観測できぬテラヘルツ(3)

 レグルスは、父親の書斎の前に立つ。軽く二回ノックして返事を待つ。


「入りなさい」


 書斎の中から父の声がし、レグルスは扉を開けた。

 書斎の中はやけに狭い。部屋自体は広いはずなのだが、古本が詰め込まれた本棚が四方を圧迫し、狭苦しい印象を与えている。

 足元には、うずたかく積まれた書類の束。そして、父親の趣味であるアンティーク品が並べられている。

 その部屋の中に、黒檀こくだんのデスクを挟むようにして、向かい合って座る二人の男性。奥に座っているのは、父親であるレオナルドだ。


「あ、ども……」


 レグルスは、手前に座っている男性に声をかける。彼、スコーピウスは、レグルスを振り返ると穏やかに微笑んだ。


「すまないね、邪魔して」


「いや、大丈夫です」


 レグルスは言うが、内心困ってしまった。今から父に問いただそうとする話は、内密にしたいものだった。


「海蛇はどうするつもりなんだ?」


 レオナルドはスコーピウスに問う。スコーピウスは暫し考え、おもむろに口を開く。


「タルタロス行きになるのではないかな」


「やはりそうか」


 ため息をつく。レオナルドはがっくりと肩を落とし、額に片手を当てて顔を隠す。


「仕方の無いことだ。彼は国を滅ぼそうとしたも同義。それより、何故君がそれを気にするんだい?」


「気にならないわけがないだろう」


「乙女嫌いの君が?」


 ぴたりと、時間が止まったかのような錯覚。レオナルドは息をすることさえ忘れたかのように、一切の動きが止まってしまう。


「なんだ、それ」


 後ろで見ていたレグルスは、ずかずかとスコーピウスに近付いて、デスクに両手をついてスコーピウスを覗き込む。


「スピカの親父さんがタルタロス行きってどういうことだよ!」


 スコーピウスは首を振る。


「息子にも教えていないだなんて。君の乙女嫌いの徹底ぶりはすさまじいね」


 なおも、レオナルドは声を出さない。ただ、何かをこらえているかのように、深い深呼吸が彼の口から漏れている。


「明日には処刑になるだろう。子供にはキツい。アヴィオール君とファミラナさんには、帰って貰った方がいいだろう」


「……ああ、そうだな」


 沈黙の後、レオナルドはそれだけ言った。

 スコーピウスは立ち上がり、スーツの襟を正す。そしてレグルスを見下ろすと


「失礼するよ」


 そう零して、書斎を後にした。

 スコーピウスの足音は、一定の間隔で廊下に響く。それは次第に遠くなり、やがて書斎に届かなくなる。

 レグルスは足音が完全に聞こえなくなったことを確認してから口を開く。


「どういうことだよ」


 レオナルドは手を下ろす。その顔は、怒りを顕にしていた。

 レグルスは父親の顔に少しばかり怯えるが、それが自分に向けられたものでないことは、レオナルドの言葉で理解できた。


「蠍野郎が……」


 すぐに表情を崩して息子に笑いかける。レグルスは、肘掛椅子を引き寄せてレオナルドに向かい合うようにして座る。


「お前が来た理由はわかる。スピカさんのことだろう」


 レグルスは頷いた。父には全て見抜かれていたようだった。


「親父、何で俺に乙女の賢者のこと黙ってたんだ。そんなに乙女の賢者が嫌いなのかよ」


 レオナルドは首を振る。そして立ち上がると、書斎の扉へと向かい、少しだけ開いて当たりを目視で確認する。使用人が通りかかると、小声で人払いするように指示を出す。


「すまんな。聞かれてはいけない内容なんだ」


 レオナルドは席に戻る。両肘をついて手を組むと、レグルスの両目を見つめて言った。


「お前には、冬の存在を否定して教えてきたな。あれは嘘だ」


 レグルスは首を反らして天井を見た。嘘だということには、薄々気付いていた。


「はー。やっぱりか」


「すまない」


「おかしいもんな。宮殿中バタバタしてるしよ」


 今までの教えを信じていただけに、レグルスは傷付いていた。自分の父親が、隠し事をする人だとは思っていなかった。しかし、大人の隠し事は何か厄介な理由があるのだということは理解している。レグルスは続けて、スピカへの心配を吐露とろする。


「スピカに乙女を継げ継げって。あいつ、継ぐ覚悟はできても、儀式への覚悟、できてないみたいだぞ」


 だが、続く言葉は意外なものだった。


「スピカさんは、乙女を継ぐべきではない」


「…………はあ?」


 レグルスは父に目線を戻す。


「いやいや、意味わかんねえ」


「いいか、よく聞け」


 レオナルドの声は低くなる。


「父さんは、牡羊のシェラタンから、何度も聞いていた。今の冬がない世界はおかしいと。星も眠らねば、いつか光が枯渇こかつすると。

 最初は嘘だと思った。しかしな、どうも真実らしい、この話は」


 レオナルドは、古く汚らしい手帳を一冊、引き出しから取り出しレグルスに手渡す。経年劣化が激しいそれは、端からボロボロと紙が崩れている。レグルスは顔をしかめながら親指と人差し指で摘むように受け取って、片手でページを開く。


