私の希望的観測(2)
朝日を浴びて目が覚める。
否、昨日からスピカはほぼ眠れていなかった。アルファルドと話した内容が頭の中を駆け巡り、十分に睡眠を取れていない。普段よりも強い寝癖がついた髪を片手ですきながら、スピカは鏡の前に立つ。
両目の下に隈がくっきりとついていた。酷い顔だ。
この日は週末、昨日からの二連休だ。アルファルドと再度じっくり話そうと決め、スピカは欠伸を噛み殺しながら部屋の扉を開いた。
階段を下りる。階下からは、ソーセージを焼く香ばしい匂いが昇ってくる。
「スピカ、おはよう」
キッチンに入ると、アルファルドが声をかけてきた。彼は普段の通りに朝食を盛り付けていく。しかし、普段よりも朝食が豪華だ。
「ソーセージに、スクランブルエッグに、トースト?」
「サラダとオレンジもあるぞ」
「ホテルの朝ごはんみたいね」
スピカはくすりと笑い、パジャマ姿のまま配膳を手伝う。冷蔵庫から紙パックに入ったヨーグルトドリンクを取り出して、二つのグラスに注ぎ入れた。
二人分の配膳が終わると、二人並んで椅子に座り、朝食を食べ始める。スクランブルエッグはふんわりとろりと柔らかく、頬張ると笑顔がこぼれた。
「昨日は寝れなかったか」
アルファルドは、トーストにマーマレードを塗りながら問いかける。バターナイフがトーストの焼き目をなぞり、ざらついた音を立てる。それにかき消されそうな程の小さな声で、スピカは「うん……」とこぼした。
「すまない。悩ませてしまって」
スピカは首を振ることもできず、黙々とスクランブルエッグを口に運ぶ。先程まで幸せの味だったそれは、一瞬のうちに無味になってしまった。
「やっぱり私、宮殿に行ってみたいの」
呟く声は、小さいながらも強い声。昨日から変わらない意見だ。一晩中悩み尽くしたが、結局考えは変わらない。それほどまでに強い意思なのだと、スピカ自身改めて実感する。
「レグルスに頼めば何とかなるんじゃないかと思うの。それに、借りた導書も返さなきゃ……」
アルファルドは目を見開いて驚いた。慌て癖が災いし、かじったトーストの欠片が喉奥に引っ掛かり、吐き出しはしないものの、数回激しく咳き込む。それが止むと深呼吸し、呆れた声で呟いた。
「そんなもの持ち出してたのか」
「ごめんなさい。行動しなきゃ不安だったの。だってほら、立て続けに賢者絡みで事件が…………ごめんなさい……」
アルファルドが刺されたことを思い出し、スピカは謝罪し口を閉じた。しかしアルファルドは首を振る。トーストをかじる二人分の音が部屋に寂しく響く。
「ねえ、アルフも一緒に来てくれないかしら。アルフが一緒なら心強いわ」
それが、昨夜のうちに出した答えだった。抱いた不信感を拭うには、それしかないと思った。しかし、
「頼むから、宮殿には近付かないでくれ」
アルファルドは静かに言い放つ。
スピカの手から力が抜け、トーストが皿の上に落ちる。パンくずがテーブルに散らばった。
頑なに拒否を示すアルファルドの言動が理解できない。
何故? どうして? スピカの頭の中がその二言で埋め尽くされる。
「知りたいなら他の方法もある」
突然の提案に、スピカは目をしばたかせた。
「他の方法……?」
「クリスの元に行けば、ある程度のことはわかるかも知れない」
アルファルドはナイフでソーセージを切る。が、口に運ぼうとはしない。
スピカの顔が強ばったからだ。それを見たから、手を動かせない。
「クリスって、アルフの時計の師匠の……? でも、クリスさんが住んでる村って」
「随分と
スピカは首を振る。机にバンッと手をついて、腰を浮かせ立ち上がった。その衝撃で机が揺れ、皿が浮き、グラスが倒れる。こぼれたヨーグルトが、テーブルクロスに染み込み広がり、床に滴った。
「
捲し立てたせいで、息があがる。スピカは我に返ると机から手を離した。
アルファルドはスピカの目を見て話し始めた。
「クリスは時計の賢者だ。お前だって知ってるだろう」
「知ってるわ。アルフが話してくれたじゃない。
え? ……待って……」
嫌な予感がした。アルファルドが、スピカから目を反らすからだ。彼の無表情は、後ろめたいことを考えていると物語っているようだ。アルファルドは目を細めて、声のトーンを下げる。
「時計の輝術は、過去を見る術」
「私に術をかけるってこと?」
「辛いだろうが、最悪その手もあるということだ」
嫌悪が心臓を鷲掴みにした。
「私の体質を改善するための話なのに、何で術をかけるなんて言えるの!」
スピカは怒りに叫んだ。喉奥が酷く熱い。どうしようもなく声は震え、心臓は暴れる。息が上手くできない。
アルファルドは口を開くが、スピカは耳をふさいだ。
わかっているのだ。アルファルドも、好き好んでこんな話をしているわけではない。だが、こんなにも徹底的にスピカの提案を拒否するのだ。不信感しか抱けない。
「クリスさんの村へは行かない! それなら体質なんて治らなくていい! アルフなんて大嫌い!」
スピカは耳をふさいだまま、ダイニングを後にし階段をかけ上がる。アルファルドの声が聞こえた気がしたが、耳には入らないし、聞くつもりもない。
自室に入ると、扉に鍵をかけて床に座り込んだ。胸の内がざわついて仕方ない。
このモヤモヤを何処かに吐き出してしまいたい。そう思った。考えるのは後回しにして、誰かに聞いてもらって、慰めてほしいと。
「アヴィ、今日は大丈夫かしら……」
浮かんだのは、やはり彼の顔だった。荒れた心は少し
だが、昨日自分の用事に付き合わせたばかりだ。顔を出してくれるだろうか。家の手伝いで忙しいのでは……?
しかし迷っても仕方ない。スピカは立ち上がる。頬を両手でパシンと叩いた。途端に顔が引き締まる。
「こんな顔で会えないわ」
呟くと、
悩むより行動したかったのだ。
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