膨らむ不安は星雲の如く
膨らむ不安は星雲のごとく
一人になりたいと宣言したものの、スピカは何処に行けばいいかわからず、あてどなく宮殿を歩いていた。
先程の騒動が何度も頭の中で繰り返される。しかし理解ができない。
確かに夢見ていた。宮殿に行き、自分が賢者の血筋だということが判明するという未来。だが、望んでいた通りにはならなかった。
義父が人攫いで、かつ人殺しだなんて。
「何が本当なの……」
誰に言うでもなく、口からこぼれる。スピカは立ち止まり、耐えきれずその場にしゃがみこんでしまった。
ここが何処かも、スピカにはわかっていない。周りを見る余裕などなかった。
「スピカか? 調子が悪いのか?」
聞こえた大声に、スピカは顔を上げ振り返る。焦点が定まらない目が捉えたのは、帰宅しようとするグリードの姿だった。彼の息が荒いのは、スピカの様子がおかしいと気づき、駆け寄ったからに違いない。
どうやら気付かないうちに蛇使いの宮に来ていたらしい。スピカはようやく、自分がその玄関先で座り込んでいることに気付く。グリードは、スピカがまた顔を俯かせると、慌てて彼女に寄り添った。
「体調が悪いのか? それとも何処か痛むのか?」
スピカは黙って首を振る。答えられるだけの気力がない。グリードは少々慌てた様子であった。しかしスピカを放っておけず、断りを入れてスピカの肩に触れ、蛇使いの宮の中へと連れて入った。
「グリード、帰ったのかい?」
ロビーに入ると、二階の廊下からサビクがグリードに声をかけた。グリードが連れている、弱りきったスピカの姿を見ると声色はより真面目なものに変わる。
「どうしたんだい」
「すぐ外で塞ぎ込んでいた」
感情もまとまらず、考えもまとまらない。スピカは口を開きはするが、ため息しか出てこなかった。
「お義父上のことだね?」
サビクに問われ、スピカは控えめに頷く。宮で留守番をしていたサビクにも、アルファルドが宮殿に来たことは知らされていた。今や宮殿中に、その話が伝わっているのだ。
サビクは、肩の蛇と相談するかのように顔を見合わせ、首を傾げ、頷いた。
「少しここで休むといいさ。ハーブティー飲むかな?」
スピカはサビクの顔を見て、グリードの顔を見る。誘われた立場だというのに、まるで許しを請うかのようなスピカの表情に、グリードは少しだけ笑った。
「
などと、おどけたように言う。
グリードに支えられたまま、二階の奥にある客室へと向かう。先日スピカが借りていた部屋だ。まだ荷物もそこに置いてある。
グリードに扉を開けてもらい、スピカは部屋の中央にあるソファに座った。
暫く黙ったまま待っていると、サビクがメイドを連れて部屋に入る。メイドが押してきたワゴンには、ティーポットが一つとティーカップが三つ。ローテーブルにティーカップを並べると、薄茶色をしたハーブティーを注ぎ始めた。
ふわりと甘い香りが漂う。ラベンダーの香りだ。
ハーブティーを注ぎ、クッキーが入った皿を並べ、ティータイムの準備が整う。メイドは腰を落とすお辞儀をし、部屋を立ち去る。その後ろ姿に、サビクは礼を言った。
サビクは椅子に座り、ティーカップを手に取る。口をつけつつスピカを見ると、彼女は膝に手を置いたまま。
「遠慮しないで」
サビクに勧められ、スピカはティーカップを持ち上げた。口に含むと、甘い香りと柔らかな苦味が広がる。
「ラベンダー、ですか?」
「そう。いい香りでしょ」
サビクはへらりと笑い、クッキーに手を伸ばす。それにもハーブらしき何かが入っているように見えた。
グリードも椅子に座り、ハーブティーより先にクッキーに手をつける。スピカもつられてクッキーを食べる。レモンのような爽やかな香りがするが、レモンピールが入っているようには見えない。
「これは?」
「レモンバームだ。良い香りがするだろう?」
スピカは感嘆し声をもらした。
ラベンダーとレモンバームは、どちらも精神安定の効果が期待できるハーブである。癒しの賢者だからこそ、こういった薬草がすぐに準備できる環境があり、すぐに振る舞えるのだ。
宮殿の周りにある花壇や、並べられた鉢で育てられているのがそうだ。昨日は気に留めていなかったが、この客室にもいくつかハーブの鉢が飾ってある。
