輝きの音と貴女の声

輝きの音と貴女の声

 湖は広く深く。雲一つない青い空が映り込むさまは、まるで鏡のようだ。時折吹いてくる穏やかな風は、さわさわと木の葉を優しく揺らした。遠くに見える対岸には石造りの神殿が建っており存在感を放っていた。

 湖の中央にある孤島に、十三の宮殿がある。夜の風景しか見ていなかったスピカは、今正にその景色の美しさに感嘆していた。

 本日は、グリードが宮殿内部を案内してくれるのだと言っていた。早朝だというのに、グリードは眠たげな様子を見せず先頭を歩いている。だが張り切りすぎているようで、早足かつ大股だ。スピカもアヴィオールも、早足になりながらついて行く。


「まずは双子の宮を案内しよう」


 グリードは後ろをかえりみることなく、声高らかに言う。段々と距離が離れていることに気付いていないようだ。

 湖が一望できる渡り廊下を歩き、双子の宮へと向かうのだが、スピカもアヴィオールも追い付けていなかった。駆け足になりながら、アヴィオールがグリードの背中に声をかける。


「グリードさん、速いよ」


 グリードは湖を、そしてまだ昇りきっていない太陽を見る。


「ああ、早起きは気持ちいいだろう。朝日を浴びることから健やかな一日が始まるのだから」


「そうじゃなくて。置いてかないで頂戴」


 スピカも息を弾ませながらそう言った。グリードは自分が先走りすぎていることにようやく気づいたらしい。スピカ達を振り返ると、離れた距離に驚いていた。彼の歩幅にして三歩程引き離してしまっていた。グリードは立ち止まる。


「すまない。速すぎたようだ」


 合流すると再び歩き出す。今度は横一列に並んで。

 渡り廊下には御影石みかげいしが敷き詰められており、硬い靴音が空気を伝わって辺りに響く。壁はなく、一定間隔を保って連なる柱に支えられる屋根があるのみ。床には風に乗った砂埃や木の葉が辺りに散らばっていた。それを掃除する二人の使用人は、グリードに気付くと立ち止まって深く礼をする。


「双子の宮には、貴殿らと同じくらいの子供らがいるのだ。仲良くしてやってはくれまいか」


 使用人に会釈しながら、グリードは言う。双子の宮にいる子供達ということは、もしかしたら双子だろうか。


「彼らは出生が特殊でな」


「特殊?」


 グリードは頷く。

 そう話しているうちに、渡り廊下の端までやってきた。宮への入り口は、アーチ状にくり貫かれたそこに両開きの重たげな扉がついていた。グリードはそれを両手で押し広げる。内側に開いていく扉の隙間から、朝日が宮の中に差し入った。


「失礼する」


 宮の中に足を踏み入れる。扉の側で待機していたメイドは、グリードに一礼した。

 何処からともなくフルートの音色が聞こえてきた。その回り踊るような柔らかい音はまるで客の来訪を歓迎しているようだった。


「あら、可愛いお客様ねえ」


 ホールの端から声が聞こえる。そこにある階段から、一人の女性が見下ろしていた。淑やかでおっとりとした雰囲気の彼女は、階段から降りようとして、足を踏み外し尻餅をついた。


「母上、大丈夫?」


 その更に後ろから、一人の少年が現れる。その見た目の華やかさに、スピカの目が奪われる。

 ふわふわと癖のあるショートヘアーは、深い青色をベースに、毛先に進むに従い黄色く色付くグラデーション。まるで夜空に浮かぶ星の光のようだ。


「スピカ、何見てるの?」


 嫉妬を含んだアヴィオールの声に、スピカは肩を跳ねさせる。おそるおそる振り返ると、アヴィオールは笑顔を浮かべていた。空恐ろしいとはこのことか。


「大丈夫よお、マーブラ。ちょっと転んじゃっただけ。それよりも、お客様がいらしてるから、お相手してさしあげなさいな」


 マーブラと呼ばれた少年は、階段の上からスピカ達を見下ろす。青い瞳は冷たく彼女らを見据え……そして。


「何あいつら」


 吐き捨てるように言い放ったその一言に、スピカは頬をひきつらせた。


「昨日、サビクさんのところにいらしたお客様よお。ほら、ご挨拶なさいな」


「挨拶して僕に何の得があるの。キャンディちゃんと一緒にいる方がずっと価値あると思うんだけど」


 随分な言い種だ。だが、スピカもアヴィオールも、展開についていけずその場で固まるだけ。

 グリードは深くため息をつき、少年を見上げた。


「マーブラ! 彼らは大賢人を訪ねて、わざわざ宮殿まで足を運んだのだ。歓迎し、もてなしをするのが礼儀だろう!」


「あんたがそうしたいならしたら? 僕は知らない」


 少年はそれだけ言うと女性の手を取って起こし、階段の上、廊下の奥へと消えていった。

 見知らぬ少年に睨まれたうえ、さげすまれてしまった。彼が消えた後になって、ようやくスピカの胸に怒りが湧いてくる。


「何あれ」


「誰、今の」


 それはアヴィオールも同じで、低い声でグリードに問い掛ける。グリードが口を開いたその時、グリードの後ろに二人の男性が近寄り声をかけてきた。


「不快な思いをさせてすまない」


「彼は次期双子の賢者、片割れのマーブラだ」


 そこに立っていたのは、双子の大賢人、アルヘナとワサトであった。そのうちの片割れ、ワサトが目を丸めた。


「君達は……」


 スピカは姿勢を正し腰を折る。帰還の祈祷で出会ったことを互いに覚えていたようである。ワサトはスピカに、アルヘナはアヴィオールに手を差し出し、握手を交わした。


「よく来てくれた。今日は、父君は一緒ではないのか?」


 スピカの表情が曇る。彼女に代わりグリードが説明しようと一歩前に出るが、アヴィオールがその腕を掴んで止めた。グリードはその理由がわからないようで首を捻るが、何も言わず後退した。

