偽り不信の落下星
偽り不信の落下星
スピカは服を着替えてトイレから出て来きた。頬を膨らませる彼女を見て、アヴィオールは両手を合わせて、小さく「ごめん」と謝罪する。
スピカが持つサックスブルーのワンピースは、胸の辺りが紫色の染みで汚れていた。原因は彼女が飲んでいたブドウジュース。アヴィオールに手を引かれた際に、誤って溢してしまったのだ。潰れてしまった紙パックは、すっかり空っぽになっている。
「着替え持ってきてて正解だったわ。でも、お気に入りだったのにな」
「洗ったら落ちないかな?」
「流石に無理よ」
ここは銀河鉄道、特急列車の中。グリーン席に腰掛けて、スピカはワンピースを畳んだ。
レグルスはスピカの荷物を見て、呆れ声をもらした。
「にしても、すごい荷物だな。何泊するつもりだ?」
「え? 普通じゃない?」
スピカのリュックサックの中には、財布と筆記用具、文庫本が二冊にコスメポーチ、その他にも大量に荷物が入っていた。荷物の中に汚れた服を含めると、レグルスの問いももっともだと言わざるを得ない。しかしスピカにはそんな自覚はないようだ。
レグルスは荷物から話を反らし、スピカとアヴィオールの顔を交互に見る。
「お前ら、何で宮殿目指してるんだ? 確かに導書は渡したけどよ、俺に返してくれればいいんだぞ? 別に宮殿にまで行かなくても……」
レグルスはすっかり導書を返しに行くものだと思い込んでいるようだ。スピカはそれに首を振り、口を開く。
「違うの。タラゼドさんが、首都に行けばいいって教えてくれて……」
アクィラで起きた出来事と、アヴィオールにした話と同じようにアルファルドと喧嘩をしてしまったことを話した。それを聞いたレグルスは口をポカンと開けて頬を掻く。
「なんだそりゃ。スピカが宮殿に入れること前提に話してるようなもんじゃねえか」
「だよね。本来ならそんなこと考えもしないでしょ?」
アヴィオールは窓に肘をついた。ふと外を見る。
雲より高く飛ぶ列車。そこから見える風景は何処までも続く透き通った
昼食に丁度良い時間であったが、町を飛び出してきたスピカ達は、弁当どころか菓子でさえ持っていない。誰とはなしに「お腹すいたなあ」とこぼし、二人がそれに同意する。
「ワゴン来ないかな。お腹空いて死んじゃいそう」
アヴィオールはきょろきょろと辺りを見回す。丁度その時、車両の後ろ側から女性の車内販売員がやってきた。ワゴンをゆっくりと押しながら、少ない乗客に声をかけていく。
「すいませーん」
販売員が近付いたところで、レグルスが手をあげて声をかける。販売員は彼を振り返る。
レグルスは慣れた様子でサンドイッチを三人分、ビスケットを一袋、そして紙パック入りのリンゴジュースを三本購入した。スピカとアヴィオールは、口を挟む隙もなく、それを見つめる。
「ほらよ」
レグルスからジュースとサンドイッチを差し出され、スピカは反射的に手を出した。それらを受け取ると、弾かれたように財布に手を伸ばす。
「いいよ、おごり」
「え? でも」
「黙っておごられてろ」
「うん。ありがとう」
スピカはポカンとした顔で、しかし言われた通りに財布を鞄におさめ、レグルスに礼を言う。
レグルスはアヴィオールへ、同じようにジュースとサンドイッチを差し出す。
「いいの? ありがとー」
アヴィオールはそれを受け取ろうとするが、レグルスは取り上げるように、サンドイッチを高く持ちあげた。
「お前は払え」
「えー。いいじゃん、ケチー」
「っるせえ」
それを見てスピカはくすくすと笑う。
結局、アヴィオールはレグルスに金を払ってサンドイッチを手にいれた。早速袋を開けて、タマゴのサンドイッチを頬張った。
「私、クラウディオスって初めてなの。どんなところなの?」
スピカはレグルスに問い掛ける。レグルスは「んー」と小さく唸り、
「他の街とあんまり変わらないぞ?」