「ごめんね。君が乙女だと、僕達は気付いていたんだ」
サビクはおもむろに口を開く。膝に乗せた両手は椀のようにティーカップを包み、親指はカップの縁を撫でる。まるで子供がしょげたように、サビクは肩を落としている。
「君のお義父上がアルフだということにも気付いてた」
消え入りそうな声で、「ごめん」とまた呟く。
スピカの胸中では、再びザワザワと嵐が吹き、怒鳴りそうになり口を開く。
しかし、グリードが手のひらを向けて制止をかけた。サビクの話はまだ終わっていない。
「昨日話したね。君のその体質は、特定の賢者の家系のものだって。それはね、乙女がかかる病気みたいなものさ」
そこまで分かっていたのなら、何故説明してくれなかったのか。スピカは苛立ちを隠さない。
しかし、昨日はスピカの精神状態が不安定であった。そのために話せなかったのだろう。
理解はできても、苛立ちが消えてくれるわけではない。
「柘榴水だってそうさ。あれは、乙女のためのもの。だから門外不出なんだけど。
でも、僕は、アルフにだけはこっそり教えた」
「……どうして」
乙女の話が何故アルファルドに繋がるのか不思議だった。海蛇の一族の賢者が、何故乙女に関わりがあるのか。
「君のお母さんであるエルアと、親友だったんだよ。アルフは」
サビクは、スピカの向こう、窓の外をぼんやりと見る。見ているというよりは、宙に視線を浮かばせて、昔を思い出していた。
「アルフとエルアは、一緒になって何か調べ物をしていた。何かは教えてくれなかった。まあ当然だ。僕だけでなく、アンナにも教えていなかったんだから。
ある日、
僕も当時は若かった。友人の力になりたくて、門外不出の術を教えたのさ」
スピカの頭の中では、疑問符がひしめき合う。「
スピカの想像以上に、アルファルドについて知らないことが多かった。
「そもそも、スピカは知っているのか? ご尊父がエルア様と親しかった理由を」
グリードの問いに、スピカは首を横に振る。親しかったとは聞いていたが、母親が乙女の大賢人なのであれば、親しくなるきっかけが想像できなかった。
サビクはその辺りの説明をしていなかったことに気付くと、「ああ……」と声をもらして額に手を当てる。
「そうだね、ごめん。その説明が先だ」
サビクは仕切り直しするべく、一度咳払いをする。
「スピカ! ここにいたのか!」
突然激しい音を立てて扉が開く。
アンナが息を切らせて部屋に入ってきた。おそらくメイドは止めたのだろうが、止めきれなかったようだ。メイドはアンナの後ろから顔を出すと、サビクに「すみません!」と何度も頭を下げる。
「アンナ、スピカに何か」
と、サビクは言いかけて、しかしアンナに遮られた。
「スピカ、大丈夫か? 急に色々なことがあってびっくりしただろう。
ああ、そうだ。バランは、いや、アルデバランは、今日は乙女の宮でゆっくり休みなさいと。
そうだ、継承はどうするつもりなんだ。早い方が良いとは思うんだが」
「カルキノス殿!」
グリードの大声に、アンナは肩をびくつかせる。口を閉じると、グリードの顔を見た。
「スピカが驚いております。一旦お帰りください」
確かにスピカは、
「ああ、すまない。驚かせたな」
「いえ、大丈夫です」
スピカは首を振る。驚きはしたが、それと同時に、彼女のせっかちな様とアルフの慌て癖が重なって見えてしまう。
「そうだ、丁度いい。アンナ、スピカにアルフのことを話してあげてよ」
アンナは突然の提案に驚いて、サビクを振り返る。その顔は不快のために歪んでいる。眉間に深く皺が刻まれ、口角を下げていた。
「は? いや、あんな裏切り者……語るのも恥ずかしい……いや、スピカの前で失言だったな」
スピカは苦い顔をする。身内を悪く言われるのは不愉快だ。
「やっぱり似てない」
と呟くが、誰に、とまでは口に出さなかった。
「お願いだ。スピカは、自分自身のことをあまり知らない。知るためには、アルフとエルアのことを知る必要がある」
アンナはスピカを見下ろし、暫く考え小さく唸る。そして、覚悟するかのように、彼女自身の頬を叩く。
「よし、わかった」
アンナはスピカの隣に腰掛ける。サビクがティーカップを準備するようメイドに伝えるが、アンナはそれを遠慮した。メイドはそれを了解したようで、一礼すると部屋から出ていく。
