花束を片手に恋をしてる

佐武ろく

1

「なつきおねえちゃん!これあげる!」


 精一杯伸ばす土や砂に汚れた小さな手にはそこら辺に咲いている花の束が握られた。


「ありがとう。冬真とうま


 制服に身を包んだ夏姉なつねぇは嫌な顔せず、むしろ優しく嬉しそうな笑みを浮かべてその汚れた手から花束を受け取ってくれた。僕はそれが嬉しくて。そんな夏姉が大好きで―――。


                * * * * *


「―――! おい。冬真聞いてっか?」

「ん? ごめん。何?」


 袖丈がちらほらと長くなり始めた頃。学校の昼休みを僕はいつも通り過ごしていた。


「だからお前は好きな奴とかいないのかって」


 大樹だいきが食べかけのパンで僕を指す。


「好きな人かぁー」


 僕は唸るような声を出しながら一応、考えてみた。


「冬真ってそういうの興味なさそうだもんな」


 たけるの声を聞きながら更に考える(この時はさすがに黙ってたけど)。


「バカだな。こういう奴に限って急に、付き合いました! とか言ってくるんだぞ。気を付けろよ」

「何をだよ」


 2人の会話を聞きながら考えるもやっぱりこの学校の人で思い浮かぶ人は居なかった。


「別に今はいないかな」

「ほんとか?」

「本当だよ」


 大樹はまるで取り調べをする刑事のような目つきで僕を見る。そしてパンをひとかじり。


「よーし。今回のところは信じてやる」

「何で上から何だよ。お前は」


 それからも相変わらず楽しい昼休みを過ごし、午後の授業も何とか乗り切った。

 そして放課後。1人帰路に就く僕は両手を大きく空へ伸ばし疲れを口から逃がしてやる。なんてことをしながら家に帰ると玄関には知らない靴が1足。


「ただいまー」


 そう言いながらリビングを覗いてみた。


「おっ。おかえりー」


 僕を迎えたのは母さんではない声。だけど聞き覚えがあった。僕は誰だろうと思いながらその声がした方へ顔を向ける。

 そこにはソファに座りながらこちらを振り向く女性の姿。僕はその懐かしい笑顔を見た途端、言葉を失った。


「久しぶり」

「――夏姉?」


 絞り出した声でやっと一言、言葉を発したがそれはあまりにも小さかった。


「あら冬真おかえり。あんたも食べる?」

「うん」


 トレイを持った母さんの声は全く聞いてなかったが僕はとりあえずで返事をした。

 そして導かれるように動き出した足で夏姉の傍まで歩く。それに合わせ夏姉の顔は僕を追いながら前を向き直した。


「随分と大きくなったわね」


 足から上がってきた視線と目が合うと僕の中に遅れてきた感情が到着した。


「夏姉! 何でここに居るの? 仕事は? もしかして戻って来たの?」


 驚きと嬉しさと戸惑いと。あまりに色んな感情が一斉に押し寄せて来たものだから僕は訳が分からずただ頭に浮かんだ疑問を口から外に出した。我先にと表に出ようとして詰まった感情たちを内に秘めながら。


「全く、そんな質問攻めにしたら夏希ちゃん答えられないでしょ。落ち着きなさい」


 いつの間にかキッチンへ行っていた母さんがいつの間にか戻って来ていて言葉と共にコップを僕へ差し出した。それを受け取ると半分まで一気に飲み、夏姉の隣に座る。


「それで何で急に?」


 ―――夏姉はどうやらちょっとした連休が出来たから折角ということで帰って来たらしい。

 そんな夏姉の家(今は実家)は僕の家の丁度向かい側にある。昔から家族ぐるみで交流があり親しかったかたら夏姉はこの成瀬家を第二の我が家と呼んでいた。だからその第二の実家へ今回の帰省でもちゃんと帰って来たということだ(律義にお土産を持って)。

 まぁ理由はどうであれ夏姉が帰って来たのは心の底から嬉しい。しかも少しの間はここ(実家)に居るらしいし。


「でも懐かしいわね。この子ったら夏希ちゃんにべったりだったから。本当はちょっとぐらいめんどくさかったんじゃない? 夏希ちゃんも青春真っただ中の高校生だったわけだし」


