第二部 飛竜の谷

  雑魚


 抽象作家は、黒曜石の都から西へ向かった。山間部へ入った。川では雑魚が泳いでいる。雑魚も平等な命の持ち主だ。あの雑魚はこれからどうなるんだろう。

 抽象作家は、川を上流へ向かった。



  出世魚の滝登り


 雑魚は、川をのぼって滝にたどりつくと、まだまだ上流を目指した。雑魚が滝をのぼる。水の落下する滝を泳ぐ。魚にとって、滝とは何なのだろう。魚の世界では、水は行き来しても、滝は行き止まりではないのか。滝の上流は、存在するかもわからない神秘の土地だ。滝をのぼれない魚は二流だ、くらいに雑魚たちは思っているのかもしれない。たぶん、魚のことばがわかれば、それくらいの自慢はしているだろう。



  小魚が竜になる


 雑魚は、滝をのぼって、竜になった。

 抽象作家は、竜が生まれる現場を目撃した。

 この土地には何かある。抽象作家はそう考えて、ここの山地を探索した。

 抽象作家の目的は、隠された玉座の探索だ。それはまだ終わらない。

 竜は、千年は生きるという。この千年で何匹の雑魚がこの土地で竜になったのだろう。竜は、獣を捕えて食らった。さっきまで小魚だった竜がもう獣を食らっているのだ。

 これが大自然の力だな、と抽象作家は思った。



  飛竜の谷に着く


 山間の深くに、飛竜の谷と呼ばれる土地があった。抽象作家は、飛竜の谷にたどりついたが飛竜は見えない。

 雑魚から成った竜と、この谷の飛竜はどうちがうのだろう。抽象作家には疑問だ。



  野鳥


 野鳥がたくさんいる。

 抽象作家は、人を見かけた。

「すまない。ちょっと泊まれる場所へ案内してくれないか。玉座から来た」

 抽象作家がそう告げると、山間部の男は承諾の返事をした。

「本当に玉座から来たのか」

「ああ」

「確認する。玉座にもいろいろある」

 男は答えた。

「そうしてくれ」

 抽象作家は答えた。



  鳥の言葉


「旅の人、あんた、鳥のことばがわかるか」

「いや、わからないといけないのか」

「人間のことばを話すのは、鳥の方が苦労する」

 山間部の男はいった。

「ここの土地の鳥は、人間のことばがわかるのか」

「そうだ。旅の人は、何種類の動物のことばがわかる?」

「人間だけだ」

「竜のことばは覚えた方がいい」

 ひょっとして、難しい土地なのかもしれない。

 抽象作家は思った。



  飛竜に乗る


「玉座と連絡がとれた。谷へ入っていいそうだ」

 男がいった。

「本当に黒曜石の玉座と連絡がとれたのか」

 抽象作家が聞くと、男はいぶかしがった。

「おれが連絡をとったのは、その玉座じゃない。悪いが、あんたのいう黒曜石の玉座は偽物の玉座だ。これからあんたは本当の玉座を知るだろう」

 抽象作家は、新しい玉座に少しビビった。

 男は奇妙な口笛を吹いた。

 すると、飛竜がやってきた。

「あんたが竜のことばがわかるのが本当だとはね。驚いたよ」

「たいていの飛竜は人より賢い。飛竜の話は参考になる」

 男は、飛竜の背に乗った。

「あんたも乗りなよ」

「ああ」

「この谷は、飛竜の知恵で繁栄している谷だ」

 抽象作家は、そんな谷が存在するとは、今まで知らなかったので、自分の不見識を恥じた。黒曜石の都の文明も、すごいと思っていたのは、まちがいなのかもしれない。世界は広いな。旅に出てよかった。

