明滅に伸ばす掌(4)

 町全体を見下ろせる高台に、その屋敷はあった。いや、あるだろうと言った方が正しいかもしれない。スピカら三人が見上げるのは高い銀の門。その格子の向こうには、百日草が咲き誇る美しい庭が広がっている。その広大さといったら、あまりに広く木々も多いために、門からでは屋敷の全貌が見えないくらいだ。生い茂るダイダイの木から頭を出すように見える建物が、どうやら鷲の賢者の屋敷のようだ。


「スピカちゃん、輝術がだめなんだよね? ごめんけど、ちょっと離れてくれる?」


 ファミラナがスピカに声をかける。スピカは頷いて、ファミラナから離れた。

 ファミラナは目を閉じる。その周りを風が渦巻いているのだろう、スカートがはためき、短い髪がなびく。光がきらりと溢れたかと思うと、それはすぐに足元に落ちて消えた。

 ややあって、銀の門は内側にゆっくりと動き始めた。スピカは目をしばたかせ、アヴィオールはファミラナに問いかける。


「ファミラナ、何したの?」


「私達が来たことを伝えただけだよ」


 ファミラナは言い、自ら率先して庭の中へと足を踏み入れた。アヴィオールは、庭の中に首だけ入れて、辺りを見回し警戒する。しかし、そこには誰もおらず、花のかぐわしい香りがあるだけだ。



「アヴィ君は心配しなくても大丈夫だよ。男の子だもん」


 ファミラナは振り返って言う。アヴィオールは首を傾げた。


「早く行きましょ」


 スピカは言う。しかし、スピカの顔は緊張から引きつってしまっていた。

 スピカとアヴィオールは、並んで庭へと入る。数歩進むと、門は自動的に動きだし、やがて閉じた。

 庭の中から周りを見渡すと、その庭の可愛らしさにため息がもれる。まるで、絵本の中にある花畑を模倣もほうしたようだ。緩やかに隆起した地面には百日草が目立つが、所々にカモミールやカフカリスラ等のハーブも花を咲かせている。花の間を縫うように、色鮮やかな蝶が飛び回っていた。

 庭の奥では、庭師が手入れをしているようだ。その庭師は、同年代の少女であった。客に気付くとスカートを摘まみ挨拶する。


「女の子の庭師なんて、珍しいね」


 アヴィオールは庭師にひらひらと手を振った。彼を見ているスピカは、目を細めて口角を下げ、拳で軽く彼の肩を叩いた。


「痛いよスピカ。どうしたの」


「別に。何でもないわ」


 ファミラナはそれを見つつ、アヴィオールに声をかけた。


「あの、気を付けた方がいいと思うよ。スピカちゃんに妬かれないように」


「気を付けるも何も、手を振っただけじゃないか」


 アヴィオールは唇を尖らせる。ファミラナは両手を振り慌てて「ごめんなさい」を連呼しながら忠告する。


「ここ、女の子多いから。お兄ちゃんなんてデレデレになっちゃって、彼女さんにボコボコにされちゃって……」


「私はアヴィをボコボコになんてしないわよ」


「ふええっ、ごめんなさいごめんなさい! そういうつもりじゃないのー!」


 ファミラナの慌てように、スピカもアヴィオールも声に出して笑う。

 そして、花に見とれながら庭を通過し、ダイダイの木々が密集する小さな林に入る。そこでもやはり、同年代かそれより下の年齢の少女が二人、ダイダイの世話をしている。

 そこを抜けると、やっと屋敷に到着。見上げた首が痛くなる程に高い屋敷。三階建てだろうか。そして、かなりの坪数があるようだ。藤のつるが絡み付き花を咲かせている外壁は、美しい装飾をまとっている。

