煌めく銀原と夢見の羊(2)

 食堂にやってきたレグルスは、椅子に座る両親の表情を見てゲンナリした。

 父はずっと苛立っているらしく眉間にシワが寄ったまま笑いもしない。母は緊張と疲労で目に力がない。

 自分も似たような顔をしているのだろうと思うと、苦笑いすらできない。黙って席に座る。

 夕食時にも監視はつく。部屋の隅には、レグルスを見張っていた大男が黙って立っている。忌々しく睨み付けてみたが、大男は眉すら動かさない。任務に忠実な様は、狼と言うよりも犬に似ている。


「大丈夫?」


 母に声をかけられた。レグルスは母に心配をかけまいと、空元気を出す。


「大丈夫、大丈夫! 心配すんなって」


「でも、顔色悪いわよ」


「はは……お袋だってそうじゃん」


「そうね」


 会話はすぐに止まる。監視がついている中、迂闊うかつなことは言えない。特に、父・レオナルドは、レグルスに視線を送るものの全く話さない。

 メイドが料理を運んでくる。牛肉のステーキと野菜のソテーは、いつ作られたものなのだろう。すっかり冷えきっていた。

 食堂には、食器が立てる音しか聞こえない。肉を切って口に運ぶものの、自分の咀嚼そしゃく音がやけに気になって、食欲が失せる。レグルスは肘をついて、ソースをフォークで弄り始めた。母が視線で咎めるが、何も言わない。言えないのだろう。彼女も全く食べていない。

 レオナルドは黙々と食べ進め、やがて皿が空になる。


「食べないなら片付けるぞ」


 レオナルドに冷たく言われる。彼は自分の皿を持ち上げレグルスの席に近寄ると、身を屈めてレグルスの皿に手を伸ばした。食欲がないためステーキには執着せず、レグルスはぼんやりとそれを見た。


「ご主人様! 私どもがやりますので!」


 メイドは慌てて2人に近付く。そのタイミングを見計らったかのように、レオナルドは小声で耳打ちした。


「レグルス、この後、書斎に来い。君は人払いを」


 レグルスは父を横目で見る。しかし頷くことはできない。会話していることに気付かれてはならない。瞬間的にそう判断した。それはメイドも同じで、何も言わずレオナルドから皿を受け取った。


「私は部屋に戻る。レグルスも部屋に戻って、勉強するか寝てなさい」


「いや、ガキじゃねえし」


「私から見たら十分子供だ」


 レオナルドはそう言い残し、食堂を後にした。レグルスはやれやれと肩を竦めた。演技のつもりだが、わざとらしく見えただろうかと内心怯える。

 監視者を見る。彼は母が食事を終えるまで立ち去るつもりはないらしい。母はなかなか食事が進まないようで、ワイングラスを傾けた。しかし口に運ぶ寸前でレグルスの視線に気付く。

 何か勘づいたらしい。彼女はゆっくりと瞬きを2回した。何かのサインのように。母が時間稼ぎをしてくれるのではないかという期待をし、レグルスは早い瞬きで返事する。伝わったかどうかはわからないが。

 レグルスは食堂を後にする。先程皿を片付けたメイドも、ワゴンを押しながら食堂を出た。


「若様、ご指示を」


 メイドは小声で問う。レグルスは緊張し、喉を鳴らす。


「なあ、ネクタルの葡萄酒で酔わせられないか?」


「彼らをですか?」


「一口でも飲めば酔いつぶれる輝術の葡萄酒だ。無理じゃない」


「や、やってみます……」


 メイドは会釈しながらレグルスを追い越して、厨房への道を急ぐ。

 レグルスは自室へと向かう。父が何を話すのか、何をさせたいのか、彼は勘づいていた。ぼやきたいのを我慢して、口を真横に結ぶ。

 自室へ入るとポケットから鍵を取り出した。机の引き出しに差し込んで回す。そこには古い手記が入っている。それを乱暴に掴むと、尻ポケットに捩じ込む。細かな紙片がこぼれるが、構っていられない。

 そして獅子皮のマントと財布を掴んで、ショルダーバッグへ雑に詰め込む。バッグを斜め掛けして服を更に1枚着込み、バッグを隠した。

 再び部屋を後にしようと扉を開けると、そこには細身のワーウルフが立っていた。


「ああ、ども」


「御手洗ですか?」


「うん」


 レグルスは引きつった笑みを浮かべる。真っ直ぐ書斎へ行くべきだったかと後悔した。

 そこへ。

 

