第99話:黒田、昔を思い出す
ジグリッド王子におんぶしてもらい、私は夏祭りの会場を後にしている。
背後では打ち上げ花火が上がり、夏らしい雰囲気になっているが、今はそれどころではない。本当は一緒に花火を見る予定だったのに、おんぶしてもらっているのだから。
迷惑をかけているため、一緒に花火を見ようと、我が儘を言える立場にもなかった。
ましてや、クロエの記憶が思い出せず、ジグリッド王子を怒らせている。不甲斐ない気持ちでいっぱいになるのだが……、どうしてだろうか。
ジグリッド王子の背中が懐かしい。もっと小さな背中をしていたような気が……。
「間違っていたら申し訳ないのだけれど、もしかして、昔もこういうことがあった?」
「そうだな。こうして足を捻ったクロエ嬢をおんぶするくのは、二度目だ」
やっぱりジグリッド王子とクロエは夏祭りに来ていたのね。私が足を捻ったとき、また、と言っていたもの。
私もジグリッド王子も五歳だったけれど、貴族としてエスコートするためにわざわざ……ん? どうしていま、五歳と断言でき……。
不意にズキッと頭に痛みが走り、思わず腕に力が入ってしまい、ジグリッド王子を強く抱き締めた。
「……クロエ嬢?」
「な、何でもないわ」
そうだ。十年前の小さなジグリッド王子は、周りの騎士に頼めばいいのに、私を背負って屋敷まで運んでくれた。そのことが嬉しくて、クロエは変なことを言った気がする。
初めてクロエが女性として接してもらった思い出であり、何か約束をした……と思う。ただ、それは叶わない夢だと気づき、心の奥底に押し込んでいただけであって……。
ジグリッド王子の温もりを感じ、目を閉じると、脳内で再生されるように思い出が蘇り始める。
『私とあなた、結婚すると思うわ』
『えっ? ど、どうして?』
『あなたの背中が嫌いじゃないからよ』
『背中は鍛えていないぞ。まだまだ男らしさが足りないんだ』
『そう? じゃあ、私にふさわしい男になったら、迎えに来る権利をあげるわ』
待って待って待って。予想を遥かに上回るほど変なことを言っているわ。
いったい誰がクロエはクールで大人っぽいと言い出したのよ。ただの不思議ちゃんじゃない。
そういえば、黒田の記憶が蘇った頃、学園でジグリッド王子にこう言われたっけ。
相変わらずクロエ嬢はミステリアスな一面があるな、と。
本当にかなりのミステリアスな人だとは思わなかったわ。
「小さい頃、一緒に夏祭りを回ったのね」
「そうだな。フラスティン領の花火は独特の文化で、クロエ嬢と一緒に眺めたよ。俺はよく覚えている」
ああー……まずい。色々思い出してきたわ。小さかった頃の思い出と今日のデートは、ほっとんど同じことをしてるもの。
十年前、初対面のルビアがジグリッド王子を怖がり、クロエが夏祭りに連れ出したのよ。焼きそばを分け合い、屋台を回り、足を捻った私をおんぶして屋敷まで帰った。
いま思えば、その光景を見たルビアがヤキモチを焼き、常にベタベタと引っ付いてくるようになって、依存体質にさせてしまった気がする。
ルビアが略奪愛に走っていたのは、間違いなくクロエを独占したい欲望からね。原作では、その欲望のまま行動して、結果的に略奪していたにすぎない。
つまり、ルビアは略奪愛属性を持っていないんだわ。ただの重度のシスコンだったのよ。
「いま聞くことじゃないと思うんだけれど、ルビアが迷惑をかけてない?」
「何とも言えないな。出会った頃のクロエ嬢と同じように、今はルビア嬢のペースにハマっている気がするよ。フラスティン家の双子姉妹には、どうにも逆らえない雰囲気がある」
「色々と振り回して申し訳ないわ。ルビアも……私も……」
「俺がまだまだ子供なだけだ」
「そんなことないわ。ジグリッド王子の背中、ちゃんと男らしくなったもの」
小さい体で必死におんぶをしてもらった頃と比較したら、ジグリッド王子の背中は本当にたくましくなった。
その懐かしい温もりがクロエの記憶を呼び起こし、閉じ込めていた恋心が溢れてきている。たぶん、ジグリッド王子はずっとこんな気持ちだったんだと思う。
だって、ジグリッド王子とクロエは最初から両想いだった、そんな気がするから。
「いま思えば、あの頃から惹かれていたのかもしれない。ミステリアスなクロエ嬢のペースに巻き込まれて、俺の世界が変わっていくのが好きだったんだ」
「モノ好きね。でも、ジグリッド王子の背中は嫌いじゃないわ。昔も今も、ね」
「まだダメだ。君にふさわしい男になっていない。まずはもっと心にゆとりのある大人にならないとな」
「意地っ張りね。じゃあ、ジグリッド王子が納得するまで待っているわ」
「早く迎えに来れるように努力するよ」
この日、懐かしいジグリッド王子の背中に身を寄せた私は、懐かしい気持ちに安堵し、いつしか眠りについてしまった。
もしかしたら、本当の原作の主人公は……なーんて、夢みたいなことを考えながら。
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