 スピカは扉をノックしようと手をあげる。丁度そのタイミングで、扉が内側に開き、スピカの手は宙を掻いた。

 そこに立っているのは、およそ十歳程の二人のハーピィ。姉妹だろうか、よく似ている。羽毛を纏った腕でメイド服の裾をつまみ、挨拶した。


「お待ちしておりました。ささ、中へ」


 少女に似つかわしくない言葉遣いで、スピカ達を屋敷の中へ招いた。

 スピカは屋敷の異常性を感じ、背筋がぞわりとした。先程から、会う使用人は少女ばかり。男性はおろか、大人の女性の姿さえ見当たらないではないか。


「アヴィ、ここ、何か変よね?」


 スピカは弱々しく呟いて、アヴィオールの背中に隠れる。アヴィオールも異常を感じ取ったらしい。喉を鳴らしている。

 しかしファミラナは……鷲に仕える身分であるからだろうか、おくせず屋敷の中へ足を踏み入れた。


「早く行こう?」


 振り返ったファミラナに言われ、アヴィオールは頷く。そしてスピカに声をかけた。


「早く行って、早く終わらせよう」


 スピカは小さく頷き、アヴィオールのシャツの裾をぎゅっと握った。二人はゆっくりと足を動かし、敷居を跨いだ。


「ご案内いたします。どうぞこちらへ」


 ハーピィ姉妹は、翼を広げふわりと浮く。鈎爪の足では、歩くのは不便らしい。わずかに床から離れ、翼を動かし移動する。

 ファミラナがハーピィの後に続き、その次にアヴィオール、最後がスピカ。彼女らはホールを抜け、長い廊下を進み始めた。

 屋敷の中は、少女らの声と足音で賑やかだった。どうやら、他にもメイドがいるらしい。見回して見れば、屋敷の掃除をするニンフ、洗濯物を抱えたヒトらが屋敷内を早足に行き交っている。

 目の前のハーピィ姉妹は、ファミラナをちらちら振り返りながら、二階奥の部屋へと案内する。到着すると床に足をつけ腕をおろし、扉を叩いた。


「賢者様、お客様がお見えでございます」


 ハーピィの内一人が声をかけ、もう一人が扉を開ける。

 部屋は書斎であった。扉の外から見えるのは、高い本棚と衝立。中に入れず立ち往生していると、部屋の中、見えない位置からしわがれた声が聞こえてきた。


「子供達、入りなさい」


 スピカとアヴィオールは顔を見合わせる。ファミラナは慣れているのだろう、失礼しますと一声かけて中へ入る。アヴィオールはスピカの手を引いて、部屋の中へと入った。

 ハーピィ姉妹は一礼し、扉を閉める。スピカはそれを振り向き、不安を顔に浮かべた。


「いらっしゃい、子供達」


 声が聞こえ、スピカとアヴィオールは首を動かした。

 窓際に一台の机。そこにいたのはブラウンのローブを纏った老人男性であった。短い髪も伸ばした髭も茶色い彼は、柔和にゅうわに微笑みを浮かべ、子供達の来訪を歓迎する。


「ワシが、鷲の賢者こと、タラゼド・アクィラだ。代々この町の領主として、ここに屋敷を構えておる。

 ファミラナ、お客様を紹介しておくれ」


 ファミラナは一度頷いて、手のひらでスピカを指し示しながら紹介する。


「こちらがスピカちゃん。その隣がアヴィオール君。アヴィオール君は、アルゴの次期賢者なの」


 その言葉に続いて、スピカは口を開いた。


「スピカ・ヒュダリウムです。あの、獅子の賢者、レグルスに紹介されて来ました……その……」


 言葉に詰まるスピカに、タラゼドは近付く。腰を屈めスピカに近付くと、彼女の頭を軽く撫でた。その手は白と茶、まだら模様の羽毛に覆われていた。


「レグルスから聞いておるよ、可愛いお嬢さん。輝術を受け付けない体なんだろう? 体質改善のヒントが、獅子の家系の導書に載っていないかと、そういうことだね?」


「は、はい。そうです」


 タラゼドはスピカから手を離す。ため息をついて、顎髭を撫でる彼の仕草は、漫画等に出てくる魔法使いによく似ている。


「全く、レグルスから聞いた時にはどうしようかと思ったが。引き受けてしまったものは仕方ないね。導書は、今持っているかい?」


 スピカはリュックサックをおろして中から導書と鍵を取り出した。それを両手でタラゼドに差し出すと、彼は受け取りスピカから離れる。本を解錠しベルトをするりとほどくと声をかけた。


「少し離れていなさい。スピカちゃんに光が触れるといけない」


 スピカとアヴィオールは、部屋の壁際まで移動し、反対にタラゼドは窓際まで移動する。ファミラナは、その場から動かずにタラゼドを見ていた。

 タラゼドは導書から手を離す。本は浮かび上がり、表紙が開いたかと思うと薄く発光し始めた。窓は閉められて風はない。それにも関わらず、本のページが勢いよくバラバラと捲れ、タラゼドはそれをじっと見つめていた。


