観測できぬテラヘルツ(5)

 地下牢には、一人のケンタウルスがいた。彼はおそらく少年らしい。チュニックを着て、スカートのような腰巻きをした彼は、アルファルドに声をかけている。


「おじさん、乙女を殺したってほんと?」


 アルファルドは、ベッドに横になったまま反応しない。鉄格子側からは背中しか見えない。


「明日、僕が処刑人なわけだけどさ。タルタロスに追放されるなんて、おじさんもしかして死なないの?」


 なおも無視をするアルファルドに、ケンタウルスの少年は頬を膨らませる。


「番人の賢者である僕を無視だなんて、ちょっと酷いんじゃない?」


「キロン」


 不意に名を呼ばれ、キロンと呼ばれたケンタウルスは入口に目を向ける。


「あ、レオナルドさんだ」


 キロンの言葉に、アルファルドは顔を上げる。レオナルドの顔を見ると、アルファルドは体を起こした。


「スコーピウスから聞いた。お前が処刑人か」


「うんー。おじさん、死ねないからタルタロス送りだってさ」


「ああ、それも聞いている」


「あっそ」


 キロンは、レオナルドの後ろにいるレグルスを見た。彼はキロンを睨みつけ、怒りを顕にしている。

 キロンはわざとらしくため息をつき、レグルスと向かい合った。


「キロン、お前は平気なのかよ。ヒト一人殺すんだぞ」


「それが僕ら、射手の仕事。僕らだって好き好んでやってるわけじゃない」


 キロンの言葉はもっともだろう。しかし、レグルスは納得できなかった。


「でも」


「レグルス、もういい」


 アルファルドが声を上げる。怒りとも悲しみともつかない、その痛々しい声に、レグルスは口を閉ざす。キロンはふいっとそっぽを向くと、階段を上がっていく。

 アルファルドは起き上がりレオナルドを見上げた。ベッドに座ったアルファルドは、随分やつれているように見える。


「頼む。スピカを逃がしてくれ」


 アルファルドは弱々しく言葉を発した。だが、レオナルドはアルファルドを見下ろすだけ。


「クリスのとこに送ってやってくれたらいい。スピカは賢いから、あとは自分でやって行けるはずだ。だから」


「あの時私は言ったはずだ」


 レオナルドは言う。


「こうなることを懸念して、十四年前に言ったはずだ」


「自分はエルアから託されたんだ」


「……全く……」


 レオナルドはため息をつく。

 しかし、言い合いをするつもりはない。そのために来たわけではない。


「アルファルド、逃げたくないか」


 アルファルドは、レオナルドの問いかけに眉を寄せる。


「子供一人人質にすりゃいい。大賢人の息子なら、あいつらも手を出せん」


 レグルスはレオナルドを見上げる。


「は? 親父、何言ってんだよ」


「どうせ死刑だ。罪を重ねたとこで変わらん」


「いやいやいや、俺を使うなよ」


「頼む、レグルス」


 レオナルドはレグルスを見下ろした。その顔は真剣だ。


「アルファルドをここで死なすわけにはいかない。エルアの日記を隠したのはこいつだ。場所を聞き出さないと」


 アルファルドは額に手をあてる。考え込んでいるのだろう。


「あの中には暗号が記されていたはずだ」


 アルファルドはゆっくりと口を開く。


「ああ、暗号だった。だが、幾重にも暗号が掛けられていて解けなかった」


「解き方は私が知っている」


 アルファルドはレオナルドを見る。暫く睨み合っていた。ややあって、アルファルドは首を振る。


「自分の処刑で、スピカから目が外れるだろう。その間に宮殿から逃がしてやってくれ。スピカにはあんたを頼るように言っておいた」


「それでいいのか?」


 アルファルドは目を伏せ自嘲する。


「いいさ。今の自分がスピカのためにできることは、それくらいしかない」


 次の瞬間、バタバタと足音が階段から聞こえてきた。転がるようにして地下牢に人影が駆け下りてくる。


「いだっ」


 階段から足を踏み外したその人影は、脛や肩をぶつけながら床に落ちた。アヴィオールだ。


「アヴィ、何やってんだ」


 レグルスが声をかけ、手を差し出す。だが、アヴィオールはそれが見えないくらいに慌てていた。


「スピカが……」


 走ってきたのだろう。息は絶え絶えだ。何度か呼吸を繰り返し、落ち着きを待たずに声を吐き出す。


「スピカが継承の儀をするって!」


 その場の誰もが目を見開いた。


「アルフの処刑をやめさせるために、乙女を今すぐ継ぐことを選んだんだ。特例も受け入れたって。

 スピカが死んじゃう! ねえ、あいつを止めてよ!」


 アヴィオールは、おそらく止めに入ったのだろう。乱れた襟周りと赤く腫れた頬を見れば、誰かと揉み合ったことは容易に想像できる。しかし助けを求めているということは、止めることができなかったのだろう。


「あいつは誰に対しても容赦がない。子供だろうと、自分の娘だろうと」


 レオナルドは、暗に「どうする?」とアルファルドに聞いている。アルファルドは青い顔をして、しかし覚悟を決め頷くと、レグルスを見据えた。


「何か策が?」


 アヴィオールは問いかける。立ち上がるアヴィオールに、レグルスは耳打ちした。それを聞くと、アヴィオールは自分の胸を指差す。


「その役、僕がやるよ」


「いやいや、何か攻撃受けたら巻き込まれるぞ」


「だからだよ。いざとなったら僕には白鳩がある。獅子と違って、輝術以外の攻撃にも対応ができる」


 アヴィオールはレオナルドの前に進み出た。


「僕を使ってください」


 レオナルドはアヴィオールを見据える。暫く顎を撫でながら考えて、頷いた。


「わかった。頼むよ、アヴィオール」


 アルファルドは、アヴィオールに向かって頭を下げる。


「すまない。巻き込んでしまって」


 しかしアヴィオールはニッと笑った。


「僕が勝手に巻き込まれてるんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る