私の希望的観測(3)
工場の中、音が溢れる。
鉄板を叩く金属音、機械を動かすモーターの音、そして人々の大きな声。その全ては、
アヴィオールは、工場長である父の背中について、作業の見回りをしていた。手帳を片手に辺りを見回しながら、父の言葉を、要点を掻い摘んで書いていく。
「アヴィ、覚えておけよ」
アヴィオールによく似たオレンジ髪の男性が口を開く。アヴィオールは、ヘルメットをおさえながら父親を見上げた。
「アルゴスの血を引く賢者は、元々航海の安全を祈る者だった。初代の賢者は、羊の賢者らと共に航海に出向き、船を災難から守ったと伝えられる」
聞き飽きたアルゴ船の伝承にアヴィオールは頬を膨らませ、早足に父の後を追う。
「何度も聞いたよ、それ」
「ああ、何度も話した。我が一族の偉業だからな。
それで、毎年進水式には賢者が自ら船に乗るわけだが……」
父親は立ち止まり、アヴィオールを振り返る。アヴィオールは危うくぶつかりそうになるが、寸でのところで踏みとどまった。
父親はアヴィオールに笑いかける。
「この船の賢者の大役、やってみる気ないか?」
突然の提案に、アヴィオールは目をぱちくりさせた。進水式の賢者役……アルゴ船の一族にとって、それは賢者としての力量を認めることに値する。本来なら就学期間を終えた後、賢者の座を継いでから任せられるものだ。まだ子供の自分に任されるとは夢にも思わなかった。
「いいの?」
「いつかは通る道だ。早かろうと遅かろうと同じ事。ま、頼りないがな」
アヴィオールは拳を握り、震わせる。そして、片手を突き上げてガッツポーズをした。
輝術を継いでからというもの、やりたくてたまらなかった大役、嬉しくてたまらなかった。
「その代わり、家の手伝いをするように。賢者としての仕事、知識を教えようにも、手伝いをしないのでは教える機会も作れないからな」
「はーい」
アヴィオールはウキウキとした声で返事をする。
ふと窓の外を見る。
「あれ? スピカだ」
工場の外で、リュックサックを背負ったスピカが首を動かし辺りを見回していた。誰かを探しているかのように。
直感的に、自分を探しているのだと理解したアヴィオールは、父親の顔を見上げた。彼も、スピカの様子に気付いたようだった。
「スピカか?」
窓の外を覗く。
スピカもまた、アヴィオールに気付いたようで片手を振る。しかし彼女の顔は暗い。髪はろくに手入れできていないようで、やや乱れていた。
「行ってこい。お前を待ってるんだろ」
「いいの?」
今日は家の手伝いをする日と決めていたのだ。アヴィオールは父親の言葉に驚いた。父は頷く。
「彼女が困ってたら助けに行くのが彼氏だろうが」
「い、いや、まだ付き合ってないってば」
「いいから行ってこい」
父親にヘルメットを取られ、アヴィオールは頭を押さえる。ヘルメットがなくなった以上、工場の中に入っているわけにはいかない。アヴィオールは駆け足で工場を出ると、出入口のすぐ外で待っているスピカに駆け寄った。
やつれたスピカの顔を見て、アヴィオールは絶句する。口から出そうになった「大丈夫?」の言葉を、こぼす前に飲み込んで口を閉じた。スピカは言われていない言葉に答えるように首を振る。
「もしかして、アルフと喧嘩した?」
思い当たるといえばアルファルドのことで、アヴィオールはそう問いかける。しかしスピカは、またもや首を振る。
「他のとこ行こうか」
アヴィオールはスピカの手を握り、歩き出す。スピカはトボトボと小さな歩幅でアヴィオールに着いていく。だが足取りは重い。並んで歩き始めたはずが、少し経てばアヴィオールとの距離が離れてしまう。アヴィオールはそれに気付く度に立ち止まり、スピカが追い付くのを待った。
着いたのは高架下。橋の上からは、子供達の笑い声と走る足音が降ってきた。それを煩く感じながら、二人は日陰になった地面へ並んで腰を下ろす。淡水と海水が混ざり合う川は、潮の香りが強かった。
「話せる?」
アヴィオールは
昨日アクィラから帰った後、アルファルドと話したこと、その内容。今朝アルファルドが町を離れることを提案したこと。アルファルドが何かを隠したがっているということ。
「唯一の家族なのに信用できないってなったら、一体何を信じたらいいの。もうわからないわ」
震える声でそうもらす。耐えきれなくなったのだろう。瞳からは大粒の涙が溢れてくる。それを見られたくなくて、抱いた膝に顔をうずめた。アヴィオールは黙って彼女の頭を撫でる。
暫くそうしていたが、やがてスピカが顔をあげた。真っ赤に腫れた目をこすりながら、一度深呼吸をする。
「私、やっぱり宮殿に行こうと思うの。アルフに止められたって構わないわ」
アヴィオールはスピカを見、眉を寄せた。
「でも、宮殿に入れるかな」
アヴィオールは呟く。一般人が宮殿に入る等、ほぼあり得ないことなのだ。しかしスピカは首を振った。
「アルフが、宮殿に近付くなって言ってたわ」
違和感を口から吐き出すスピカ。アヴィオールはハッとした。
「……それってもしかして、スピカは宮殿側に……大賢人に接触できる可能性があるから……?」
スピカは頷く。都合よくこじつけているだけかもしれない。だが、スピカには確信があった。自分は宮殿に関わりがあり、何故だかわからないがアルファルドはそれを隠したがっているのだと。そして、それを確かめるためにも、やはり宮殿に向かうべきなのだとも。
だが、まだ足は重い。
「でも、一人じゃ心細いの」
スピカの言葉に、アヴィオールは身構える。一緒に来て欲しい、そう言われている。
行きたいと思った。だが宮殿に行くとなれば、おそらく列車で一日がかりだ。
それに、大賢人に接触するとなれば
何より、先程父親から進水式に出るよう勧められたばかりだ。家の手伝いはどうする?
