輝きの音と貴女の声(4)

 その昔、大賢神だいけんじんユピテウスは、人間の娘と恋に落ちた。

 神が一人の人間を特別視することは許されない。それ故、ユピテウスは牡牛に化けて娘に会いに行った。密会を重ねる二人の間には、いつしか子供が生まれ、その子孫は牡牛の一族として神の血筋を守っているのだと言う。


「そんなのただのお伽噺だって。いてっ」


 笑いながら言うレグルスの頭を、アンナが小突く。それもそのはず。今いる場所は牡牛の宮だ。牡牛の一族に伝わる伝説を笑い飛ばすなど、失礼極まりない。


「素敵な話ね」


 ロマンチックな物語に、スピカはうっとりとしていた。これが史実として伝わっているのだから、歴史は面白いと、そう思う。

 アヴィオールはすっかり落ち着かない様子で、椅子に座ってはいるものの辺りを忙しなく見回していた。


「あいつ、うちの学校前に出没して、生徒をじっと見つめてたんだ。普通の行動と思えないよ」


「それは何かの間違いだろう。彼はそのような趣味を持っていないはずだからな」


 アヴィオールは未だにアルデバランを信用できないでいるようだった。グリードにそう反論されるが、納得しようとしなかった。

 その間にも、使用人がスピカ達にアイスコーヒーを振る舞う。グラスの中で、氷がカランと音を立てた。


「マーブラもキャンディちゃんも、すぐに帰っちゃったね」


 ファミラナはつまらなさそうにぼやく。スピカもそれに同意し頷いた。折角ならもう少し談笑したいと思うのだが、マーブラはキャンディを連れて、さっさと双子の宮へと帰ってしまったのだ。彼らの性格を考えると仕方のないことだろうが、スピカは少々残念に思う。


「スピカ、それで、その。君の父君について訊いてもいいか?」


 アンナは躊躇ためらいいがちにスピカに声をかける。スピカに遠慮しているというわけではないらしい。アンナの表情は、恐ろしい物を拒むようなひきつった顔だった。

 そのような表情をする理由がスピカにはわからない。いぶかしみはするものの、説明しようと口を開く。


「母が幼い頃に亡くなり、母の親友だった義父は私を引き取ったそうです。まだ若かったにも関わらず、結婚もせず、私を男手一つで育ててくれました。

 だけど、私が賢者に近付くことを許してくれなくて。義父自身も賢者だったのに、それを私に言ってくれなくて。

 きっと、私の体質を案じてのことだろうとは思うんです、きっと……そう、信じたいというか……」


 スピカはコーヒーをストローで吸い上げ一口飲む。シロップ多め、ミルク多めのアイスコーヒーは、苦味が全くなくまろやかだ。

 アルファルドについて語っていると、家出をしてしまっていることを思い出し、罪悪感がちくりと胸を刺す。それを誤魔化ごまかすように、コーヒーをもう一口飲んだ。氷の粒は口の中で溶けていくが、罪悪感は溶けずに残ったまま。


「父君が賢者……」


 アンナは呟く。

 彼女も不思議なヒトだ。スピカは思った。他人の父親について、こんなに興味を示すとは。


「それで、何の賢者だ?」


 更なる問い掛けに、スピカはあっさりと答えた。


「海蛇だそうです。治癒の輝術を使うそうなんですが。私も見たのは一度きりでして……」


 何気無く言葉を発したつもりだった。しかし、その場の空気はがらりと変わる。グリードは開いた口を隠すこともできず、アンナも戸惑いを隠せないようであった。

 子供達も、彼女らが驚く様を見て困惑する。スピカはかれた質問に答えただけなのに。


「念のためかせてくれ。父君の名前は?」


 おそるおそるといった様子でグリードは問い掛ける。異様な雰囲気にスピカまでも怖じ気付く。しかし、何が悪かったのかがわからない。スピカは返す。


「アルファルド……アルファルド・ヒュダリウムです……」


 アンナの顔が、戸惑いから驚きへ、そして確信へと変わる。怒りを抱いているのだろうかとも思えるその目付きに、スピカは小さく体を震わせた。

 それとほぼ同時であった。部屋にメイドが飛び込み、机にとびつくようにして倒れこんだのだ。ぶつかった衝撃で机が揺れる。

 グリードはメイドに近付き「大丈夫か」と声をかけた。どうやら走って来たために息があがっているらしい。メイドは二、三度頷いてその間息を整える。そして立ち上がり姿勢を正すと、椅子に座ってきょとんとしているスピカを見下ろした。


「スピカ様のお父上と名乗る方が、牡牛の宮に侵入しました」


「アルフが?」


 スピカは立ち上がる。その拍子に椅子がぐらりと揺れ、真後ろに倒れた。スピカにはそれを気にかける余裕もない。

 メイドは頷き、目を伏せる。


「大変失礼と存じますが、執事達が力付くで取り押さえ、拘束しております。治癒の術のために、怪我を省みず向かって来るものですから……」


「何で来たの? 今何処にいるの? アルフに怪我なんてさせてないわよね? ねえ!」


 スピカの頭は疑問で埋め尽くされ、パニックになっていた。メイドの手を握り、自分より少し高い位置にある顔を見上げ、感情のままに捲し立てる。メイドは困惑してしまうが、スピカはそれに気づかない。


