私の希望的観測

私の希望的観測(1)

 幼馴染が背を向けている。アルファルドは子供の姿で、彼女の背中を見ていた。

 彼女は呟く。


『頭の中で、声がするの』


 幼馴染の少女が、十二歳になった頃からだ。度々そのような言葉を口にしては、アルファルドを困惑させていた。

 頭の中で声がするだなんて。それは自分の思考の一部か、そうでなければただの空耳だろう。


『頭の中の声は優しくて、でも時々、私に強要してくるの。回れ……回れ……って』


 彼女は回り始める。長い黒髪が靡き、スカートはふわりと広がる。タンヌーラ……神と一体化するため、ただただ回り続ける舞……

 彼女の足元から、金色の穂が伸びる。麦は高く伸び、幼馴染の姿を覆い隠す。みるみるうちに麦畑は広がり、空間を侵食していく。


『エルア! 行くな!』


 アルファルドは手を伸ばす。しかし、その手に掴むのは麦穂ばかり。がむしゃらに、麦をかき分け……かき分け…………


「エルア……」


 アルファルドは目を開いた。そこはいつもの時計屋。自宅であり、職場。定位置のカウンター。

 悪い夢だった。汗をかいたらしく、服が肌に張り付いていた。

 仕事中に寝てしまうとは情けない。アルファルドは後悔からため息をついた。幸いにも、客が来た様子はないようだ。


「あの、ただいま……」


 声に気付き振り返ると、ブランケットを抱えたスピカがいた。彼女はばつが悪いのか、アルファルドの顔色をうかがうように上目で彼を見る。

 アルファルドは腕時計を見、時間を確認した。午後六時、塾の時間はすっかり過ぎている。


「今日の塾、休んだのか」


 スピカは躊躇ためらいがちに頷く。アルファルドは再びため息をもらし、頭を掻いた。


「ごめんなさい」


 スピカは顔を伏せる。アルファルドは、彼女の謝罪には触れず、こう問いかけた。


「朝早くから何処に行ってたんだ。朝、やけに物音がすると思ったら。お前の姿がなくなっているし、窓は開けっ放しだし……心配したんだぞ」


 スピカは苦い物を食べたかのように顔をしかめた。しかし、叱られることを覚悟のうえでの行動だったのだ。腹は括っている。


「あのね、アルフに話したいことがあるの」


 アルファルドは目をしばたかせる。


「私の体質のことなの」


 スピカの言葉に、アルファルドの思考が停止した。そして困惑する。彼女には原因不明と言って聞かせてあるはず。今更何を話せばいいのか。

 ややあって、アルファルドは口を開く。


「原因不明なんだ。それは」


 だがスピカは首を振った。


「それがね、原因わかるかもしれないの」


 アルファルドは目を見開く。

 スピカは長椅子に座り、アルファルドの顔を見上げた。彼の驚く顔を見ながら、それが喜びに変わることを想像する。


「今日ね、アクィラに行って、烏の賢者と鷲の賢者に会ってきたの」


 アルファルドの顔が強ばる。いつもの過保護の癖から口を挟みそうになるが、それより先にスピカが言葉を続けた。


「体調は悪くないから心配しないで頂戴ね。

 それで、鷲の賢者から、私の体質についてヒントを貰ったのよ。昔、ずっと昔だけど、私と同じような体質の子供達がいたらしいのよ!」


 話しているうちに彼女の声に熱が入り、目が輝いてくる。

 対してアルファルドの表情は変わらない。だが、スピカはすっかり興奮している。驚きの表情が消えたアルファルドの様子に気付くことなく話を続ける。


「その子供達はね、賢者の家系に生まれてたらしいのよ。ねえ、アルフ。私は賢者と無関係だって言ってたけど、もしかしたらアルフも気付かないところで、私は賢者の家系に繋がってるんじゃないかしら!」


 スピカは自分の考えを語り終わると、アルファルドの反応を待つ。しかしアルファルドは首を振った。


「スピカには、賢者の血は流れていない。だから原因不明なんだ」


 彼のつれない反応に、スピカの興奮は萎んでいく。


「でも、アルフも気付かないような遠い親戚が賢者かも……」


「そこまで遠ければ、親戚ではなく赤の他人だ。関連性があるとは思えない」


 スピカは眉を寄せ歯を噛み締める。

 何故頭ごなしに否定するのか。何故自分の考えを尊重してくれないのか。

 思わず立ち上がる。


「そんなの、確かめてみないとわからないじゃない! 治らないって諦めて生きるより、可能性があるなら私は治す方法を探したいの!」


 大声でまくし立てる。息があがり、心臓が激しく脈打つ。アルファルドはスピカの必死な訴えに目を閉じ、そして顔を反らせた。


「第一、どうやって探すんだ。治療法が確立していないものを、治しようがないだろう」


 スピカはアルファルドに近付く。そして、カウンターに右手を叩きつけた。その手を離すと、そこには一枚の片道切符が置かれている。アルファルドはそれを見て口をぽかんと開いた。そして、切符に書かれた文字を辿る。


「クラウディオス行き……」


 スピカは詳しく話すつもりはなかった。切符を取りポケットにしまう。

 突然、アルファルドに肩をつかまれた。スピカはぎょっとして硬直する。固くなった体は、前後に揺さぶられる。


「タラゼドに何を言われた! 宮殿に行けと言われたのか! 大賢人に接触するよう言われたのか!」


 アルファルドの顔に浮かぶのは、焦燥感しょうそうかん悲壮感ひそうかん。声は叫んでいるのように高い。キンと頭に響くようだ。

 だが、スピカはハッとしてアルファルドの右手に触れた。


「宮殿に何かあるの?」


 アルファルドは息を飲む。唇を震わせる彼を見ていると、スピカの頭は冷えていった。


「タラゼドさんには何も言われてないわ。ただ、クラウディオスに行けば良いかもと言われただけ。

 確かに私は宮殿に行けば何かわかるかもと思ってるわ。だって、タラゼドさんから色々お話を聞いたもの。

 でもアルフは、何でさっきの話だけで宮殿に行くことを想定できたの?」


 アルファルドは何を思ったのだろうか。「嗚呼ああ」と小さく声をこぼし、深く項垂れた。目を閉じ、ゆるゆると首を振る。その顔は痛みを受けたように、酷く歪んでいた。

 やがてアルファルドはスピカから手を離す。そして、慈しみを込めた瞳で、スピカを見下ろした。


「君は、お母さんに似て本当に賢いよ」


 スピカを抱きしめ、頭を撫でる。スピカは困惑し、両手は行き場を探せず、体の横に下ろしたまま。

 だが、確信してしまった。アルファルドは、自分に何かを隠している。それが重大な秘密であることは確実だ。だが、アルファルドの体から震えが伝わると、これ以上責めてはいけない気がして黙っているしかなかった。

 ……嗚咽おえつが聞こえる。

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