偽り不信の落下星(3)

 子供達は、応接室でお喋りしながらケーキを食べている。子供達が訪問すると聞いたカルロスが、ケーキを用意してくれていたのだ。コーヒーのお供に、ブルーベリーやラズベリーが盛りだくさんのフルーツタルト。何とも贅沢ぜいたくだ。

 子供達は、クリスティーナが用事を済ませるまでゆっくりくつろいでおいてほしいと言われていた。その言葉に皆甘えすっかり気が抜けてしまい、ケーキを食べ終えるとソファの背もたれに体を預けていた。

 そこは応接室と言うだけあって、部屋の中は高級感に満ち溢れていた。

 部屋の中央にはペルシャ絨毯じゅうたん。その上に、ウォルナット材の低いテーブルと、皮張りの長いソファが二つ向き合うように設置されている。そこにスピカ達は座っているのだが、高級感に萎縮いしゅくすることはなく、むしろ居心地よく感じていた。

 スピカはカップを両手で持ちコーヒーを飲む。咎める大人が今はいない。少しくらいマナーは忘れていようと思ったようだ。

 アヴィオールは空になったカップをテーブルに置き、ファミラナに問い掛ける。


「ファミラナはここまで列車で来たの?」


 ファミラナはアイスコーヒーを飲み干して、アヴィオールに頷いた。


「そうだよ。アヴィ君達も?」


 アヴィオールは頷き返す。

 レグルスもまた頷いて、ファミラナに顔を向けた。


「来るなら言ってくれれば迎えに行ったぞ?」


 ファミラナは間の抜けた声をあげ、次第に嬉しそうに頬が緩んで赤みを帯びていく。しかし自分でそのことに気付くと、パッと顔をレグルスから逸らせてしまった。


「まさか同じ日にここに来るなんて思ってなかったから」


「ああ、そういえばそうか。惜しいことしたなー」


 レグルスは軽い調子で言葉をもらすが、ファミラナはその一言に表情を明るく大きく変える。

 はたから見る限り、ファミラナはレグルスに対して好意的だ。と言うよりも……

 スピカはそのことに気付くと、他人事ながらわくわくが止まらなかった。だが生憎レグルスはファミラナの態度に気付いていないようである。歯痒いような、もどかしいような。


「お待たせ。ごめんなさいね。電話が長引いちゃって」


 クリスティーナが部屋に入ってきた。続いて、カルロス付きの執事が入り、扉を閉める。


「電話ですか?」


 スピカは尋ねる。まさかアルファルドに電話をしたのではなかろうかと不安に思うが、クリスティーナの答えは違うものだった。


「タラゼドに時計の具合を話してたのよ」


 時計の修理の話だけで三十分以上の長電話とは……時計はそんなに酷く壊れているのだろうか。それとも、あまりに古すぎて修理ができないのか。


「時計、直すの難しそうですか?」


「いえ、そうじゃないのよ。ただ、ちょっと時間がかかりそうで」


 ファミラナは肩をびくつかせる。申し訳ないとでも思ったのだろう。だが、彼女が口を開く前にクリスティーナは首を振った。


「心配しなくてもいいのよ。直らないわけじゃないわ。ただ、古い時計だから、部品の調達に時間がかかるだけ。

 何日か預からなきゃいけなさそうだけど大丈夫? ファミラナちゃん、一旦帰らなきゃご両親は心配しないかしら」


 ファミラナは少し黙り込んで考える。しかし自分一人での判断はできなかったようだ。


「後で電話かけてみます」


「ええ、そうしておきなさい」


 不意に、ぽつりとアヴィオールが呟いた。


「なんか、スピカとクリスさん、喋り方似てるなあ」


 スピカは「え?」と声をもらす。自覚はなかったが、アヴィオールが言うのなら、そうなのだろう。

 クリスティーナは可憐に笑う。


「スピカちゃんとは昔会ったことがあるんだけど、その後、私の喋り方を真似するようになったみたいね。アルフがそんなことを昔言ってたわ」


 スピカはすっとんきょうな声を上げ、顔や耳を赤く染め上げる。全く覚えがなかっただけに恥ずかしかった。


「お、覚えてないわ……」


「スピカちゃんが五歳の頃の話よ。きっと覚えてないわ」


 くすくすと笑うクリスティーナの顔を、スピカはまともに見られない。自分が知らない自分の過去を、他人が知っているというのは、気恥ずかしいものだった。


「さあ、時計塔見学に行きましょうか」


 クリスティーナは子供達に声をかける。食器は執事からの指示により、置いたままにしておいた。

 部屋から出て、店内を横切り、屋外に出る。店の裏手に向かって暫く進むと、星座の装飾が施された両開きの扉があった。それは観光のために、常に開かれているようだ。五人は扉を抜けて、石造りの美術館内部に入る。


「ここが時計塔の一階、ミュージアムのフロア。普段は観光客もここまでしか入れないの。でも、いつも人でいっぱいなのよ」


 壁には風景画や肖像画が多く飾られ、その中、神話絡みの作品が目立っていた。スピカ達は絵画を見回しながらミュージアムの中央を真っ直ぐ進み、最奥に立つ大賢神だいけんじんの像を見上げた。

