観測できぬテラヘルツ(2)

 裁判所に着くや否や、スピカは馬車を転がり落ちるように降りた。誰より先に法定内に入ろうとするが、それをグリードに止められる。腕を大人の男性に掴まれては、振りほどくなど出来なかった。


「飛び込むな。君が裁判の邪魔をすれば、ご尊父の心象も悪くなる」


「で、でも……」


「まずは、しかるべき手順を踏むべきだ。君は焦りすぎている」


 スピカは言い返すことができず、ただ頷く。手を離されるが、一人で勝手に走り出すようなことはしなかった。

 改めて、裁判所の外観を見る。おそらくは三階建て、白壁の、城と見間違えそうなほどに荘厳そうごんな建物。正面には、天秤を持った女神像が厳かに佇んでいる。巨大な建物、その中で、日に何件かの裁判が行われるらしい。

 アルファルドの裁判は極秘に行われるのだろう。裁判所の周辺にはマスコミが少なく、静かであった。


「ブラキウムじゃないか」


 馬車を降りるなり、サビクは声を上げる。女神像の前で歩き回る人物を見つけたからだ。

 彼は困惑を顔に浮かべ、ぐるぐると円を描くように歩いている。しかしサビクの声が聞こえると、ブラキウムはサビクを振り返った。

 

「サビク……」


「てっきり召喚されているものと思っていたよ。どうしたのさ、そんな顔をして」


 サビクとグリードは、ブラキウムに近付いていく。ブラキウムはこめかみを片手で押さえ、不満を吐き出すかのような大きなため息を吐き出した。


「入れないんだ」


「何だって?」


 そこへ、スピカ、アヴィオールの二人が近付いていく。ブラキウムはスピカ達を見下ろして、「やっぱりね」と小さく零した。


「君も呼ばれなかったんだね」


 スピカに対しての呟きを、アヴィオールが拾い上げる。

 

「天秤なのに、あなたも呼ばれなかったんですか? 賢者絡みの裁判にはほぼ必ず呼ばれるというあなたが」


 ブラキウムは頷く。


「今朝、ディクテオンの馬車を呼び止めてようやく知ったんだ。こんな不明瞭ふめいりょうな事件、ワタシが呼ばれないなんておかしいよ」


 スピカは目を丸くする。


「天秤は罪の重さを測る術……その罪の重さを、測られないように……?」


「失礼ながら、そちらのとこの使用人がヘマをしたんじゃないのか」


「ちょ、グリード!」


 グリードが問いかけるのを、サビクは慌てて窘める。しかし、ブラキウムは首を振った。


「ワタシもそう思い、警備員や受付に訴えた。だが、入れないんだ。何を言っても、天秤を見せても」


 ブラキウムの手には、アタッシュケースが握られている。おそらくはその中に、輝術の媒体である天秤が入っているのだろう。それを持つ手は震えていた。


「こんなことは許されない……どんなヒトも、等しく罪は測られるべきだ……ディクテオンは何を考えてるんだ……」


 サビクとグリードは、互いに顔を見合わせる。そして眉を吊り上げて頷いた。


「まずは受付に行こう。もう一度話せば入らせて貰えるさ」


 サビクは言い、女神像を回り込み、その後ろにある階段に足をかける。グリードもそれに並び、階段を上がる。ブラキウムは首を振り、駆け足気味に二人を追い掛ける。


「絶対わざとだわ」


 忌々しげにスピカは呟く。最早、実父に対しての尊敬は欠片ほどさえ残っていない。


「スピカや天秤の賢者にこの仕打ち……アルファルドを嵌めたくて仕方ないって感じだね」


 アヴィオールもまた、アルデバランに疑いを向ける。

 二人は並んで階段を上がる。前を歩く大賢人達に遅れまいと、駆け足で追い掛ける。

 程なくして階段は終わり、目の前に扉が現れる。内開きのそれを、グリードが押す。重たげな軋み音を響かせながら、扉が開く。

 だだっ広いホールの中、傍聴人ぼうちょうにんのための受付カウンターが佇んでいる。受付用紙と、それを入れるための重厚な金属ボックス。それを見守るための受付人が一人、サテュロスの男性だ。


「被告人、アルファルド・ヒュダリウムの裁判を傍聴ぼうちょうしたい」


 グリードは大股でカウンターに近付き、サテュロスに声をかける。しかしサテュロスは眉尻を下げて答えた。


「申し訳ありません。その裁判については、一般公開されておりません」


「私は癒しの賢者、見習いではあるが一般ではない」


「申し訳ありません。原告側が拒否しております」


 固く断るサテュロスに対して、ブラキウムは苛立ちながら声をかける。


「もう一度訊く。ワタシは均衡の賢者、ブラキウム・アストライヤーだ。ワタシは均衡の賢者として、被告の罪を測る必要がある。それでも入れないのかい?」


 サテュロスはやはり強い口調で断った。

 

「申し訳ありません。原告が拒否しておりますので」

 

「その原告って、一体誰のことなんですか?」


 たまらずスピカが声を上げた。大股でカウンターに近付くと、サテュロスの顔を見上げ、睨んだ。


「私はスピカ。乙女の末裔まつえいです。アルファルド・ヒュダリウムが攫ったとする、先代乙女の一人娘です。

 原告が拒否ってどういうことですか? 被害者は父、アルデバランではなく、娘の私であるはずです。私達を傍聴席ぼうちょうせきに入れてください」


 サテュロスはぎょっとしてスピカを見下ろす。三人にまくし立てられ、更にはスピカの存在を目の当たりにし、たじろいでいる。

 その間に、アヴィオールはこそこそとカウンターの横を横切り、奥の廊下へと向かう。サビクも腰を落としてアヴィオールの後ろについて行く。

 カウンターからの、ぎゃいぎゃいと言い合う声。それが足音を隠してくれた。

 アヴィオールは待合室のような部屋にやってくる。そこでは、二人の警備員が法廷の扉を護っている。犬獣人だろう。マズルは長く、尖った耳が立っている。


「裁判を傍聴ぼうちょうしたい。入らせてくれないかな」


 サビクは警備員に声をかける。警備員は訝しんだ。

 

