第62話:黒田、グレンを説得する
「負けた……? 俺が、負けたのか……?」
負けることを想定していなかったであろうグレンは、まるで他人事のように呟いた。
「そうね。あなたは負けたの」
敗北を伝えた私は、彼に突き付けていた剣を下ろす。
彼のすべてを奪ってしまったみたいで可哀想だけれど、これでよかったのよ。あとは審判が勝者をコールして、現実を受け入れたグレンが男泣きすれば、すべてうまくいく……はずだった。
「………」
どうして今日は最後まで歓声がないのだろうか。審判の人もボケーっとしていないで、ちゃんと仕事をしてほしい。
まるで、会場の時間が止まったみたいで嫌だわ。
「何が、起こったんだ……」
一向に男泣きを始めないグレンを見て、私はあることに気づく。
圧倒的な力量差を見せつけたにもかかわらず、グレンが敗北を受け入れていないのだ。現実逃避するかのように、ボーッとしている。
もしかして、長期戦にしないとダメだったのかしら。何もできずに敗北したため、不完全燃焼になっているのよ。だから、敗北だと認めることができない。
どうしよう。男心を知らなすぎて、アッサリと勝っちゃったわ。会場の観客も激しい戦いを求めていたから、審判も勝者のコールをしていいのかわからないのね。
だって、あくまで剣術大会はイベントだから。観客が喜ばなければ、審判も勝者の名前を上げにくい。
こうなったら……原作のジグリッド王子の気持ちになりきり、敗北を認めるようにグレンを説得するしかない!
「今日戦ってきたなかで、あなたの剣が一番軽かったわ。何も想いが込められていない剣を騎士が振るうなんて、底が知れるわね」
「……騎士を侮辱するつもりか?」
「侮辱している人がいるとしたら、それはあなた自身よ。少なくとも、剣術大会に出場した他の選手たちは、様々な想いを胸に抱いて舞台に立ったわ。つまらなそうな顔で出場したあなたと違ってね」
目線を逸らすグレンを見て、私はチャンスだと思った。
不完全燃焼したことが事実だったとしても、圧倒的な力量差で打ち負かした私のことを、グレンは心のどこかで認め始めている。
その証拠に、ルビアと会話しているときのような下手な言い訳をしていない。
「ねえ、グレンは何のために騎士団に所属しているの?」
「剣を振るうためだ。この国に迫りくる危機から守るために騎士団は――」
「国を守るとはどういう意味かしら。王族を危険な目に遭わせないこと? 王都の街を壊させないこと? 住民を助けること?」
「それは……」
これらはすべて騎士の役割であり、国を守るという行為に繋がるため、人それぞれ答えが違う。言葉に詰まってしまうのは、グレンの中で答えが決まっていないからであって、形ばかりの騎士という状態を明確に表していた。
「質問を変えるわ。あなたは剣にどんな想いを込めているの?」
「剣に込める、想い……?」
剣という言葉に反応したグレンは、童心にでも帰ったような瞳に切り替わる。
おそらく、今まで強くなることだけを目的にして生きてきたと思う。でも、騎士はなぜ強くならなければならないのか、という部分を考えてほしい。
「騎士は自分の剣に想いを込めて、日々トレーニングを重ねているの。誰もが挫折して苦しみ、そこから這い上がって強くなる。何のためかわかる?」
騎士団に所属するグレンなら、訓練を積み重ねる仲間の姿を何度も見てきただろう。剣術大会の練習をしていた私でさえ、その光景を見てきた。
敵わない相手に立ち向かい、何度倒されたとしても、訓練に励む。彼らには、強くならなければならない理由があるから。
騎士として生きるための答えは、そこにある。
「……敵を倒す、ためだ」
表面的な部分だけしか見えていないのか、それとも見ようとしていないのか。もしかしたら、今まで磨いてきた自分の剣を否定することに繋がるため、認めたくないのかもしれない。