「あ、だめかも……」


 スピカがぽつりと呟く。部屋の隅まで離れてはいるが、微かに光を浴びてしまっているようだ。胸を押さえて顔を伏せるスピカの背を、アヴィオールが優しく撫でる。


「ふむ……なるほど……」


 タラゼドの呟きを聞く限り本の解読は進んでいるようだが、まだ終わりそうにないらしい。集中するあまり、スピカの様子に気付いていないようだ。


「スピカちゃん、大丈夫?」


「どうする?部屋出る?」


 ファミラナとアヴィオールに問われ、スピカは首を振る。


「大丈夫」


 スピカはリュックサックの中から小瓶を取り出した。その中には、赤紫の液体、石榴水ざくろすいが入っている。それをちびりと、少しだけ口に含んだ。若干だが気分の悪さは緩和される。

 暫くして、本の解読が終わった。本は閉じられ、光はおさまる。タラゼドは本を施錠すると、スピカ達の方へと近付いた。


「この距離でも、体調を崩してしまったようだね。すまない」


 タラゼドはスピカに声をかける。スピカは首を振り、差し出された導書を受け取った。


「それで、どうでした?」


 アヴィオールが問い掛ける。タラゼドはスピカに目を向けたまま、こう答えた。


「スピカちゃんのそれは、病気でもないし、体の異常でもない、そんな気がするよ。導書に、非常によく似た症例が載っていたよ」


 スピカの顔が明るくなる。来た価値があった、そんな思いだ。

 そんな彼女に、タラゼドは問い掛ける。


「君、親戚に賢者はいないのかい?」


 きょとんとするスピカ。


「あ、はい。義父には、賢者とは無縁の家系だと聞かされています」


「そうか。ふむ……」


 タラゼドは羽毛に覆われた手を顎にそえる。信じていないような、納得していないような、そんな表情。そしてぽつりと「何故だ」とこぼした。


「賢者の家系が、何か関係あるの?」


 アヴィオールは尋ねる。タラゼドは頷くが、何も言わない。


「お爺様?」


 ファミラナが強めの声で呼ぶ。タラゼドは顎から手を離し、こう言った。


「賢者の家系に起こることがある症状とのことだ。その症状を防ぐべく、継承の儀が行われるようになったとも……」


 スピカは耳を疑った。


「え?賢者の家系に?」


 タラゼドは、はっきりとしたことは語らない。


「獅子の導書に書いている内容はここまででね。どうやら他の大賢人が持つ導書にも詳しく内容が載っているようだが」


 わかることはこれだけだと、そう言うかのように肩を落とす。

 アヴィオールは思わず口を開く。


「どういうことですか?アルフは、彼女の養父は、彼女が賢者とは無関係と言っているんです。嘘なんですか?」


 タラゼドに言ってもどうにもならないことだ。それはわかっていた。だが、言わずにはいられなかったのだ。

 タラゼドは首を振る。


「もしかすると、賢者の家系であることを、お父上がご存知でなかったのか……」


「でも、義父は私の母の幼馴染で、義父は海蛇の賢者です。もし賢者同士だったとして、お互いの素性を知らないなんて、そんなことあるんですか?」


 突如とつじょファミラナが、皆の思考を遮るように言葉をこぼした。


「そもそも、何で賢者の家系の者が、輝術を受け付けないなんて矛盾が起きるんでしょう?」


 タラゼドが嘘をついているとは考えにくい。彼の表情は真面目そのものだ。だが、関係が浅い者同士、信用することは難しい。スピカは困惑の目でタラゼドを見上げる。タラゼドはスピカの目を見つめ返した。


「ああ、そうか。なるほど」


 タラゼドは呟いた。何かを確信したように、笑みで髭を動かしながら。


「先程の話が信用しきれないかな? なら、そうだね」


 彼の両手が、スピカの顔を包み込む。そうやって顔を固定し、ずいと近付いた。スピカは戸惑いながらも、見つめてくるタラゼドの瞳を見つめ返した。


「ワシの元で、働きながら答えを探すといい。大賢人とも関わりが持てるから、いつでも導書の中身を教えてあげられるよ」


 その言葉を聞いているうちに、スピカの思考がぼんやりとかすんでいく。同時に目眩がし始めた。まるで、輝術を浴びた時のように。

 しかし頭は快楽で満たされたかのように心地よい。タラゼドの声が甘く痺れて響く。段々と、彼の言う通りにすることが最善なのでは……いや、最善に違いないと、そう考えて……

