輝きの音と貴女の声(3)
そこは、しんと静まり返っていた。
乙女の宮と通称される、宮殿の一端。そこにスピカ達はいる。主不在の城は随分と静か。手入れは行き届いているというのに、寂れた空気を漂わせていた。
「賢者とは、領主であり光の均衡を護る守護者でもある。先代が亡くなってから、ここを護る賢者がいなくなってしまった」
グリードが語る。寂れたように見える理由は、それが理由なのかとスピカは納得した。
マーブラとレグルスは、宮の中を駆け足に移動して、閉められているカーテンを開けていく。窓から陽射しが入り込むと、それだけで空気が洗われるようだった。
太陽が照らすのは、クラシックな調度品の数々。年代物であったが、どれも煌びやかだ。
「乙女の一族には、跡継ぎはいなかったの?」
スピカが尋ねる。アヴィオールとファミラナは、知らないと言うかのように首を振る。だが、次期大賢人達はよく知っているようで、各々小さく声をもらす。
「確か、乙女の一族は短命じゃなかったっけ。それに、女の人しか賢者を継げないから……」
ファミラナが語る。レグルスはそれに頷くが、腕組みをすると、言葉を探しつつ口を開く。
「確かにそうなんだ。先代が賢者を継いだ時には、一族は大分縮小していたらしいから、この宮に住んでいたのは先代とその娘だけって話だったはず」
「え? 子供はいたの?」
「ああ、俺らと同じくらいの年って聞いてるよ。だけどなあ」
レグルスが語ることを
「先代が亡くなってから、娘は行方不明なのだ」
そのため、現賢者はおらず、宮は主不在のままということらしい。
「牡牛の一族が率先して探しているんですが、跡継ぎになるはずだった娘はともかく、先代乙女の兄弟も見つからない。
今の宮殿内部って、ほんとボロボロなんです」
キャンディはそう言い顔を伏せる。その目にはうっすらと涙が浮かんでいるようだった。
「乙女が絶えると災厄が起きると言われています。だから、不安ですし……何より、大賢人が欠けてるというのは寂しいです」
災厄が起きる。
帰還の祈祷でも似た話を聞いたように思い、スピカは尋ねる。
「災厄って……?」
「冬だよ」
マーブラが一言返す。
「歴史の授業で習ったわ。死の期間って言われてるのよね?」
「そんだけしか教えてないんだ。学校ってのは」
更なるマーブラの言葉に、スピカはカチンと腹を立てる。ならばマーブラはそれ以上を知っているのかと。
だが、知っているのはマーブラだけではないらしい。レグルスもよく知っているようで、代わりに説明し始めた。
「冬っていうのは、とにかく寒いんだ。冷たい氷が空から降ってきたり、地面から生えてきたりするらしい。その寒さが悪くてな、作物があまり育たなくて、昔のヒトらは苦労させられたんだってよ。
その冬を作り出したのがラドンっていう竜の王様。雲をかき混ぜ、風を起こして、冬を作ったんだってよ。ヒトを滅ぼすためにな」
マーブラも頷き、レグルスの言葉に続ける。
「初代乙女って言われるエウレカは、その冬を終わらせるためにラドンに立ち向かい、その力を封じた。そして眠りについたと言われているんだ」
ならば初代の乙女がその身をもって封じているのではないか。スピカは考えるが、どうもそのようではないらしい。
どうやら、この冬についての話は大賢人の間では常識であるらしい。次にはグリードが更なる説明を始める。
「ならば何故今頃になって冬が脅威なのかと、そう思うだろう。
エウレカは最期にこう残した。『乙女が絶えた時、冬が来る』と。エウレカの力は、乙女の輝きとともに代々受け継がれていく。乙女の輝きが地上を満たすことで、季節の巡りは護られるそうだ。
だが乙女が絶えた時には、再び冬が訪れる……」
にわかには信じられない話だ。そもそも冬という季節自体が神話時代に消えた季節であり、本当にあったとは信じがたい。だが、大賢人には、それが真実だと伝えられているようだ。
しかし、レグルスは信じていないようで、ひねくれた笑いをこぼし頭を振った。
「なんて、昔話さ。あったかどうかもわからない冬に怯えるなんてバカらしい。