 抽象作家はそう思った。



  飛竜の小屋


 飛竜は、空を飛んで谷の奥へ飛んだ。上空から下を見下ろすと背筋がぞっとする。

 飛竜は小屋に着くと、男と抽象作家を降ろした。小屋には、もっと若い男がいた。

「おれはここまでだ。そこの飼育係にこの先は聞いてくれ」

 抽象作家は促されたまま従うつもりだ。



  飼育係に会う


「何が目的でこの谷へ来たんだ」

 飼育係がいった。

「最初は、竜の見学だ。今は、本当の玉座が知りたい」

「何でも聞いてくれ」

 抽象作家は、驚きで何を聞いていいかわからない。



  飼育技術


「おれが飛竜を飼うことができるのか」

「腕が良ければね」

「おれも飛竜を飼いたい」

「一匹あげるよ」

「連れて行ってもいいのか」

「飛竜はめったに谷を離れない。飛竜を飼いたいなら、谷に住むんだね」

 抽象作家は、この谷での暮らしについて調べるくらいはしてもいいなと思った。

「飛竜は何を食べるんだ」

「谷の動物だ」

「どうやって餌をあげるんだ」

「飛竜は人間も食べる。気を付けるんだね」

「マジかよ」

 抽象作家は絶句してしまった。

「めったに人は食べない。安心してくれ。ちょっと脅かしすぎたかな。でも、食べられてからじゃ遅いからね」

 飼育係は、笑った。

「この谷の連中は、飛竜が怖くないのか」

 抽象作家は思わず声に出していってしまった。

「怖くないさ。この谷が飛竜に食い殺されて滅亡したりしていないのがその証拠だ」

「なるほどね」

 抽象作家はそう答えた。



  飼育係による支配


 抽象作家は飛竜の谷を散策した。

 黒曜石の都は鑑定士が支配していたが、飛竜の谷は飼育係が支配しているようだ。

 飛竜を所有することがこの谷の幸せに必要な手段で、飼育係がいないと小屋から小屋を移動することもままならない。

 飛竜に餌をやり、飛竜に怪我を治し、飛竜と会話する飼育係たちが強い権力を持っている。

 飼育係はその気になったら、人を飛竜に食わせることができる。飼育係は利他的な人が多いが、飼育係に見捨てられると、この谷では生きていられない。いざという時に絶対的な権力を握るのは飼育係だ。この谷の者たちは、飼育係に見逃され、許されているだけなのだ。



  飛竜の谷には黒曜石の都も勝てない


「飛竜の谷の秘密を教えてあげよう」

 飼育係がいった。

 秘密とは何だ。抽象作家は考えた。飛竜を飼う技術があることがすでに抽象作家には驚異であり、この谷で聞くことすべてが意外性をもっている。

「飛竜の谷はこの島を征服できる軍事力を持っている。飛竜の軍には、黒曜石の都でも勝てない」

 そいつはすごい秘密だ。飛竜の谷ならありえるな。と、抽象作家は思った。

「黒曜石の都に勝てるということは、黒曜石の玉座に勝てるということなのか」

「そのとおりだ」

「そういえば、最初に会った男が、この谷で本当の玉座が見つかるといっていたが、どういうことなんだ」

「そのうちわかるだろう」

「実は、おれは隠された玉座を探しているんだ。黒曜石の玉座がそれだと思っていたが、ちがうのか」

「それもそのうちわかるだろう」

 知りたくてむずむずしてくるな、と抽象作家は思った。



  なぜ毒の味を知っているのか


 飛竜の小屋で食事をした。薬味(やくみ)の効いた美味しさがある。

「この味は、食べたら死ぬ毒の味だね」

 飼育係がそんな冗談をいった。

「食べたら死ぬ毒の味は、食べて死んだ者にしかわからないから、あんたは、その毒を食べて死んだことがあるんだろう」

 抽象作家が冗談で返した。

「毒の味を知ることは、飼育係には重要な仕事だ」

「そうだろうね」

 確かに、この谷の食べ物は美味しい。



  猫を飼うのが趣味の女


 別の小屋には、ネコ科の動物がたくさんいた。放し飼いにしているようだ。女が猫に餌をやっている。猫たちは気持ち良さそうに寝ている。この谷は、飛竜だけではなく、猫も飼っているようだ。

「お客さんって、ひとことでいうとどんな人ですか」

 猫を飼う女が質問してきた。

「作家」

 と、抽象作家は答えた。

「どんな話を書くんですか」

「世界が滅びる話」

「どうしてですか」

「最後の一人に興味があるから」

「そうなんだあ」

 女は話を合わせてくれた。

 どんな小説を書くのか告白するのは、普通の人にとっては恥ずかしいのだ。どんな本を読書するのか公開するのを恥ずかしがる人も多い。自分の年齢をいうのを恥ずかしがる人も多い。



