膨らむ不安は星雲のごとく(3)

 二人は客室を見つけ出し、そこにあったソファに並んで座っている。古くはあるが、埃は被っていない。使用人達の掃除が行き届いている証拠だ。

 客室には、ベッドとキャビネット、ワードローブに絨毯じゅうたん。客を持て成すにはやや足りないが、最低限の家具は揃っている。

 

「そっか……そうなんだね」


 スピカから一通りの内容を聞き、アヴィオールはただその一言しか口にできなかった。スピカの正体に、ただ唖然とするしかなかった。


「アルフが私のお母さんを殺したって話も、私が乙女を継がなきゃいけないって話も、夢の中なのかな? って感じる程には現実味がないの」


 スピカは正直に感情を語る。アヴィオールは黙って話を聞いていたが、ややあって「うーん……」と小さく声を漏らした。


「そもそもさ、アルフが君のお母さんを殺したって話、おかしくない?」


 スピカはアヴィオールをはたと見つめる。


「だって、お母さんを殺したとして、何でスピカを攫ったの? 普通殺人を犯したなら、いっそ二人とも殺すでしょ。それか、置いていくか。

 足でまといになる赤ちゃんを連れ出して、それで育てるなんて、そんなの変だよ」


 アヴィオールの推測を聞き、スピカは安堵した。そして、はらりと涙を流す。


「え? 大丈夫?」


 アヴィオールは慌てて声をかけた。スピカはゆるゆると首を振る。アンナの話を受け傷付いていたらしいことを、今ようやく自覚した。義父を疑うなど、スピカにはできなかったのだ。


「ただ、スピカが攫われたっていうのは本当だと思う……ごめん」


 アヴィオールは呟く。言葉を選んだとはいえ、それ以上良い言い回しが思いつかず、アヴィオールは謝罪を口にする。

 しかしスピカは、そのことについては異論がないようで、苦い顔をしながらも反論はしない。


「そうね。どんな理由があっても、ディクテオンさんから見れば、私は攫われたことになるわ。

 でも、何で私は攫われたの? 何でお母さんは死んじゃったの? それがわからないの」


 暫しの沈黙。二人とも小さく唸りながら、その理由を考える。しかし、事情を知らない、当時の情報を持たない彼女らが、答えに行き着くことはない。

 アヴィオールが、スピカに提案する。


「いっそ、アルフに聞いちゃえば?」


 スピカの肩が跳ねる。


「また、嘘をつかれたら……」

 

 アルファルドに会う勇気が出ないのだ。

 宮殿に来るまでは、嘘をつかれ、真実を隠され続けていた。簡単に話してくれるとは思えず、アルファルドに問う勇気も出ない。

 それを見てきたアヴィオールは、スピカの怯えを理解している。深くため息をついて、目を閉じて考えを巡らせる。


「とりあえずアルフに会ってみる」


「アヴィが?」


 スピカは目を瞬かせた。アヴィオールは頷く。


「でも、私とアルフのこととか、乙女のこととか、アヴィには……」


 アヴィはスピカの言葉を遮る。


「関係ないとは言わせないよ」


 アヴィオールは目を開き、真っ直ぐスピカを見つめた。その強い碧眼に、スピカはドキリとして体を強ばらせた。


「ここまで来て、関係ないだなんて言わせない。最後まで僕はスピカのそばにいる。きちんと、スピカの謎を解いて、一緒に帰ろう」


 アヴィはそう言って、しかし違和感を覚えたようで首を傾げる。


「え? でも、スピカの実家ってここなんだよね? ってことは、もう帰ってる?」


 アヴィオールの間の抜けた問い掛けに、スピカはくすくすと笑いをこぼした。


「お願いしても、いいかしら?」


「うん」


 ややあって、アヴィオールがすっと立ち上がる。


「トイレ行ってくる。えっと、何処にあるか知ってる?」


「えっと、確か廊下の奥の……突き当たり? 今朝、キャンディにそう案内されたわ」

 

「ん、わかった」


 アヴィオールはそそくさと客室を後にする。

 扉が閉まり切ると、スピカは背もたれに背中を預けた。疲れを感じ、ぼうっと天井を見上げる。


『スピカちゃん』


 不意に声が聞こえた。

 今朝も耳にした少女の声だ。しかし今朝とは違い、ノイズがかかったように音がざらついている。


『継承の間に来て頂戴』


 スピカは辺りを見回す。部屋には自分一人しかいない。ファミラナによるテレパシーだろうかと考えるが、彼女の声には全く似ていない。


『お話しましょ。春待ちの賢者、乙女の一族について』


 不思議さは感じるが、不気味さは感じない。そう思わせるのは、その声が少女の声だからだろうか。

 スピカは客室を出てロビーに向かう。そこにある階段を上っていくと、天井一面ガラス張りの、美しい継承の間がある。

 スピカは、麦とナツメヤシを持った乙女像に近付く。今朝もそうだったが、声の出処が乙女像のように思えてならない。


『違うわ、スピカちゃん。私には体がないの』


 声は悪戯っぽく笑い、スピカに語りかける。スピカは辺りを見回し、くるりくるりと回る。舞うかのようなその動きに、少女は鈴の音のような笑い声を響かせる。


『私は魂だけの存在なの。だから、あなたには見えないわ』


 スピカは回ることをやめた。回転による目眩にふらつき、左右に首を振る。


「あなたは誰?」

 