「本日は傍聴人ぼうちょうにん無しと聞いているが」


「特例さ。アルデバランに呼ばれているんだ」


 警備員の片方は、厳つい眉間にシワを寄せる。だが、もう片方は柔和に笑い、「いいんじゃないか?」と厳つい片方に声をかけた。


傍聴ぼうちょうだろ? 減るもんじゃないし、いいじゃないか」


「お前な……そう甘いことばっか言ってるとクビだぞ。一人は子供だし」


「まあまあ」


 柔和な警備員は、ヘラヘラと笑いながら扉を開ける。

 サビクが、アヴィオールが、法定内に足を踏み入れる。背後の扉はすぐに閉まった。

 そこは、漫画や小説で見た世界だった。正面奥には裁判長と裁判所書記官。向かって右側に検察官、その隣にアルデバランがいる。そして、一番手前に、被告人であるアルファルドの後ろ姿があった。

 傍聴席ぼうちょうせきは、全てが空席。誰もいない。


「何これ」


 アヴィオールは、その裁判の異常性に早くも気づき、声をもらす。


「刑事裁判でしょ? ディクテオンさんの席おかしくない? ていうか、アルフの弁護人は? いないの?」


 静かな法廷では、小さな呟きでさえ部屋に響いてしまう。検察官とアルデバランが傍聴席ぼうちょうせきに顔を向ける。検察官はわずかに驚いたが、すぐに顔を正面に向ける。だが、アルデバランはアヴィオールを睨みつけていた。

 アルファルドは振り向かない。どんな表情をしているのか、アヴィオールには見えない。

 裁判官は、ただ静かに語りかける。


「判決を言い渡します」


 法廷の空気が張り詰める。もう既に判決が決まってしまっている。


「主文、被告人を死刑に処する」


 アヴィオールは耳を疑った。


「なん、だって……」


 裁判は粛々しゅくしゅくと進められていく。


「但し、被告人が扱う術により、本来の刑ではつぐなえないと判断する。よって、タルタロスへの投獄を適用する」


「いや、待ってよ!」


「おかしいだろう、それは!」


 アヴィオールとサビクは同時に叫ぶ。検察官は再び驚き、ぎょっとした顔で彼らを見つめた。

 

「エルアが亡くなったのも、スピカが攫われたのも、被告がやったという証明はできないはずだ! 証拠が出ていないんだから!

 何より、ブラキウムをなんで法廷に入れないんだ! 証拠不十分の裁判では、彼の天秤も証拠に含まれるはずだ!」


 サビクが叫ぶ。裁判官は何も言わない。


「ていうか、証人はどうしたんだよ! クリストファ・ワーカーなら、過去を見る輝術が使えるはずだ! 彼を証人として呼ばなかったのか!」


 アヴィオールも声の限りに叫ぶ。クリスティーナさえいれば、この裁判の結果はひっくり返るはずなのにと。

 しかし、

 

「クリスは来れなかった。誰かが手を回したらしくてな。実家がヤバいと言って帰って行ったよ」


 アルファルドがそう答えた。そして振り返る。


「すまないな。折角来てくれたのに」


 アルファルドは眉を下げ、困り顔で笑っていた。それが無理をした笑顔だというのは、誰から見ても明らかだった。

 サビクはアルファルドに語りかける。

 

「均衡の賢者が受付にいる。スピカもだ。彼に罪を測らせて、スピカに証人をやってもらえばいい!

 こんなわけのわからない裁判、変じゃないか!」


 アルファルドは一瞬呆けたが、すぐにへらりと笑った。


「ああ、サビク。来てくれたのか」


「今君は、どういう状態かわかってないのか!」


 法廷は二人の怒号がうるさく響く。それをアルファルドは諦めきったように聞いていた。半笑いだが目は虚ろ。仕組まれた裁判だということは、アルファルドも理解していた。

 木槌きづちが激しく音を立てる。その瞬間、水を打ったように静まり返った。


「これにて閉廷とする」


 裁判官の言葉を合図に、扉が開かれる。警備員が扉を開けたのだ。


「ちょっと待ってよ。僕、納得いかないよ」


 力ないアヴィオールの言葉に、アルファルドは首を振る。納得いかずとも覆すことはできない。上告したところで、棄却ききゃくされてしまうに違いない。

 アヴィオールとサビクは、警備員に連れられ法廷を出る。アヴィオールは素直に連れていかれることはなかった。大声で騒いで抵抗するが、獣人の力には勝てず、法廷から引きずり出された。


「なんで……」


 背後から声がして、アヴィオールは扉の外を振り返る。

 茫然自失ぼうぜんじしつとしたスピカが、そこに立っていた。


「死刑って……タルタロスってどういうこと……?」


 アヴィオールは泣きそうになりながら、しかしスピカの前で涙を見せることはできず、ぐっと堪える。泣きたいのは、当事者であるスピカの方だ。


「上告できないの? アストライヤーさんが罪を測れてないのに」


「完全に嵌められた。こんなの、茶番だよ」


 せきを切ったように、スピカの目から涙が溢れる。声を上げることもなく、たださめざめと泣いていた。

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