と一言。彼自身の故郷であるが故に長所に気付きにくいようで、目立った特色というものを説明し辛いらしい。
アヴィオールはそれに気付き、サンドイッチをジュースで流し込むと代わりに答えた。
「まあ、都会だね。出版印刷業の会社が多くて、街には人より馬車が目立つかな。移動は馬車が基本になると思うよ。あと、近くが工場地帯だから、星屑の煙で空気は悪いかも」
スピカは感嘆し声をもらす。対してレグルスはアヴィオールをちらりと見て、機嫌悪そうに頬杖をついた。
「あら、スピカちゃん?」
不意に聞こえた声に、スピカは辺りを見回した。アヴィオールでもレグルスでもない、中性的な声だ。
通路側に顔を向ければ、通路を挟んだ向こう側に女性と思しき人物が一人。その人は、スピカの顔を見ると頬を染めて微笑んだ。
「久しぶりね! 元気だった?」
スピカは眉を寄せた。どうやら知り合いらしいが、誰であったか思い出せない。知っているふりをすべきか、正直に覚えていないと言うべきか。
「やだ、あたしってばバカね。覚えてないわよね、きっと」
その人は立ち上がってスピカの側に近付く。スピカは腰を浮かせたが、その人が首を振ると椅子に座り直した。その人は胸に手を当てて自己紹介する。
「クリスティーナよ。あなたのお父さんの先生」
「あっ……クリスさん?」
スピカは気付いた。時計の賢者であるクリスティーナ・ワーカー。アルファルドが時計技師の師匠として信頼を置いている人物と聞いている。
そして、アルファルドの提案はクリスティーナの元へ行くのはどうかというものであった。
「スピカ、知り合い?」
アヴィオールが問い掛ける。レグルスも顔を動かし、クリスティーナを見上げた。そして驚きの表情を見せる。
「時計の賢者、クリスティーナ・ワーカー! スピカ、知り合いなのか?」
「あ、いや……」
スピカは困惑し、クリスティーナを上目に見つめる。クリスティーナは口元を片手で隠し小さく笑う。
「スピカちゃんと会ったのは、もう十年以上も前のことだから、覚えてないでしょうね。だから、はじめまして、ね」
「す、すみません……」
「気にしなくていいのよ」
スピカは右の頬に手をそえて、顔を赤らめる。
アヴィオールとレグルスは、立ち上がって自己紹介する。クリスティーナは微笑んで「よろしくね」と言った。
「スピカちゃんはお友達と旅行? 羨ましいわ」
クリスティーナはスピカに問い掛ける。
あれ、と。スピカは疑問に思った。今朝アルファルドはクリスティーナの名を出してまで宮殿行きを反対していたはずだ。クリスティーナは知らないのだろうか。
「父から聞いていませんか?」
「聞いて……? いえ、何も……」
しまったとスピカは口を閉じる。
レグルスはスピカの顔をちらりと見る。彼女の目が泳いでいることに気付くと、
「クラウディオスの時計塔! あれを設計したのって、あんただよな! あれ、すげーよな。作られて約二十年、一秒たりとも狂わない。設計したのって二十四歳の頃だっけ?」
クリスティーナはレグルスの褒め言葉に頬を染める。気を良くしたらしく、頬を崩して満面の笑みを浮かべた。
「あら、嬉しいわ。あの時計塔、私達時計の一族の最高傑作なのよ」
「でも、隠居したって話じゃなかったか? 首都行くの?」
クリスティーナは、レグルスの問いに頷く。少し困ったような顔をしながら。
「そうなのよ。うちの家宝の振り子時計、最近調子悪くて。輝術の媒体だから大切に使いなさいって甥には伝えたんだけど……」
その時列車が、轟音を立てて大きく揺れた。
「きゃっ」
「うわっ」
皆驚いて、近くのシートや壁に捕まりよろめく体を支えた。
列車はゆっくりと速度を下げ、やがて止まる。すぐにスピーカーから車掌の声が聞こえてきた。
『緊急停車致しまして、大変申し訳ありません。只今、運転を見合わせております。安全の確認がとれ次第、運転を再開致します。今暫くお待ち下さいませ』
