偽り不信の落下星(2)

 駅を出ると、見知らぬ世界が広がっていた。


「うわあ……」


 スピカは感嘆する。

 地面は煉瓦れんがで覆われ、辺りには真っ白な石造りの建物が並ぶ。太陽に照らされたそれらは光を跳ね返し、眩しいくらいに輝いて見える。それらの建物の入り口にはもれなく看板がついており、何らかの会社か店舗であることが窺える。

 道を行き交う馬車達は、蹄で軽やかな音を立てる。だが人の往来もまた激しく、ビジネスマンや観光客らが忙しなく足を動かしている。

 アヴィオールから教えてもらった以上の雑踏に、スピカは呆気にとられていた。


「スピカちゃんは、首都に来るのは初めてよね? アヴィ君とレグルス君は?」


 スピカの驚く様に、クリスティーナは笑いをこぼす。そしてアヴィオール達の方を振り返り問いかけた。

 アヴィオールとレグルスは、それぞれ答える。


「僕は小さい頃に一度だけ」


「俺は実家がこっちだから」


 クリスティーナは「あら」と小さくもらし、口元を片手で覆う。


「レグルス君、一人暮らしなの?」


「一人暮らしっていうか、寮に入ってるから」


「首都から地方の学校に行くなんて、珍しいわね」


 しかしクリスティーナはそれ以上深くくことはなく、片手をすっと上げると上空を指差した。

 その先にあるのは時計塔。遠くの空に真っ直ぐ伸びる石造りのそれは、蔦を纏ったかのように装飾が施されている。文字盤には数字ごとに乙女以外の大賢人をモチーフとしたレリーフが嵌め込まれており、文字盤を囲むように麦穂の装飾があしらわれている。

 一際ひときわ高いその塔は、正確に時を刻み続けていると言う。聞こえるはずのない歯車の音が耳の側で鳴る、そんな錯覚を起こしそうな程の存在感だった。


「スピカちゃんとアヴィ君は、実物を見るのはきっと初めてね。あれが時計一族の時計塔。デザインは私が考えたのよ」


 クリスティーナは自慢気に語尾を弾ませた。にんまりと笑う顔は、ご機嫌な子供のようだ。クリスティーナの言葉と同時に、一フレーズのメロディが辺りに響き渡った。カリヨンの音だ。


「メロディは当時の大賢人からアイデアを貰って、甥が作ったの。いい曲でしょう?」


 午後二時を知らせる鐘は、尖りのない柔らかなメロディ。一同は、暫くその音に聴き入っていた。

 やがて音が止まると、クリスティーナは再び声をかけた。


「行きましょうか」


 クリスティーナを先頭に、スピカとアヴィオールは並んで歩く。その後ろを、レグルスがついて行く。

 暫く大通りを歩き、馬車の停留所へやってきた。洒落たドーム型の屋根と三人掛けのベンチが設置されたそこで、暫く待つ。

 やがて、一台のクーペが停留所に停まった。御者台から、御者と思しき老人が四人を見下ろす。


「どちらまで行きましょうか?」


「時計塔前までお願い」


 クリスティーナは紙幣を差し出しながら言う。御者はそれを受け取ると、乗員室へ入るよう促した。


「子供達からどうぞ」


 クリスティーナは馬車のドアを開け、子供達に声をかける。スピカは礼を言いながら中へ入った。

 乗員室の中は小綺麗で、椅子はふかふかと柔らかい。荷物は足元に置き、窓際の席に座る。アヴィオールはその隣に腰掛けた。


「みんな乗ったかしら?」


 クリスティーナの方を向いた。後列の席に座るクリスティーナ、レグルスはその隣に腰かけていた。

 皆席に座っていることを確認し、クリスティーナは御者に声をかけた。


「じゃあ、出して頂戴」


 鞭が馬の尻を軽く叩く。御者の指示の通りに、馬はゆっくりと歩き始めた。

 一定のリズムを刻む蹄の音は、音楽を奏でているようだ。辺りの風景は発展的でいてロマンチック。まるで映画を見ているかのような雰囲気に、スピカの心は弾む。


「時計塔の一階が私の実家で時計屋さんなの。スピカのお義父さんも、そこで私のアシスタントをして働いていたのよ」


 アルファルドのことを話すクリスティーナは何処か嬉しそうで、声がやや高くなる。独り立ちした弟子を誇りに思っているからだろうかと、スピカは考えた。


「へえー……スピカの親父さん、何でダクティロスなんてとこに店かまえたんだろうな?」


 立地も客足も、クラウディオスの方が良いはずなのにと。だが、その疑問にはアヴィオールが推測を立てた。


「ダクティロスは学問の街だから、教育のためにって考えたんじゃない? 君だってそれが理由じゃないの?」

 

