流れて落ちて消えて(4)

 カペラを先頭に、四人は町を歩く。石畳を叩く軽快な駆け足の音に、スピカの心は弾んだ。鉄道オタクではなくても、列車での遠出はワクワクするものだ。

 通学路から逸れ、賑わう商店街を通り過ぎる。途中、時計屋の常連客にすれ違い、「何処に行くの?」と問われると、「隣町、アウリジェに行くのよ」と声を返す。

 初めて自分の目で見る帰還きかん祈祷きとうは、きっと楽しいものなのだろう。そう心躍らせ、足取りはリズムを踏むように軽やかだった。

 やがて駅が見えてくる。外観は赤茶の煉瓦造りで、レトロな印象。小さな売店とパン屋が入口近くに併設されている。駅を目の前にするとカペラは興奮してしまい、一眼レフのカメラを両手で持ち上げ、スピカ達がいることも忘れ券売機へと走って行った。


「あいつ、いつもああなのか?」


「鉄道のことになるとすごいよ、カペラは」


 レグルスとアヴィオールは言葉を交わす。スピカはカペラに遅れまいと、駆け足で券売機に向かいながら、アヴィオールとレグルスを手招きして急かす。

 一足先に券売機に着いたカペラ。スピカ達が彼女に追い付くと、カペラはそれを振り返り、あんぐりと開けた口元に片手を添えた。


「あ、ああっ、ごめんね。興奮しちゃってました」


「もー。気をつけて頂戴」


 二人は券売機に向き直り、数字が書かれたプラスチックのボタンを見つめた。まずカペラが小銭の投入口に銅貨二枚を入れた。二百、五百、千と、計三つ並ぶボタンのうち、二百と書かれたボタンを押す。すると、ボタン下にある吐き出し口から切符が一枚だけ出てきた。