「獅子の仕事が外交でよかった。これは、隣国で見つけたものだ」


 中に書かれている内容に、レグルスは目を疑った。最初は不潔だと思った手帳を、今はかじり付くように覗き込んでいる。


「誰がこれを書いたかはわからん。だが、この手記が正しいとすれば、冬はこの世界の生命維持システムと言っても過言じゃない」


 書かれている文字は崩された古語と何かの設計図らしく、レグルスにはほとんど読めない。しかし中には、現代の言葉に似たものもある。堅苦しい言い回しであったが、時間をかけて読みといていく。


「……定期的に冬をもたらし、闇の……なんちゃらを回避する?数千年の暗黒より、三ヶ月の銀原ぎんばるを……春の訪れと共に、緑が芽吹くために……

 はあ? 何だよ、これ」


「どうも、何かを作ろうとしたみたいだ。それが成功したのか失敗したのかはわからんが。

 おそらくは失敗じゃないか? この世界に、いまだ冬は来ていない」


 今見たものが、理解も信用もできず、レグルスは父に問いかける。


「でもよ、その設計図よりいい方法が乙女の存在なんじゃねえの? 冬なんて来てないしさ」


「これは、父さんの教育不足だな。すまない」


 更に寄越されたのは、三枚の写真。一枚は黒ずんだ麦と霜柱、一枚はアルニヤトの惨状。


「うわ……」


 最後の一枚は見慣れない土地。他国だろうか。海にぽつんと浮かぶ島の全てが真っ黒、陸地も海も、境目がわからない程に黒い。その島には木々はなく、陰影もない。


「何だよこれ。フェイク?」


「フェイクに見えるか?」


 写真の表面にインクを乗せず黒く塗りつぶす方法など、この世界のどこを探してもないだろう。レグルスはそれを事実と受け止めることしかできない。


「なあ、これ……みんな知ってんのか?」


「スコーピウスから口止めされている。国民の不安を煽るからと。表向きはな」


 レグルスは、ただ唖然とそれらを見ている。


「これの意味するところがわかるか?」


「冬が来ないから、数千年に一度のなんちゃらが近付いてる?」


「私は、そう考えている」


「いや、でも、これが冬なんじゃねえの? 知らねえけどさ」


「黒に飲み込まれても、三ヶ月後には元通りか?」


「…………」


 あまりに突拍子もない話だ。レグルスはひたすら首を振る。到底信じられるものではない。だが、これで理解した。


「親父が、あの時スピカの症状を聞いてはぐらかしたのって」


「宮殿から遠ざけようとしたからだ」


「あの後、アルデバランに相談したんだ」


「ああ。導書を持っていけとか言われたんだろ。だから、金庫からこっそり持ち出したのか」


「……すんません」


「で、牡牛の部下にあたる、鷲の賢者に会えと言われたか」


「そこまで根回ししてたのか、あいつ」


 レグルスはため息をつく。

 頭の中は、様々な考えが回っている。先程見せられた写真に設計図、父が語る冬の正体、乙女の役割……しかし、考えることは苦手だ。先程聞いた内容は後回しにし、自分の感情を口にする。


「俺はさ、乙女が戻ってきてくれるのは、単純に嬉しいんだよ。だけどさ、特例使ったらまずいだろってのはわかる。特例なんて使ったら、継承どころか死ぬんじゃないか?

 アルデバランは何であんなこと言い出したんだ? 今まで特例なんて、牡牛の継承くらいでしか使われたことないんだろ?」


 レオナルドは黙り込む。腕組みして目を細め、厳しい顔で思案した。


「死にはしない」


「え? そうなのか?」

 

「だが、先代乙女の二の舞になるぞ……」


 レグルスは、言われた意味が理解できない。呆け顔のレグルスに対し、レオナルドは静かに言い放つ。


「『エウレカ』……先代乙女は、彼女に巣食った亡霊をそう呼んでいた。代々乙女の精神を引き剥がし、操ろうとしていると」


「エウレカ……あっ」


 レグルスは思い出す。昨日、スピカからエウレカの存在について聞いていたことを。


「乙女の宮に、エウレカがいるってスピカが」


「そうか。まだいるのか」


 レオナルドは立ち上がる。コートラックに引っ掛けていた獅子皮のマントを羽織る。


「レグルス、お前のは持ってきているか?」


 訊くまでもなかった。レグルスの腕に掛かっているものがそれだった。だが、ただ言われるままついて行くほど、レグルスは素直ではなかった。


「親父は乙女嫌いとか言われてたじゃねえか。何でそんなに色々知ってるんだ」


 レオナルドは語る。


「父さんは、先代乙女の秘密の友人でな。だから、皆の目をあざむくために、表向きは乙女を嫌うフリをした。それが乙女嫌いの肩書きだ」


 レグルスは口を閉ざす。何のために、とは聞けなかった。

 レオナルドの顔には、ある種の覚悟が見受けられたからだ。


「その肩書きは最早いらん。アルデバランを止める」

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