ただ、このまま騎士を続けて、誰かを失ってからでは遅いわけであって……。
「目的が違うわ。騎士は自分のために戦うのではなくて、誰かのために戦っているんじゃないの?」
「………」
うつむくグレンを見て、やっぱりジグリッド王子ではないとダメだったのかもしれない、と私の頭によぎるのも無理はないだろう。でも、諦めることはできなかった。
剣を愛するグレンだからこそ、戦うだけの剣ではなく、騎士の剣を手にするべきだ。
これはジグリッド王子の代わりに出場した私の役目であり、願いでもあった。
暗殺襲撃事件でアルヴィを失いかけた気持ちを、グレンには背負ってほしくない。後悔しても後悔しきれない、そんな思いをしてほしくなかった。
このまま生きていけば、きっとグレンはそういう経験をしてしまう。だから、原作でジグリッド王子は目を覚まさせたんだと思う。
そして、絶対に伝わると信じている。なぜなら……、
「命を懸けてでも守りたいものがあるからか?」
私の大切な推しだから。信じるのは、当然のこと。
「そうよ。騎士は守りたいものを守るために、厳しい訓練を乗り越えるの。守りたい人のために強くなりたいと願い、想いが込められた剣を振るうのよ」
何かを悟るように脱力したグレンは、自分の手を見つめる。しかし、その手には何も握られていない。
彼はもう、自分の剣を手放しているのだから。
「俺の剣は、騎士の剣ではなかったのか」
その言葉を発した瞬間、グレンの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。生半可な気持ちでは騎士団にいられない、そう思ったんだろう。
父親に憧れていた影響か、騎士団に思い入れがあるのかわからない。でも、一つだけ言えることは、騎士でいたいという思いが涙として溢れてきていることだけだった。
「騎士として生きたいなら、命に代えてでも守るべきものを見つけなさい。形ばかりの忠義に価値はないわ」
あえて厳しい言葉を投げかけた私は、持っている剣の剣先を持ち、それをグレンに差し出した。
これでルビアを守る騎士になれ、そういうメッセージである。
後に聖女となるルビアには、信頼できる騎士が必要になる。互いに支え合う異性としても、グレンが傍にいてあげるべきだ。
しかし、急に守るべき大切なものを見つけられるわけでもない。そんな彼の背中を押すのは、私の言葉ではなく、同じ騎士の言葉であるべきだろう。
「恐れるな。己の弱さを知り、強くなれ……ってね」
騎士団の訓練を行う際、騎士団長のライルードさんは口を酸っぱくして言っていた。
実戦で負けは死を意味する。大切な場所を守り、そこに帰るためにも訓練で負けて学べ、と。
おそらく、初めて敗北を受け入れて、意図を理解したであろうグレンが剣を受け取ると……、予想外の事案が発生する。
涙をこらえるグレンとは違い、滝のように涙を流すライルードさんが客席で手を叩き始めたのだ。瞬く間にその現象が他の騎士にうつり、騎士から観客へと広がっていく。
えっ……何これ? 原作と違い過ぎないかしら。誰も歓声を送ってこないのに、拍手するってどういうこと? 待って、どうしてみんな立ち上がり始めたの!?
ちょっとー! 審判の人が一番泣いてるじゃない! オリジナルルートすぎて、原作が大崩壊しないか心配だわ!
「勝゛者゛、 ク゛ロ゛エ゛・フ゛ラ゛ス゛テ゛ィ゛ン゛ !」
次第には、あちこちで嗚咽が聞こえ始め、「剣姫だ」「戦乙女だ」「戦女神だ」などと言われるが、私ただのゴスロリ女、最終兵器黒田である。
異様な雰囲気が苦手なので、男泣きを始めたグレンを置いて、私は決勝の舞台を後にする。
やっぱりグレンはルビアに任せるべきね。私はご褒美のシュークリームがあればいいわ、と思いながら、ポーラの元へ向かっていくのだった。
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