「きゃあ!」


 メイドが甲高い悲鳴をあげた。レグルスは声がした方に顔を向ける。

 先程言葉を交わしたメイドがつまづいていた。その手に持っているのは、封が開けられたワインの瓶とワイングラス。レグルスは咄嗟に扉を閉める。

 ガラスが割れる音に、盆が落ちる音。メイドの慌てた謝罪と、ワーウルフの怒号。暫くした後、レグルスは恐る恐る扉を開けた。

 ワーウルフは尻もちをついた状態で、頭にワインをかぶっている。その顔はすっかり火照っており、一瞬で酔っ払ったことが窺える。メイドはワーウルフに深々と頭を下げて、謝罪を繰り返していた。


「何をやっているんだ! この間抜けが!」


「すみません! すみません!」


 メイドは頭を下げながらもレグルスを横目で見る。全て芝居なのだろう。酔っ払ったワーウルフは判断が鈍っており、それを見抜けない。

 水瓶の大賢人、ネクタル・サダルメリク。彼女が作る葡萄酒は、飲んだ者を泥酔させる。それが少量でも。


「すんません」


 レグルスは会釈して駆け足でその場を離れる。途中ちらりと振り返ると、ワーウルフはメイドを叱ることに夢中であった。レグルスのことなど気にも留めていない。


「ネクタルの葡萄酒、やっぱすげーわ」


 レグルスは辺りを警戒しながら、父が待つであろう書斎へと向かう。

 果たして書斎にたどり着き扉を開けると、確かにレオナルドがそこにいた。


「閉めろ」


 レグルスは扉を閉める。内から施錠すると、ようやく緊張が解けて安堵した。

 振り返る。レオナルドがレグルスの頭を撫でる。レグルスはそれを鬱陶うっとうしく感じて頭を振った。


「なあ、逃げなきゃ駄目か?」


 レオナルドに問いかける。逃げろと言われるような予感があり、自室に戻って最低限の準備をした。しかし、両親を残して逃げるには、罪悪感がある。


「詳しい話は下でしよう」


「下? あそこバレてないのか?」


 レグルスは目を瞬かせる。

 レオナルドは机に向かい、引き出しを1つ抜く。中には大量の書類が乱雑に詰め込まれて、かなりの重量がある。だがそれは脇に置き、机の下に手を伸ばす。そこを探り、隠されたボタンを押した。カタリと小さな音がする。

 続いて、机の下に体を潜り込ませる。そこには、普段はないはずの取っ手が頭を覗かせていた。それを片手で掴んで持ち上げると、床の一部が蓋のように開いた。ひっくり返すと、そこに穴が現れる。引っ掛けられた梯子は、地下へと降ろされていた。