 スピカが問うと、少女の声は、頭上から降り注ぐかのように聞こえてくる。


『私はエウレカ。お姫様なの』


 その名前を聞いた瞬間、スピカは驚いて天井を見上げた。

 初代乙女、エウレカ。歴史を学ぶ際に、よく聞く偉人の名前だ。この国が成り立つきっかけとも、要とも言える存在。今朝だってその話をしていた。

 彼女は今し方、自身を魂だけの状態だと説明していた。それは即ち……


「幽霊なの?」


 スピカの言葉に、その声は憤慨ふんがいする。


『失礼しちゃう! 幽霊じゃなくて、妖精って呼んで頂戴!』


 今の彼女の説明では、妖精なんて相応ふさわしくないのではないか。スピカは考えるが、声の主を怒らせたくなくて口を閉ざした。

 しかし、彼女の存在に対して驚きはするが、恐ろしさは感じなかった。幽霊と言えば定番の、ジメジメとした雰囲気や悪寒も、彼女からは感じない。


『私のことより、知りたいんじゃないかしら? 春待ちの賢者、あなたが成る者について』


 エウレカの声は優しく、春の陽だまりのようだ。スピカは存在を疑うこともせず、彼女の問いに頷いた。


『乙女の術は、みんなに幸せを運ぶ術。乙女が舞えば麦が育ち、光を浴びた人は幸福感に抱かれる。

 でも、あまりに強い術だから、乙女は代償として自分の寿命を削ってしまうの。それを防ぐために、乙女の体に術がかけられた』


 スピカはハッとする。これこそ自分が求めていた答えだと。


「私のこの体質は……」


『術を使いすぎないためのストッパーみたいなものね』


 信じられなかった。

 スピカが何年も悩んできた答えが、こんなにあっさり明かされてしまうなんて。そして、それは病気でも先天的な体質異常でもない。彼女の言葉を信用するなら、昔に誰かが乙女の一族にかけたまじないだ。

 賢者を継ぐということは、輝術も引き継ぐということ。すなわち……


「もし乙女を継いだとして、自分の術で倒れるなんて、ないわよね」


 エウレカは、スピカの考えを否定する。


『術を使いすぎないためのまじないだもの。自分の術でも、使い過ぎれば倒れてしまうわ』


「それを治す方法はないの?」


 更に問うスピカ。縋るような声に対して、エウレカの声は悲しいものだった。


『ないわ』


 スピカは項垂うなだれる。

 折角宮殿に来たというのに、本来の目的であった体質の改善は望めない。宮殿に来た意味を見いだせない。

 スピカは背を丸め、その場に縮こまる。膝を抱き、呆然とした顔を隠した。

 無駄足などではなかったが、求めていた答えはこれではない。スピカ自身のルーツを知りたいとは確かに願ったが、苦しい悩みを貰いに来たのではない。

 スピカは、宮殿にやってきたことを後悔し始めていた。


『ね、スピカちゃん。私と一緒に、春を守りましょう』


 エウレカの唐突な提案に、スピカは顔を上げた。ゆっくりと立ち上がる。


『乙女は、冬の訪れから春を守る者。ここで、宮殿で、一族を繋いでいくのが貴女の役目』


 スピカには、その提案が少しばかり魅力的に聞こえた。元々、賢者に憧れていたのだから。

 だが、不安が拭いされないまま、賢者を継承することはできない。


「あのね、私、義父に育てられてきたの」


 スピカはぽつりと零す。出会ったばかりの他人に話すべきなのかと思ったが、口に出さなければ不安が膨れ上がってしまいそうだった。


「私は義父を信じたい。だけど、本当のお父さんも、蟹のあの人も、義父を悪者だって言ってる。何を信じたらいいか、わからなくて……」


 しかし、それを口にしても不安がしぼむことはなく、スピカとアルファルドの関係の歪さを認識するだけであった。

 エウレカは「ふぅん」と気のない相槌を打つ。その後返ってきた言葉は、思いがけないものだった。


『自分が信じたいものを信じたらいいじゃない』


「え?」


『経緯を知らない私には、答えようがないけれど。でも、迷うくらいなら自分を信じてみたらどうかしら?』


 エウレカはさも簡単そうに言ってのけるが、スピカはそれができず首を振る。スピカ自身、できることならそうしたいと思っていた。そう思えれば、どんなに楽か。


「スピカ、ここにいたんだ」


 アヴィオールの声が後ろから聞こえた。振り返れば、彼の姿が目に入る。


「探したよ。ここにいたんだね。

 声が聞こえたけど、誰かと話してたの?」


 アヴィオールは辺りを見回す。

 スピカはエウレカを紹介しようと口を開くが、すぐに首を振った。今朝のやり取りを思い出したのだ。エウレカの声は、アヴィオールには聞こえていなかった。おそらく、スピカにしか聞こえないのだろう。


「ううん、ちょっと独り言」


「独り言なんて珍しいね」


 スピカは天井を見上げる。ガラス張りの天井は、青い空を見せるだけ。エウレカの声はしない。しかし、陽だまりのような気配は確かにあった。もしかすると、継承の間そのものに、彼女の魂が宿っているのだろうかと、そんなことを考える。


「僕、ディクテオンさんに呼ばれてるから、そろそろ行くね」


「もう?」


 寂しさを感じ、スピカは顔を伏せる。上目気味にアヴィオールをちらりと見ると、唇をきゅっと結んだ。


「僕、親に黙って出掛けてるからさ、ディクテオンさんが話をつけてくれるって」


 アヴィオールは首を反らせ、天井に顔を向けてぼやく。


「あーでも、父さんに怒られるの怖いなあ……」


 そう言いつつ、声は明るくおどけていた。言葉程に不安はないのだと見える。


「じゃあ私、見送るわ」


「ありがとう」


 アヴィオールが階段を降り、スピカはその後ろ姿について行く。その間、エウレカからの声掛けはない。ちらりと振り返るが、継承の間は今朝から今まで変わらず、同じ景色のままである。

 今夜か明日か……改めてまた来ようと、スピカは思った。

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