偽り不信の落下星(4)
疲れきった体に、柔らかなベッドは心地よく、まるで雲のように体を包んで抱き締める。スピカはくたくたになった手足を投げ出して、うつらうつらとしていた。
客室には、ダブルサイズのベッドが一台。部屋には机も椅子も二人分揃っていて快適であった。
「よかったね。泊めてもらえるなんて」
相部屋となったファミラナが、ジャージを着ながらスピカを振り返る。スピカはのそりと体を起こした。
「クリスさん、すごくいい人ね。あんな大人、憧れちゃうわ」
「ご飯も美味しかったし、ベッドもこんなにふかふかだし、すごく幸せ」
ファミラナはベッドに倒れ込み、シーツに埋もれた。
スピカはファミラナを見て呟く。
「パジャマ、それ?」
ファミラナのジャージ姿が気になったようだった。
部屋に入る前、クリスティーナから渡されたパジャマは、机の上に畳んで置きっぱなし。ファミラナは頬に片手をあてるとはにかんだ。
「あんなにフリルいっぱいで可愛いの、私には似合わないよ……」
「そんなことないと思うわ。着たらいいじゃない」
「だめだめ! 絶対似合わないから!」
「パジャマなんて、誰に見せるわけでもないじゃない。可愛すぎたっていいのよ」
着る着ないの言い合いが暫く続き、結局ファミラナはジャージ姿のままシーツの中に潜り込んだ。スピカは頬を膨らませ、ベッドの端に座った。
ファミラナはスピカの隣に座り直し、隣の部屋にいるであろう男子二人を思い出す。
「レグルス君とアヴィ君、大丈夫かな?」
「大丈夫じゃないかしら? ただ一泊相部屋するだけだもの」
とはいえ、油断したら会話が喧嘩に発展するような二人である。今頃何を話しているのか、仲は良好なのか、やや心配だ。
「まあ、喧嘩するほど仲が良いって言うし、上手くやってるわよ、きっと」
スピカはあまり深刻には考えていないようで、片手をひらりと振りながらそう言った。ファミラナも同意し、大きく頷く。
「そうだね! きっと仲良くお喋りして、いつの間にか距離が縮まって……ふふふ……レグアヴィいいね。あ、でも逆もありかな……?」
そこまで呟いたところで、ファミラナは我に返る。腐った方へ広がる妄想をかき消そうと両手をパタパタ振るが、どうにも振りほどけない。
「レグアヴィ? なあに、それ?」
スピカは実に澄んだ目でファミラナを見つめる。ファミラナは顔を真っ赤にした。
「ごめんなさいごめんなさい忘れてください!」
「気になるわ。教えて頂戴」
「ダメなの! スピカちゃんは純粋なままでいてー!」
黄色い声が部屋に響く。知りたいことを教えてくれないファミラナに、スピカはくすぐりを仕掛け、ファミラナは涙を浮かべるほどに笑った。
一頻りじゃれあいを楽しむと、やがて睡魔が襲ってきた。ベッドに並んで転がる二人は、深く呼吸をすると、あっという間に夢の中へと落ちていく。
眠りに入る瞬間の体の重みは心地好いもので、スピカは海の中に沈むような錯覚を抱く。
意識が左右に揺れるような……無音の世界で、体は落ちるのに意識は浮遊しているような、不思議な感覚。
カンテラを片手に、時計塔の階段を上っていく。暗がりの中、靴音を鳴らしただひたすらに進む自分の足取りは重く感じ、同時に「ああ、昼間と同じ景色だ」と考える。だが昼間のような楽しさはなく、例えようのない不安が感情を埋め尽くした。この先にあるのは、歯車や振り子の部屋ではない。カリヨンもない。きっと見たら後悔するようなものがそこにある。そんな、確信めいた恐怖。
これは夢なのだと意識すると、頭が冴えてきたらしく、時計塔の情景はかき消すかのように霧散した。しかし、足音は鳴り止まない。
スピカは過去にどこかで聞いた話を思い出す。
夢とは、金色の
オカルトじみている。スピカはその記憶を馬鹿にしたが、一方で何故このタイミングで思い出したのかと不思議に感じた。
意識は現実に引き戻される。いつの間にか部屋の照明は消されており、ファミラナは隣で布団をかぶって眠っていた。寝息に合わせて胸が上下している。
鳴り止まない足音は、どうやら部屋の外から聞こえていたらしい。スピカは寝惚け眼で扉に近付く。
足音は小さくなっていく。どうやら廊下の奥へと誰かが歩いて行くようだ。スピカは扉をそっと開け、顔を覗かせた。
クリスティーナの後ろ姿が見えた。ネグリジェの上から羽織ったショールをなびかせて、客間から離れた部屋へと入る。その歩き方が、やましいことでもあるかのように、コソコソとしたものであったため、スピカは首を傾げる。好奇心から、クリスティーナの後を追った。靴を履くのが面倒で裸足のまま廊下を歩く。
クリスティーナが入ったのは、彼自身の寝室だったようだ。スピカは扉の前に立ち、ノックをすべきか悩む。
部屋の中から、声が聞こえてきた。
『ええ、大丈夫よ。ぐっすり寝てるわ。心配しないで頂戴』
明るく弾むようなクリスティーナの声。会話のようだが、相手側の声は聞こえてこない。電話をしているのだろう。
『ええ、スピカちゃんもアヴィ君も、いい子だわ。スピカちゃんに賢者のお友達がいるなんて、思ってもみなかった』
話の内容は自分達のことだと気付き、スピカは扉に左耳を押し当てる。会話の内容を聞き漏らさないよう集中した。
『あの子達、宮殿に行くつもりだけど、当然行かせられないわよね? 今日は上手く
そう。今列車に乗ったのね。なら明日の昼には着くかしら。
あら、可愛いお客様も一緒なのね。スピカちゃんが心配で着いて来たの?