「スピカ、落ち着いて」


 アヴィオールはスピカを宥めるが


「落ち着いていられるわけないじゃない!」


 スピカはアヴィオールに対しても声を荒げてしまう。

 その時、不意にパンパイプの音色が聞こえた。その瞬間、ぐらりと視界が揺れる。輝術だ。


「うう……」


 じわりと湧く倦怠感けんたいかんに、スピカはうずくまった。直ぐ様アヴィオールが駆け寄り、スピカの口元に小瓶をあてがい、石榴水を飲ませた。倦怠感けんたいかんが消えると同時に、不思議と焦りやざわつきもおさまっていく。もしかすると、これが輝術の効果だろうか。


「おい山羊魚やぎてめえ! 何しやがんだ!」


 レグルスが吠え、扉を叩くようにして押し開けた。そこにいたのは、山羊魚やぎの賢者、アルゲディだ。パンパイプを吹いていた唇を閉じると、彼の周りを漂っていた光もふわりと消える。


「パニックを止めただけ。これが手っ取り早いだろ?」


「スピカは輝術がダメなんだよ。聞いてないのかよ」


「聞いてる。でもこんな状況だし」


 山羊魚やぎの輝術は恐怖を操る。つまり、パニックに陥ったスピカを鎮めてくれたのだろう。

 酷い人だとスピカは苦笑する。しかし、まともに思考ができるようになったことには感謝した。


「きっと、スピカを迎えに来たんだ。でも、どうやって……」


 アヴィオールは呟く。

 ここは、広大な湖の中央に浮かぶ島。警備は厳重である。ここに来るには、限られた時間にしか繋がらない、街と島を繋ぐはね上げ橋を渡るか、舟を漕いで湖を渡るかの二択しかない。

 だが来た理由ならわかる。スピカを連れ戻しに来たのだ。


「アルフのとこに行ってみるわ」


 スピカは立ち上がる。くらりと視界が歪むが、それを周りに悟られまいと足に力を入れる。アヴィオールもレグルスも、不安をその顔に浮かべるが、引き止めはしなかった。これは、スピカとアルファルドの、義親子おやこの問題だ。スピカが行かねば解決できない。


「では、こちらに」


 メイドがスピカの前に立ち先導する。応接室の扉が開かれると、スピカは部屋の外に出た。

 ちらりと後ろを振り返る。アヴィオールを見つめた。不安に揺れるスピカの目を見て、アヴィオールは頷く。


「僕も行く」


 スピカは安堵を見せる。笑顔にはなりきれないが、一緒にいるだけで安心できた。

 廊下を進み、階段を下る。一階ホールへと向かう廊下に差し掛かると、話し声が聞こえてきた。ホールから聞こえてくるのは間違いない。雄々しい覇気を含んだ声と、必死さをにじませた焦りの声。焦っている片方はアルファルドのものだとすぐにわかった。


「あんたもわかってるはずだ。スピカを継承させてはいけないことを!」


「久々に顔を見せたと思えば、そんなふざけたことを! あの子は賢者の地位を継ぐべきだ!」


 話している内容は、やはりスピカのことだ。スピカの足が止まる。踏み出したいのに踏み出せない。


「スピカ」


 アヴィオールがスピカの手を取り引いた。重たい足を、スピカは一歩前に出す。

 廊下を歩く度、靴裏はカツンと音を立てる。その音に気付いたのだろう。怒鳴り声は次第に止み、静まり返る。

 スピカはロビーに足を踏み出す。そこにいたのは、執事達に組伏せられたアルファルドと、それを見下ろすアルデバランだった。


「アルフ!」


 スピカはアルファルドに駆け寄ろうとし、しかしその前にアルデバランが立ち塞がった。スピカはその行動の意図がわからず、アルデバランを見上げて訴える。


「通して頂戴! アルフは私のお父さんなの!」


 しかし、アルデバランはスピカの行く手を塞いだまま。スピカが右に動けば、アルデバランも左に動き、彼女が左に動けば彼も右に。

 スピカはその行動の意図がわからず、地団駄を踏んだ。


「何でそんな意地悪するの!」


 アルデバランは、おもむろに口を開く。


「アルフが信用できないからさ」


 出てきた冷たいその声は、アルファルドに向けられていた。

 スピカは戸惑う。信用できないだなんて、アルファルドのことを知らない人物が、わざわざ言うとは思えない台詞だ。何よりアルファルドのことを愛称で呼んでいる。二人は知り合いなのか。


「スピカ! そいつの言うことは聞くな!」


アルファルドがスピカに向かって叫ぶ。しかし、使用人がアルファルドの頭を床に押し付け、睨み付けた。くぐもった声が漏れる。


「アルフ!」


 スピカはアルデバランを押し退け、アルファルドの元へと駆ける。しかし、使用人はスピカをじっと見つめ、首を振った。ただそれだけで、スピカは躊躇ちゅうちょし足を止める。