「俺は遠くの学校行きたいって思っただけ」


 車輪がガタガタ音を立て、馬車もそれに合わせて揺れる。その衝撃をスプリングとクッションが和らげる。

 大通りから裏通りへと入り近道を、そしてまた大通りへと戻る。時計塔の頂上は、見上げねば見えない程に近付いてきていた。


「はい、着きましたよ」


 馬車は停留所に停まる。ここから先は歩かなければならないのだろう。

 クリスティーナ、レグルスが馬車から降りる。アヴィオールはスピカの荷物を持った。


「あ、いいわ。自分で……」


「いいよ。降りよう」


 スピカはアヴィオールに甘えることにする。リュックサックを背負せおったアヴィオールに続いて、馬車を降りた。


「忘れ物はない?」


 クリスティーナの問い掛けに、皆「大丈夫」と返事する。四人は連れだって歩き出した。停留所から北に進んだところにカップケーキの店があり、道を挟んだ反対側に時計屋があった。


「あそこが時計屋『アスターフェーダー』。そして、その上にあるのが時計塔よ」


 スピカはゆっくりと頭を動かす。あまりに高い。ほぼ真上を見上げ首が痛くなっても、時計塔の全貌ぜんぼうは目に入らない。その巨大さに目をしばたかせた。

 アヴィオールも反応は同じで、ただ彼は背負せおったリュックサックのせいで後ろにひっくり返ってしまいそうだ。転げる前に前傾姿勢に戻ると、リュックサックを背負せおい直す。


「お? なんだ、タラゼドの使いか?」


 レグルスは、時計屋に入ろうとする少女の姿を見つけた。茶髪の彼女は、店に入る勇気がないのかおどおどとしている。


「あら、珍しいお客さんね」


 馬車の往来が途切れるタイミングを見計らい、四人は横断した。背後からの足音に気づいたのか、茶髪の少女は振り返る。ファミラナだった。


「あ、ファミラナ!」


「え? スピカちゃん、本当にクラウディオスに来たの!」


 スピカと会うのは想定外で、ファミラナは目を真ん丸にした。


「ファミラナちゃんはお使いかしら?」


 クリスティーナは微笑みながら問い掛ける。ファミラナは緊張からか背筋をピンと伸ばし……伸ばしすぎてややのけ反っていた。


「あ、は、はい。タラゼドお爺様が、時計を直して欲しいと……クリストファ様がお帰りになるとお聞きしまして、ああの、かか、勝手を申しますが直していただきたくうう、ご、ごめんなさい!」


 あまりに緊張しすぎているのだろう。何を話しているのか自分でもわかっていないようである。クリスティーナはそんなファミラナを見て、くすくすと笑いをもらす。


「とにかく入りましょ。あと、できれば人前でクリストファと呼ばないで頂戴」


「あ、ご、ごめんなさい」


 スピカとアヴィオールは顔を見合せ首を傾げた。展開に追い付いていけないのだ。


「クリストファって、甥の方かしら?」


「でも、クリストファさんが帰ったからとか何とか言ってたから、現賢者は違うような……」


 こそこそと小声で意見を交わしていると、レグルスが半笑いで二人の会話に口を挟んだ。


「親父さんの師匠さんだろ? クリスティーナさんのこと知らないのか?」


「よく話は聞いていたわ。優れた技術を持つ時計技師で、すごく綺麗な方だって」


「なら知ってんだろ。彼、オネエだぞ」


 彼と言われ、一瞬だが頭が混乱した。そして、意味を理解した瞬間、スピカとアヴィオールはクリスティーナの背中を凝視した。


「入ろうぜ。いつまでも突っ立ってないでさ」


 レグルスは頭の後ろで手を組んで、時計屋の中へと入っていく。


「クリスティーナさん、いや、クリストファさん?」


「クリスさんでいいんじゃないかな?」


 スピカはアヴィオールと、クリスティーナへの愛称の確認をし、皆から遅れて時計屋へと入る。

 回転式のドアを抜けると、そこにはきらびやかな時計達が並んでいた。

 屋外から見えるショーウィンドウには、一台の振り子時計と、宝石箱の中に入った金銀の腕時計。店の壁には壁掛け時計がずらりと並び、棚には小さめの置き時計。カウンターのガラスケースには、宝石を惜しみ無く散りばめた腕時計と懐中時計が並べられていた。グラムフォンから流れるBGMは、流行りのジャズだ。