 大賢神だいけんじんユピテウス。その昔、ヒトと竜を生み出し、世界を創った存在。しかしいつしかヒトと竜は仲違いし、戦争を始めた。ヒトを率いて竜に立ち向かったのも、ユピテウスだと伝えられる。


「像や絵画も素敵だけど……そろそろここのメインステージが動き出すわね」


 クリスティーナは右の手首につけた腕時計を見る。時刻は午後三時だ。不意に、像の後ろから鐘の音が響いた。

 像が立つ床は、どうやら小さなステージになっていたらしい。壁や像ごとステージが回転し裏側を向く。否、こちらが表側となるのだろうか。

 壁の奥から、山羊魚やぎや獅子、双魚さかなや羊といった、大賢人に所縁ゆかりのある動物の人形が、鐘の音に合わせて体を揺らす。麦畑を模したステージは、風が吹いていないにも関わらず、穂先がさわさわと揺れていた。

 やがて鐘が止むと、再びステージが回り、人形達は姿を消した。


「いつ見ても、なんかいいよな、これ」


 レグルスは機嫌良く笑顔を浮かべる。皆同意見で、頷いていた。


「さあ、次は時計塔の中よ。ついてらっしゃい」


 クリスティーナは、ミュージアムの隅にある扉に向かう。スピカ達もそれについて行く。

 普段は閉めきられているのだろう。二つの南京錠で固く閉められた扉。クリスティーナは解錠すると、扉を開けた。


「ここからは階段が急になるから。二人一組で手を繋いでいなさいね」


 スピカは迷わずアヴィオールの手を握る。アヴィオールもそれが当たり前かのように、スピカの手をぎゅっと握った。

 レグルスは二人の手を見ていた。その目に羨望せんぼうが浮かぶ。しかし元より自分の感情は二人に極力向けないようにと努めているはずなのだ。自嘲的に笑い、肩をすくめた。

 そしてファミラナに片手を差し出す。ファミラナは少しだけ迷ったが、レグルスの小指を握った。


「それじゃ、意味ねえだろ」


「ふえっ!」


 レグルスはファミラナの手を掴む。ファミラナは肩を跳ねさせて、手を引っ張られるままにレグルスに近付いた。

 クリスティーナは扉をくぐる。その向こうは、昼間だというのにやや暗い。スピカとアヴィオールは、扉の奥に入るなり、天井を見ようと首を反らした。

 天井は遥か高く。階段が螺旋状らせんじょうに高く伸び、吹き抜けとなっていたのだ。暗い頭上から一定のリズムで機械的な音が降り注ぐが、何の音かはわからなかった。


「うおっ、すげえ」


 レグルスの声は、頭上からの音にかき消される。


「すごいのは、ここからよ」


 クリスティーナは、星屑の結晶を詰め込んだカンテラを持って、螺旋らせん階段を上り始める。カンテラからは光が出ているようには見えないが、クリスティーナを中心に暖かい光で包まれているかのように、辺りは明るい。


「何だか、わくわくするね」


「冒険してるみたいね」


 アヴィオールはスピカに笑いかけ、スピカはくすぐったそうに口元を緩める。二人は駆け足で階段を上り、クリスティーナの背中を追う。

 階段はどうやら鉄製で、歩く度に尖った音が辺りに響いた。五人分の足音はやや騒がしい。

 一行はお喋りもせず、黙って上る。時折窓から入ってくる陽射しは傾きかけており、目に突き刺さるようで眩しかった。


「これ何処まで上るの?」


 レグルスが問いかける。恐らく三階分の高さを上っただろうに、まだ先が続いていたからだ。

 クリスティーナは振り返り答える。


「もう少し上がったらリフトがあるから、そこまで頑張って頂戴」


 暫く階段を進むと、クリスティーナの言う通りリフトが見えてきた。鉄板と金網を籠のように組み合わせた、簡素な見た目のものだった。しかし作りはしっかりとしているようだ。ドアを開け五人で乗り込むが、大して揺れることなく安定していた。


「柵から手を出さないように。怪我するからね」


 スピカ達はリフトの中心に寄り集まる。クリスティーナはそれを確認すると、リフトのボタンを押した。

 カクンとリフトが揺れ、ゆっくりと上がり始める。徐々に速度を上げ、時計塔の心臓部へと進んで行く。

 リフトが上がるに従い、時計塔内部の作りが見えてきた。


「すっごい大きい!」


 見えたのは何枚も連なる大きな歯車と、人が一人入ってしまえそうなベルがいくつも並ぶ空間、カリヨンだ。空間そのもの、塔そのものが音を奏でるための楽器だ。

 話している間にもリフトは昇り続ける。鐘は今静まっており、見学するには丁度よかった。


「カリヨンってこうなってたのね。自動で動いてるんですか?」


「ええ、時計の歯車と連動してるのよ」


 クリスティーナが上空へ指を差す。カリヨンの真上には巨大なドラムがあり、それを回すためだろうか、歯車が複数噛み合い連なっていた。

 カリヨンの空間を通りすぎると、すぐ上の階に目的地が見えた。時計塔の最上部、時計盤の真裏だ。

 辺りには何枚、何十枚もの大きな歯車が設置され、スピカ達を囲んでいる。その中央には巨大な振り子が、ゆっくり、ゆったりと揺れている。それを動力にして、時計は時を刻むようだ。歯車が回る音と、針が動く音。どちらも腹に響くような大きな音であったが、一定のリズムを刻むそれは、聞いているだけで心が和やかになり安心感が生まれる。