「2人とも説明してよ! 僕もスピカも、すっかり置いてきぼりだ!」


 限界を訴えるかのように、アヴィオールが叫ぶ。


「さっき話してたあれは何? まるで2人とも知り合いみたいじゃないか! スピカのことだってある。宮殿に行くなとか、賢者を継ぐべきだとか。

 二人とも、スピカが大賢人の家系だって知ってるんでしょ?」


 一息で言い放ち、アヴィオールは乱れた息を整えた。

 アルファルドも、アルデバランも、そしてスピカも、その問いかけに驚いていた。


「アヴィ、いつそれに気付いた……?」


 アルファルドの声は、恐れを抱き震えている。


「ここに来て、大賢人達の様子を見てようやく。みんなスピカに気を使ってるって思って」


 アヴィオールの言葉に、アルファルドは苦々しい顔をする。アヴィオールは更に言葉を投げ掛けた。


「よく考えたら、アルフもずっとおかしかったよね。賢者に近寄るなだの、帰還の祈祷に行くなだの。それは、スピカが乙女を継承したら困るからだよね」


「待って頂戴!」


 スピカが叫ぶ。

 当事者であるスピカは、話に全くついていけない。否、理解はできるが、全くもって信じられない。アヴィオールの勘違いではないのかと疑った。


「私が大賢人? じゃあ、私は……そんなのあり得ないわよ。それなら何で宮殿から離れて暮らしてたの? おかしいわ」


 アヴィオールは口を閉じる。だが彼は、その理由についても考察ができているのだろう。アヴィオールの目は泳ぎ、言うか言うまいか悩んでいるようだ。

 彼に代わり、アルデバランが口を開く。


さらわれたんだ、君は」


 衝撃的な一言。スピカはアルデバランの顔を見上げる。

 彼の顔は、どこか見覚えがある。漆黒の髪に、赤いつり目。それは、鏡を見れば同じものが映る……スピカ自身と彼は、よく似ていたのだ。


「乙女の賢者である妻を亡くし、まだ赤ん坊だった娘が何者かによってさらわれてしまった。それが十五年前のこと……

 スピカ、君は牡牛と乙女の間に生まれた子……乙女の賢者の後継者なんだよ」


 スピカは口を開いたまま、何も言えず閉じることもできず。ただアルデバランの顔を見上げたまま、言われた言葉の意味を理解しようとしていた。

 自分がアルデバランの娘で、乙女の賢者になるべき存在……だとしたら、何故アルファルドの元で育てられていたのか。

 さらわれたというのが本当なのだとしたら、犯人は……


「スピカ、お前は、継承してはいけない……継承すれば、エルアの二の舞になる!」


 アルファルドが叫ぶ。その両目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「エルア……私の、お母さんの、二の舞……?」


 アルファルドの口振りはまるで、母が賢者だったと肯定しているようで。

 ならば、アヴィオールが言うことが真実なのではないかと思えてならず。

 さすれば、アルデバランの主張は真実で、アルファルドが幼き乙女をさらった犯人であるということに……


「お母さんは、どうして……」


 どうして亡くなってしまったのか。


「あれは自殺だった」


「そんなはずがない。お前がエルアを殺し、スピカをさらった」


「自分は、スピカを託されたんだ!」


 最早、スピカにはどちらが真実か判断がつかない。だが……


「今までのこと、全部嘘だったの?

 私が賢者とは関係ないということも、お母さんが事故死したというのも」


 スピカは唇を、声を震わせて。瞳に涙を浮かべて。

 アルファルドの最近の態度を考えれば、信用することは難しい。彼の言うこと、成すことは全て嘘だった。スピカのためを思っての行動なのか、疑問を感じた。

 そう思って。


「ごめんなさい。今はアルフを信じられない」


 震える声で呟く。

 アルファルドの顔には、驚愕と絶望。体からは力が抜け、がっくりと頭を俯かせた。脱力した彼の体を、使用人は押さえつけ、手錠で後ろ手に拘束した。アルファルドはされるまま、使用人に促され立たされると、スピカを見つめた。

 アルファルドの目には悲しみが、スピカの瞳には疑惑が、それぞれ浮かぶ。やがてアルファルドは、使用人に導かれ、廊下の奥へと歩いて行く。


「アルフはどうなるんですか?」


 アヴィオールはアルデバランに問う。彼はアルファルドの姿を目で置いながら、アヴィオールに返答する。


「一先ず地下牢に拘束しておく。彼は大罪を犯した。その償いは受けてもらう」


 そうして、アルデバランがスピカに近付く。


「挨拶が遅くなってしまってごめん。

 私が、アルデバラン・ディクテオン。神成かみなりの賢者……君のパパだよ」


 アルデバランから差し出された手を、スピカは握れない。

 それは当然のことだろう。何せ、頭も心も、突然の情報量に混乱し、思考は絡まってしまっている。

 今はとにかく一人になりたいと、そう思った。


「すみません。今は一人にしてください」


 そう呟くのが精一杯であった。

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