「私の町までですね。二百ベルですよ」


 スピカもアヴィオールもレグルスも、それぞれ一番安い切符を一枚ずつ購入した。


「それで、友達って何処にいるの?」


 スピカは尋ねた。カペラは「えっと……」と声を漏らし、辺りを見回す。すると、改札口にその姿を見つけた。


「いました、いました! チコー!」


 カペラは大きく片手を降りながら、改札口に立つ男性の元へ向かう。紺色の髪をした男性は、他の乗客の切符を切っており、目だけはカペラに向けるが客の対応に忙しそうだ。

 カペラはその最後尾に並び、スピカ達はそれを追いかける。やがてカペラに順番が回ってくると、男性はわざとらしくため息をついた。


「カペラ、仕事中にアホ丸出しの声で呼ばないで欲しいんだけど」


「えー。友達の名前を呼ぶの、そんなに悪いことですか?」


「いつから友達になったんだよ」


 カペラの友達と聞いていただけに、スピカは男性の発言に少しばかり困惑する。


「つれないですー」


「ふふっ。君みたいなアホ、仲良くなりたがる子は他にもいっぱいいるよ」


 しかし、男性の穏やかな瞳を見てスピカは安堵した。彼は単なるツンデレ、友達ではないという言葉は照れ隠しだと気づいたのだ。


「今仕事中だから、手早く紹介済ませてね。後ろの三人、友達でしょ?」


 カペラは笑顔で頷く。そして三人を振り返った。


「私の友達のチコです。駅員で車掌もしてるんだよ」


 チコと呼ばれた彼は、脱帽し微笑んだ。帽子を持つその手は、翼のごとく羽毛に覆われていた。顔は人間のものであるが、体の一部が羽毛に覆われた、グルルという種族である。


「初めまして。チコ・ティコ・ディータと申します。今日はお出かけですか?」


 尋ねられて、スピカは頷く。


「ええ、これから隣町に。でも、もう一つの目的はチコさんに、あなたに会いに来たんです」


「ボクに?」


 チコは目を丸めた。自ずと口元が緩むが、それに気付くと口を真横に結んで、ゆるゆると首を振った。


「……ボクなんかに会いに来ても、面白いことなんてないでしょうに」


「もー。卑屈になっちゃダメですよ」


 カペラは頬を膨らませそう言うと、スピカを指差した。


「スピカ達は、会うのを楽しみにしてくれてたの。そんなこと言ったら失礼ですよ」


「……確かに言うとおりだね。ごめん」


 チコはスピカの言葉に頷いた。そして、控えめな笑顔を見せると、スピカ、アヴィオール、レグルスの顔をそれぞれ見、声をかけた。


「会いに来てくれて、ありがとうございます。星と空の旅、楽しんでくださいね」


 そうして、四人から切符を預かると改札鋏で切り、四枚まとめてカペラに返した。

 その時、発車を知らせるベルが辺りに響いた。カペラは目を見開き、悲痛な叫び声をあげる。


「写真撮ってないです! ま、待ってー!」


 カペラはスピカ達の存在を忘れたかのように走り出す。続いてチコが声を張り上げた。


「のぼりの列車が出発する! 急ぎなさい!」


「は、はいっ」


 弾かれたように、スピカ、アヴィオール、レグルスは、カペラの背中を走って追いかけた。

 列車はスミレ色の煙をまとい、ホームに佇んでいた。車体は陽光を跳ね返し、つややかに輝いている。その脇のホームからは駅員があちこちを指差し声に出して確認作業を行っている。


「待て、お客さんだ」


 指差し確認の最中、ホームの駅員が走ってくるカペラの姿を見つけて、列車の中の車掌に声をかける。四人とも列車までやってくると、体を屈めて息を整える。


「駆け込み乗車は危ないぞ。次からは時間に余裕を持って来なさい」


 駅員に注意されるが、皆息苦しさのために返事ができない。頷きながら列車に乗り込むと、ボックス席に腰掛けて大きく息を吐き出した。

 列車の外からホイッスルの音が聞こえる。続いて長めの汽笛。そして列車は走り出した。

 車輪が回っているはずだが、揺れは感じない。それもそのはず、この列車は浮いているのだ。やがて列車は、光のレールに沿って空高くを走る。車体が雲から飛び出す様を、スピカは窓から首を出して眺めた。


「うわあ……綺麗……」


 海の中に落ちたかと錯覚する程の澄んだ青。身を乗り出すスピカとアヴィオール。二人が落ちないようにと、レグルスは彼女らの腕を掴んでいた。


「あ、身を乗り出すのはやめた方がいいですよ」


「え? どうして?」


 スピカがカペラに訊き返すのと同じタイミングで、列車が吐き出した赤紫の煙が、スピカとアヴィオールの顔を包んだ。その煙の臭いといったら、生クリームを凝縮したかのような甘ったるさで、胸焼けを起こしそうなくらいだった。途端に、スピカもアヴィオールもむせた。


「げほっ! うえっほ!」


「けふっ、けふっ……うっかりしてたわ。吸い込んじゃうなんて」


 煙が通りすぎると、顔をしかめつつ体を引っ込める二人。振り返ったスピカの顔は、ペンキで塗ったかのように赤く色づき、アヴィオールの顔は右半分が赤紫、左半分が青紫に変色していた。


