迷光より出づ(4)

 乙女の宮、その二階。広間は今や煌びやかな装飾で光り輝いている。

 星を模したキャンドルが、乙女座の形を象るように並べられ、そのいずれも炎とは違う淡い光を纏っている。そのキャンドルを結ぶように、床には水晶が並べられ、光を反射して煌めいていた。

 その光は、輝術と同じく星の光であるようで、スピカは立ちくらみをして足元がふらついた。視界がぼけて、辺りがよく見えない。


「柘榴水、ありませんか?」


 スピカがメイドに問いかける。しかし、メイドではなくアルデバランが「少しだけ我慢してくれ」とにこやかに言う。

 スピカは深呼吸した。幾分かこの淡い光にも慣れてきて、広間を見回す余裕ができた。

 

 双魚の賢者であるロディとアモル。

 双子の賢者であるアルヘナとワサト。

 次期双子の賢者であるキャンディとマーブラ。

 天秤の賢者であるブラキウム。

 水瓶の賢者であるネクタル。

 蟹の賢者であるアンナ。

 射手の賢者であるキロン。


 自分達の他にも、大勢が乙女の宮に詰め掛けていた。だが、これでも全員ではない。

 サビクやレオナルドがいないことを不思議に思い、アヴィオールがいないことを心細く感じた。


「ディクテオン様」


 執事の一人が、アルデバランに近寄り耳打ちする。アルデバランは舌打ちし、執事に指示を出した。


「あいつらを呼べ。次はヘマをするなと伝えろ」


 執事はうやうやしく頭を下げ、広間から出て行く。スピカはアルデバランを見上げるが、彼は首を振って囁いた。


「心配しなくていい」


 スピカは頷いた。今は目の前のことに集中するべきだ。

 星の光が降り注ぐ広間を、スピカは歩く。一歩進むごとに、床に落ちた光の粒が舞い上がり、それを浴びて冷や汗がにじむ。今すぐにでも引き返したいが、それを我慢した。

 

「大丈夫?」


 キャンディはおずおずと声をかける。周りの大人達はそれをたしなめるが、スピカは声掛けが嬉しくてキャンディに笑いかけた。


「無理はしないように」


 マーブラも声をかける。スピカは頷く。

 広間の中央に立つと、たまらずその場に屈み込んだ。えずきそうになるのを、浅い呼吸を繰り返して押し留める。キャンディは駆け寄りそうになるが、ワサトが肩を掴んで止めていた。

 アルデバランがスピカに近付く。彼女の正面に立つと、光り輝く本を開いた。乙女の導書であり、継承の儀には欠かせない神具。それは光りながら、アルデバランの胸元でふわりと浮かんでいる。


