偽り不信の落下星(5)

 レグルスは階段に立つ。二階から一階までの距離はかなり長く、高低差も大きい。今から行うことを考えると、冷や汗が流れて足が震えた。


「本当にやるの?」


「やめようよ」


 背後から、スピカとアヴィオールの声が聞こえる。二人とも声が震えている。だが、レグルスは考えを変える気などなかった。


「ちゃんと術かけてくれよ、アヴィ」


 レグルスの声も、か細く消え入りそうなものであった。それもそうだ。彼は階段を転げ落ちようとしているのだから。

 アヴィオールはなおも制止の言葉を探すが、レグルスは聞かないだろう。

 「自分が事故を起こせば、その間スピカやアヴィオールへの注意は薄れるだろう」というのがレグルスの考えで、目的は、隙をついて屋敷からスピカ達を逃がすことであった。

 勿論、本当に大怪我をするつもりはない。そのため、アヴィオールに輝術をかけてもらい、痛みを最小限に留めるつもりでいた。


「二人とも着替えてるな。荷物も準備してるだろ?」


 普段着姿のスピカは頷く。レグルスもまた頷いた。


「アヴィ、頼むぞ」


 レグルスは階段から足を故意に踏み外す。それと同時に、アヴィオールが術をかけた。

 レグルスの周りを白鳩が舞う。レグルスの落下速度が若干落ちた。だが重力に完全には逆らえず、階段に体を打ち付け転がっていく。

 胸を打ち付け、背中を打ち付け、肺から酸素が抜けていく。だが落下速度が落ちたおかげで、受け身を取りながら転げ落ちることができている。痣は免れられないが、大きな怪我はしないだろうという確信があった。

 やがて体が一階のホールへと到着する。体の痛みに、レグルスは叫ぶことができない。作戦ではレグルス自身が叫んで皆を呼び寄せるはずだったが、声が出ないとは想定外だ。レグルスは歪ませた顔を動かし、階段の上に立つ友人達を見上げた。


「レグルス! 大丈夫?」


 スピカがレグルスの様子に気付き、わざとらしい程の大声を出しながら階段をかけ降りた。アヴィオールもそれに続き、意識して足音を大きく立てながら階段を駆けた。

 物音に気付いたのか、クリスティーナが眠たげな顔をしつつ自室から顔を出す。階段までやってきて一階を見下ろすと、レグルスの姿を見て驚愕きょうがくした。


「レグルス君! しっかりして!」


 階段を駆け下りるクリスティーナ。

 レグルスの元には、スピカとアヴィオールが寄り添い、レグルスに体の具合を尋ねていた。レグルスは「大丈夫だ」と繰り返す。実のところ、立ち上がろうとすればできた。しかし事故だということを強調するべく、あえて倒れたまま唸り声をもらす。


「レグルス君、しっかりなさい!

 誰か! 誰か来て頂戴!」


 クリスティーナは叫びながらレグルスの肩に触れる。だが、レグルスは、肩を跳ねさせて呻いた。クリスティーナは咄嗟とっさに手を離した。

 やがて階段には大人達が集まってくる。住み込みの使用人達と、カルロスだ。クリスティーナは立ち上がって、使用人達に救急箱や担架を持ってくるように命じる。

 辺りは騒然としてきた。スピカは酷く罪悪を感じる。そんなスピカの顔色に気付いたのか、レグルスはスピカにこっそり目配せした。大丈夫だから早く行けと、急かしているようだった。

 アヴィオールはスピカの手を握る。スピカもまた、アヴィオールの手を握り返した。

 使用人が担架を担いでくる。クリスティーナとカルロスは、レグルスの脇と脚をそれぞれ抱え、担架に乗せた。レグルスはあえて体から力を抜き、ぐったりとしている。

 レグルスが寝室に運ばれると、階段周辺からは人がいなくなってしまった。


「行こう」


 アヴィオールに言われ、スピカは頷いた。階段の影に隠しておいた鞄をそれぞれ掴み、廊下を走る。そして、店のバックヤードを走り抜け、時計屋のカウンターを越え、堂々と店の扉から脱出した。

 辺りは夜だというのに人の声が賑やかで、街灯が目映く星屑の光を溢れさせていた。

 今から何処に行くべきか検討がつかない。でも、ここにただ突っ立っているわけにもいかない。

 都会の夜は、子供には危険だと聞く。だがそれを覚悟できないと、先に進むことはできないのだ。

 二人は握り合った手に力を込める。強く強く結ばれた気がした。

 スピカは歩き出す。やや遅れてアヴィオールが歩き出した。そうやって、二人の子供は夜の町へと溶けていった。

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