煌めく銀原と夢見の羊

煌めく銀原と夢見の羊

 どれだけの日数が経ったか、レグルスはカレンダーを見て指を折る。

 スピカが継承の儀を終え、アヴィオールとアルファルドがタルタロスに堕ちた。その後、スコーピウスからの命令で、宮殿内に軟禁。大人達は仕事のために外出が許されるが、子供達は一歩も外に出られない状況である。


「だー! 腹立つ!」


 胸の内に巣食っている不安感を振り払うべく、叫んでベッドに倒れ込んだ。仰向けの状態でため息を吐く。

 獅子の宮の自室。普段寮暮らしであるために、部屋は綺麗なものだった。古びた勉強机には、教科書どころか埃すらない。


「どうしてこうなったんだか」


 レグルスは勉強机の引き出し、数段ある内の一段目を見つめる。そこに、父から預かっている古い手記が入れられている。鍵をかけているために、メイドも使用人も手がつけられないようで、手記は捨てられることなく保管されていた。

 ふとスピカの様子を思い出した。彼女は自身をエウレカと称して、乙女の輝術を使用した。事件の後訊いてみると、『みんなに幸せをあげる術』と可愛らしく表現していた。


「何が『幸せをあげる』だ」


 あれはドラッグに近い。無理矢理多幸感を引き出し、人を混乱に陥れる術だと、レグルスは考えた。


「失礼しまーす」


 扉をノックする音が聞こえ、レグルスは起き上がる。見れば、スピカ、否、エウレカが扉を開けて顔を覗かせていた。


「なんだよ」


 レグルスは警戒し、ぶっきらぼうに言う。彼女の存在によって、宮殿内部は崩壊させられたのだ。警戒するのも当然と言えよう。しかし、エウレカは構わず中に入る。


「紹介しておこうかなって思って」


「誰を」


「狼の賢者がやっと顔出してきたから」


 エウレカは扉の外に居るであろう誰かに声をかける。何やら揉めているらしく、刺々しい言葉が飛び交っていた。しかし内容までは聞き取れず、レグルスは訝しむ。

 2分程の言い争いの後、やっとその人は顔を出した。シルバーの短髪と瞳を持ったワーウルフ。女性なのだろうが、かなりスレンダーで凹凸がない体つき。


「リュカちゃんだよ。仲良くしてあげてね」


 エウレカはニコニコとしているが、それは作り笑いのようだ。彼女の目はリュカと紹介した女性を睨み付けている。


「アルデバランに取り入ろうとして失敗してるダッサい女なの。まあ力はあるから、逆らわないでね」


「貴様……」


「あら、本当のことじゃない?」


 再び言い争いを始めるエウレカとリュカを見て、レグルスは呆れた。それと同時に、物悲しさを感じる。

 スピカであれば、他人の悪口を簡単に口に出すことはしないはずだ。クラスメイトとして近くで見てきたからこそ、今の彼女が確かに別人格だと理解できた。


「やっぱりスピカじゃないんだな」


 ぽつりと呟いた言葉を、エウレカは聞き逃さなかった。


「お生憎様。私はエウレカよ」


 しかし、その言葉もにわかには信じられない。エウレカと言えば、初代乙女として竜と戦ったと言い伝えられている。それは、ヒトを救うためであったはずだ。

 何故、世界を滅ぼそう等と言ったのか。どうしてこんなにも性格が歪んでいるのか。


「なあ、お前は何なんだ?」


 レグルスは問いかける。エウレカは、顎に人差し指をくっつける可愛子ぶったポーズで、考えるフリをした。


「私はねー、この世界を呪う妖精なの」


 クスクスと笑って、レグルスに続けて問いかける。


「ねえ、いいもの見せてあげようか?」


 エウレカの申し出を、レグルスは警戒する。彼女の言うことは信用できない。いいものであるわけがないと確信した。


「やだなあ、別に、何か危ないものを見せようとかいうわけじゃないの。むしろ、大賢人のほぼ全員は知ってるのよ?」


 エウレカは有無を言わせない態度でレグルスの手首を握る。レグルスは体を跳ねさせた。


「あはは。怯えてるの?」


「ちげーよ」


「じゃあ着いてこれるわね。リュカ、あんたはもう下がっていいわよ」


 リュカと呼ばれたワーウルフは、どうやら悪態をついたらしい。しかしあまりに小さい声はレグルスには聞き取れず、しかし聞き返す勇気もなく、彼女を無視した。リュカは早足でホールへと向かっていく。

