流れて落ちて消えて(6)
中央広場への道程は、大勢の人で埋め尽くされていた。
クレープ等の焼き菓子を売る屋台、フラッペやフルーツジュースを売る屋台、祭りの記念品を売る屋台など。そのどれもに行列ができており、甘い香りが風に乗って漂っている。
生憎スピカ達は子供であるため、大した金額を持ち歩いていない。
「小遣い前借りしてくりゃよかった」
そう呟いたのはレグルス。ため息をついて、クレープの露店を振り返る。
「毎月
アヴィオールは唇を尖らせる。財布を覗くが大した金額は入っておらず、ほんの数枚の硬貨と一枚の紙幣しか入っていない。
「歩合制、ですか?」
カペラが首を傾げると、アヴィオールは頷き語る。
「家の手伝いをした分
スピカは眉尻を下げて小さく笑った。
「働かざる者、食うべからず。私もアルフからそう言われてるわ」
そうお喋りしているうちに、中央広場の入り口が見えてきた。
普段は、御者の銅像を中心とした広い公園で、芝生が辺りに広がっている。だがこの日は「帰還の祈祷」という祭りが行われており、銅像のそばには大きなステージが設営され、いくつか大きなテントも並んでいた。
広場に入ると、既に多くの観客が集まっており、人々の話し声で賑やかであった。過密状態のため蒸し暑さを感じ、スピカは下敷きを取り出して扇子代わりに扇ぎ始める。
「あ、ずりい」
レグルスの言葉にスピカは首を傾げた。
「自分の下敷き使えばいいじゃない?」
「持ってねえよ、下敷きなんて」
不満を言うレグルスを見ながら、アヴィオールとカペラも下敷きを取り出し扇ぎ始める。レグルスはまるで珍獣を目にしたかのように、眉を上げて目を丸くした。
「いっつも持ち歩いてんの?」
「普通学校には持ってくるでしょ」
「うわ、優等生発言ムカつく」
アヴィオールとレグルスが口喧嘩を始めようとしたその時、広場中央の特設ステージに、一人の男性が上がってきた。その後ろから、二人の女性が巨大な星のオブジェを運んでくる。そのオブジェは星形多角形、特殊な作りであるようで薄く発光している。
「あれが祈り星?」
スピカは興奮を隠さず、アヴィオールの肩を叩いて問いかける。アヴィオールは頷いた。
「うん。あれに賢者達が触れて、輝術の元になる星の輝きを、祈りと一緒に込めるんだよ。昨日と一昨日も祈り星はしてるはずだから、うっすら金色に光ってるでしょ?」
アヴィオールの説明が終わった丁度そのタイミングで、広場に声が響き渡った。
『十五年前、乙女の賢者は突然姿を消した』
ステージに立つ男性の係員が、スタンドマイクに語りかける。帰還の祈祷を始めるに至った経緯を、皆に説明しているのだ。祭りの間は、毎年毎日同じ口上を繰り返す。係員は慣れた様子で、しかし
『乙女の賢者が身を隠されたことで、国は混乱した。光の均衡が崩れ始めたからだ。異常気象に悩まされ、採掘できる星屑も減った。
今も、緩やかにだが確実に、世界は破滅に向かって進んでいる。それを防ぐには、やはり乙女の賢者にお戻り頂くより他にない』
「って、破滅の実感湧かねえけどな」
レグルスは嘲笑しながら呟く。水を差すような言葉はスピカの耳に入り、少しばかりムッとしたが、気にしないように努めた。
『牡牛の賢者によって、祈りの場が設けられ、帰還の祈祷を始めるに至った。今年は第十四回目の祈祷である。
さあ、我々も祈ろうではないか。乙女の帰還を』
係員はステージの奥へ移動し、オブジェを抱える二人の女性は、入れ替わるようにステージの中央に立つ。オブジェから手を離すと、それは地面に落ちるかと思いきや、ふわりと浮かび上がってゆっくりと回転を始めた。
「すごい……」
「あれも輝術を使って作ったそうですよ。軽気球の賢者が当時持てる力を全て注いで作ったんだって」
二人の女性スタッフは、素早くスタンドマイクをステージ奥へ移動させ、ステージを下りる。そして壇上に、ローブを
スピカ達には、彼らの顔が全く見えない。おそらく近くにいてもあまり見えないであろう。それだけ深くフードを被っているということは、13の大賢人の内二人だろうと予想した。
『お集まり頂き、誠に感謝致します。本日の祈祷は、片割れの賢者、アルヘナと、同じく片割れの賢者、ワサトが取り仕切らせて頂きます』
『二人で双子の賢者、13の大賢人の一員でございます』