「まさか役に立つ日が来るとはな」


 レオナルドは自嘲する。


「双子がいるはずだ。先に降りなさい」


 レグルスは言われるままに梯子を降りる。地下は暗くなかった。誰かが灯りを持ち込んでいるのだろう。

 差程長くない梯子を降りきると、そこにあるのは地下に掘られたトンネルだった。近年作られたものなのだろう。ただ地面を掘っただけのそれは、土肌が露出している。

 レグルスは辺りを見回し光源を探す。


「あー、来た来た」


 そこにいたのは、マーブラとキャンディ、そしてファミラナだった。マーブラは怠そうに言うと、カンテラを持ち上げてレグルスを照らす。


「双子ってお前らか。アルヘナとワサトは?」


「大賢人は目立つからって、僕らが呼ばれたんだよ」


「あのね、ここから逃げなさいって」


 マーブラとキャンディは早口に言う。その後ろで、ファミラナは縮こまっていた。


「君も来たのか……」


 梯子が軋む音とともに、レオナルドの声がした。彼は登山用のリュックサックを手に、地下へ降りてきた。ファミラナを見つめ、苦い顔をする。


「僕らを逃がすなんて、どういうつもりですか?この荷物も、何なんです?」


 マーブラがレオナルドに問いかける。敬語ではあるが、不信感を隠さない。

 彼の足元には、登山用のリュックサックが三人分用意されていたからだ。その内1つは、マーブラが中身を確認したらしい。荷物が辺りに散らばっている。

 星屑が詰め込まれたカンテラとライター。携帯食品。ピッケルと、見たことが無い棘がついた装備。服が三着に、三組ずつ用意された厚手の手袋と靴下。ニットでできた帽子。


「こんな荷物、何に使うんですか?」


 キャンディも荷物を見て不安を感じたらしい。怖々とレオナルドに問いかける。


「つか、これ何? どこにつけるんだ?」


 レグルスは棘の装備を持ち上げる。自身の足より一回り大きなそれが2つ。足につけるのだろうか。


「それはアイゼン。滑り止めだ」


「滑り止め?」


 レオナルドは片手で、座るよう指示を出す。子供達4人はその場に腰を降ろした。


「まず、マーブラ、キャンディ、すまない。無理に呼び出して」


 レオナルドは頭を下げる。しかしマーブラは気にしていないようで首を振った。


「僕は、キャンディちゃんと逃げられるならありがたいです。いつでも術は解けますけど、レオナルドさんの助けがなければ、狼の目を盗むなんてできませんでしたし」


「首輪の解除も、レオナルドさんがいたからできましたし」


 レグルスは双子の首を見る。2人には首輪がついていない。


「え、解除したのか?」


「狼は、光で作った首輪を追跡する。でもそれは奴らの輝術だから。僕らなら解除できちゃうんだよね。まあ、監視があったから今まで無理だったけど」


 レグルスはファミラナにも目を向けた。彼女も首輪をしていない。


「あの、私がファミラナちゃんを連れて来ちゃったんです」


 キャンディは言う。ファミラナの首輪も、双子が解除したということなのだろう。


「しかしなあ……いや、まあいい」


 レオナルドは頭を振った。


「時間がないから手短に言う。

 先日の騒動でわかっただろう。乙女のエウレカ。彼女は敵だ」


「敵って、誰目線ですか」


「君は一言多いな……

 エウレカは、カオスを呼ぼうとしている。カオスとは、闇そのもの。言い伝えにある、光と闇の均衡が崩れた世界のことだ」


 説明を聞いても、双子はそれを信じることができない。


「いや、意味わかんないんですけど」


「乙女が絶えると、均衡が崩れるんでしょう? スピカちゃんが継いだから、冬は免れてるんじゃないんですか?」


 双子は口々に問いかける。


「冬とは違う。いや、そもそも冬とは、カオスを免れるためのシステムらしいんだ。

 レグルス、あれは持ってきたか?」


「ああ」


 レグルスはポケットから手記を取り出す。捩じ込んでしまったために、傷んだ紙はボロボロと崩れてしまう。


「大切に扱え」


「急いでたんだ。仕方ないだろ」


 レグルスは、該当のページを開いてマーブラに渡す。3枚の写真はキャンディに。それらを見た双子は、首を捻っていた。


「信じられない」


「アルニヤトのことは知っていましたが……フェイク、じゃないんですよね」


 そう言う2人に対して、ファミラナが声をあげた。


「でも、この前のスピカちゃんの術……あれは?」


 あの術以降、乙女の宮の継承の間は、輝きが失せ真っ黒に塗りつぶされてしまった。インクの黒さとは違う完全なる黒を思い出すと、手記と写真がフェイクとは言いきれない。


「レグルスには言ったな。牡羊が冬について語っていたと」


 レオナルドは片膝を立てた姿勢から胡座に直す。地べたに座った状態であれば、そちらの方が幾分か見栄えはマシだ。

 