  小猫、虎、ライオン


 猫がたくさんいる。

「これは普通の猫。こっちは小猫。あっちは虎」

 虎もいた。

「あっちはライオン」

 ライオンもいた。

「あっちはダランダラン」

 ダランダランは、ライオンより大きい猫だった。

 人を噛むのではないかと、抽象作家は怖い。

「ダランダランは初めて見た」

「ダランダランは新種の猫なんです」

「すごいなあ」

「わたしはネコ科をこよなく愛す」

「へえ」



  族長からの使者


「あなたに、族長がお会いになります」

 女がいった。

 抽象作家はびっくりした。飛竜の谷の族長とは、どんな人なのか。不気味な存在だ。



  竜骨の玉座


 抽象作家は玉座に案内された。竜骨の玉座に族長が座っていた。ここが飛竜の谷の人たちが話していた本当の玉座か。

 隠された玉座をまた発見した。飛竜の軍を率いて黒曜石の都に勝つことができるという竜骨の玉座の族長。この竜骨の玉座は、本当に竜の骨を削り出して作ったのだろうか。相当に大きい竜だったのだろうな。



  族長


「族長にお会いできて光栄です」

「気にするな。英雄の血筋だというだけだ。凄かったのは祖先だけだ。おれもまあがんばってはいるが、おれより優秀な飼育係がいるのは知っている」

 族長は謙虚だった。

「どんな祖先だったのですか」

「雌の竜の生殖器にあれをぶちこんだ男だと聞いている。そこから竜と人間の合いの子が生まれて、我らの一族になったのだという」

 すげえ一族だ。抽象作家は声も出なかった。

 雌の竜と人間の男があるなら、雄の竜と人間の女もあるのかなあ、と抽象作家はどうでもいいことを考えた。

 しかし、確かに、飛竜の谷の一族は偉大な民族だ。それはまちがいない。



  幻獣使いの国


「飛竜の谷では、飼育している幻獣は、数では飛竜が最も多いが、他の幻獣も育てている。少し手伝うだけでもいいので、協力してくれ」

 族長の申し出を抽象作家は恐る恐る承諾した。そんな責任重大なことをしてよいのだろうかとビビった。

「どのくらいの種類の幻獣がいるんですか」

「うーん、五十種類くらいだな。もっともっと増やしたいんだがなあ」

 族長はいった。



  不死鳥の播種


「何をすればいい」

 抽象作家は、幻獣使いの国の飼育係に聞いた。

「幻獣を選んで、それを播種してくれ」

 抽象作家は、幻獣の中から不死鳥を選んだ。不死鳥は、雌雄が炎になったまま番い、炎として生殖する。不死鳥の播種は炎の播種だ。不死鳥の雌は、炎として番った後、燃え尽きる。不死鳥の雌が灰となった時、灰ではなく卵が残される。その不死鳥の卵が生まれる前に割れると、中から灰が出てくる。その灰は、どんな未熟でも、不死鳥の成鳥に育つ。不死鳥の卵が割れずに成熟すると、炎が卵の殻を割って、燃える炎として現れる。

 抽象作家は、不死鳥を番わせて、灰の中から卵を見つけて、取り出した。

「不死鳥の卵を飛竜にのせてくれ」

 飼育係がいったが、どうすればよいのかわからない。

「遠い土地でふ化させるんだ。そうしないと播種にはならない」

 抽象作家はなんとかそれをした。



  悪い蚊を棄種して良い蚊を播種する


「いったい飛竜の谷は何を企んでいるんだ」

「かつて、飛竜の谷は、悪い蚊を棄種して、良い蚊を播種した。その結果、飛竜の谷の蚊は無害な愛玩動物になった」

 いったい何をいっているんだ。生態系管理か。交配実験か。生物の進化を御すつもりか。

「飛竜の谷が蚊にしたことと同じことを、人で行う」

 どこまでもすげえ谷だ、と抽象作家は思った。



  口伝の解読


 抽象作家は、飛竜の谷の巫女に会い、口伝の解読に取りかかった。翻訳は難しかった。黒曜石の都の古文書を解読した時のように難しかった。口伝を書き写し、古語から翻訳する。

 口伝には、竜骨の玉座の目的が伝えられているという。



  幻獣進化が目的の国


 口伝の解読により、巨匠は、竜骨の玉座の目的を知った。

 竜骨の玉座の目的は、生物の幻獣への進化だった。動物も幻獣へ、植物も幻獣へ、人類も幻獣へ、菌類も幻獣へ、細菌も幻獣へ、ウィルスも幻獣へ進化させる計画だった。

 地球の生物は、海底熱水孔で誕生した細菌を起源にもつ。細菌がより複雑な遺伝子に進化したのが多細胞生物で、細菌がより簡単な遺伝子に進化したのがウィルスだ。

 そのすべてを幻獣に進化させ、地球の生物を刷新する計画。その壮大な計画が、竜骨の玉座の目的だ。

 いつからそれが行われているのかわからないが。

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