 気付けばタラゼドの周りを光が踊っている。綺麗だ。黒に塗りつぶされる視界の中、そう思い……


『スピカちゃん! 起きて!』


 スピカの思考が一瞬で現実に引き戻された。同時に酷い吐き気に襲われ、その場にうずくまる。


「スピカ、大丈夫?」


 アヴィオールが駆け寄り、背中をさする。リュックサックの中から石榴水ざくろすいを取り出し、スピカに飲ませた。その一口で意識を取り戻したスピカは、アヴィオールの体にもたれかかった。


「ファミラナ、それはやめておくれ。ひっ、やめろ! 語りかけるな!」


 タラゼドの声に顔を上げる。

 スピカの目の前には、ファミラナの背中があった。彼女はどうやら怒っているようだった。黙って何も言わず、ただ体に光をまとわせながらタラゼドに迫っている。タラゼドは無様にも、尻餅をついた姿勢で小さく首を振っている。


「やめてくれ! 寒い……寒い……!」


 ファミラナの体から光が消える。


「今、スピカちゃんに催眠かけようとしましたね? このロリコン」


 スピカもアヴィオールも、状況が読めず呆然とする。ファミラナはスピカ達を振り返り、説明した。


「鷲の輝術は、永続的な催眠をかける術なんだよ。術をかけられたら最後、どんなに意志が強い人でも、他人が解除しようとしても、全く解けないの。かけた本人が解かない限り。

 レグルス君は、それを見越して私に頼んできたんだよ。烏なら、他人の頭に直接語りかけることができる。完全に催眠にかかってなければ、今みたいに解除できるの」


 背筋に氷を滑らせたかのように、スピカはぶるりと震えた。先程自分は危うく暗示にかけられるところだったのだ。

 アヴィオールは「あっ」と声をあげた。


「じゃあ、この屋敷のメイドさん達も催眠を?」


 しかしファミラナは首を振る。


「ううん。あの子達は全員、身寄りのない子達なの。でもこれは後で話すね。

 それよりタラゼドお爺様、何でスピカちゃんにあんなこと……」


 タラゼドは二、三度深呼吸して立ち上がる。そしてソファに腰掛けると深く息を吐き出した。


「烏の術は苦手だ。頭に、言葉と共に寒気まで送り込んでくる……」


「質問に答えてください」


 タラゼドは頷く。しかし躊躇ためらっている。暫しの沈黙が流れた。しかし、ファミラナからの重圧に耐えられず、呟くように答えた。


「スピカちゃんが、あまりに可愛らしくてな。ちょっかいを出したくなってしまって」


「性癖を否定はしませんが、無関係な人を巻き込むのはやめてください」


 成る程、と。アヴィオールは納得した。レグルスが心配していたのは、どうやらタラゼドの性的趣味のことだったらしい。ファミラナについて来てもらってよかったと、心底感謝した。

 タラゼドはファミラナに睨まれながら、取り繕うように発言した。


「だが、ワシは嘘は言っておらん。導書に書かれていたことは、全て話した。

 ワシの元で働くつもりがないのであれば、そうだな……クラウディオスに向かうのが良いかもしれんな」


 スピカは回らぬ頭に疑問を浮かべる。クラウディオスといえば首都だ。何故そこに行く必要があるのか。


「宮殿に向かえと、そういうことですか?」


 アヴィオールは問う。短絡的な考えだが、他に思い付くものがない。

 タラゼドは顎髭を撫でながら黙って微笑む。まるで、選択肢を与えたと言わんばかりに。

 ややあって、タラゼドは腰を上げた。


「子供達、もうお帰り」


 そう言うと、ローブの下から小さなベルを取り出した。軽やかな音を鳴らす。

 すぐに部屋の扉が開いた。来たときと同じように、ハーピィ姉妹がそこにいる。


「あの、ありがとうございました」


 スピカは振り返り、タラゼドにお辞儀する。タラゼドは目を丸くし、しかし柔和にゅうわな微笑みに戻ると、ひらりと片手を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る