 スピカの「言いたくない」という思いを察したアルヘナは、ワサトに向いて首を振る。

 一瞬のうちに暗くなってしまった空気を振り払おうと、アヴィオールはスピカの後ろから明るい声をかける。


「あの、さっきのって結局誰ですか?」


 明るすぎたかもしれない。わざとらしいほどに弾んだ声は、少し上ずってしまった。スピカはふっと息をもらし、肩を揺らして笑った。それにつられてアルヘナとワサトも、くすくす笑う。アヴィオールは恥ずかしさから顔を隠してしまうが、空気を温めることには成功したようだ。


「先程説明した通り、双子の賢者の1人。彼にも双子の片割れがいるのだが……かなり特殊な生まれでね……」


 アルヘナが説明を始めると、再び先程の少年、マーブラが顔を出した。隣に小柄な少女を連れている。彼女の長いツインテールもまた癖毛であり、黄色から青へ色付くグラデーションをしていた。かなり身長差がある二人だが、その顔は瓜二つ。


「噂をすれば、だな。マーブラ、キャンディ、お客様を案内しなさい」


 声をかけられると、少女は怯えた顔をしてマーブラの背中に隠れてしまった。かなり緊張しているのだろう。顔を真っ赤にしてしまっている。そんな少女を守るかのように、マーブラはスピカやアヴィオールを睨んでいた。

 歪にも見える二人を、スピカはただ見上げる。睨み返すことなく、怯えることなく、ただ見上げていた。

 やがてマーブラが折れた。少女の頭をポンと叩くと、彼女を置いて階段を降りる。目を離すことなくスピカを睨み、やがて階下にやってくると、真正面からスピカを見下みおろした。

 否、見下みくだした。


「案内してやるよ」


 ぼそりと一言。スピカはふっと笑みを浮かべ頷いた。


「ええ、よろしくお願いします」


 マーブラは黙って踵を返し、やや早足に階段を上る。アヴィオールを振り返ったスピカは、右手でVサインを作った。

 三人は駆け足で階段を上がり、マーブラを追いかける。案内すると言ったわりに、彼は立ち止まることをしない。踊り場にやってくると、先程の少女が壁の向こうから顔を半分出してスピカ達を見ていた。その顔は伏し気味で、申し訳なさそうに目が泳いでいた。


「ご、ごめんなさい……あの、マーブラ君、初めて会う人には冷たいけど、本当は優しいんです」


 説得力がまるでない。それを証明するかのように、マーブラが踊り場に現れると、キャンディの肩を抱いて自分の方へと引き寄せる。


「キャンディちゃん、どこの馬の骨ともわからない奴らなんかと話さなくていいよ。汚れちゃいけないから」


「そんなことばかり言ってると誤解されちゃうよ」


「あいつらから誤解されようが、僕はどうでもいいの」


 マーブラは、キャンディと呼ぶ少女の頬にキスを落とす。キャンディは顔を真っ赤にしてしまった。

 グリードはため息をこぼす。彼にとっては見慣れた光景らしい、動じる様子もなくこう言った。


「早く案内してくれないか、双子の賢者殿」


 やはり彼らは双子なのだなと、スピカは二人の顔を見比べて頷く。やけに仲が良すぎる気もするが、気のせいだと思うことにした。

 マーブラは渋々とした表情、キャンディは相変わらずこちらに目を合わせようとしない。どうやらこの双子は、人付き合いが上手くないようだ。


「宮殿内は、急な客にみんな戸惑ってる。何しに来たか知らないけど、変な真似したら追い出すからな」


 マーブラが警告を重ねる。グリードは彼に抗議しようとするが、それをアヴィオールが止めた。マーブラはいぶかしむ。だがアヴィオールはマーブラの表情を気に止めることなく、人懐こい笑顔を浮かべた。


「僕らは大賢人に教えを請いに来たんだ。何か悪さしようだなんて思ってないよ」


 マーブラの後ろから、キャンディが顔を出す。マーブラの服の袖をくいっと引くと、背伸びしてマーブラに耳打ちする。内容までは聞こえないが、それが決して悪口ではないとスピカは気付いた。キャンディの真面目な顔から、悪口が出てくるとは到底思えない。

 マーブラは小さく唸り、そして頷いた。キャンディに二言三言耳打ちすると、スピカとアヴィオールを交互に見る。


「まず、大賢人達に会ってもらうから。施設の案内はその後にする」


「うん、ありがとう」


 アヴィオールはマーブラに手を差し出す。握手をしようと思ったのだろう。しかしマーブラはそれを一瞥するだけで、ふいっと顔を反らしてしまった。

 アヴィオールは不快感を胸の内に隠す。マーブラが素っ気ないのは人付き合いが苦手なせいだろうと、そう思うことにした。

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