何があったのかと、周りの乗客は不安げに車内を見回す。スピカもアヴィオールも、不安から顔を見合わせた。事故にでもあったのだろうかと、視線を窓の外へとずらす。
レグルスは至って落ち着いており、窓の外を見ると呟いた。
「この季節、出るんだよなー」
アヴィオールは口を開く。何が? と言いかけて、しかし言葉にできなかった。
レールの下の雲海がゆらりと波打つ。魚影が見えたかと思うと、水飛沫のように雲が飛び散り、中から海獣が姿を現した。
「イルカの群れだわ。運が悪かったわね」
クリスティーナはため息混じりに呟いた。
つるんとした体、扇のようなヒレ、鋭い歯。海に住む海イルカとは違い、空イルカは雲海を駆ける。抜けるような青の中を舞うその光景に、スピカは見とれていた。
「綺麗……」
「まあ、綺麗っちゃ綺麗だけどな。ほら、あれが子供のイルカだよ」
レグルスが指差す先には、他より二回りも小さなイルカ。それは、スピカ達に気付くと群れから離れてこちらへと向かってきた。雲を泳ぎ時折跳ねながら近付いてくるその愛らしさに、スピカはすっかり興奮する。
「か、可愛いっ……! イルカって賢いのね。私達と遊びたいんだわ、きっと!」
イルカは雲の中から顔を出し、ケラケラと笑う。スピカが窓から手を伸ばすと、その指先に鼻先で触れた。
アヴィオールは思い出したように口を開き、スピカに声をかけた。
「あ、スピカ。知ってると思うけど、空イルカは海イルカより
「
次の瞬間、イルカがスピカの服の袖をくわえ、ぐいっと引っ張った。
「ひゃあっ!」
あまりに突然の出来事で、スピカは危うく車両の外へ引きずり出されそうになる。アヴィオールがスピカのもう片方の腕を掴んだおかげで、落下は避けられたが、スピカの顔は真っ青だった。
イルカは口を離して、またもや笑っているかのような声を出す。
「僕らみたいな飛べない種族が空イルカと遊ぶだなんて危険なんだよ。彼らは悪気なんてないだろうけど」
「は、早く言って頂戴……」
心臓を落ち着けようと深呼吸をするスピカ。可愛いものには棘があるものだと、そう思った。
「そろそろ群れが通りすぎるわね」
クリスティーナは呟く。列車の運行を妨げていたイルカの影は、数少なくなっていた。イルカの子供は遠く離れていく群れを見ると、置いていかれるまいと雲の中に沈み泳いでいく。スピカはそれを見て手を振った。
『お待たせいたしました。ただ今より、運行を開始します』
アナウンスとともに動き出す列車。雲海をかき分け空の青へと飛び出すと、ぐっと速度を上げて走る。
イルカの群れに遭遇し、時間を取られてしまったものの、特急列車はやはり速い。スピカが想定していたよりも、早く首都に着きそうだ。
「ねえ、スピカちゃん。お友達と一緒に、時計塔見に来ない? 普段見せない時計塔のてっぺん、見せてあげられちゃうけど」
クリスティーナの提案に、スピカは目をしばたかせた。早く着くのであれば、その分早めに宮殿へと向かいたかったが、どうするべきか。
「あ、でも、他にも観光名所はあるから、余計なお世話かしら?」
眉尻を下げるクリスティーナを見ていると断りづらくなってしまう。少しくらいなら観光も良いかも。スピカはそう考えた。
「時計塔、行ってみてもいいかしら?」
アヴィオールとレグルスの顔を交互に見て問いかける。アヴィオールは少し考えて答えた。
「スピカが行きたいなら、僕はかまわないよ。急ぐこともないしね」
レグルスは丸くした目をきらりと輝かせ、両手で拳を握りしめる。
「俺、見てみたかったんだ! あのでっかい時計の裏とか!」
決まりだ。
「クリスさん、よろしくお願いします」
スピカはぺこりと頭を下げる。クリスティーナは嬉しそうにはにかんだ。
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