あー、そうそう。ちなみに、エウレカは初代乙女なんて言われるけど、賢者っていう称号が与えられたのは彼女が死んだ後からなんだ。エウレカを初代賢者って呼ぶのは、彼女の功績を称えてのことらしい」
そう締めくくる。
スピカはその話を、楽しさ半分不安半分で聞いていた。冬の存在を信じていた自分にとって、最後のレグルスの言葉はありがたいものだ。ほっとため息をつく。
しかしアヴィオールは、その隣で思案していた。眉を寄せ、じっと考え込む。
「何マジになって考えてんだよ? おとぎ話だろ?」
レグルスがそれを笑い飛ばす。普段なら食って掛かるところだが、どうやら今のアヴィオールはそれどころではないらしい。
「ちょっと面白いところ、見に行きません……?」
キャンディがおずおずと皆に問いかける。
「面白いところ?」
ファミラナが問いかけると、キャンディはパッと顔を明るくさせた。
「継承の間だよ。きっとスピカちゃんには新鮮だろうし、大賢人の継承の間は、公にはされないから面白いかなって」
「あ、それすごくいいね。私も見てみたいと思ってたんだよ」
ファミラナも、キャンディの言葉に賛成する。賢者が輝きと術を受け継ぐ継承の儀、そのために使われる継承の間。大賢人のそれはファミラナも見たことがないようであった。
賢者の儀式でさえもスピカは見たことがない。ましてや大賢人のものとなると、全く想像がつかなかった。
「輝術って、親から受け継いで終わりじゃないの?」
世間知らずと思われるのが嫌でスピカはアヴィオールにだけ耳打ちする。いまだに考え事をしているアヴィオールはスピカの声にハッとすると、やや遅れて小声で返事した。
「子供には星の輝きは大きすぎるから、三回の儀式で少しずつ慣らすんだ。それが継承の儀。まあ、簡略化して儀式の形を取らない家系もあるけど。
大賢人は儀式を重んじるだろうし、専用の部屋があるんだと思うよ」
アヴィオールの簡潔でわかりやすい説明に、スピカは感嘆の声をもらす。アヴィオールの話によれば、継承とやらは慎重にこなさなければならない儀式のようだ。
キャンディの案内によって、継承の間へと向かうことになり、キャンディとマーブラを先頭にした一行は、宮の奥へと進んでいく。
大賢人の継承の間は、星の光をその身に受けるため、最上階に設けられている。階段を上り二階へと向かうと、そのフロア丸ごと大きな部屋であった。
壁は深い紺色に塗られ、天の川や星座が描かれている。床は大理石。中央に円形のステージがあり、そこには麦の穂とナツメヤシを持った乙女の像が掘られている。天井はガラス張りとなっており、部屋中に太陽の光が燦々と降り注いでいた。夜になれば、星の光が降り注ぐ深い空が一望できるだろう。
「継承の儀を行う時には、賢者のシンボルをかたどって星屑の結晶を床に配置して、ランプ代わりにするんだ。この宮だと乙女だね」
マーブラは説明する。アヴィオールやファミラナは賢者であるため想像は容易いようだが、スピカは首をひねる。仕方ないと思いつつも、話に入っていけないのが残念だった。
スピカはじっと乙女の像を見る。その巻き髪の少女は、肖像だというのに可憐で見とれてしまう。
『ああ、やっと来てくれた』
不意に声が聞こえた。スピカは肩を跳ねさせる。
『お友達も一緒なのね。あなたとお喋りしたかったけど……うーん、残念』
スピカは像に近付く。乙女像が話しているように思えたからだ。しかしそれが口を動かすことはない。
「あなたは誰なの?」
ぽつりと呟く。
『あなたのお友達になりたいわ。仲良くしてね、スピカ』
ウフフと無邪気に笑う声は、フェードアウトして消えていく。スピカは声の主を探して顔をキョロキョロと動かした。
「スピカ? どうしたの?」
アヴィオールが声をかける。スピカはアヴィオールを振り返り、肖像を指差した。
「あっちの方から女の子の声が聞こえなかったかしら」
「女の子の? いや……」
スピカの聞いた声を、アヴィオールは聞いていないようだ。首を横に振る。
アヴィオールだけでなく、ファミラナやグリード、双子にも顔を向けるが、やはり誰か何かを聞いている様子はない。マーブラに至っては呆れた顔をしていた。
「スピカ、耳を診てやろうか?」
