魔法使い部と偉大なる夢2

2


 俺は黒宇利さんに会ったことがない。一年の夏までは来ていたらしいが、他クラスの女子なんて関わりがない。帰宅部だった俺は余計にそれが顕著だ。黒宇利さんの名前を知ったのは同じクラスになってから。だから黒宇利さんの所属する魔法使い部とやらがどこにあるか見当もつかない。


 大輔に「黒宇利さんに繋げと言われてもクラスメイトという接点しかない」と伝えると、「当てがある」とだけ帰ってきた。場所がわかっているなら一人で行けばいいだろと思ったが、大輔も一人で行くのは不安なのだろう。


 人には知られたくないけれど、誰かに聞いて欲しい時がある。部活の人に相談すれば噂はたちどころに広まるし、それが彼女の耳に入るのを恐れたのだろう。


 クラスが変わって遊ばなくなった俺に今になって呼び出したのは、俺があまり吹聴して回る性格ではないからだ。ただそこにいるだけで良い、というのは都合の良い男として扱われているのだろうが、おかげで昼飯代が浮いたし都市伝説の黒宇利さんを見られるので役得だ。


 白梅高校には新校舎と一年校舎、旧校舎がある。一年校舎は実技科目の教室があるのでたまに行くのだが、旧校舎に入るのは久しぶりだ。

 旧校舎にあるのは文化部の部室か、一年校舎からあふれた1-A特進クラスの教室くらいだ。あとは何が入っているのか知らない。


 大輔は部活に向かう一年の間をぬってどんどん進む。たまにサッカー部らしき日に焼けた子が元気に挨拶するのだが、気もそぞろな大輔は軽く手をあげる最低限の挨拶しか返さない。


 一年校舎を抜け、渡り廊下から旧校舎に入る。廊下がコンクリートの灰色のままだ。感慨に浸るまもなく階段を上がって行く。踊り場のバリケード代わりに並べられた机の山を乗り越え、着いたのは四階の空き教室だ。


「ここか」

「そうだ。サッカー部の一年がふざけて四階に入った時、この教室につばの広い帽子をかぶった女が見えたらしい」

「魔女の帽子ってことか」

「可能性はある」


 扉のガラスは曇っていてよく見えない。大輔が扉に手をかけて、やっぱりやめた。


「なあ、先行ってくれね?」

「お前ここでチキるのかよ」

「怖いだろ。マジの魔女だったらどうすんだよ。魔法でカエルにされるぞ」

「魔法なんてあるわけないだろ」


 その魔法に頼ってきた大輔に言うのもなんだが、俺は魔法を信じていない。魔法なんてものは科学の発達していなかった昔の人の勘違いか、創作物の中の話だ。ホウキで空は飛べないし、呪文で炎は出せない。


 空を飛びたいなら飛行機で十分で、炎ならライターで間に合っている。魔法を信じているのは子供だけだ。大輔もわかってはいるのだ。


 それでも何か行動に移さないと気が済まない。大輔は藁にもすがる思いで魔法使い部を訪ねてきた。その気持ちにつけ込み、黒宇利さんに興味があったからついてきた俺は、友達と呼べない悪人だ。申し訳なくなって大輔に代わり扉を引く。


 今は四月の終わり。空が青くなってきた頃。

 だが教室には先取りした夏があった。


 机は端に重ねられ、広く開いたスペースにはビーチパラソルと麦わら帽子のかけられたサマーチェアが置いてある。寝転がる女生徒は、ここが砂浜であるかのようにくつろいでいた。


「おや、困り人かね」


 黒宇利さんが起き上がる。長い黒髪がさらさらと流れ、整った顔がこちらを向く。芸能人のようなくっきりとした顔立ちではなく、造詣に狂いがないゆえの芸術品のような美しさだ。


「あ、いや、困ってるのは俺じゃなくて、こいつです」


 見惚れていた俺は、あわてて扉の後ろで様子を伺っていた大輔を引っ張り出して前に立たせる。


「俺は二年から同じクラスになった松尾橋です。こいつの付き添いできました」

「2-Hの中居大輔です。えーと、黒宇利さんですよね?」

「ああ。はじめまして。確かに私が魔法使い部の黒宇利だ」


 黒宇利さんがにこやかに笑う。それだけで映画のワンシーンみたいだ。魔女ではなく良家のお嬢様役ならぴったりだと思う。


「魔法で悩みを解決してくれるって聞いたんですけど、本当ですか」

「もちろん。君たちはそのために来たのだろう? 立ち話もなんだ、椅子はそこの山から適当に取ってくれ。依頼内容を聞こう」


 とんとん拍子で話が進む。机と椅子をセッティングし、大輔が昼休みに語った内容と同じものを黒宇利さんに話しはじめた。


 彼女がよそよそしくなったところから、最近の変な行動、明日の誕生日にふられるかもしれないことまでまるっきり全部話す。横で見ていただけの俺は、話が進むごとに黒宇利さんがニヤついていくのがわかった。