「私は感情を隠せないタチだが、それでもいいか?」
スピカはすっと目を細める。スピカにとって、アンナは好ましくないヒトとして認識されてしまったようだ。
「少しは隠すべきかと思いますが」
「はは。まあ、確かにそうかな」
アンナはそれを気にせず、からりと笑う。しかし、すぐに
「だが、私が見たままを話すんだ。私の感情が全く入らないということはない。それは覚悟をしてほしい」
スピカは頷く。覚悟なんてできていないが、無理にでも納得して飲み下さなければならない。
アンナは唇を舐めて話し始める。彼女としても、話したくない内容だろう。その声は嫌悪感を纏っていた。
「あいつは、私の従兄弟なんだ」
「従兄弟……」
「そう。海蛇と蟹は、昔から親戚同士でな。毎度賢者同士、血の繋がりが濃くなる」
アンナはふうっと息を吐き出す。怒りから声が震えそうになるのを押し殺し、感情を押さえつけて淡々と語る。
「我々、連盟の賢者である蟹の一族は、13の大賢人として名を連ねる。海蛇の一族はその補佐として、蟹の宮への出入りが自由とされる。だからアルフは、将来の私の補佐として、幼少期から宮への出入りを許されていた。
だが、本来立ち入れない乙女の宮に偶然入ってしまったらしく、そこでエルアに会ったらしい」
メイドが部屋に入ってくる。アンナに断られたとはいえ、もてなしをするべきと判断したのであろう。コーヒーカップを一つ、盆に乗せて持ってきた。
「ああ、ハーブティー苦手なの、覚えててくれてたんだな。ありがとう」
メイドはアンナの前にコーヒーを置くと、一礼して部屋を出る。
「何処まで話したか……いや、本題には全く入ってないな」
アンナは話を続ける。
「私のことなどそっちのけで、アルフとエルアはよくつるむようになってな。いや、それはいいんだ、別に。
ただ、エルアが乙女を継承し、先々代の乙女が病で亡くなってから、アルフの様子がおかしくなった。
アルフも継承を済ませたはずなのに、賢者になることを拒否しだして、仕舞いには私の補佐を嫌がるようになった。
そもそも、私の補佐が本来の仕事のはずだったんだ。それを責めたら、私の補佐など最初からする気がなかったと言う。おかしいだろう!」
アンナは両手で拳を作り、ローテーブルを叩く。その衝撃で、ティーカップや皿が跳ねて音を立てた。アンナはハッとし、「すまない」とこぼして唇を噛む。感情の
「エルアに子供が産まれてから、つまり、君が生まれてからは、アルフも乙女の宮にはあまり立ち入らなくなった。エルアが子育てに専念していたから。
だが、ある日エルアが大きな発作を起こしてしまい、アルフが呼ばれた。大賢人の要望だ。従わなければならない。アルフはすぐに向かった。そしてその直後、アルフや君達が行方不明になった。
数日後、エルアは死体となって見つかった。これは世間にも公表されているが、アルフや君が行方不明とまでは明かされていない。当然だ」
アンナの目は、
「アルフがエルアを殺し、君を攫ったということは、容易に想像がつく」
部屋中に、重苦しい空気と沈黙が漂う。誰も何も言えず、沈黙は破られない。
スピカは、回転が鈍くなっている頭で、必死に話を
アンナは「感情を隠せないタチ」だと言った。どんなに努力したところで、彼女の怒りや不満、怨恨は隠せていない。だからこそ、この話を話されたまま信じていいのか。
スピカの思考は、
「すまない、時間だ。これで失礼する」
アンナは熱いままのコーヒーを一気に飲み下し、駆け足で部屋を後にする。
「……ごめん。余計に混乱させてしまったね」
サビクの謝罪に、スピカは首を振った。それしかできなかった。
「でも、君が帰ってきてくれた以上、冬の訪れの回避のためには、君が乙女としての役割を果たしてくれる以外にない。
辛いことをさせてしまうね。ごめん」
サビクは顔を俯かせる。スピカは、冬の訪れという言葉に首を傾げる。
知識としては知っている。乙女が絶えると、死の季節である冬が訪れる。それを阻止するべく、帰還の祈祷が行われていたこと。
スピカは考える。帰還の祈祷とは、乙女である自分が名乗り出るように仕向けるためのパフォーマンスだったのだと。だが、スピカ自身に自覚がなかったために、名乗り出ることができなかった。
