煌めく銀原と夢見の羊(9)

 一同は屋敷の外へと出る。

 バードフィーダーに停まっていた小鳥たちは、扉を開けた途端に飛び立った。はらりと落ちた雪の粒が、シェラタンの髪に貼り付いた。


「今日はいい天気だね」


 シェラタンは、レグルスを振り返り笑いかける。

 透き通った空気はまるでガラスのように透明で美しい。陽光は柔らかく、夏のような暴力さは欠片もなかった。

 静まり返った銀原ぎんばるだが、耳を澄ませば様々な音が聞こえてくる。裸の木々を揺らす風音、動物が雪を踏みしめる足音、何処からか聞こえてくる狐の鳴き声。

 死の季節である冬を再現していると言うならば、この穏やかな景色は一体何だと言うのだろうか。

 レグルスは、借り物のコートに窮屈さを感じながら問いかける。


「あの、これが本当に冬なんですか?」


 レグルスは途端に口を閉じた。冷たい空気を吸い込み、途端に身体が冷えてしまったのだ。冷たさに驚き、不快を訴えるかのように胸を押さえる。


「あはは。寒いでしょ。冬じゃないけど、土地は眠っているからね」


 シェラタンは白い息を吐き出しながら笑う。寒さにはすっかり慣れているようで、身震いさえしない。

 庭に出る。雪を踏みしめる度、何かを砕いたかのような妙な感覚が足裏に残る。不快に思いながら、それをやや楽しく感じてしまって、レグルスは必要以上に足跡を残す。


「何やってんの?」


 マーブラはそれを見て呆れる。しかし、ファミラナもキャンディも同じように足跡を無数につけているのを見ると、何も言えずに口を閉じた。

 じきに庭先は足跡で埋め尽くされる。靴の中はすっかり湿ってしまい、氷を履いているのではないかと錯覚するほど冷たい。


「さあ、遊ぶのは後にしよう。

 ニュクス様がいらしたよ」


 シェラタンが声を張る。

 続いて聞こえたのは、風を起こす重たげな音。途端に地面から雪が舞い上がり、視界は白いまだらに塗り潰される。

 重量のある何かが、正面に降り立ったらしい。それはバサリと最後に音を立て、やがて静かになった。

 風が止み、そこに現れたのは、伝説と言われる存在であった。


「ニュクス様、お久しぶりです」


 シェラタンは、それに頭を下げる。

 現れたのは、うろこに覆われた濃紺の体。ヒトの三倍の身長があろうかというその巨体は、二本の太く逞しい脚に支えられている。両手は体格に対して随分と短い。長い首の先にある頭は、マズルが長くわにのよう。背中に生えた巨大な二対の翼は、蝙蝠こうもりの翼とよく似ている。


「り、竜だ……」


 レグルスは呆気に取られて呟いた。


「失礼でしょう? まずは頭を下げなさい」


 シェラタンはレグルスをたしなめるが、ニュクスと呼ばれた竜は、カリヨンが鳴るかのような、上品ではあるが体格に見合った大きな笑い声を上げる。


「よい、よい。そのほうらは竜を見るのは初めてであろう? 驚くのも無理はない」


 喋った。レグルスはファミラナと双子を振り返る。皆ニュクスの声を聞いたものの、信じられないとでも言うかのように口を半開きにしている。


「して、シェラタン。何用か?」


 吐き出す言葉一つ一つに威厳という名の光がこもっているようで、緊張感にくらくらとしてしまう。シェラタンは頭を振り、ニュクスの前に片膝をついた。


「この世がカオスの危機にひんしていることは、ご存知でしょうか?