「お帰りなさいませ、クリストファ様」


 歯車の影から、一人の老人が姿を表した。ゴーグルにオーバーオールといった、いかにもエンジニアという出で立ちの彼は、クリスティーナに近付く。クリスティーナはげんなりとした顔をして、老人に言葉を返す。


「クリストファはやめて頂戴」


「何をおっしゃいますか」


「随分昔にクリスティーナに改名したんだから、もうクリストファはやめて頂戴」


 老人は朗らかに笑い、クリスティーナは困り顔。そのやり取りが終わると、クリスティーナはスピカ達を振り返る。


「この方は、私のお師匠様のグレイさん。この時計塔のメンテナンスをしてくれてるのよ」


「ほう。可愛らしいお客様達だ。ゆっくりして行きなされ。ここからの眺めは絶景だぞ」


 グレイに勧められ、スピカとアヴィオールは文字盤のガラス窓から外を覗く。

 あまりの高さに目眩を起こしそうだ。だが、グレイの言うとおり、絶景であった。

 何処までも続く青い空、陽光を反射する白壁のビル、その間を縫うように走るレンガ道を、馬車がゆったりと行き交っている。町の営みが一望できるこの場所は、正に特等席だ。


「あ。あそこが神殿のある広場かしら」


 スピカが指を指す。街中の開けた場所、大きな湖を中心として緑が広がるその広場には、石造りの建物がいくつか建っていた。空高くから見下ろしているため小さく見えるが、他の建物と比べ、それぞれがかなり大きな施設だとわかる。


「多分そうだね。観光ガイドの写真も、あれによく似てる」


「もっとよく見たいわ。すごく綺麗なんでしょ? 造形とか」


「この高さだとあんまり見えないね」


 スピカもアヴィオールもすっかり二人の世界の中だ。窓に手をついて、はしゃいでいるのか声のトーンがやや高い。


「そろそろ代わってくれよ」


 後ろから声をかけられ、スピカはアヴィオールと同時に振り返る。レグルスが、不貞腐ふてくされた表情で二人を見ていた。アヴィオールは舌を出し「ごめんごめん」と軽く謝罪する。

 スピカ組と入れ替わるように、レグルスとファミラナはガラス窓の側に立ち街を見下ろした。高い場所からの景色は新鮮で、レグルスは「すげー!」を連呼しながら、街のあちこちに視線を向ける。ファミラナもまた楽しんでいるようで、控えめながらも歓声をあげていた。

 やがて満足したレグルスとファミラナが窓から離れる。二人の紅潮した笑顔を見て、クリスティーナは微笑んだ。


「じゃあ、戻りましょうか」


 短い見学時間だったが、実に充実した体験だった。


「グレイさん、お邪魔しました」


 スピカがお辞儀をすると、アヴィオール、レグルス、ファミラナもそれに続く。


「またいつでも来るといいよ」


 グレイは温かい言葉をかけて、手を振った。

 帰りもまたリフトでおりる。昇りは緩やかに感じたリフトだが、下りはあっという間だ。カリヨンの空間を抜け、リフトは終着点に。そしてまたクリスティーナを先頭にして、階段を下りた。


「ファミラナちゃん。今から帰るにしても着くのは夜中になっちゃうし、今日は泊まっていきなさいな」


 唐突にクリスティーナは提案する。思い付きの言葉のようだったが、きっとファミラナを心配してのことだろう。


「ええ? そ、そんな、悪いですよ」


 ファミラナはあたふたと遠慮する。クリスティーナは振り向き笑顔を見せた。


「いいのよ。お客様用に、部屋は沢山あるもの。

 スピカちゃんにアヴィ君、レグルス君も」


 思いがけない言葉だ。アヴィオールはスピカとレグルスの顔を交互に見る。スピカも同じように互いの顔を見て。


「え? いいの?」


 レグルスは驚きの声で問いかける。


「あ、でも、宮殿……」


 スピカは呟いた。

 時計塔見学の楽しさで忘れていたが、本来の目的は宮殿へ向かうことだったのだ。クリスティーナの提案と、目的意識との間で、スピカの意思は揺れ動く。

 クリスティーナはそんなスピカにだめ押しをした。


「今からだと宮殿見学なんて十分にできないわ。あそこ広いもの。明日でもいいじゃない?」


 確かにそうだ。大事な用事ではあるが、急ぎではないのだ。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


「よろしくお願いします、クリスさん」


 四人は声を揃える。クリスティーナは嬉しげに頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る