「すごくキラキラするね」


「私の家も時計だらけだけど、比べ物にならないくらいだわ……」


 あまりの眩しさにシパシパと瞬きを繰り返す。クリスティーナは何故か苛立っているようで、小さな舌打ちをした。


「クリスティーナ様、お帰りなさいませ」


 クリスティーナの帰りに気付いた店員達は立ち上がると、にこやかに声をかけてくる。クリスティーナはカウンターに近付くと、会計担当の男性店員に声をかけた。


「カルロスは何処?」


「あ、はい。オーナーでしたらあちらに……」


 カウンターの奥を覗くと、そこに男性が背中を見せて立っていた。どうやら在庫の管理をしているらしい。ガラス棚に時計を並べていたが、話し声に気付いて振り返った。小肥り気味のその男性は、クリスティーナの姿を見付けると笑顔を浮かべて近付いてくる。


「あ、先代、お久しぶりです」


「久しぶりじゃないわ! またこんなに派手にして!」


 クリスティーナはカウンターを両手で叩きながら怒鳴る。


「時計の賢者に相応しい品格を保ちなさいとあれほど言ったじゃない!」


 どうやら、クリスティーナはこの店の派手な雰囲気が気に入らないらしい。片腕を広げて店の内装を指し示し、眉をつり上げる。


「派手な時計を売るなとは言わないわ。でも、こんなギラギラ……まるでクラブじゃない!」


「えー? クラブの雰囲気いいじゃないっすか」


「クラブはクラブ。ここは時計屋よ。全く……輝術の光と一番相性がいいからって安易にあなたを選ぶんじゃなかったわ……」


「うわっ、傷付くなあ」


 項垂うなだれるクリスティーナと、陽気に笑う男性。店に対する考えは、二人とも異なるようだった。


「でも、年商は伸びてるんすよ。右肩上がりに」


「全体的な販売数は減ってきてると聞いたけど」


 スピカは二人の喧嘩が心配で、少しだけ彼らに近付いた。二人はそれに気づくと、話を切り上げ姿勢を正した。


「彼がカルロス。現・時計の賢者よ」


「いらっしゃい、子供達。先代から電話で聞いていたよ」


 店がギラギラと派手な中、カルロスはスーツ姿だ。特に着飾っているようではない。しかし、恰幅のよさと彼自身から感じる余裕は、成功者としての威厳を感じさせる。


「さあ、こちらへ」


 カルロスが先頭に立ち、カウンターの奥にある扉を開け、バックヤードへと向かう。クリスティーナはスピカ達を連れて、カルロスの後について歩いた。

 表の店はきらびやかであったが、バックヤードはまた違った景色だった。

 バックヤードは整然としていて、やや地味な印象を受ける。商品は金庫で保管されているのだろう、在庫品は目に見える場所には置いていなかった。

 だが、販売促進の看板やポスター等は、職員が手に取りやすいよう、キャビネットへ綺麗に片付けられている。


「外は派手なのに、なんか意外だな。裏方もギラギラかと思ったのに」


「バックヤードは作業のしやすいようにしてるんだろうね。全然散らかってなんかないし」


 レグルスとファミラナは、興味深いようで辺りをひたすら見回しながら歩く。その後ろで、スピカはアヴィオールを振り返った。


「アヴィ、何見てるの?」


 アヴィオールはぼんやりと佇んで、表の店へと続く扉を見ていた。


「見てるっていうか、聴いてるっていうか」


 どうやら響く秒針の音を聴いていたようだ。一定のリズムを繰り返し刻むその音を聴いていると、心地好く感じてくる。


「スピカちゃん! アヴィ君!」


 声がする方へと顔を向ける。バックヤードの奥へと続く廊下の先、ファミラナが二人を振り返り手を振っていた。二人は慌てて追いかける。

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