彼らは祈り星に体を向け、それに両手をかざす。彼らの両手から光があふれ、星に吸い込まれていく。光を吸い込んだ星は一層強い輝きを放つ。
「綺麗ねえ」
スピカは目を細め、うっとりとそれを見つめていた。
「ここにいたのか、スピカ」
背後から聞き慣れた声が聞こえ、スピカは肩を跳ねさせた。アヴィオールもその声に驚いたらしく、スピカと顔を見合わせる。
スピカがおそるおそる振り返ると、そこにはアルファルドが立っていた。マスクをつけて顔は隠れているが、間違いない。
「何でバレちゃったの……」
「バークス夫妻が、駅へ向かうお前達を見かけたそうだ。前からお前は、祈り星を見たいと言っていたから、多分ここだろうなと」
スピカは
「今すぐ帰るぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
スピカの腕を掴もうとしたアルファルドに、アヴィオールが制止をかけた。
「確かに、勝手にスピカを連れ出したのは悪かったよ。スピカの体質上、祈祷の近くに連れてくのがいけないってこともわかってる。でも、遠目に見るだけでもダメなの? それって過保護すぎない?」
アルファルドはアヴィオールを睨む。その蛇のような眼光に、アヴィオールは怯み息を飲んだ。
「過保護だと言われようとかまわん。スピカが苦しい思いをするくらいなら、自分が非難される方がまだマシだ」
スピカはそれを聞き、顔を上げた。
確かに、賢者の光を浴びることも身体的には辛い。だが、
「私は今の方がよっぽど辛いわ!」
思わず声を張り上げた。アルファルドは驚いて目を丸くする。周りの観客も、何事かとスピカを振り返った。
スピカは瞳を潤ませてアルファルドに訴える。
「体質のせいで友達と離れなきゃいけないなんて。そんなの、絶対に嫌よ」
アルファルドはどう返していいかわからず小さく唸る。仕方なく、スピカから手を離した。
『次は、彫刻具の賢者、ニコラ・ニコル氏』
双子の賢者の片割れが、マイクに向かい賢者の名を読み上げる。スピカとアルファルドが言い合いをしている間に、祈祷の儀式は続いていたようだ。
ステージ上に、黒い生地に銀の刺繍をしたローブ姿の賢者が上がってくる。賢者は手をローブの中に隠しているようで、一見すると黒い塊のように見えた。祈り星の前に立ち、ローブの下から片手を出した。手には何か握られている。
「こんなものっ」
彼は、祈り星に何かを突き刺した。星はパリンと音を立てて割れ、吸い込んでいた光を放出し始める。
『なっ……』
『何をする!』
双子の賢者が叫ぶ。その声はマイクを通して辺りに響いた。双子の賢者は、彫刻具の賢者・ニコラを取り押さえようと駆け出すが、ニコラが持つものを見て
ニコラは、鋭利なたがねを持っていたのである。それを、双子の賢者に向けていた。
「こんな儀式、まやかしだ! 乙女の賢者が戻ってくるわけがない!」
ニコラはフードをおろす。強面の男性だ。彼が祈り星を蹴飛ばすと、浮力を失ったそれはステージから転がり落ち、観客の足元に落ちた。
「乙女の賢者は呪われてるんだ。それを知ってるから、乙女の賢者は姿を消した。十四年間祈りを捧げても戻ってこないのは、そういうことだろうが!」
強面の男性が、たがねを振り回しながら叫ぶ。その狂気じみた光景に、最前列の観客は悲鳴を上げた。その恐怖は会場内に伝染し、パニックに包まれる。
「な、何なの?」
「みんな、逃げましょう!」
スピカとカペラもパニックに感染し、震える声で叫ぶ。
「くそっ、
レグルスは舌打ちし、アヴィオールは輝術を使うか使うまいか悩んでいる。
次の瞬間、広場の出入口……スピカ達がいる方へ、観客達がドッと押し寄せてきた。スピカは咄嗟にアヴィオールの手を掴み、アルファルドはスピカを守ろうと覆い被さった。
人の波に押され、圧迫される。息苦しい。痛い。スピカはきつく目を閉じて、人がぶつかる衝撃に耐える。
かなり長い時間そうしていたように思うが、次第に衝撃はおさまってきた。代わりに目眩がする。
「アヴィ、すまない」
アルファルドの声が聞こえた。
目を開けると、アヴィオールが白鳩を飛ばしていた。白鳩はスピカ達の回りを旋回する。見えない壁がそこにあるかのように、人波はスピカ達の周囲を避けて走っていた。
