第97話:黒田、夏祭りを案内する

 周囲が暗くなり始める頃、今日だけは街全体がワイワイと賑わい、明るい雰囲気を放っていた。


 フラスティン領を守ってくださる神様に感謝を伝える夏祭り。将来を担う子供たちが元気に育つように、人々の願いが込められていると聞く。


 具体的には、屋台や出店のものはすべて子供に無償で提供し、損失分は公爵家が負担する。それがこの地の夏祭りの伝統であり、小さな子供を喜ばせるためのものだった。


 移民であろうとも、観光客であろうとも、孤児であろうとも。どんなツライことがあろうとも、今日だけは忘れられる日なのだ。


 そうやってこの地は、互いに支え合ってきた。フラスティン家が恋愛結婚を推奨しているのも、人情を大切にしている影響なのかもしれない。


 懐かしい気持ちになりながら、待ち合わせの屋敷前にやって来ると、そこには浴衣姿のジグリッド王子がいた。


「き、綺麗だな。クロエ嬢」


「……ありがとう。ジグリッド王子も新鮮な格好でいいと思うわ」


 本音を言えば、吐血しそうなくらい可愛くもあり、カッコよくもある。世界で一番浴衣が似合うのではないかと思ってしまうのは、推しだからだろう。


 でも、表情筋を引き締める私は、いつもと違っていた。何と言っても、私も浴衣姿なのだ。


 慣れない下駄で動く必要があるし、ちょっと体勢を崩して支えられたら、失神してもおかしくはない。


 天然のルビアではないんだし、絶対に転ばないようにしよう。


 なお、これはフリではない。変なフラグも立てていない。


「ところで、グレンはどうしたの? 護衛してくれると思うんだけれど」


「向こうにいるよ」


「そう。ちょっと待ってて」


 少し離れた場所で見ていたグレンの元へ、カランコロンッと下駄を鳴らして近づいていく。


「珍しく距離を取って離れているのね。ジグリッド王子と喧嘩でもした?」


「俺の仕事は護衛だ。さすがに公の場でジグリッドと歩くのは良くない」


 確かにグレンの言う通りである。大勢の場所とはいえ、夏祭りの会場にも警備はいるし、護衛は背後で警戒するのが基本だ。


「いつもジグリッド王子とじゃれ合っているけれど、ちゃんと騎士のマナーは覚えているのね」


「失礼だな。俺は……フラスティン家の騎士だぞ。恥じぬ行為はしない」


 改めてうちの騎士だと言われると、妙に照れ臭くなる。


 グレンに騎士の自覚があるのはいいことかもしれないが、まだ慣れていないのは明らかだ。互いに変に意識してしまっていた。


「じゃあ、護衛はお願いね。私も案内が仕事だから」


「任せておけ。あと……、似合ってるぞ」


「……そういうことも、ちゃんと言えるのね」


「うるさい」


 夏祭りという雰囲気がそうさせるのか、珍しくグレンが褒めてくれた。


 早くもルビアの浴衣作戦が刺さった瞬間である。


 普段はムスッとしているだけに、照れるグレンは愛らしい。一緒に浴衣を着て夏祭りを回りたいけれど、ジグリッド王子の名誉を守るためにも、無茶なお願いはできなかった。


 せっかくうちの騎士になったんだし、今後はしっかり守ってもらおう。


 あまり身内だけで盛り上がるのも良くないので、ジグリッド王子の元へ行き、早速夏祭りへ出かけていく。


 出店や屋台が並ぶ光景は、祭りらしくとても華やかな印象を受ける。どこでもワイワイと賑わっているだけでなく、とても良い香りまでするので、黒田の胃袋を刺激していた。


 しかし、一番黒田の心を刺激しているのは、隣に歩くジグリッド王子である。


 黒田の人生経験を含めても、男の子と二人で夏祭りに来たことがない。浴衣や着物なんて成人式依頼だし、非日常感が半端なかった。


 それなのに、今は一国の王子と夏祭りデートなのだ。視察という名目ではあるものの、ドキドキの恋愛イベントが始まろうとしている。


「今年は小さな子が多くみられるし、近隣の村々が心配ね。孤児院に人が増えたのかもしれないわ」


 しかし、ぶっ飛んだシチュエーションすぎて、逆に緊張感がなくなった私は、すーーーごい落ち着いている。


 過去最大級のリア充イベントといっても過言ではないのに、かつてないほどの完璧なパーフェクトクロエが降臨していた。


 焼きそばのソースの香りがしてこようとも、イカ焼きの醤油の香りがしてこようとも、冷静に対応できる柔軟性がある。周囲の注目を浴びても、まったく気にすることはなかった。