「頼む。夢見の銀原ぎんばるまで着いてきてほしい。牡羊に冬の話を聞かなければならない」


 レオナルドは座ったままで頭を下げた。


「夢見の銀原ぎんばる? バカじゃないの?」


 マーブラは大声をあげた。真っ暗なトンネルの中、その声は木霊する。マーブラはすぐに口を閉じると、興奮を鎮めてから小声で問いかけた。


「氷の地ですよ。賢者だって近付かない」


「すまない」


 レオナルドはひたすらに頭を下げる。


「だからこんな重装備なんですか」


 マーブラは服を掴み持ち上げる。一枚は長袖の肌着、一枚は厚手のジャケット、もう一枚はフードがついたジャケットである。


「夢見の銀原ぎんばるって、牡羊が眠るに合わせて大地も眠るとされている土地ですよね」


 キャンディが確認するべく問いかける。


「大地が眠るから、光が乏しくなり冬が来る。牡羊が夢を見せる輝術を使うから、土地は眠り夢を見る。私はそう聞いています」


 ファミラナの説明に、レオナルドは首を振る。彼女の言うことには間違いがある。


「いや、そもそも、そこに立ち入るには双子のフルートが不可欠なんだ。牡羊が眠ると、土地だけでなくヒトも眠らせてしまう」


 双子は理解した。銀原ぎんばるは、牡羊の輝術によって眠らされた土地と聞く。つまりは、そこに立ち入れば、突然眠りに落ちてしまう恐れがある。


「だから僕らの輝術で、眠りを跳ね除けるというわけですか。無茶苦茶ですね」


 マーブラは吐き捨てるかのように言った。レグルスにも、事の深刻さは伝わったらしい。


「やべーんじゃねえのか、それ」


「だが、行かねば」


「エウレカをどうにかすりゃいいだろ」


 レオナルドはレグルスを睨んだ。


「お前は、あの子を殺せるか?」


 その声が持つ凄みに、レグルスの肩が跳ねる。あの子とは、つまりそういうことだ。


「スピカを殺すとか、できるわけねえだろ」


「なら、他の方法を探すしかない」


 ファミラナがレオナルドに問いかける。


「でも、その手記通りであれば、カオスを止めることは冬を肯定するということですよね……ごめんなさい。レオナルド様を否定しているわけではないのですが……」


 レオナルドはファミラナを睨みつける。


「君は、タラゼドの部下だったか」


「あ、はい……うう……すみません……」


 レオナルドはレグルスを手招きする。レグルスはレオナルドに耳を近づけた。


「彼女とは関わるな」


 思いがけない言葉に、レグルスは目を丸くする。


「タラゼドは鷲の賢者、アルデバランの部下だ。その部下となると、信用ができない」


 レグルスは、呆気にとられる。しかし、言われた言葉を理解すると、ふつふつと怒りが湧くのを感じた。

 ファミラナは友人だ。いつだって自分やスピカ、アヴィオールを心配してきた。親の勝手な思い込みで、友人を捨てるなどしたくない。


「ふざけんなよ」


 大声を出したいが、それは控えた。だが、皆にもはっきり聞こえるくらいの、しっかりとした声だ。


「親父が決めることじゃないだろ。

 俺はファミラナを信用してる。大切な仲間なんだよ。勝手なこと言うな」


 マーブラとキャンディは顔を見合わせる。レオナルドの小声は、双子やファミラナには聞こえなかったのだろう。何が起こったのか理解できていない表情だった。

 突然、頭上で物音が聞こえた。まるで、分厚い木の板に重たいものをぶつけるかのような。しかし、上手くいかないのか何度もその音が繰り返される。

 おそらく、書斎の扉を力任せに開けようと、誰かが体をぶつけているのだろう。


「悪い。僕のせいだ」


 マーブラが謝罪する。先程大声を出してしまったことを悔いているのだろう。


「まあ、想定内だ。だが、こうなったら私は残るしかないな……」


 レオナルドは舌打ちする。そして梯子に手をかけ足をかけ、子供達を振り返るとこう言った。


「君達は行かねばならない。行かないということは、どういうことかわかるな?レグルス」


 まるで脅しではないか。レグルスは歯ぎしりした。


「くそっ。行きゃいいんだろ、行きゃ」


「頼むぞ」


 レオナルドは急いで梯子を上がり、扉を閉じた。光は、カンテラの中の星屑のみ。

 マーブラとキャンディは、それぞれ用意されたリュックサックを背負う。


「何で僕がこんなこと……」


銀原ぎんばるかあ……行きたくないなあ……」


 双子は意気消沈しながらも使命感を抱いたらしい。友人が殺されるかもしれないと聞けば、行かないわけにはいかなかった。

 レグルスも、辺りに散らばった登山用品をかき集め、リュックサックを背負う。


「ファミラナ、お前はどうする?」


「私は……」


 ファミラナは目を泳がせた。


「お前は行かなくていい。そもそも、お前はタラゼドの使いで来たんだ。ここまで俺らに付き合うことはない」


「それは……レオナルド様に言われたから……?」


 ファミラナは問う。レオナルドの声は聞こえずとも、何を言われたかは理解しているようだった。


「確かに、代々鷲の賢者は牡牛の部下だけど、タラゼドお爺様は関係を絶っているはずで……だから、私……」


 必死に弁解するファミラナの頭を、レグルスは撫で回した。慰め方を知らない彼は、自分の思いだけを口にする。


「ファミラナは大事な友達だよ。だから、危ないかもしれないことに付き合わせるのが心配なだけだ」


 ファミラナは目をぱちくりさせ、次第に顔に笑みが灯る。


「ありがとう」


 ファミラナはそれだけ言うと、足元に転がっているリュックサックを手に取った。


「来てくれるのか?」


「邪魔じゃないかな?」


「んなわけねえだろ」


 レグルスは快活に笑うと、双子を駆け足に追いかける。


「マーブラ、キャンディ、先に俺の首輪解除してくれ」


 ファミラナはその後ろを歩いて着いて行った。

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