「二人とも、なんだそりゃ」


「あーあ、煙の色がついちゃいましたね」


 レグルスは大笑いし、カペラは呆れて肩をすくめる。スピカはアヴィオールと顔を見合わせて、互いが酷く汚れていることに気づく。


「ふふっ。あはははっ。アヴィってば変な顔!」


「あはははっ! スピカだって!」


 このハプニングも、彼らにとっては楽しくて仕方ない。四人で上手く息ができなくなるくらいに爆笑していると、電車内にアナウンスが響いた。


『次は、アウリジェ、アウリジェ』


 カペラは顔を上げる。列車はカペラが住む町に到着しようとしている。


「移動時間十分なんて、短すぎますよー」


 ぷくっと頬を膨らませ、窓の外を見る。車体は雲の中に沈み、地上に向かうべく傾いていた。

 スピカもアヴィオールも、ハンカチで顔を拭きながら、カペラの呟きに苦笑いをした。毎日往復二十分列車に揺られていても物足りないだなんて。


「アウリジェ行くってことはさ、あれ見に行くのか?」


 レグルスの問いに、カペラは頷く。


「うん。帰還きかん祈祷きとうの週に入ってますから。スピカが、前から行きたいって言ってたんだよ」


「賢者が沢山集まるからって、アルフに連れてってもらえなかったのよ。だから今年はアルフに黙って行って来ようって」


「あー……確かに帰還きかん祈祷きとうは各地の賢者達が集まるからな。今や空席の、乙女の賢者の帰りを待つ祈りだから」


 レグルスは、スピカの体質をすっかり理解しているらしい。アウリジェで行われる祭りを思い出し、スピカの言葉に納得した。

 アヴィオールも、レグルスに言葉をかけることで会話に入る。


「乙女の輝きを宿し賢者が生まれることを祈り、賢者達は輝きを捧げる。だっけ」


祈祷きとうは任意だし、参加してない賢者も多いけどな。しかも、正式な祈祷きとうは未成年は参加できねえし」


 アヴィオールはきょとんとした顔でレグルスを見る。


「でも、大賢人は必ず祈祷きとうに参加しなくちゃいけないんだよね。レグルスは獅子の大賢人でしょ?」


「まだ正式に大賢人を継いだわけじゃない。力を継いでも、未成年は大賢人の地位を継げないんだよ」


 レグルスは舌打ちした。どうやら、未成年という縛りにもどかしさを感じているらしい。

 スピカは腰に片手を当て、しわが寄った眉間に指で触れた。


「何かと面倒なのね。宮殿内部って、国の中心なのにシークレットな部分が多過ぎて不思議だわ」


 カペラもそれに賛同した。頷きながら不満を口にする。


「大賢人が、国の繁栄のために祈りを捧げ続ける……そのくらいしかわかんないですもん」


「それ言われちゃ耳痛いな……」


 レグルスは乾いた笑いを漏らした。賢者は賢者であることを言わず。レグルスにとっては、それは美徳というよりも、規則や縛りといった方が正しかった。

 丁度その時、列車が駅に停まった。カペラは「あー!」と悲痛な声をあげ、窓にしがみついた。


「雲を抜ける瞬間、見忘れました……」


「いいじゃないそのくらい」


「よくなーい!」


 カペラは項垂れて長い息を吐いた。

 列車から、多くの人々が降りる。四人もそれに続いて下車した。

 外に出ると、遠くから管楽器の音色が聞こえた。マーチのメロディに合わせて、太鼓がリズムを刻んでいる。

 近くを歩く三人家族らしき乗客が、パレードが始まってしまったとぼやいている。おそらくこの音色のことを言っているのだろう。スピカはうずうずとしてカペラを振り返る。


「ねえねえ! 早く行きましょうよ!」


「ちょっと待ってください。んー、この角度かなー」


 カペラはファインダーを覗き、相変わらず鉄道に夢中だった。スピカは頬を膨らませる。


「早く行かなきゃパレード終わっちゃうわ」


「ほら、行くぞ」


 レグルスはカペラの首根っこを掴んで引きずる。カペラは「やー!」と駄々っ子のように叫んだ。

 スピカとアヴィオールは二人を追い越し走っていく。改札を抜けると、そこは小さな広場であった。

 レンガが敷き詰められた駅前広場を囲むように、食べ物を売る屋台がずらりと並んでいる。広場の中央には噴水があり、丁度水が噴き上げられているところだった。霧となった水に太陽光が反射し、小さな虹が一つ架かっていた。

 人混みのために辺りは騒がしく、その雑踏に張り合うかのようにマーチのメロディが響いている。


「相変わらず凄いなぁ」


 アヴィオールは笑みを浮かべてポツリ呟く。そしてスピカの手を握り、声をかけた。


「はぐれないでね?」


「もー。子供扱いはやめて頂戴。いつも言ってるでしょ?」


 そこへレグルスとカペラが追い付いて、広場の雑踏を見て顔をしかめる。


「これだと、祈り星は遠目に見るしかないですね」


「最前は無理だとしても、近くで見たいよな」


 賢者達が祈りを捧げる祈り星。この祭りのメインイベントであるだけに、よく見てみたいと思うのが一般の意見だ。しかし、スピカは首を振った。


「遠くからの方がいいわ。倒れたりしたら、他の人に迷惑でしょ?」


 アヴィオールはその言葉を少しだけ寂しく思いながら聞いた。しかし、スピカの体質を考えれば仕方ないだろう。


「じゃあとにかく、中央広場まで行かなきゃ、ですね!」


 カペラが気まずい雰囲気を払拭ふっしょくするように拳を突き上げる。敢えて能天気に振る舞うカペラを見て、皆笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る