膨らむ不安は星雲のごとく(2)

 スピカはメイドに連れられて、乙女の宮へとやって来た。

 今朝見た時のまま、ひたすらに静かなその空間。スピカは居心地の悪さを感じて忙しなく目を動かす。


「今日から貴女の宮です。何人たりとも、貴女の許可なく入ることはできません」


 メイドがそう説明する。しかし、スピカ一人には、この宮は大きすぎる。


「誰も入れないの?」


「貴女が許可すれば誰でも入れます。ただし、血縁者であれば貴女の代わりに許可を出すことができます。

 貴女はまだ、正式に賢者を継がれていらっしゃいませんので、ディクテオン様が代理になられます」


 ディクテオンとは、牡牛の賢者であるアルデバランのことだ。彼がスピカの実父なのだ。スピカには全く実感が湧かず、メイドの言葉がぼけて聞こえる。


「おかえり、スピカ」


 ホールの奥から聞こえた声に、メイドはすぐさま反応し一礼する。スピカは声を辿り階段を見上げた。

 アルデバランがそこにいた。彼は手すりに片手をかけ、ゆっくりと階段を下りてくる。その後ろには、レグルス、マーブラ、キャンディがいた。


「彼らには既に挨拶を済ませていたみたいだね」


 マーブラとキャンディは、スピカの顔をしげしげと見つめる。それとは相対的に、レグルスは階段を一段飛ばしで駆け下りて、スピカの前で止まった。


「スピカ、お前乙女の賢者だったのか! 今まで知らなかったのか?」


 ストレートに疑問をぶつけられるが、スピカ自身全く理解できていないことだ。黙って首を傾げるだけで、肯定ができない。


「スピカにはこれから学ばせるよ。だが、スピカは知らないことが多すぎる。力になってやってくれ」


「おう、任せとけ!」


 レグルスは底抜けに明るい声で返事をし、キャンディは頷き、マーブラは目線を逸らせるだけで返事をしない。


「帰りなさい、子供達。私はスピカと一緒に、シュルマへ視察に行かなければ」


 アルデバランはスピカの前に立つと彼女を見下ろす。

 しかし、今のスピカの様子では出掛けるなど出来やしない。キャンディはそれに気づき、マーブラに耳打ちする。


「ディクテオンさん、まだ彼女に視察は早いのではないですか?」


 マーブラがアルデバランに声をかける。キャンディが耳打ちした内容をそのまま伝える。


「彼女はずっと一般人として育ってきたはずです。突然、大賢人になりなさいと言われて、心構えなんてすぐにはできません。数日様子を見てからでも良いのではないでしょうか」