ええ……ええ……わかっているわ。愛弟子の頼みですもの。でも、その心配はとりあえず置いておいて。折角の夜の銀河鉄道なんだから、星の巡りを楽しみなさいな。
お休みなさい。アルフ君』
通話が終わったようだ。受話器を置く金属的な音を最後に、扉の向こうは静まる。
スピカは耳を離すと、据わった目で扉を見つめた。クリスティーナの善意は、スピカを足止めするための口実だったのだ。
勿論、それを理由に「汚い大人」と言うつもりはない。自分は家出をしている身だ。義父が心配するのは当然だろう。
だが、結託して嘘をつくという行為が許せなかった。
スピカは踵を返す。そして、アヴィオールとレグルスが泊まる客室に向かう。部屋に入ると、電気をつけずにダブルベッドに近寄った。
ベッドの端に縮こまって眠るアヴィオールと、彼を蹴飛ばすかのような大の字でいびきをかくレグルス。二人とも深く寝入っている。
「アヴィ、起きて頂戴」
スピカはアヴィオールの肩を掴んで強く揺さぶる。アヴィオールは気だるげに瞼を開き、スピカの顔をぼんやりと見た。
「スピカ、どうしたの?」
アヴィオールが起き上がる。その気配に、レグルスも目を覚ましたようだ。起き上がると、猫がするように背筋をぐっと伸ばして欠伸した。
「お前、ファミラナと寝るんじゃないのか?」
スピカは膝立ちの姿勢で、ベッドに寄りかかり肘をつく。
「ちょっと困ったことになっちゃって……クリスティーナさん、私達から隠れてアルフと連絡取ってたのよ。明日、昼にはアルフがここに来るって」
アヴィオールはぎょっとした顔。レグルスも悪態をつきながら頭を掻いた。
「どうしても、スピカを宮殿に行かせたくないんだね。何がいけないんだろう」
アヴィオールは腕組みをし、ぼやいた。だが今考えるべきは、そこではない。
「どうする? 朝までいても仕方ないだろ?」
日が昇れば、またクリスティーナの監視がつく。そして昼にはアルファルドがスピカを迎えに来る。そのような状況では、宮殿に向かうどころかダクティロスに逆戻りだ。
ならば、監視がつく前にここから離れるしかない。スピカは覚悟を決めていた。キリリと眉を吊り上げて、瞳を煌めかせた。
「逃げるわ」
その強い一言に、アヴィオールもレグルスも頷いた。
だが、賢者の屋敷は広いうえに警備も厳重だ。ただでは抜け出せそうにない。
スピカは部屋の窓へと向かい、階下を見下ろす。ここは三階。飛び降りるわけにはいかない。
「よく映画で見るあれ、試してみない? シーツを結んでロープにするの」
振り返り、男子二人に声をかける。アヴィオールは楽しそうとばかりに目を輝かせるが、レグルスは苦い顔をしていた。
「俺はいいけど、お前ら握力ないだろ? 自重で滑り落ちて手の皮ズル剥けになるのがオチだぞ」
スピカは「そうね」と呟いて肩を落とす。レグルスは暫く考えた後に、大きくため息をついた。
「三人で逃げ出すのは諦めよう」
「え? なんで……」
レグルスの案に、アヴィオールは口を挟もうとする。が、レグルスは首を振った。
「スピカとお前が逃げられればいい。最悪、スピカだけでも宮殿に行ければいいんだ。
みんなで一緒になんて、ただハードル上げるだけだ。目的さえ達成すればいい」
レグルスはニッと笑う。しかしそれはぎこちない。
レグルスには案がある。成功するかどうかはわからないし、どちらに転んでも自分が損をしてしまうことはわかっていた。だが、スピカのために行動するとしたら、今はこれだけしかできないともわかっていたのだ。
唇を舐めて、息を吸う。やりたくないなあとぼんやり思いながらも、言葉を吐き出した。
「俺が囮役になってやるよ。役不足だけどな」
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