石屑と同じものになるんだろう?」
アルファルドは立てた親指で、背後にある星屑の煤を肩越しに指差す。
ユピテウスは言う。
「寿命が尽きて行き着く先も、結局同じだ。早いか遅いかの差でしかない」
「なら遅い方が断然マシだ」
アルファルドの決意は固い。これ以上引き止めることができないとわかると、ユピテウスは片手を差し出した。
「君達には使えない。私が君達を送ろう」
アルファルドは警戒しながらもユピテウスに石を差し出す。ユピテウスは石を受け取って、それを両手で包み込む。そして再確認すべく、アルファルドに問いかけた。
「優先すべきは、こちらの少年なのだな」
ユピテウスはアヴィオールを見て顎をしゃくる。アルファルドはそれに頷いて見せた。
「ああ。アヴィオールは必ず無傷で頼む」
「承知した」
しかしアヴィオールは納得ができない。アルファルドの顔を見上げて怒鳴る。
「勝手に決めるなよ! アルフはそうやって勝手なことばかり言って! 少しは僕らの意志を尊重してよ!」
アルファルドは振り返り、困ったように笑った。
「すまない」
ユピテウスが持つ黒い結晶から、おびただしいほどの光が溢れた。禍々しさを感じる黒い光は、濁流のように辺りを飲み込んでいく。
ユピテウスの姿が、神殿の階段が、更にはアヴィオールとアルファルドの姿が、黒に飲み込まれ包まれる。その黒は確かに光であり、眩しさを感じたアヴィオールはきつく両目を閉じた。
ずるりと、両足が地面に沈む。悪寒が背骨を伝い、足先から頭頂まで駆け巡る。その不快感に思わず身震いした。
「これ、本当に大丈夫?」
アヴィオールは呟く。しかし誰からも回答はない。聞こえていないのだろう。
黒い輝きの向こうに、ユピテウスが見える。その後ろに、もう一人の人影が見え、アヴィオールは目を凝らした。
タルタロスに、ユピテウス以外のヒトはいないはず。自分達が生身のまま堕ちてくること自体、特殊な状況だというのに。あれは誰だ?
アヴィオールは沈む。隣のアルファルドも沈んでいく。沈む先に、自分達の世界があるのだろうか。果たして本当に戻れるのだろうか。
やがて頭まで沈むと、今度は濁流に飲み込まれたかのような、体がバラバラに砕けそうな衝撃と痛みを感じた。口を開くが息が吸えない。肺が膨らまない。
目を開いて辺りを見回す。アルファルドがこちらを見ている。驚愕の表情を浮かべて。
身体中が酷く痛む。目眩でふらつき、四つん這いになり、浅い呼吸を繰り返す。咳き込むと、口から鮮血が溢れた。
アヴィオールは呟いた。
「あ、これは……」
アルファルドが駆け寄ってくる。背中を撫でられる。「大丈夫か?」と、何度も声がかけられる。
代償を払う役に選ばれたのは、自分なのではないだろうか。アヴィオールは薄れゆく意識の中でそう思った。
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