そんなパフォーマンスをしてまで、冬の訪れを回避したいということは、冬の存在に対して確信めいたものがあるのだろうか。
「そうだね。明日、アルデバランに説明を頼んでおくよ。君の継承の儀についても掛け合ってみる」
「継承の……」
また、スピカにはよくわからない話だ。まだ何か隠していることがあるのか。
「継承の儀を知らないのか?」
グリードが問い掛ける。スピカは頷こうとして、しかし自分の頷きを否定し、間の抜けた声を出す。グリードは一瞬呆れ顔をするが、首を振って説明し始めた。
「賢者としての力を継ぐには、星の光をその身に降ろさなければならない。それは知っているな」
スピカは頷く。それは確かに知っている。だが、スピカが知るのはそこまでだ。
「継承の儀は通常、九歳、十二歳、十五歳と、三回に分けて行われる。
だが、乙女にはその光は毒だ。だから、乙女だけは蛇使い立ち会いの元、五回儀式が行われる。十歳の頃から毎年、徐々に、という形にな。
しかし、君はただの一度も継承の儀を経験していない」
彼らはスピカの身を案じているのであろう。しかし、スピカの胸中には疑問が湧き出る。体質異常を治してから継承の儀に挑むのが最善なのではないかと。
「継承するにしても、しないにしても、考えるのはこの体質を治してからにさせてください」
スピカは発言する。それを聞いたサビクは目を泳がせる。何か不味いことでも言っただろうかと、スピカは不安を抱いた。
「だって、そうでしょう? 体質を治してしまった方が、苦しい思いをしなくてもいいじゃないですか」
サビクとグリードは顔を見合わせる。サビクは首を横に振り、グリードは肩を落としてため息をもらす。
一体何だと言うのか。スピカは不安から瞳を震わせる。
「スピカ、重ね重ねすまない」
グリードが重い口を開く。
「その体質は治らない。一生付き合っていくしかないんだ」
「……え?」
思いもしないグリードの言葉。スピカは一瞬理解ができなかった。ゆっくりと頭の中で噛み砕くように、
「そんな……! 私は、体質を治したくて、そのヒントを手に入れたくてここに来たんです。治らないなら、ここまで来た意味がないわ!」
サビクはきっぱりとした口調でスピカに言う。
「意味はあったさ。君は乙女だ。いつかここに帰ってくるべきだったんだ」
スピカは衝動に任せて机を叩く。激しい音と揺れで、ティーカップが揺れ音を立てる。
「急にそんなこと言われてもわからないわ! 私は攫われただなんて。今までの暮らしが嘘だらけだったなんて。
私の体は治らないから諦めろだなんて。いきなり、辛い儀式を耐えろだなんて!
無茶苦茶よ、こんなの!」
一頻り騒ぐと肩を上下させ深呼吸する。興奮を
スピカを落ち着けようと、グリードは彼女の背中を擦る。
震える背中は、大賢人の重責を背負うには、あまりに小さい。
「ごめんなさい。サビクさん達は悪くないのに」
スピカは謝罪を呟くようにもらす。サビクはそれに対して「かまわないよ」と優しく言葉をかけた。その気遣いが有難く、スピカは泣きそうになるがぐっと堪えた。
「今から五回毎年……五分の一の光でも、私の体にどれだけ負担がかかるのかしら……」
不安を
「いや、もっと悪いことになりかねない。
大賢人の継承には、特例が適用されることがある。儀式を一度で済ませる特例だ」
何だそれはと、スピカは呆ける。
サビクは切れ切れに言葉をこぼす。
「賢者の世界では、十五歳はもう大人……本来ならば、継承を終えていないとならない。大人になっても継承を終えていない大賢人なんて、国民に示しがつかないと……多分アルデバランはそう考えると思う。
だから……今回は特例を使うんじゃないかと……」
スピカは困惑し、目を見開く。
「え、そんなの無理よ……」
「わかってる。だから、アルデバランには強く言っておくさ」
スピカは
あくまでサビクやグリードの推測だ。だが、彼らが言う以上、考えられないことでもないのだろう。
真っ逆さまに落ちているかのような錯覚。スピカは倒れまいとするのが精一杯だった。
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