「春待ちの賢者、乙女の意志を継ぎし者よ。今その身に光を降ろさん」


 上空から、光の粒が降りてくる。それはスピカの頭に、肩に降り積もり、体の中へ吸い込まれるかのように消えていく。

 途端にずしんと体が重くなった。動けない。床に両手をつき、呼吸するのがやっとだ。


「やめろ!」


 突然激しい音がして、広間の扉が開けられた。スピカは顔を扉へ向ける。


「え?」


 スピカは目を見開いた。

 そこにいたのは、拳銃を持ったアルファルドと、彼に捕らわれているアヴィオールだった。


「乙女を継承させるな。今すぐ中止しろ」


 アルファルドはアヴィオールに拳銃を向ける。アヴィオールは抵抗することなく、項垂れて顔を隠している。

 広間中がざわつく。アルヘナとワサトは、それぞれマーブラとキャンディを背中に隠す。アモルはロディを庇うように立ち、他はそれぞれ身構えた。


「なんだこれは」


 アルデバランは忌々しげに呟く。その間にも、スピカの体には、光が降り積もり消えていく。


「バラン、エルアが言っていたことを忘れたのか。それとも、くだらないと切り捨てたのか。

 スピカにエウレカが入り込むことになったら、取り返しがつかなくなるぞ!」


 スピカは、言われた意味が分からず困惑する。


「頼む、やめてくれ」


 アルファルドの悲痛な声からは、彼がそう信じていることは理解できた。


「エウレカ?」


「何故その名が出てくる?」


「何をしに来た?」


 賢者達は疑問を口々に呟く。広間中が動揺に埋め尽くされる。そのざわつきの中、アルファルドは進み出てスピカに近付く。


「スピカ、やめよう。こんな儀式。お前が苦しむだけだ」


 アヴィオールは引き摺られるかのように、アルファルドについて行く。


「アヴィは……?」


「心配はいらん。大丈夫だ」


 そこに、小さな影がどこからともなく躍り出た。スピカとアルデバランの間に立ち塞がる。


「どういうことだ?」


 アルファルドは呟いた。

 ファミラナは長棍ちょうこんを両手に構え、アルデバランと対峙した。アルデバランは苛立ちを見せる。


「何のつもりだ」


 ファミラナは答えない。代わりに、スピカの頭の中に、ファミラナの声が響く。


『スピカちゃん、大丈夫?

 レグルス君が、アルファルドさんについて行けって。立てる?』


 ファミラナは味方なのだろうと、スピカは安心した。だが、ファミラナの伝達は輝術に違いなく、スピカの体には更に負荷がかかる。返事ができず、スピカはえずいた。


「げほっ、かふっ」


 喉の異物感にスピカは咳き込んだ。ぱたぱたと、鮮血が床に滲む。スピカは震えた。吐血している。


「邪魔だ。どちらも消えろ」


 アルデバランは呟いた。スピカは見上げる。

 彼の顔は憎悪で歪んでいた。その手には光が集まり、そして弾けた。その音にファミラナは驚いて目を丸め、アルファルドは息を飲む。


神成かみなりの賢者。我が名はアルデバラン・ディクテオン。その名の元に、落ちよ、霹靂へきれき


 広間の天井に、どす黒い雲が現れる。それはガラスの空を覆い隠し、稲光を纏わせる。

 一瞬、辺りが眩い光に覆い尽くされた。同時に耳が割れるかのような破裂音。スピカはきつく目を閉じた。

 おそらく先の輝術は、アルファルドに向けて撃ったものだ。雷をまともに受けて平気なはずがない。


「アヴィ……アルフ……」


 スピカは弱々しく声を絞り出す。

 その声に答えたのは、どちらの声でもなかった。


「ようやく本性見せやがったな」


 光が散ったそこには、獅子のマントを翻すレオナルドが立っていた。彼は、ファミラナとアルファルド、アヴィオールを守るように、アルデバランに立ち塞がる。アルファルドの後ろにはマントを翻すレグルスの姿があった。


「……脱獄を手伝ったのはお前か、レオナルド!」


 アルデバランが吼える。レオナルドはそれを睨み付けた。まるで憐れむような目で。


「エルアの頼みなんだ。スピカに乙女を継がせるなってな」


「成程。エルアは気が多かったと見える」


「はっ。んなわけねえよ。エルアは最初から、アルファルドしか見てなかった。

 それがわかってるから、お前はアルファルドを消すつもりなんだろ。お前の計画には、こいつが邪魔だから」


 レオナルドとアルデバランは睨み合う。張り詰めた緊張のせいで、互いに隙がない。


「やけにうるさいと思えば。何をやっているんだい」


 スコーピウスの声が聞こえ、レオナルドは振り返る。広間の重い扉を開けて、スコーピウスが中へと入ってきたのである。それを見たその瞬間。


「落ちよ」


 再び、アルデバランの声がした。

 頭上の雷雲から、再び稲妻が落ちる。油断をしていたレオナルドは、一瞬判断が遅れた。


「船導きし賢者、我が名はアヴィオール・リブレ。

 声に答えよ、白き導き手よ!」


 アヴィオールが高らかに声を上げる。彼が上空に突き出した手から、一羽の白鳩が飛び立った。それは稲妻にぶつかり、雷雲を突き破る。そして光の粒子となって双方消え去った。