「
スピカはアルファルドの胸ポケットから小瓶を取り出した。片手で蓋を開けると、甘酸っぱいそれを一気に飲み干す。
やがて、ほとんどの観客が広場を出ると、アヴィオールは白鳩を光の粒子にし消した。
「みんな、大丈夫?」
アヴィオールが振り返る。スピカとアルファルドは勿論、カペラとレグルスも無事だ。皆アヴィオールの輝術に助けられたらしい。
「お前の術って、輝術を打ち消すタイプじゃないのかよ」
「僕のは、災いから身を守る術。輝術を打ち消すだけじゃないし、全部の輝術を打ち消せるわけじゃない。
ていうか、今はそんなことどうでもいいよ! あれ見て!」
アヴィオールが指差す先で、ニコラと双子の賢者が対峙していた。ニコラは、光で作った、人の腕程もあるたがねを五本放射状に配置し、いつでも発射できるようかまえている。
「さっさと術と武器をおさめろ! それとも、我々の術によって封じられたいか!」
「やってみろよ。あんたらがフルート吹くのと、俺のたがねが手を切り落とすの、どっちが早いかな」
ニコラは激情しているようで、二人を煽りながらたがねを飛ばす。双子の賢者の片割れが、身を翻しそれをかわした。
「あー、くそ、見てらんね」
レグルスが呟く。鞄からずるりとマントを取り出すとそれを羽織り、ニコラの前に躍り出た。
「レグルス! お前いたのか!」
「駄目だ。相手は大人の賢者だ。危ないから下がってなさい」
双子に言われ、レグルスは二人を振り返る。「任せとけ」と言わんばかりの、自信に満ちあふれた顔。
「あいつを倒そうってわけじゃねえんだ。お前らがフルート吹くだけの時間を稼いでやるんだよ」
しかし、双子の賢者は二人とも、ただ首を振る。レグルスを守ろうと手を伸ばすが、レグルスはそれをするりとかわした。
アルファルドは眉を寄せる。レグルスの様子から、相当な自信を持つ賢者だということはわかる。しかし、双子が慌てる理由を知りたくて、スピカに問いかけた。
「彼は何の賢者だ?」
「獅子の賢者よ。攻撃系の術に対しては有利を取れる術だから、心配いらないわね」
スピカは安心しきっていたが、アルファルドは違った。顔がサアッと青ざめる。
「言うじゃねえか、ガキ!」
ニコラは四本のたがねを全てレグルスに向かい発射する。レグルスは不敵に笑い、マントを翻した。
「やめろ!」
アルファルドが叫ぶ。しかし遅かった。
空を切り裂く音が聞こえた。それと同時に、アルファルドはスピカの前に立ち、両手を広げた。
次の瞬間、スピカの目の前で、アルファルドは胸を一突きされた。
獅子の輝術は、他人の術を跳ね返すもの。飛ばされたたがねはマントに弾き返され、あらぬ方向へ……スピカを庇ったアルファルドに突き刺さったのだ。
「ぐっ……」
ニコラも腕を切り裂かれ、貫いたたがねは地に刺さる。他二本のたがねも、地面に突き刺さり土をえぐっていた。
レグルスはこの惨事を想定していなかった。
「え……?」
レグルスはただ呆然と目の前の光景を見る。そしてその視線はアルファルドに向き、動揺から瞳が揺れる。アルファルドは膝をつき、自らの手でたがねを引き抜いた。
「いや……いやあーー!」
スピカは目を見開き頭を抱える。目の前の状況が理解できず、髪を振り乱しへたりこんだ。
「ワサト、フルートを」
「ああ」
双子はローブの下からフルートを取り出し、それぞれ口に添える。
「待ってくれ……」
アルファルドは片手を上げ、弱々しい声で制止をかける。
「君らの術は、輝術を封じるものだろう……なら、少しだけ待ってくれ……すぐに終わる……」
スピカは唇を震わせ、涙をこぼせない程に目の前の状況に恐怖していた。だが、アルファルドは彼女を振り返り、マスクを下ろして笑いかける。安心させるように。
「少しだけ、離れててくれ」
「いや……嫌よ……」
嫌だと首を振るスピカの目の前で、予想だにしない事態が起こる。アルファルドの体が光に包まれ始めたのだ。それは、賢者が輝術を発動させるときのそれに似ていた。スピカは驚き混乱し、固まるしかない。
見かねたアヴィオールとカペラが、スピカの腕を担ぎアルファルドから離す。アルファルドは安堵のため息をこぼし、マスクを直すとその場に
アルファルドの傷は、みるみるうちに
双子は二人とも、
「………はっ」