 母さんの余計な言葉に夏姉の顔が僕を見る。


「まぁ、実を言うとちょっと...」

「えっ?」


 夏姉の反応に対して反射的にそして無意識に口から声が飛び出た。もしそれが本音なら僕はしばらくの間、立ち直れないかもしれない。


「って冗談よ。あの頃の冬真はすっごく可愛かったんだから。なつきおねーちゃん。ってね」


 声色を変え昔の僕の真似をしてるのだろう。すごく恥ずかしい。


「私の友達にも人気だったんだから。夏希の弟って呼ばれてて」


 確か僕を見たその友達に夏姉は実質弟って言ってたっけ。はぁー。思い出したらため息が零れた(もちろん心の中だけだけど)。


「まぁでも今でもあの頃の面影あってまだ可愛いけどね」


 夏姉は僕の方へ手を伸ばすと頭を撫でた。そのあの頃と同じ優しくて大好きな感覚は懐かしかったけど今やられるとちょっと恥ずかしさが勝り顔を逸らしてしまう。だけどどうしても拒めない自分が居た。


「もう子どもじゃないって......」


 それが見栄かカッコつけかは分からないけど小さな抵抗でもするかのように呟いた。


「あらら。今でも本当の姉弟みたいね」


 母さんは嬉しそうにそう言う。弟、姉、姉弟してい。その言葉は昔の僕にとっては夏姉と近い感じがして嬉しかったけど、今となってはあまり喜べない言葉に変わってしまった。それらの言葉で近づけば近づく程にどんどん遠くなっていく気がして――嫌なんだ。


「あっ、そうだ冬真。折角だしあの場所に行かない?」


 頭上で電球が灯るように思い出した夏姉は撫でる手を止めそんな提案をしてきた。


「何? どこか行くの?」

「それはおばさんにも教えられないかなぁ。あそこは私と冬真の秘密の場所だから。冬真、覚えてる?」

「うん」


 忘れるはずもない。僕がまだ幼い頃、夏姉が連れて行ってくれたあの場所。


「夕食は夏希ちゃんのとこで一緒に食べることになってるからあんまり遅くならないようにね」

「はーい」

「うん」


 あの岬で見た綺麗な夕日、海、星空は今でも鮮明に思い出せる。肌を撫でる冷たい風も汗の滲む暑さとそよ風も。そして『綺麗でしょ?』そう言って笑う顔も。まるで全部が昨日の出来事のように。


「うわぁー。なんにも変わってない」


 夏姉は感動と懐旧かいきゅうの情が混じり合ったような声と共に少し駆け出し欄干まで足を進めた。僕はその後を草をしっかり踏みつけながら追う。

 そして隣に並ぶと一緒になって夕日で煌めく海を眺めた。それはまるであの日にタイムスリップしたかのように何も変わらない景色。

 だけどその中で唯一、僕らだけが異質のようにあの頃とは変わっていた。

 それから少しの間、2人して黙ったまま景色を眺め続けた。


「前に来た時のって何年前だろう? だって冬真がこーんな小さい時だったもんね。――あっ、あれ覚えてる? 冬真が私に花くれたの」


 当然覚えているし、僕にとっては初めて夏姉にプレゼントをした忘れられない記憶。喜んでくれるか不安で少し緊張したのもよく覚えている。だけど嬉しそうに受取ってくれた時はそんな不安も消えて僕も嬉しくなって気づいたら笑ってたっけ。


「覚えてるよ」

「あれ嬉しかったなぁ。玄関に飾ってたんだけど枯れちゃった時は悲しかったっけ」


 すっかり思い出に耽る夏姉の横顔を見て僕はあの瞬間をもう一度思い出した。まるで味のなくならないガムみたいに噛み締める度にあの日の感情すら思い出せる。夏姉の事が大好きだったあの気持ちを。

 でもたまに考えることがある。僕は一体いつから今のこの感情を抱くようになったんだろうって――いや、意識するようになったんだろう。もしかしたらあの花束を―花束と呼ぶにはあまりにも華やかさに欠けていたが―渡した時にはもう既にそうだったのかもしれない(もちろん当時はそんなことを考えてなかったから気が付くはずも無いが)。


「はぁー。あんな小さかった冬真も、今じゃもう高校生か」


 夏姉の目が僕の顔に向く。昔と違って今は同じ――いや、ほんの少し見上げながら。


「いつの間にかこんなに大きくなりやがって」


 肩に回った腕が僕を夏姉へ引き寄せる。横を向けば鼻先が触れてしまいそうな程にその距離は近い。手や腕――触れ合う部分から伝わる温もりとほんのり香る香水にまぎれた懐かしさ。昔は抱き締められることがただ嬉しかったが―それが夏の汗が止まらぬ日でも―今は照れくさくて緊張する。

 そして僕と違って昔と変わらない夏姉の姿が少し悔しい。

 でもやっぱり僕を包み込む腕は変わらず優しいし、昔と同じでそうされるのが嬉しいからその手を払うことはなく何かを言うことも無かった。


「あの頃は私がしゃがんでたのに今じゃこうだよ。全く時が経つのって早いわね」

「――そうだね」

「そう言えばアンタ高校生なんだから彼女とかいないの?」

「いない」

「じゃあ好きな子は?」


 まさか1日で2度もこの質問をされるなんて。しかも2度目は直接。


「――いないよ」

「ホントに?」


 何度訊かれてもいないものはいない。学校にはいない。


「いない」

「まぁ、高校生活は恋愛だけじゃないからね。でも、恋愛もした方が楽しいよ。経験者が言うんだから間違いない」


 確か夏姉は高2の時、同級生の人と付き合ってたんだっけ。僕はその人の事が嫌いだったけど夏姉は一緒に居る時、楽しそうにしてたな。

 確か1回だけ張り合って僕の方が好きだなんて言ってその人と言い合ったのを覚えてる。今考えればあの人もちゃんと言い合いに付き合ってくれたし良い人だったのかも。

 あの頃は何の恥ずかしげもなく好きだって言ってたのに今じゃ心で考えるだけでなんか恥ずかしい。でもその代わりあの頃にはちゃんとした意味ではどうしても伝わらなかったけど。

 ――今なら伝わるのかな? 伝えられるのかな? 


「夏姉、僕......」


 僕は胸の中にある長年の想いに突き動かされるように気が付けば言葉を口にしていた。同時に夏姉の方を向く。その時、肩から滑り落ち離れた手はこれまでの関係が終わることを暗示しているようだった。


「ん? 何?」


 これから言われる事を予想すらしていない顔が僕を少し見上げる。


「何? どうしたの? 何でも言ってごらん」


 本当にいいの? そう尋ねたくなる気持ちは胸にしまっておいてやけに取り乱す心臓を少しでも落ち着かせようと軽めの深呼吸をひとつ。


「僕、夏姉のこと――」


 その時、まるで走馬灯のように夏姉との想い出が頭に流れた。そして最後はあの日、花束を受け取り笑顔でお礼を言う姿。

 大好きだけど――大好きだから遠くても近いこの場所を離れたくない。ズルい考えを臆病な僕は受け入れてしまった。


「――僕、夏姉とまた会えて良かったよ。嬉しい」


 結局、僕の口から出てきたのは嘘ではない別の感情。


「えー。嬉しいこといってくれるじゃん。私も冬真とまた会えて嬉しいいわよ」


 そう言って夏姉は僕をぎゅっと抱きしめた。昔のように。だけど僕はもう昔のように嬉しいだけじゃなくてどこか心苦しくて、逃げた自分が情けなくて悔しくて。いつか――いや、明日にはこの1人で抱え込むには重すぎる想いを伝えられるだろうか。いつからか喉に突っかえたままの言葉を吐き出せるだろうか。僕の腕が下がったままなのはそんな情けない自分が疎ましくて、こんな気持ちのまま抱きしめ返したくなかったからなのかもしれない。

 そして結局、来た時と何も変わらぬままで(むしろ僕は自分にガッカリした分、悪くなったのかもしれない)家に帰り、その夜は夏姉の家で小さな宴会が開かれた。その中で僕1人だけが心の底から楽しめてなかったのはきっと胸の内が依然と曇ったままだったから。


                * * * * *


 あれから2日後。やる事があっていつもより遅く帰路に就いた僕は買い物袋を提げた人達とすれ違いながらいつもの道を歩いていた。その途中、いつも視界には入っていたはずなのに初めて知った花屋に目が留まった。焼き鳥屋の漂わせる匂いのように店先には色とりどりの花が並んでいる。それはどれも綺麗で特別花が好きという訳じゃない僕の足も思わず止まってしまうほど。


「いらっしゃいませ。プレゼントか何かですか?」


 少しの間、立ち止まって花を眺めていたからだろう店員さんがにこやかに声を掛けて来た。


「いえ、そう言う訳じゃないんですけど――綺麗だなと思って」

「ありがとうございます」


 僕が昔、そこら辺で集め夏姉にあげた花とは全然違う(あの花たちには申し訳ないが)。そんなことを考えてるとふと頭に妙案が浮かんだ。


「これってお任せで花束を作ってもらう事って出来ますか?」

「はい。出来ますよ」

「それじゃあお願いしたいんですけど......」


 僕は財布を取り出して中を確認してみる。そこでは野口さんが1人待機していた。


「千円分でも大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫ですよ。プレゼントですか?」

「はい」

「でしたら色合いが華やかな感じがいいですかね――お誕生日とかそういうプレゼントでしょうか?」

「いえ、そういうんじゃなくて普通のですね」

「女性にですか?」

「まぁ、はい」


 それから店員さんは―何を考えてるのか見当もつかないが―花を色々と見て回りながら1本また1本と手に取っていく。そして数本の花束をもって僕の元へ戻って来た。


「こういう感じでどうでしょうか?」


 それは数は少ないもののさすが花屋さんと思うような組み合わせというか色合いの花束だった。とても綺麗な花束。


「はい! これでお願いします。――綺麗だなぁ」


 あまりに予想以上だったから最後に思わず胸の内が零れてしまった(でも別に悪い事を言った訳じゃないから特に気はしてない)。


「それではこちらで。ラッピングいたしますのでレジまでどうぞ」


 歩き出したその後に続いて僕もレジに向かっていると、店員さんは途中で1本花を手に取った。そしてその花を片手に僕の方を振り向く。


「こちらはサービスさせていただきますね」

「ありがとうございます」


 お礼の後、レジまで行き会計を済ませた。

 そして小さくも十分過ぎる程に綺麗な花束を片手に僕は家へ帰った。

 夏姉は喜んでくれるだろうか? そんなことを考えながら既に頭では喜ぶ姿を想像していた(想像だけで嬉しくなりついニヤけてしまったが誰にも見られてないことを願おう)。

 家に着くとさっさと鞄を置いて夏姉の所へ行こうと既に出ることを考えながらドアを開く。僕はただいまと言うことすら忘れてしまうぐらいこの花束を渡すのが楽しみだった。そしてあわよくばこの想いごと渡してしまおう。自然と口角の上がった表情で花束に視線を落とし2階へあがろうとした。

 すると僕を呼び止めるようにリビングから漏れてきた声が聞こえ足が止まる。その声は母さんの驚いた声。何を言ってるかハッキリとは聞こえなかったが気になった僕はリビングへ近づきドアへ手を伸ばした。だが指先がドアに触れるより先に中から別の声が聞こえた。


「そうなんですよ」


 それは夏姉の声だった。照れくさそうな声で何を話しているのかは分からなったが、僕は丁度良かったと思いそのまま開けようとドアに触れる。だけど母さんが一緒に居ることをすぐに思い出し引く手を止めた。

 それと入れ違うように中から会話の続きが聞こえた。


「えぇー。それにしてもあの夏希ちゃんが結婚ねぇ」


 えっ? 結婚? 僕は聞き間違いだろうと真っ先に自分の耳を疑った。


「お母さんとお父さんには遅れて来る彼と一緒に報告するんですけど何だか緊張しちゃって。それで誰かに言いたくなったんでついおばさんに先に言っちゃいました。あのおばさんなのでくれぐれも」

「分かってるわよ言わないわよ。それにしても懐かしいわね。あたしもあの人と自分の親に結婚報告した時のことを思い出すわ」

「えー、その話聞かせてくださいよ」

「いいわよ。あれはね......」


 僕は気が付けば家を飛び出し走っていた。買ったばかりの花束を片手にどこにへ向かっているかも分からず、ただひたすらに走っていた。

 段々と息が上がり頭はその苦しさで埋め尽くされる。何も考えられないくらいに。でも足は止めない。今は何も考えたくないから。

 ―――走って......走って......走って。

 僕は気が付けばあの岬へ来ていた。選りに選って一番夏姉との想い出があるこの場所へ。

 頭の中のようにひどく荒れた息とそのまま飛び出してあの水平線の向こうまで飛んでいってしまいそうな心臓。僕はそれらを抱えながら1歩1歩ゆっくりと進み欄干まで行くと運動不足で疲れ切った体を凭れさせる。

 そして少しの間、景色を眺め自分を落ち着かせた。時間が経つにつれ整う息と冷静にないく心臓。それから追い出していたあの会話が頭に戻って来た。


「はぁー。だから帰ってきたのか」


 本当なら喜ぶべき事なのかもしれないけど僕にはとてもそんな気持ちにはなれなかった。むしろ自分勝手にも落ち込んで、悔しくて、イラつて。でも不思議と涙は流れない。悲しいとかいうよりは結局、何も変えられない自分が情けなくて、なのに1人で浮かれてた自分が惨めで呆れていた。

 だけど僕の心のとは相反して嫌味な程に綺麗な夕日に照らされため息が零れる。さっきから頭に浮かぶ夏姉の顔はどれも笑っててその笑顔の先には自分が居るのに。でもその笑顔が――大好きなはずのその表情が今の僕にとっては辛く苦しい。


「なんで......」


 夏姉の隣でずっとその大きな手を握ってたはずなのに。


「なんで......」


 答えは分かっているはずなのに認めたくない自分がまだ探してる。自分に都合のいい答えを。

 胸の中では行き場を失った感情たちがどうする事も出来ずに膨れ上がっていく。そんな感情たちに動かされるように僕は握り締めた手で欄干を力一杯叩いた。

 ―――何度も...何度も...何度も。

 そんなことで何かが変わる訳でも気持ちが晴れる訳でもなかったがそれでもこの渦き酷く喚く感情をぶつけられずにはいられなかった。

 別に僕のものでもないのに取られた気がして、隣に立っていた夏姉の手が離れ、行ってしまうような気がして。なのに何も出来なかった――想いひとつ伝えられなかった自分が無様で情けない。


「僕の方がずっと......」


 赤く痛いだけの手は止まり眉間に皺を寄せながら全てから視線を逸らすように強く目を瞑った。そして顔は力無く俯く。


「ずっと大好きだったのに......」


 それは人知れず存在していた僕の中だけにずっとあった想い。夏姉の知らない想い。だからこそ余計に心に残り自分を酷く苛立たせた。これが無ければもっと違っていたのかもしれない。今頃、ちゃんと祝えてたのかも。心から一緒になって喜べたのかも。

 でもどちらにせよ僕はそれ以上になれなかったのかもしれない。僕は一度手を離し握り直すのが怖かったんだ。離れた時にそのまま離れ離れになってしまいそうで。

 だからこの関係に頼ってる限り何も変わらないと知っていながらこの関係に縋った。


「結局僕は自分勝手だったんだ」


 ゆっくり目を開くと顔を上げずっと握りしめていた花束へ視線を向けた。多分、夏姉はこれを渡したら昔と同じ様に喜んで受け取ってくれるだろう。そう昔と同じ様に。

 この花束を渡すようにこの想いも渡せたらどれだけいいだろうか。不安や緊張はあれど迷いは無かったあの時のようにこの想いを渡せたらどれだけいいだろうか。この想いを花束のように束ね渡せたらどれだけ――。


「僕どうしたらいいんだろう」


 今更、想いを伝えたところで意味はないどころかむしろ夏姉を困らせるだけかもしれない。


「折角、幸せなのに」


 でもこのままこの想いを無かったことにしてもいいんだろうか。何が正解か分からない。


「はぁー」


 神様がいるなら今この瞬間手を差し伸べて欲しいものだ。そしたら僕は今後一生あなたの信者として信仰心を持ち生きていくのに。そんな事を思い空を見上げるがそこには薄暗くなった昼と夜の狭間の空が広がっていだけ。


「はぁー。そろそろ帰ろうかな」


 気分は全ての気力を奪い去るほどには最悪だけど、ここにいたところでそれが晴れる訳じゃないしそろそろ母さんから連絡がきそうだから。でも足は動き出さない。


「そう言えばこれどうしよう。もう渡す気分じゃないし」


 僕がまだ能天気だった時と変わらず綺麗な花束を見ながらどうするかを考えた。今は夏姉に会いたくないから渡せないし、母さんにあげるとしても理由を考えるのがめんどう。

 頭に浮かんでは消えていく中、僕は視線を花束から海へ。少しだけ海を見た後にもう一度花束へ戻すとその手を下げた。

 そして海を見ながらその手を振り上げる。腕は空に手を伸ばすように上がった。でもその手には依然と花束が握られていた。


「やっぱり勿体ないか。あの店員さんにも悪いし」


 罪悪感に放る手を止められた僕は目覚め始めた夜の下、家へ帰った。

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