 大輔が「魔法で誕生日を消してくれ」とお願いすると、黒宇利さんは大袈裟にうなずく。


「そうかそうか。それはとても災難だったな。私がパーフェクトに解決してやろう」

「マジか! 助かる!」

「え、解決できるのか?」

「ああ、もちろんだとも」


 黒宇利さんが自信満々なのが、俺は信じられなかった。だってこの依頼は解決できるはずがない。元々問題なんてないのだから。

 全ては大輔の勘違いなのだ。明日、誕生日を迎えれば、彼女のサプライズで大輔は人生最高の日を過ごせるはずなのに。


 もしかして、黒宇利さんは気がついていないのか。俺は黒宇利さんに説明するべきだったのだが、御伽噺でしかない魔法を使ってどう解決するのか気になって、黙っていた。


「君たちは随分と愛し合っているみたいだな。人生を添い遂げる気はあるのか?」


 黒宇利さんの整った顔が少し崩れる。先まで良家のお嬢様だったのに、人の恋路に首をつっこむときの下世話な顔をしていた。


「もちろん」


 大輔が即答する。こういうところがバカップルと言われる所以だ。高校生が将来を誓い合ったところですぐに離れてしまうのが普通が、こいつらは本当に実行してしまう熱がある。


「力強いな。だが良いことだ。日本には言霊という魔法の一種がある」

「ことだま?」

「言葉に宿る不思議な力のことだ。例えば受験期に“落ちる”という言葉を言わないようにするだろう。因果関係はないはずなのに、多くの人間はその言葉を避ける。忌み言葉というやつだな。“落ちる”という言葉が受験を失敗させる力があると信じているのだ」


 俺にも心当たりがある。白梅高校に受験する時は、自分よりも親や先生が気をつけていた。わずらわしい気持ちもあったが、心の底では信じている自分がいた。


「無論、いい意味の言霊もある。目標を語ることで客観的に物事を見ることができ、声に出すことで自分を奮い立たせることができる。体育祭の円陣や選手宣誓なんてその代表例だろう。言葉にすることで願いを叶えるのだ。君が君の彼女と共に居たいと言うのは、こっちの使い方だな」


 黒宇利さんがクツクツと笑う。なるほど、好きな事を好きと言える奴は強い。告白も結婚の約束も言霊の一種なのかもしれない。


「ところで、依頼内容は君の誕生日を消すことでいいのか?」

「ああ。やっぱ難しいか?」

「愚問だな。魔法を使うまでもない。だが、たとえ君の誕生日を消したとしても、次に会うときにフラれるのは確実じゃないか? 延命にしかならんだろう」

「そこは、まあ、大丈夫」

「ほうほう。そこを詳しく」


 黒宇利さんの目がきらりと輝き身を乗り出す。もう最初のイメージはぼろぼろに崩れて、お嬢様の皮を被った残念な人という印象になってしまった。整った顔に近づかれた大輔は、後ろにのけぞりながら答えた。


「俺たち誕生日が近くてさ。俺は明日、香奈は来週の水曜なんだ。その時も遊ぶ約束があって。だから、その」


 大輔は恥ずかしそうに頬をかく。


「俺の誕生日を乗り切れば、香奈の誕生日でもう一度振り向かせられるんじゃないかって。香奈が惚れ直すくらいの最高のプラン、考えてあるから」

「くぁ〜! いいねえ。漢だねえ!」


 黒宇利は立ち上がり、サマーチェアにかけてあった麦わら帽子をかぶった。魔女の帽子にしてはトンガリのない爽やかな帽子だが、黒宇利さんに似合っている。爽やかな夏の風が吹いている気さえする。


「君とっておきの呪文を教えてあげよう。この呪文を使えば、君の誕生日デートは消滅する。頑張りたまえ!」


 黒宇利さんが大輔の肩を力強く掴んだ。


「“俺は超能力者だ。世界を自由に改変することができる”復唱」

「え……?」

「“俺は超能力者だ。世界を自由に改変することができる”さあ、復唱しなさい。君に与える魔法の呪文だ」


「お、俺は超能力者だ。世界を自由に改変することができる」

「良し。その呪文を覚えておきたまえ。愛する彼女が寝た時に聞かせるのだ。そうすれば、君の誕生日デートは消滅する」

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