 アルデバランは顎に手を添え、ふむと声を漏らす。マーブラの言葉には説得力があった。


「すみません、今日は休ませてください」


 スピカはマーブラに便乗するように、アルデバランに請う。長い黒髪をこぼしながら、首だけ動かし頭を下げた。


「仕方ないね。じゃあまた後日に」


 アルデバランはスピカに手を伸ばし、ぎこちない手つきで頭を撫でる。すぐに手を離すと、メイドに向かって声をかけた。


「付き添いをしてた子達は何処に?」


「アヴィオール様とファミラナ様は、蛇使いの宮へと案内しております。ただ、アヴィオール様はスピカ様に会いたいと」


 スピカは顔を上げる。アヴィオールがスピカに会いたいと言っている。スピカもまたアヴィオールに話したいことが山ほどあった。


「アヴィと会えるの?」


 しかし、アルデバランはそれを止めた。


「スピカ、今日は休むべきだ。ダクティロスからクラウディオスまで、遠くから来て疲れただろう」


 スピカは首を振る。


「大丈夫です。昨日、蛇使いの宮でゆっくり休ませて頂きました」


「一日じゃ疲れなんて取れないだろうし」


「友達に会いたいの。駄目なの?」


 スピカは強い口調でアルデバランに問いかける。

 まだ信用しきれていない相手だ。反抗心を持ってしまうのも無理はない。アルデバランは小さく唸る。


「ここは乙女の宮なんでしょう? 私の許可があれば、アヴィも入れるんでしょう?」


 スピカの畳み掛けるかのような言葉に、アルデバランは降参した。


「わかった。好きにしなさい」


 アルデバランは柔らかに笑う。そしてメイドにアヴィオールを連れて来るよう指示を出しつつ、メイドと共に乙女の宮を後にする。

 スピカはほっと息をつく。年上の男性相手に、はっきりと自分の意志を伝えることに緊張していたのだ。緊張が解れると、無意識のうちに肩に入っていた力が抜け、背中が丸くなる。


「いくら娘とはいえ、度胸あるね」


 マーブラがスピカに声をかける。唇は弧を描いており、半笑いの表情だ。


「君、アルデバランとはほぼ初対面でしょ? 相手は大賢人なのにさ。よく言えたもんだよ」


「おい、マーブラ、何のつもりだよ」


 すかさずレグルスが対抗する。スピカを馬鹿にされていると思ったらしい。スピカを庇うように、マーブラの前に立つ。だがマーブラは、両手をひらひらと振って弁解し始めた。


「そうじゃなくて。意志が強いって言いたいんだ。

 自分の権利はきちんと要求する。うん、いいんじゃない?」


 そう言って、くつくつと笑う。

 どうやらマーブラに気に入られたらしい。今朝顔合わせした時の印象からは、想定どころか想像もしていなかった展開だ。


「スピカちゃん、マーブラ君はちょっと言葉足らずなだけなんです」


 キャンディが困り顔でスピカに弁解するが、スピカは笑って首を振る。弁解なんて必要ない。


「つーか、スピカは継承どうすんだ? 流石に今年継承まで済ませるのは無理だと思うんだけどさ」


 レグルスは言う。彼はスピカの体質について理解がある。だからこそ、スピカが心配であった。


「乙女は五回の儀式なんですよね。スピカちゃんも、ゆっくり五回に分けてもらったらいいですよ」


「耐えられそうなら三回にしてもらったら? けっこうあれきついし、回数増やすのめんどくさいしさ」


 キャンディ、マーブラも、各々の考えを口にする。スピカには、継承の儀など未知の行事である。


「他の賢者も、継承の儀って辛いの?」


 スピカは問いかける。その場の三人は、おそらくあまり思い出したくないのだろう。揃って苦い顔をしていた。


「他の賢者は知らねえけどさ。大賢人の継承って、降ろす光が強いうえに多いらしくてな」


 レグルスが言う。それに便乗するように、マーブラも語る。


「そんな大きな光、子供には本来無理なんだけど、他の賢者に示しをつけたくて、仕方なく九歳の頃から儀式するんだって」


 キャンディは口を開いたり閉じたりして、自分の考えを伝えるべきか迷う。しかし、スピカは継承について聞くことで、覚悟を固めるつもりであった。キャンディを見つめ頷くことで、話を促す。

 キャンディは意を決して口を開く。


「輝術や星の光って、太古に賢神様けんじんさまからの贈り物としてヒトの身に宿ったと言われています。だから、本来ヒトの身に余る力だそうです。

 だから、大賢人の光は子供には強すぎて、儀式ごとに体調を崩しちゃうんです」


 スピカはきょとんとして首を傾げる。


「それなら、輝術は受け継がなくてもいいんじゃないかしら?」


 マーブラはそれに対してため息をつく。呆れた顔をする彼に、スピカはカチンときた。

 

「な、何よ」


「あのさ、輝術がたかが手品のたぐいとでも思ってんの?」


 スピカは言い返せない。手品のような便利で役立つ術、くらいの認識であったことは否めない。しかし、マーブラの態度は、それを否定している。


「大賢人は、光の均衡を保ってる。よく聞く話でしょ? それは、冥府であるタルタロスから、闇が溢れないようにするためなんだ」


 タルタロス。スピカはその名前を小さく復唱する。


「百年戦争で、僕達の御先祖様は、沢山の竜を殺した。その魂は、タルタロスの太陽釜たいようがまいぶされて苦しんでいる。その怨恨は闇となり、タルタロスからこちらの世界へ漏れ出ている。その中には、ラドンの魂だってあるはずだ。

