惑い廻る君と僕

惑い廻る君と僕

「何でそんな馬鹿なことをしたの!」


 怒りの声とともに、レグルスの左頬が叩かれる。レグルスはそれをただ黙って受け入れた。クリスティーナは涙を浮かべ、振り切った右手を下ろす。

 レグルスの三文芝居は、あっさり見抜かれてしまった。当然だ。騒ぐわりには怪我が少なく、最も大きい傷は肩にできた拳大の痣くらいのもの。手足や腹にも傷はあったが、わざわざ医者を呼ぶまでもない小さなものだ。

 術をかけるのが上手すぎだと、レグルスは胸中でアヴィオールに文句を言う。だが、いつかはバレてしまう嘘なのだ。時間を稼げただけでも上出来ではないか。

 レグルスはベッドに座り、クリスティーナの説教を受けていた。シーツを握り、言い返さないよう唇を噛む。


「何でこんなことしたの。何か不満があったの?」


 クリスティーナは今にも泣きそうだ。女性にしか見えないその顔で泣かれてしまうと、頭では男性だとわかっていても萎縮いしゅくしてしまう。レグルスは言い訳しようとして口を開きかける。だがスピカ達との作戦を思い出し、再び唇を噛む。何も言い返せないのが歯痒くて仕方ない。

 クリスティーナの周りでは、救急箱やタオルを持った使用人達が、彼の指示を待っている。レグルスの怪我の具合を見れば、用意したものの殆どは役に立たないだろう。


「カルロスも、みんなも、ごめんなさい。寝ててちょうだい」


 クリスティーナは額をおさえ、ため息をつく。そんな彼に、カルロスは声をかけた。


「でも彼は男だし、俺が相手の方が話しやすいんじゃ」


「忘れたの? 私も男よ?」


「あ、そうでしたね。そうだった」


「失礼しちゃうわ」


 紛らわしい格好をしているのが悪いだろうと、レグルスは苦笑いする。それを見たクリスティーナが、咎めるようにレグルスをじっと見つめる。レグルスは顔をうつむかせた。


「あの……」


 そこへファミラナが顔を出した。騒ぎのせいで目が覚めたらしく、眠たげに目を擦っている。


「起こしたか? 悪い」


 レグルスはファミラナを振り返り声をかけた。ファミラナはそれに首を振る。気にしていないというよりは、起こされたこと以上に気になることがある、そんな表情だ。

 ファミラナは、友人の姿がないか探す。その仕草を見て、レグルスは青ざめた。小さく首を振るが、その動作の意味はファミラナに通じない。


「スピカちゃんとアヴィ君は?」


 クリスティーナは辺りを見回す。そこでようやくスピカ達の姿が消えていることに気付いた。


「レグルス君が怪我した時までは一緒にいたはず……あなた達、まさか……」


 クリスティーナはレグルスの肩を掴んだ。痣に触れられると流石に痛くて、レグルスは呻いた。クリスティーナは慌てて手を離す。

 これ以上の時間稼ぎはできないと判断し、レグルスは口を開いた。クリスティーナを見上げ、ネタばらしを始める。


「あいつらが宮殿に行けるように芝居したんだ。俺が事故を起こして、その隙に屋敷を抜け出す作戦なんだよ」


「じゃあ、もうここにはいないのね」


 クリスティーナは焦っている。それを誤魔化ごまかすかのように、ベッドの周りを行ったり来たり。


「でも、あんたも俺らに隠してることあるんだろ。あいこだよ」


 クリスティーナは目を見開く。そして、言葉にならない呻き声をもらし、額をおさえた。


「バレてたのね」


「え? 何かあったんですか?」


 ファミラナは状況が読めないまま。

 レグルスはクリスティーナを見つめ、尋ねる。


「俺らを宮殿に行かせないよう足止めしてたのは本当なんだな?」


 今更誤魔化ごまかしはできないだろう。クリスティーナは潔く「ええ、そうよ」と肯定した。騙してしまったことに罪悪感はあったが、自分の選択は間違っていないと、そう思っていた。

 だが、そのきっぱりとした姿勢が、レグルスには不快だったようだ。

 

「俺らをだましたことは謝らないんだな」


 クリスティーナは目を伏せたが何も言わない。レグルスはあざけるような笑いをこぼし、ベッドからおりる。床に足をつけると、足首が鈍く痛んだ。どうやらひねったらしい。踝辺りがじわりと熱を帯びていることに気付く。


「帰る。ここにいたって仕方ねえ」


「よ、よく分からないんだけど、何かあったの? 何でレグルス君怒ってるの?」


 ファミラナはびくびくとしながら答えてくれる誰かを探す。その仕草はレグルスを更に苛立たせてしまうようだ。レグルスはファミラナを無意識に睨み付ける。


「ひえっ」


 ファミラナの泣き出しそうな顔を見て、レグルスは自分の目付きに気付く。目頭を親指と人差し指で挟んで揉み、ため息をもらした。


「ファミラナはここにいるよな?」


「えっと……」


 そこへクリスティーナが割って入る。


「子供を一人で帰らせるわけにいかないわ。ましてや今は夜よ?」


 今まで煮えたぎっていたレグルスの怒りが遂に爆発する。キレたのだ。


「っるせーんだよ! 子供だからだましていいのか? 何もかも隠し尽くして、本人の感情を無視していいのか!」


 クリスティーナは眉間を寄せる。彼も怒鳴りたいだろうに、それを堪えている、そんな顔だ。


「何もそこまでは……」


「そこまでのことしてんだよ。気付かねえの?」


 レグルスは使用人達を無視して部屋の扉に手をかける。しかし、


『レグルス君、夜は危ないよ』


 ぶるりと震えた。

 ファミラナの周りで光が舞う。足元から風が渦巻き、短い髪がなびく。烏の輝術によるテレパシー。彼女のそれは、寒気という余計なものまで送り込んでしまう。


「ファミラナ、やめろって」


『右足痛いんでしょ? 庇って歩いてるもん』


「なら尚更やめろよ。余計に……」


『だから、今は怒るの我慢して。明日一緒に宮殿行ってみようよ』


 ファミラナがテレパシーを送る度、体には寒気が蓄積する。足の痛みも相まって、動くのが辛く、体が怠くなってしまう。遂にレグルスが根負けし、扉の前で座り込んでしまった。


「恨むぞ、烏さんよ……」


「ごめんなさい」


 ファミラナは顔をうつ向かせる。だが、やったことに後悔はないようであった。

 クリスティーナはレグルスに近付き手を差し出す。だがレグルスはそっぽを向き、自力で立ち上がる。のっそりとベッドに近寄ると、布団に潜り込んで寒気に震えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る