第96話:ジグリッド、過去の思い出に浸る

 ――ジグリッド王子視点――


 一足先に浴衣を着替えた俺は、フラスティン家の屋敷の入り口で、グレンと一緒にクロエ嬢を待っていた。


「グレンは浴衣を着ないのか?」


「浴衣を着た護衛がどこにいるんだ」


 すっかり騎士の顔をするようになったグレンは、騎士団にいたときとは全然違う。フラスティン領とはいえ、何か危険がないかピリピリして、周囲をしっかりと警戒していた。


 ただ、俺が視察に来た以上、他の護衛騎士もいるわけであって……。


「騎士団の護衛もついているんだし、グレンも浴衣を着て同行したらいいんじゃないか? そっちの方がクロエ嬢も喜ぶだろう」


「思考がどこかの妹みたいになってるぞ」


 うぐっ……まさかグレンに諭されることになるとは。今日までずっと背中を押され続けた影響で、ルビア嬢の性格がうつったか?


 でも、こればかりは仕方がないだろう。まさか母上まで味方に付けて、強硬策に出るとは思わなかったんだ。


 そろそろ身を固めなさい、と言われても困る。まあ、今回の視察はありがたい話でもあった。


 もしかしたら、クロエ嬢が覚えてくれているかもしれないし。


「ジグリッド、珍しく嬉しそうだな」


 唐突にグレンに変なことを言われるが、俺は感情が豊かな方だと自負している。


「普段から嬉しいことがあれば、俺は普通に喜ぶぞ。そんなに感情を表に出さないタイプではないと思うんだが」


「夏祭りが待ち遠しい、お前の体がそう言っている」


 確かに……俺は手足を小刻みに動かして、待ちきれないオーラを全開にして、クロエ嬢を待っていた。


 嬉しいというより、落ち着かない様子、といった方が正しいだろう。付き合いの長いグレンだからこそ、そう感じたのかもしれない。


「実を言うと、夏祭りは二回目だ。小さい頃に来たことがある」


「その時の記憶が蘇って、待ちきれないとは。今の方が子供だな」


「俺にとっては良い思い出なんだよ」


 そう、本当に良い思い出というか、俺の生きる意味というか……。


 初めてクロエ嬢と出会ったのが、ちょうど十年前の夏祭りになる。いま思い返しても、あの頃のクロエ嬢は大人っぽかった。

 父上の付き添いで来た俺に、彼女はこう言ったんだ。


『夏祭りに案内するわ。国の上に立つ人として、知っておいた方がいいでしょう?』


 今の方が子供っぽいんじゃないかと思うほど、あの頃のクロエ嬢はしっかりしていたな。


 焼きそばを二人で分け合い、夏祭りの雰囲気を眺めた。屋台で何かを食べると知らなくて、タイ焼きは食べられなかったっけ。


 無理して食べようと意気込む俺に「今度来たときに一緒に食べましょう。また案内すると約束するわ」と、言ってくれたことをよく覚えている。


 もう一度、一緒に夏祭りを回りたい。そう思った俺は、たいやきと約束を天秤にかけ、あっさりと彼女に従った。


 本当に頭の回転が早く、大人びた女性だったな。今も昔もクロエ嬢は不思議な人であり、その魅力は増すばかりだ。


 それに、もう一つ大事な約束が――。


「あまり浮かれるなよ」


 昔のことを思い出していると、グレンの声で現実に呼び戻されてしまう。そこまで夢中になっているとは気づかず、少し恥ずかしかった。


「……嫉妬か?」


「いや、ジグリッドは意外に繊細だからな。余裕がなくなると、剣でも読みが甘くなり、感情が前に出すぎる傾向にある」


「余計なお世話だ」


 グレンは誤解しているのかもしれないが、俺に余裕なんてものは最初からない。ずっとクロエ嬢に追い付こうとして、未だに追い付けやしないんだ。


 それでも、俺は諦めるつもりなどなかった。彼女にふさわしい人間になる、そう決めているから。

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