 ラドン、知ってるでしょ? 冬を作り出した張本人だ。奴が闇となって出てくれば、君が生きてようと死んでようと冬が来る。

 だから僕達は、光を術の形に変化させ管理することで、闇の侵食を防いでいるんだ」


 マーブラは早口で説明する。まるで御伽噺だ。


「そんなの御伽噺だろ」


「ああ、獅子のヒトはそういう考えだよね」


 レグルスの考えに、マーブラは嫌味を含んだため息をつく。次期双子の大賢人であるマーブラがそう言うということは、大賢人の中では冬の話を真面目に考えている者が多いということだろう。


「それに、君ら獅子の仕事は他国との交流ばかりで、自国をあまり見てないんだろうけど、この国は今貧困に喘いでる」


「そんなこと知ってるさ! 馬鹿にすんな! でもそれって、資源を使いすぎた反動だろ?」


「その反動があるのがおかしいんだよ」


 やがてレグルスとマーブラは言い争いを始める。スピカやキャンディが見えていないかのように。キャンディはおろおろするばかりで、口を出すことができないようだ。


「失礼しまーす」


 その険悪な空気を断ち切るかのように、澄んだ声がホールに響く。アヴィオールの声だ。

 両開きの扉の片方だけを開け、アヴィオールが入ってくる。彼はスピカの元へ真っ直ぐ向かうと、彼女の両手を強く握った。


「大丈夫? 落ち着いた?」


 アヴィオールの声が心強く、スピカは瞳を潤ませた。しかし心配させたくなくて、二回瞬きし涙を押し戻す。


「ええ、大丈夫」


「本当に?」


「大丈夫よ」


 表情だけでも笑ってみせると、アヴィオールは納得したのか笑みを浮かべて手を離す。そして、不満を目に浮かべると眉間にシワを寄せた。


「にしても、ディクテオンさん、ほんとにスピカのお父さんなんだね。あの時学校前でウロウロしてたの、スピカを探してたんだ」


 アヴィオールの声には棘がある。彼は、アルデバランに対して良い印象を持っていないようだった。


「アルフとディクテオンさんの間に何があったか知らないけど。話もせずに投獄って極端すぎるよ」


 アヴィオールもアルファルドには反抗心を抱いていたはずだが、今や嫌悪感はアルデバランへと向いていた。

 スピカは何も答えられず、口を真横に結んでいた。とてもではないが、他に友人がいる今この場で、プライベートな話をする気にはなれない。

 そんなスピカの気持ちに気付いたのか、キャンディはマーブラの袖を握り、小さく引っ張る。


「じゃあ、僕らはここで」


「俺も一旦帰る。落ち着いたらまた色々教えてやるよ」


 レグルスも気を使ってそう言った。両手を頭の後ろで組み、玄関へと向かう。


「レグルス、また夜に話したいから時間空けといて。ファミラナも呼んでるから」


 アヴィオールは、レグルスの背中に向かって声をかけた。レグルスは「了解」と一言返し、宮を後にする。

 キャンディはスピカを気遣い、一言口にする。


「また不安なことがあったら呼んでください」


 丸い頬が林檎のように赤くなる。緊張していたのだろう。そんなキャンディの手をマーブラは引っ張って、彼も宮を後にした。

 静かなホールに、二人だけが残される。アヴィオールは何かを言いかけ口を開くが、上手く話せず口を閉じる。

 暫く向かい合っていたが、やがてスピカがアヴィオールの手を取った。


「とりあえず、客室っぽいところに行かない?」


 スピカの提案に、アヴィオールは笑いをこぼした。


「あははっ」


「私だって知らないところなんだもの。一緒に探して頂戴」


 ほんの少しだけ、空気が和やかになる。二人は繋いだ手をそのままに、宮の内部を探索し始めた。

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