 エウレカはレグルスの手を引いて歩き出した。レグルスはされるままついて行きながら問いかける。


「何を見せようって言うんだ」


 その問にエウレカは笑う。天真爛漫てんしんらんまんな笑顔はスピカのそれと似ていて、中身は別物だと理解しても戸惑ってしまう。


「乙女の宮の、継承の間。輝術なんて初めて使うから、なかなか上手くできなくて」


 エウレカは照れ臭そうに顔を赤らめた。


「お前、初代乙女だろ」


「初代乙女は賢者じゃないって、学校で教わらなかった?」


「ああ、言ってたかも……」


 エウレカに手を乱暴に引かれ、獅子の宮の庭まで出てくる。そこには馬車の迎えが来ており、アルデバランが馬車の側で待っていた。


「この島広いわよねー。乙女の宮から出れなくて実感なかったけど、歩けるようになったらこの広さが煩わしいわ」


 エウレカはレグルスから手を離し、馬車に近付く。アルデバランは彼女に手を差し出し、馬車に乗る手伝いをした。


「あんたも早く乗りなさい」


 エウレカの楽しげな声に、レグルスは急かされる。

 アルデバランが乗り込み、レグルスが乗り込むと、御者は馬の尻を軽く叩く。馬はゆっくりと歩き出し、遊歩道まで出ると駆け足をし始めた。

 レグルスは、エウレカと対面し座っていた。彼女の隣にはアルデバランがいる。スピカの父親である彼は、まるでエウレカに仕える執事のように、今の状況を受け入れ、補佐をしている。


「あんたは、こうなることわかってたのか?」


 レグルスはアルデバランに疑問を投げかけた。それは愚問であったようで、アルデバランはクツクツと笑う。


「当たり前だ。私はずっとエウレカを待っていたんだから」


「そのために娘を差し出したのか」


「元より、スピカの体はエウレカのものだ」


 レグルスは不快を隠さず顔を歪めた。


「何だよそれ。気持ちわり」


 そして、気になっていたことを問いかける。


「あんたが言ったから、俺は獅子の導書を持ち出した。スピカに渡ると確信があったからか? タラゼド爺さんと繋がってたのか?」


 アルデバランは目を瞬かせる。


「最近の子供は頭が回るな。

 半分は正解。半分は間違い。スピカの手に渡る確信はあったが、タラゼドが宮殿を案内するかは賭けだった。随分昔から、関係を絶っていたからな。こちらの思惑通り動く保証はなかった」


 エウレカは馬車の外を見つめている。外の景色が珍しいのだろう。話の邪魔をせず、黙っていた。

 レグルスは、最も心配していた質問をする。


「スピカはどうなるんだ? もういないのか?

 アヴィと、スピカの親父さんも。2人はどうなった? 本当にタルタロスに堕とされたのか?

 三人とも、もう帰ってこないのか?」


 アルデバランが口を開く。

 しかし、返事をしたのはエウレカの方だった。


「スピカちゃんは眠ってるわよ」


 レグルスはエウレカに顔を向ける。


「帰って来れるのか?」


「さあ?」


 エウレカは外を見ながら、間延びした声でレグルスの疑問に答える。


「乙女の一族にかけられた呪いは、魂を剥がす呪いだから。あれだけの光を受けて、無事で魂が戻ってくるとは考えにくいんじゃないかしら? 何より、私がこの体を使ってるし」


「魂を剥がすって、どういうことだよ」


 その呪いと呼ばれるものについては想像がついた。しかし、確かめたくて問いかける。エウレカはレグルスに顔を向けると、快く答えた。


「昔ね、私の友達が、乙女の一族にかけてくれた呪いなの。星の光を受けると、魂が剥がれていく呪い。

 目眩から始まって、嘔吐、意識の混濁、身体中に走る激痛。体から魂が剥がれる時って、体にかなり負荷がかかっちゃうんだって。可哀想ね」


「その呪いによって空いた体に、お前が入り込むって寸法か」


「大正解! えてるじゃない」


 吐き気がした。スピカは、輝術の光にさらされる度に、魂を引き剥がされていたのだ。そして、継承の儀で特例を使ったのも、それが狙い。そして見事に、体を乗っ取られてしまった。


「ただね、辛うじてまだスピカちゃん剥がれきってないのよ。だから、私の目的が済んだら、体を返してあげてもいいかなーって思ってるのよ」


 悪戯っぽくウインクするエウレカに対して、レグルスは怒りを抱いていた。笑って言うセリフではないだろうと。しかし。


「何を考えているかは知らんが、その首輪がある内は変なことを考えないように」


 アルデバランがレグルスに釘を刺す。

 レグルスは舌打ちをして、自分の首に取り付けられた首輪を掴む。

 輝術でできたそれは、狼の賢者の術であった。狼は、一度捕まえた獲物に印をつけ、獲物が逃げた際には印を追うことができると言う。アルデバランから数日前に受けた説明だ。ワーウルフからつけられたことを思い出すと、それが嘘だとは思えなかった。