我に返った片割れは、もう一方を肘で小突き、二人でフルートを奏で始めた。
軽やかでいて、空気を震わせるかのような存在感のある音色が辺りに響く。程なくして、辺りに散らばっていたたがねは、光の粒子となって消えていく。
双子が演奏をやめた頃には、ニコラの戦意は喪失していた。双子の片割れが近寄ると、怯えて情けない悲鳴を漏らす。
「話は大臣達が聞く。だがまずは、その傷の手当てをした方がいいだろう」
幸い、見た目ほどに傷は深くなかったようだ。ニコラは大人しく立ち上がり、双子の片割れと共に腕を庇いながらステージ裏へと消えていった。
「スピカ、そんなに怯えなくていい」
アルファルドはスピカを再び振り返る。服は真っ赤な血に汚れていたが、アルファルド自身は全く痛みを感じていないようだ。
スピカはアヴィオールとカペラを交互に見て、3人一緒にアルファルドの元へ向かう。地面に腰を下ろした彼女らを撫でようと、アルファルドは手を伸ばすが、赤く汚れていることに気付き手を引っ込めた。
「大丈夫ですか!」
残った方の双子の賢者が、フードを脱ぎながらアルファルドの元へ駆けてくる。金髪を短く刈り込んだ男だ。その後ろから、深く
アルファルドはマスクを口元まで引き上げ、顔を隠した。
「うちの獅子がご迷惑を……大変申し訳ありません!すぐに手当てを……」
彼は言うが、アルファルドは首を振った。致命傷を負っていたのが嘘のように顔色がいい。
「いえ、必要ありませんよ。自分、こう見えて治癒系の賢者ですから」
「そうですか……ではせめて、替えのお召し物をご用意いたします」
「ああ、助かります」
双子の彼は駆け足にステージ裏へと消えていく。レグルスは涙をこぼしながら、アルファルドの前に膝をつき土下座した。
「ごめんなさい! 俺、こんな風になると思わなくて……俺、役に立ちたくて……」
「顔を上げなさい。土下座なんて見苦しいぞ」
レグルスは顔をあげた。その彼の額に、アルファルドは汚れていない手で拳を作り、こつんと軽く小突いた。
「反省しているようだし、これで勘弁してやる。ただ、自分じゃなかったら大惨事だった。術を過信せず、特性を理解しろ。いいな」
レグルスは正座したまま頷いている。
スピカは、義父が刺された衝撃からか、思いもよらない人物が賢者であったことからか、はたまた両方か。混乱の中、まとまりのない言葉で質問する。
「アルフ、何で刺さったのに治ってるの? じゃなくて、何で輝術を……」
アルファルドは「そうだなあ」と漏らし、語る言葉を探す。その間向けられる、アヴィオールとカペラの、刺すような視線が痛かった。
「喫茶店に行こうか。そこで話そう」
丁度その時、女性スタッフがTシャツと濡れたタオルを持ってやってきた。
「どうぞ、こちらを」
「ありがとう」
アルファルドは立ち上がりながら、まずタオル受け取る。手の汚れを拭き取りタオルを女性に返すと、次はTシャツを取り広げた。
今回の祭り用に作ったイベントTシャツらしい。白地に大きく「乙女の帰還、求む」と書かれている。
「恥ずかしくないです?」
カペラはぽつりともらした。アルファルドは否定できず、小さく唸る。
「申し訳ありません。不測の事態で、それしか用意がなく……」
「自分は気にしませんので……」
アルファルドの言葉を聞き、スタッフは申し訳なさそうに頭を下げた。アルファルドはTシャツに着替えると、皆を振り返る。
「行こうか」
スピカ、アヴィオール、カペラ、レグルスが立ち上がる。しかし、スタッフはレグルスを呼び止めた。
「レグルス様、今回のことについて、アルヘナ様がお呼びです」
「え? でも……」
スピカは言うが、レグルスは首を振った。
「仕方ないだろ。俺がやらかしたことだ」
レグルスはスタッフについてステージ裏へと向かう。スピカ達は、それを見送ってから広場の出口へと向かう。
振り返ると、真っ赤な血溜まりが見える。スピカは義父の顔を見上げ、再び血溜まりを見る。アルファルドの傷は見ていたはずなのに、血溜まりが彼のものだとは、どうにも信じられない。
混乱した頭のまま、スピカ達はアルファルドに連れられて喫茶店へと向かった。
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