 この者達は、冬について、カオスについて訊ねにやって来たと申しております。しかし、経験がない私が教えるのは、非常に難しい。私の言葉だけでは不十分かと思われます。

 ニュクス様から、詳しくご教授頂けないでしょうか」


 ニュクスは「嗚呼ああ」と声をもらす。ふうっと大きなため息を吐き出すと、自身のたてがみを一房、指に絡ませ手遊びする。


「やはりのう。先刻の争いより千年経っておるし、そろそろ魔女の呪いが弾ける気がしておったのだ」


 ニュクスは手遊びをやめ、自身のたてがみを一本抜いた。夜の闇のように黒いそのたてがみを媒介に、光が集められる。


「相変わらず、ここは土地が眠りこけておる。光が全く集まらん」


 小言をもらす。しかし言葉とは裏腹に、ニュクスの体は光に包まれる。

 ニュクスだけではない。シェラタンも、レグルスも。そこにいた皆が光に包まれ、眩しさに目をきつく閉じる。


「話すより、見た方がわかりやすかろう」


 ニュクスの言葉に、レグルスは問う。


「見るって、何を?」


ちんの古き記憶よ」


 瞼を閉じたはずの視界は、白に塗り潰される。やがてその眩しさが消えると、レグルスは目を開いた。


「なんだ、これ」


 レグルスは、目の前に広がる光景に驚いた。

 緑溢れる森の中。動物達が闊歩かっぽしている。しかし、そこに生きる動物達は今の動物と見た目が全く違う。

 ヒトの身長と同じ程の百足に甲虫。鼠のような生き物も大きく、全長は幼児の背丈と同じくらいだろうか。

 羽毛が生えた蜥蜴とかげのような生き物や、腕に皮膜をつけたイグアナに似た物。おそらくそれらが強大な力を持つのだろう。それらが姿を現すと、弱い生き物は散り散りになって逃げていく。

 しかしそれらは、レグルスの姿は無視している。見えていないのだろうか。


「これぞ、ちんに残る最古の記憶じゃ」


 ニュクスの声がする。しかし、姿は見えない。


「何処にいるんですか?」


「レグルス君、キャンディちゃん、どこ?」


 キャンディとファミラナの声も聞こえてくる。しかし姿は見えない。ということは。


「これ、幻覚を見せてるの?」


 マーブラが声を発する。


「その通りじゃ。想起の竜、クロノスの真似事よ。もっとも、ちんはこの術が苦手でのう」


 苦手と言うわりには、幻覚はリアルだ。触ることはできないが、見ている景色、感じる匂いや音は鮮やかだ。

 それは不意なことだった。風が吹いたかと思うと、レグルスが踏みしめているシダの葉が、根から真っ黒に染まり、ぼろぼろと崩れていく。

 慌てて足を上げるが、崩壊は止まらない。続いて巨木が次々と倒壊し、岩が紙屑のように砕けていく。

 地上を闊歩かっぽする巨大な爬虫類はちゅうるい達は次々に倒れていき、やがて骨さえ残らず消え去ってしまう。

 大地は黒く斑に染まる。黒のインクを次々垂らしていくかのように、斑が増え、くっ付き合い、黒は侵食していく。

 光が消えていく。影さえ残さず。


「な、んだ、これ……」


 レグルスは呟く。

 しかし、彼はこれを知っていた。エウレカによって荒らされた乙女の宮が、正にこの様相であった。


「この星の本来の姿は、この通りよ」


 やがて光はなくなり、闇さえ感じぬ黒一色に塗り潰される。上下左右が分からなくなるほどの、完全な黒。自分の姿さえ見えない。

 視覚も触覚も嗅覚も、何も捉えることはない。自分が存在しているのかわからなくなるほどの、一面の黒。

 キャンディが、ファミラナが叫んでいる。レグルスも、自分で気付かないうちに叫び出していた。マーブラが、激しく呼吸する音が聞こえる。


「上を見てみよ」


 ニュクスの声に、レグルスは喘ぎながら顔を上げる。そこにいたのは二人の竜。片方はニュクス、片方は見知らぬ赤き竜。彼らは淡く発光していた。

 赤き竜が、力を無くし落ちていく。上下がわからない空間だ。落下は永遠のもののように思えた。

 突然、赤竜の体がぜた。まるで解れていくように、頭から光の粒子となって、辺りに散らばっていく。巨体が全て消えてしまうと、代わりに世界が色付いた。

 黄土の大地と青い海、そして濃紺に広がる美しい夜空。風が、音が、匂いが戻ってくる。

 まだせた色合いだが、自身の姿を思い出したかのように色付く大地。しかしそこには生き物が存在しない。森を歩き回る足音も、とどろく咆哮ほうこうも、そこにはない。あるのは、風と波の音だけ。