「ちょ、お前は人質だろうが」


「まずは感謝しろよ」


 思わず叫ぶレグルスに、アヴィオールは言い返す。

 その会話で、アルデバランもスコーピウスも理解した。脱獄は仕組まれたこと。獅子と彼らはグルだったということに。


「全く、手こずらせてくれるね。

 でも、時間稼ぎはできたようだね。アルデバラン君?」


 アヴィオールはハッとした。


「スピカ!」


 スピカに降り積もる光の粒は、吸収しきれず彼女の姿を覆い隠している。今すぐにでも駆け寄りたいが、アルデバランがスピカの前に立ち塞がっていた。


「ちょっと、アルデバラン。その子まずいんじゃないの?」


 ロディが声を上げる。


「血、吐いてんのよ。ねえ、見えてないの?」


 アルデバランはそれを無視する。

 スピカは実父の背中をぼんやりと見上げていた。やはり彼は自分を助けてはくれないようだ。わかっていたことだったが、目の当たりにすると寂しさに胸が抉られるようだった。


「ぐっ……」


 突然、感じた体の痛みに、うめき声を上げる。


「スピカ!」


 アヴィオールの声が遠くに聞こえる。


「スピカちゃん、しっかりして!」


 ファミラナの叫ぶような声が聞こえる。同時に耐え難い寒気と頭痛が襲ってきた。


「やはり、乙女に特例は上手くいかないのではないのか? やめた方が……」


 双子の賢者の内、アルヘナが声をかける。それを皮切りに、賢者達は次々に声をあげた。


「何も今全てを継承しなくてもいいだろう」


「やはり慣例通り、五年先を見通した継承を」


「とにかく、早く絆結びを使いなさい」


 そのどれも、スピカの耳に入ってはすぐに抜けていく。頭に入らない。

 そうしている内にも、体の痛みは強くなる。腹が内側から押し出されねじ切られるかのような鈍痛。手足も痛み、自分でもわかるほどにヒヤリと冷たくなっていく。

 たまらずその場にくず折れて、腹を抱え悶絶する。痛みに喘ぐ声は叫びにはならず、口の中でくぐもっている。

 気絶できたら良かったのだろうに、身体中の痛みのせいで、意識を手放せなかった。


「誰か、どうにかしてください! 見てられません!」


 キャンディが叫んだ。震える声は涙に濡れていた。


「まあ、死にはしないさ。大丈夫」


 それに対して返事をしたのは、スコーピウスであった。皆、彼を見つめる。


「そうだね。アルデバラン君」


 スコーピウスは笑みを浮かべている。待ち望んでいたおやつを与えられた子供のような、満面の笑みだった。


「何が大丈夫だよ」


 アヴィオールは声を絞り出す。


「苦しんでる女の子を目の前にして、何が大丈夫だ。あんたら頭おかしいよ!」


 アヴィオールは駆け出した。


霹靂へきれきよ」


「白鳩よ!」


 アルデバランがその手から雷を放つや否や、アヴィオールは片手を突き出した。白鳩が雷を霧散させ、アルデバランの肩に突進する。質量を持たないながらも光は衝撃を放ち、アルデバランの体は僅かによろめいた。

 アヴィオールはアルデバランを突き飛ばす。彼は後ろに倒れ、腰に感じる痛みに苦悶する。


「スピカ! スピカ!」


 アヴィオールは必死に光の粒を払い除け、スピカの体を掘り起こす。現れたスピカの顔は青いどころか真っ白。目は虚ろで何も見ていなかった。


「スピカ。帰ろう。ダクティロスに。で、学校行って、カペラやレグルスとたわい無い話をして。

 ねえ、死なないで。お願い」


 涙ながらに懇願こんがんするアヴィオールをぼんやり見ながら、スピカはエウレカに話しかける。


『エウレカ。助けて。お願い』


 言葉にできず、ただ思うだけのそれに、エウレカは答えた。


『どうして?』


『痛いの。お願い、助けて』


 ただひたすら願う。しかし。


『私が存在するためには、あなたは邪魔なのよ』


 エウレカの声は、今までに聞いたことがない、冷たさを孕んだものだった。


『馬鹿ね。騙されて、言いくるめられて、すっかり私を信じ込んで。あなたは私の器でしかない。器を助ける義理はないわ』


 スピカは困惑する。エウレカは一体何を言っているのか。


『アルデバランが用意したこと全て、あなたを消すためのものだったのよ。お生憎様。

 さあ、さっさと私に体を差し出しなさい』


 視界が霞む。黒く塗りつぶされていく。


「スピカ? スピカ!」


 アヴィオールの声が遠く小さくなっていく。泥濘ぬかるみに沈んでいくかのように、スピカの意識は薄まっていく。

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