学校だって無断で休むわけにはいかないじゃないか。親に叱られてしまう。
スピカと一緒に行くか、それとも自分を優先するか……アヴィオールは無意識に、断る理由を探していた。それは顔に表れたようだった。
「私、行くわね。大丈夫、準備はきっちりしてるから、一人でも……」
アヴィオールは何も言えない。スピカは立ち上がると、大きなリュックサックを重たげに背負い直した。
「じゃあ、また明後日に……帰れるかしら。明々後日になるかも」
スピカは目を細め微笑みながら、アヴィオールに手を振った。そして、逃げるように走り去っていく。
残されたアヴィオールは、暫く座ったまま濡れた地面を……スピカが落とした涙の跡を見つめていた。後悔が胸の内を渦巻く。スピカが心配である気持ちはあった。しかし、一緒に行くという選択をするには、心の準備ができていなかったのだ。
重たい腰をやっとのことで持ち上げると、高架下から顔を出し歩道へと上がった。
「あ、おい」
声をかけられ、アヴィオールは振り返る。そこには、買い物袋を持ったレグルスが立っていた。偶然通りかかったらしい彼は、疑問を浮かべた顔でアヴィオールに問いかける。
「今スピカが泣きながら走ってったけど、何かあったのか? あんな重そうな荷物
レグルスは眉を寄せ、続けてアヴィオール自身のことを訊く。
「お前ら本当に何かあったのか? お前、酷い顔してるぞ」
アヴィオールは歯を食い縛る。アヴィオールの顔もまた、泣きそうなほどに歪んでいた。
やはり、着いて行けばよかったのだ。しかし、今更遅いのだろう。
「タラゼドのところで何か言われたか?」
レグルスの問いに、ようやくアヴィオールは頷いた。
「首都に行けって言われた」
「で、スピカは行くんだな。首都に行けっていう理由は謎だけど……ていうか、お前は一緒に行かないのか」
レグルスはそう言った直後、察した。
スピカの泣き顔、アヴィオールの暗い顔。
喧嘩した様子はなさそうだが、互いに傷付いているのは第三者から見ても明らかだった。
「お前まさか、スピカを一人で行かせるつもりか?」
アヴィオールは黙ったまま。しかし、その沈黙こそ肯定の返事だった。
レグルスはアヴィオールの左肩を突き飛ばす。アヴィオールはふらふらと
「ふざけんなよ!」
レグルスの声は、獅子が唸るかのように怒気を孕んでいて、目はきつくつり上がっている。怒っている。
アヴィオールはそれに怯み、見上げることができない。
「中途半端に足かけて、面倒になったら放っとくのか! 何話したか知らねえけどよ、家出みたいなリュック
「僕だって助けたいよ!」
アヴィオールが叫ぶ。レグルスは口を閉じ、眉を寄せた。
アヴィオールがレグルスを睨んでいた。いつもの喧嘩のように、敵意を剥き出して。
「大体、君にスピカのことを語られたくない! スピカから相談を受けたのは僕なんだ。スピカの
アヴィオールは目を丸めた。
すんなりと、自分の気持ちが口から溢れたからだ。賢者としての役目も重要だが、本当はスピカとの時間を優先したいのだ。だから、
「僕、スピカを追いかける」
アヴィオールはけじめを口にし、覚悟を決めた。
レグルスは目をしばたかせた。
「宮殿につれて行く? よくわかんねえけど……それがお前の本心なんだな」
アヴィオールは立ち上がり、深く頷く。レグルスは腕を組み、いぶかしむようにアヴィオールを見つめた。不安な要素が一つだけあったからだ。
「お前ら鈍行列車で行くつもりじゃないだろうな?」
「正直僕らのお小遣いだと乗車券しか買えないよ」
レグルスはポケットから紙切れを取り出した。否、ただの紙切れではない。それは、首都行きの回数券だ。得意気ににんまり笑う彼に、アヴィオールは唖然と問いかけた。
「何でこんなの持ってるの」
「忘れたのか? 俺は、獅子の時期大賢人だ。普段こっちで寮暮らしだけど、あくまで実家は宮殿だ。
お前らのやる気を買って、これ、使わせてやる」
アヴィオールは口を開いた。ありがとうと、そう言いたかった。言うより先に、レグルスに腕を捕まれ呆気に取られる。
「そうと決まれば、さっさと行くぞ!」
レグルスはアヴィオールの手をぐいと引いた。
「待って待って! 準備できてない!」
アヴィオールの声が聞こえているのかいないのか。レグルスは構わず走るのだった。
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