グリードは心配しているのだろう。そう言葉をかけてくる。しかしスピカは空耳だったとは思えず、髪を揺らして首を振る。
あの声は、神殿に入る鍵を教えてくれた声だったのだ。二度三度と同じ声を聞くのであれば、気のせいではないのだろう。
「確かに聞こえたはずなのに……」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。
釈然としないが、誰も声に気付いていないなら仕方ない。不思議なこともあるものなのだと、この時はそう自分に言い聞かせる。
「思うんだけどさ」
アヴィオールが唐突に問いかける。
「何でよそ者の僕らに、ここまで見せてくれるの? 宮殿ってこんなにオープンだとは思わなかったよ」
マーブラはため息をもらし、グリードを見上げる。そしてキャンディも。グリードはやんわりと笑みを浮かべるものの、何も言わない。
アヴィオールの視線はグリードに向く。
「賢者は賢者であることを言わずって言うけど……今の状況はまるで正反対だ。確かに乙女の宮に来たいと言ったのは僕だけど、こんなにすんなり入らせてもらえるなんて……
僕、思うんだけどさ……」
その時、入り口から足音が聞こえた。
振り返れば、朱色のショートヘアをした女性が歩いていた。膝裏まで覆う程のロングコートを翻しながら、スピカへ近寄ってくる。
「君か、スピカというのは」
スピカは立ち止まって口を開く。そうだと答える前に、その女性が質問を重ねてくる。
「もう牡牛の賢者には会ったのか?」
スピカは開きかけた口を閉じて首を振る。まだ大賢人全員には会えていないはずだ。
「何故ここに来た? 誘われたのか? それとも自ら?」
女性は待つのが下手らしい。スピカの返事を聞くより前に、更なる質問を重ねようと口を開く。
「アンナ、スピカが戸惑っている。先ずは名乗ってくれまいか」
グリードがスピカと女性の間に割って入る。アンナと呼ばれた彼女は、眉をひそめて少し考え、そしてハッとする。咳払いをすると、自分の胸に手を置いた。
「
先程はすまない。だが、君には
スピカは首を傾げる。大賢人が自分に訊きたいこととは何だろうかと。スピカが口を開くと同時に、再びアンナが問いかけてくる。
「君のフルネームは? 君の
「あの、私は……」
「君は何処に住んでいたんだ? 今まで何処に」
「アンナ」
今度はレグルスが口を挟んだ。アンナは「あっ……」と小さくもらし、ようやく口を閉じた。
「外からの客が珍しいとは言え、どうしたのだ。 何か急ぐことでも?」
「いや、すまない。確認したいことがあっただけだ」
しおらしくなったアンナをスピカは見上げる。アルファルドと同じくらいの年だろうかと、そう考えた。
「あの、カルキノス様。まだ牡牛の賢者様は帰っていらっしゃらないのでは?」
キャンディがおずおずと問いかける。アンナは「えっ?」と間の抜けた声を出しキャンディを見下ろす。しかしキャンディは小さく声をあげると、マーブラの影に隠れてしまった。
「まだ帰ってなかったのか」
「
レグルスは後頭部に添えるように両手を組み、笑いを含ませた声でアンナに問いかけた。
「アルデバランは、あんたと視察に行ったはずだろ? 何であんたと一緒に帰ってないんだよ」
彼の口から出てきた名に、スピカは驚いた。そしてアヴィオールも。
アルデバランという名前には聞き覚えがある。ほんの一、二回しか会っていないが、印象が良くなかったためにはっきりと覚えていたのだ。
「あの変質者が牡牛の賢者?」
アヴィオールは思わず叫ぶ。声は部屋に響き、反響する。アンナもグリードも、他の皆も、その言葉に呆れた顔をしてアヴィオールを見ていた。
アヴィオールは口角をひくつかせる。黙っていればよかったと後悔するが、出た言葉は取り消すことができない。
「あー……とりあえず、スピカに会わせたい人物なのだ。牡牛の宮へ行って、彼を待たないか」
グリードは咳払いをし、場を繕うために提案を口にする。反対意見はない。皆何も言わず、グリードに従い部屋を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます