暑中見舞い申し上げます
しろたなぎ
ひとつめ・朝
朝七時、流行りの曲のアラームが鳴る。黙らせてカーテンの隙間から漏れる強い光を、そこに踊るキラキラしたほこりを見つめる。好きだったはずのアラームの曲はもう半分嫌いになりかけていた。もにょもにょした気持ちを抱えつつ伸びをして朝の支度に移る。
ニュースキャスターとセミの大声一騎打ちが今日も始まった。南のミーンミーン低気圧ミーーンミーーン午後からは天ミーーーーーンジジッ、それでは次のコーナーです。
「あら、今日は早いやないの〜!」
一騎打ち、勝者飛び込みの母。
「まぁね、たまにはね、早起きもありかと思ってね」
「ええことやわ〜! 素晴らしいわ〜! これで月曜やけど遅刻もせずに済むわなぁ! 早起きは三文の徳やけどアンタは九文くらい得するかもなぁ!」
朝から元気だな〜と思いつつ、うん、そうやね、と適当に相槌を打つ。今日早起きしたのには理由があった。
昨日の夜中、家を静かに抜け出して近所を散歩したとき、偶然道を間違えたとき、見つけたのだ。手入れされていない木の枝や葉っぱで真っ暗な道を。見つけたときは怖くて、早く家に帰ろうと足を動かしたけれど、朝日を降り注がれた小さな森の木漏れ日の中を歩けたらどんなに幸せか想像した。ドキドキが止まらなくなり、アラームを三十分早くかけて眠った。で、今に至るのだ。
母と一緒に家を出る。父は私が起きる一時間前にはもう出勤していて、夕方帰ってくる。母が帰ってくるまで二人でお茶を飲みながら話す時間が私は大好きだった。
「じゃ、気をつけて」
「お互いな〜、今日も頑張ろな〜!」
いつものやりとりを終わらせ、いつもの曲がり角を曲がって、いつものように真っ直ぐ歩く。でも今日はいつもとは違って、私の胸は弾んでいた。左手前から三つ目の角を曲がった先の未知の素晴らしい光景で頭がいっぱいだった。どきどき、わくわく、そわそわ。
そろそろあの道だ。あの電信柱を過ぎたらあの細道だ。一歩一歩、心の準備をしながら丁寧に歩く。あぁ、電信柱を今……過ぎた!
飛び込んできた光景に思わず息を飲んだ。朝の太陽に照らされ生命力を見せつけてくる葉も、その隙間から射す光も、地面に落ちた揺れる影も、どれもが私を迎え入れた。秘密基地……あるいはこう……心に優しい映画のワンシーンのような……、とにかく世界でここだけは、私の味方であるような気がした。地球上でここしか必要でないとまで感じた。セミの声さえも親のように優しくて、ゆっくりゆっくり歩いた。魅了されるあまり歩き方を忘れてしまって、何度か転けた。痛みは何も感じなかった。大通りへ合流するのが近くなるにつれ、段々と木々が私に手を振っているように見えて、なんだか誇らしくなった。
「あっ! おはようございます!」
気付くと大通りに出てしまっていて、いつもは出会わない小学生に声をかけられた。
「あっ、はい、おはよう」
「がっこーがんばってくださいねーー!」
水筒をカランコロンと鳴らしながら小学生は走っていった。きっと氷がいっぱいなんだろう。夏の暑さに、運動会の練習に負けないように、キンキンに冷えた麦茶を飲むのだろう。微笑ましくて懐かしくて、その子が見えなくなるまで手を振った。
今日も一日頑張れそうだ。
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