「孤児が増えているのか。祝い事にしては悲しいな」


「そうでもないわ。孤児が一人で寂しく過ごさないように、ボランティア活動する人が多いもの。大人の人たちがリードしてあげて、素敵な思い出を作ってあげているのよ」


「夏祭りの主役はあくまで子供、というわけか。フラスティン家らしいとも言えるが、よく財政が安定しているな」


「時代が変わるとはいえ、昔ながらの文化を守ることも必要よ。規模が大きくなるとツラいこともあるけれど、寄付してくれる人も多いわ」


 正直にいえば、公爵家だけの財力で夏祭りを実行するのは、非常に難しい。そんなことをしていれば、毎年かなりの赤字になり、今頃は破綻しているだろう。


 でも、小さな頃に楽しい思い出を作った人は多く、僅かなお金でも寄付してくれている。なかなか運営に厳しい年もあると聞くけれど、赤字になってもやめようとしないのは、フラスティン家の意地でもあった。


 温かい心を持った子供を育てることが、フラスティン家の目指す街でもあるから。


 周囲を見回せば、子供たちの笑顔で溢れているため、ジグリッド王子にもそれが伝わることだろう。


「そうだな。昔よりも出店が多い気がする。いい街だと思うよ」


「あれ? ジグリッド王子、初めてじゃないの?」


 首を傾げて質問した私に、ジグリッド王子は複雑そうな表情を浮かべていた。


「……まあ、そうだな。一度だけ来たことがある」


 その言葉を聞いて、私は思った。視察の意味、なくない? と。


 ここまで完璧なパーフェクトクロエがどや顔でプレゼンしていたのに、すでに知られていることもあったと思うと、ちょっぴり恥ずかしい。そういう大事なことは、先に言っておいてほしかった。


 何とか挽回しようと思った私は、とても香りが良さそうな焼きそばの出店に顔を出す。


「焼きそば二つ」


「あいよ……ほげっ! く、クロエ様!?」


 突然、領主の娘が焼きそばを買いに来たら、ほげっ! と驚くのも無理はない。


「気にしないで。夏祭りに来ているだけだから」


「き、綺麗になられましたね……」


「そう? ありがとう」


 クロエムーブを完璧にこなす私は、お淑やかに焼きそばを手に入れ、ジグリッド王子に一つ渡した。


「行儀が悪いけれど、歩きながら食べましょうか。私たちが留まると、かえって迷惑をかけてしまうわ」


「そうだな。しかし、クロエ嬢は大丈夫か? 焼きそば……だぞ?」


「何か問題があるの?」


「いや、大丈夫だ。いつものような食べ方をしないか気になっただけだ」


 思っている以上に黒田が認知されていると気づいた瞬間である。


 しかし、今日の私はひと味違う。口に割りばしを加えてパキッと割り、優雅に焼きそばをいただく。


 焼きそばに絡みついたソースの香りが鼻に抜け、かつお節と青のりの風味がよく、とても芳ばしい。モチモチとして食べごたえもあり、シャキシャキッとしたキャベツと、パンチのある豚肉が最高だろう。


 そんなことを感じつつも、今日はとても落ち着いて食べている。


 なぜなら、完璧なパーフェクトクロエだからである。


「焼きそばくらい普通に食べられるわ。ジグリッド王子も大袈裟に言うようになったわね」


「頭が痛くなってきた。昔のクロエ嬢を見ているみたいだ」


「別人みたいな言い方はやめて。私はいつもと同じクロエよ」


 すいません、嘘です。いつもは黒田です。


 そんなことはわかっていると言わんばかりに、ジグリッド王子は温かい表情をしていた。


「……本当に昔のクロエ嬢を見ているように感じるよ。なんだかとても懐かしい思いでいっぱいだ。どっちが良いとか悪いとかではないんだが」


 なぜか感傷に浸り始めたジグリッド王子と一緒に、焼きそばを食べながら出店を回り始めるのだった。

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