 何も無い、絶望の世界だ。


「これがカオスの始まり、そしてカオスの終わりじゃ」


 そこで幻影は薄れていく。幻影が拭い去るようにかき消され、目の前には銀原ぎんばるとニュクスの姿が現れた。

 ニュクスは物憂ものうげに目を細める。


「本来この星は、光溢れるエルピス期と、全ての光が失われるカオス期を、数千年ごとに繰り返しておる。ちんはその全てを見てきた。それこそ、気の遠くなるような昔からな」


 聞き覚えも馴染みもない単語に、レグルスは頭を抱える。


「エルピス? カオス?」


「そもそも、この星って……星と言うのは、空から光を授けてくれる、あの星のことですか?」


 レグルスとファミラナが、立て続けにニュクスに質問する。ニュクスはそのどちらにも、呆れているようだが不快を表すことはなく、丁寧に答える。


「昔はヒトも知っていたはずなのだが。いつから無知になってしもうたのかのう。

 天の星同様、この世界も一つの星じゃ。星とは、光をその身に宿す存在。一つの生命と言っても過言ではない。この世界に溢れる光を、其方そちらは知っているであろう」


 レグルスはファミラナを、双子を振り返る。心当たりが全くない。しかしすぐに回答はあった。


ちんら、竜族が魔術と呼ぶ不可思議の技巧。其方そちらが|輝術と呼ぶ技よ。それは、この星『アステリオス』より溢れる光を利用し、輝術として具現化させておるのじゃ。

 それこそが、アステリオスが星という証拠。魔術も輝術も、光を燃料にしているのじゃ」


 レグルスは自分の手を見つめる。

 自身が使っていた力は、天上にある星々の力と教えられてきた。しかし、実際にはもっと身近なところから力を貰っていたとは。


「この星は生命。当然、この星の死も存在する。それはわかるかえ?」


 その言葉には首を横に振る。世界の死など、想像できない。

 

「その死っていうのが、カオスなの?」


 マーブラが考えを口にする。ニュクスは満足気に頷いた。


「その通り。光を食い潰し、死滅した世界をカオスと呼ぶ。その実態は、先程見せた通りじゃ」


 一面の黒世界と、色付いても生き物が存在しない静かな世界。あれがカオスと言うのなら、死と表現するのは正しいように思えた。

 しかし、レグルス達が知る死の期間とは、全く異なっている。


「でも、冬は死の季節だって、私達教えられてきたんです。冬は、カオスとは違うんですか?」


 キャンディはニュクスに問いかける。


「冬が死の期間? 片腹痛いわ」


 やや苛立ったように思えるその声は、棘で心臓を抉るかのようだった。キャンディはぶるりと震え、マーブラの後ろに隠れる。マーブラは彼女を守るように、片手を広げる。

 ニュクスはそれを流し目で見ながら鼻で笑った。


「冬は、カオスを避けるべく、竜族が編み出した星の休眠期間じゃ。春夏秋といった、元々あった季節の後に、三ヶ月間のみ冬という季節を設ける。一年利用した光を冬の間に回収し、次の年は回収した光を利用するという仕組みよ」


 説明をされても、子供達には理解ができない。レグルスは眉を顰め、ニュクスの言葉を脳内で反芻はんすうする。しかし、冬が光を回収する季節だという説明には、納得ができない。

 ニュクスも、この説明だけで終わらせるつもりなどなかったようだ。雪の地面に腰を下ろすと、再度たてがみを一本引き抜く。そして光を集めると、自分を中心に暖かい空間を作り出した。一瞬で雪が消え去り、草花が芽吹く。


ちこう寄れ。ここからの話が随分長くてのう」


 シェラタンと彼の使用人が、躊躇ためらうことなくニュクスに近寄る。その空間はかなり暖かいようで、着ていたコートを脱いで地べたに座り込んだ。

 レグルスは、躊躇ためらい気味にその空間へ足を踏み入れる。ファミラナが、双子が後に続く。


「さて、話そうか」


 ニュクスは再び語り始めた。

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