 そのために、エウレカを怒鳴りつけることさえできない。彼女の機嫌を損ねたら、狼から何をされるかわからない。


「もう一つ、聞きたいことがあったんじゃないの?」


 エウレカに言われ、レグルスは頷く。


「タルタロスに堕ちたアヴィ達は、もう戻って来れないのか?」


「ふっ……あははっ」


 エウレカはさも面白そうに笑う。レグルスはカッとしてエウレカを睨みつけた。


「あら、ごめんなさい。スピカちゃんの記憶を覗き見したら、あなたアヴィオールくんと仲悪いみたいじゃない。心配してるのがおかしくて」


「いいから答えろ」


「あら怖い」


 エウレカは少し考え、話し始める。


「タルタロスは冥府の底よ。這い上がるなんて、とても無理。

 体ごと持っていかれたなら、体を代償に魂だけは戻って来れるかもね。でも、そんなことできるのは魔女くらいだし、魂だけ戻ってきたところで、できることは何も無い。

 帰還の可能性は絶望的よ。諦めなさい」


 レグルスは「くそっ」と悪態をつき、自身の膝を拳で叩く。想定していた答えではあるが、改めて無理だと言われると悔しかった。

 同時に疑問が湧き起こる。エウレカは古代のヒトだ。随分昔に死んでしまっているはずだ。何故亡霊として現世に留まっているのか。


「あんたは何なんだ」


 レグルスは問う。


「あんたも魂の状態でここにいるじゃんか。あんた、さっき言ってた魔女なのか?」


 エウレカはまたも声に出して笑う。


「あははっ。違うわよ。私の友達が魔女だったの」


 それ以上の答えはない。お喋りはおしまいとでも言うように、エウレカはレグルスから視線を逸らし、窓の外を見る。アルデバランは腕組みをして、無言でレグルスを見つめる。

 居心地の悪い馬車に暫く揺られ、着いたのは乙女の宮であった。果樹園を通り抜けた先、庭の中央で馬車が停まる。


「ほら、見て」


 エウレカがレグルスに声をかける。レグルスは目を疑った。

 寂しげながらも煌びやかであった乙女の宮は、今や黒と化していた。真白の外壁は、装飾があったことすらわからないくらいに、黒一色に塗りつぶされている。


「なんだ、これ」


 空いた口が塞がらない。レグルスの表情にエウレカは気分を良くして、彼の手をぐいと引っ張る。


「中の方が凄いから。ほらほら」


 引かれるままに、乙女の宮へと入る。

 内部は外壁と違い、まだ色が残っていた。しかし、壁や装飾、家具などが、斑に黒へと染まっている。カビが侵食するかのように、点々と。


「面白いでしょ。この世界って、光がなくなると黒くなるのよ」


 エウレカはレグルスから手を離し、その場でくるりくるりと何度か回る。一瞬、彼女の足元に麦の幻が見えたが、それはすぐに灰となる。その灰が地面に落ちると、そこから黒が広がった。

 レグルスはゾッとした。


「乙女の術って、多幸感をもたらすものじゃなかったのかよ」


 震える声で問いかける。


「それで合ってるわよ」


「じゃあ、何だよこれ」


 エウレカは説明を始めた。


「これがカオス。

 あなたは、レオナルドの息子だから知ってるでしょ? 冬が来ない世界は、世界の輝きを食い潰すことでしか生きられない。それはいつか限りが来て、食い潰したところからカオスが始まるって。

 だから、光を利用する輝術なら、無理矢理カオスを早めることもできるって」


 レグルスは首を振る。そんなことは、父であるレオナルドから教えられていない。ただ、光には限りがある資源とだけ教わった。

 エウレカは、目を逸らして「あー……」と声を漏らす。


「知らなかったんだ。余計なこと言っちゃったかも……」


 しかしすぐに気を取り直し、再びレグルスの手を引っ張る。彼を連れて階段を上がり、継承の間へと案内した。

 レグルスは、驚きと恐怖から、瞳を震わせた。


「すごいでしょー」


 美しかった継承の間は、真っ黒になってしまっていた。天井も、床も壁も、あるのかさえわからない程の純粋な黒。装飾と内壁との境目さえ、肉眼では判別できない。


「中、入ってみる?」


 エウレカに問われるが、レグルスは弱々しく首を振った。思わず後ずさりする。


「あらら。怖かったね。ごめんなさいね?」


 レグルスはその場にうずくまる。完全な黒に対し、抱いた感情は恐怖。見るのが辛い程の絶望。


「帰りましょうか。送ってあげるわ」


 エウレカに介抱されながら、レグルスは階段を降りる。情けなさを感じながらも、従うことしかできなかった。

 乙女の宮を出て、馬車に乗り込む。エウレカも乗り込もうと足をかけるが、アルデバランに止められる。


「エウレカ、そいつの世話は監視者に任せておくといい」


 エウレカは「それもそうね」と呟いた。アルデバランは口笛を吹く。

 その瞬間、何処からともなくワーウルフの大柄な男性が現れた。跪く彼に対し、アルデバランは指示を出す。


「レグルスを送ってやってくれ」


「了解した」


 レグルスはそれを聞きながら、馬車の中で頭を抱えていた。

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