働かなくてもいい社会は到来しない。

灰槻

そうできるだけのキャパシティを、人類社会は備えている。

 言うまでもないことだが、現代社会は資本家と労働者"で"構成されている。

 歴史的背景を語ると長くなるが、その発端だけを簡単に解説するなら、それは中世ヨーロッパにおけるカルバン派迫害と産業革命が由来になる。恐らくは世界史で習っている内容だろう。


 とある地域において、キリスト教カルバン派は迫害されていた。

 彼らは他の地域の農村へと流れつき、農民に家内工業を委託して、彼らが作り出す製品で金銭を稼ぐ商人――問屋商人となる。この問屋商人であったカルバン派は、「職人でなくとも」安定して高品質の製品を作り出すことが出来るシステム――機械に目をつけ、農民を【労働者】として雇用して、安定して高品質の製品を安価で生産するという――「新しい商業」を形成した。この間にも紆余曲折は挟まれているが、概ねこれが現代社会の起源だ。


 即ち、資本家の誕生。何かを売却することで利益を得る商人が、その何かの生産すらも自分の下で行えるようになると――資本家になる。工場という資本を基に、労働者という道具で金銭を得る。それが資本家の在り様だ。


 これは紆余曲折の後に全世界へと拡散し、世界のシステムは画一化されていった。何せそれが最も『儲かる』システムだ。Money is Powerの原則は絶対で、それ故に資本家は現代社会における「貴族」的な立ち位置を手にしていくことになる。


 解説は終わりだ。

 さて、本題に移ろう。


 この労働者と資本家の関係性によって構築された社会は、「それ以外」を社会の構成員として認めない。人間社会は金銭取引の概念が生まれた時から「Money is Power」――金は力なり、だ。金を持たない人間は社会の構成員ではない、それが唯一絶対の社会原則。これが覆るには金銭取引の絶対性、つまり金銭の価値が崩れなければならない。


 その可能性があるシナリオはいくつかあるが、そのほとんどは人類の滅亡へと直結する。直結しないシナリオは共通点によって括れるため、その共通点を解説する。


 一つ。

 食料問題――ひいては資源問題が解決していること。


 二つ。

 利権を主張する――対価を求める人間が消滅していること。



 どういうことか?

 想像すればわかるかもしれないが、解説していこう。


 一つ目の資源問題の解決。この条件が必要な理由は単純だ。


 『生物は食料が無ければ生きていくことが出来ない』。


 社会原則ではなく生物としての原則だ。エネルギーを消費する構造体である生物は、常にその維持に食料――エネルギーを要求される。それが不足すれば奪い合い――戦争になる。人類の滅亡へと直結するわけだ。


 そしてそれ故に、二つ目の理由が重くのしかかってくる。

 『利権を主張する人間が居てはいけない』――。


 資源問題が解決しても、『余剰資源』を求める人間が居れば戦争になる。限りの無い強欲を振りかざし、人を扇動する人間が居れば、その結末から逃れることは出来ない。故に、二つ目の条件が無ければ人類は滅亡する。


 ……。


 まあ、仮に抑止力が上手に働き、戦争まで行かなかったとしよう。しかしそれでも、君達の望む「誰もが働かなくていい幸福な社会」などというものは成立しない。


 対価を求めることが出来る人間は、求めることが出来ない――価値を生み出していない人間に対して、相対的に優位になる。これは数学的真理であり、避けようのないことだ。 

 

 そして相対的に劣位に立った人間は、たとえ優位に立った人間がどれほどの聖人君子であろうとも。


 



 ……まあ、そういうことである故に。


 【誰も働かなくていい幸福な社会】が現代社会から達成されるには、それを得る必要性がある人間。二つ目の条件を達成している、それに必要な構造――一つ目の条件を達成できる人間が必要だ。


 当然ながら、そんな人間は存在しない。


 繰り返すが、現代社会は労働者と資本家"で"構成されている。

 社会の構成員ではない人間は、事実上人間として扱われない。人権が保障されない。何故なら彼らは。


 から、労働者にも資本家にもなれないのだ。


 他者に対して利益を齎せない人間が、その構造を成立させる能力など在る筈も無い。その構造を成立させる動機もなければ、それに必要な資産も無い。


 そして他者に対して利益を齎せる真っ当な人間は、当然ながら労働者、或いは資本家として社会の構成員になる。社会の構成員には人権が保障されているから、十分に自分と、その周囲を幸福にすることが出来る。そんな人間が。


 わざわざその構造を崩壊させる理由など、あると思うか?


 いや、あるとしよう。仮に常軌を逸した聖人君子で、誰もが幸せな社会などというものを本気で追い求めているとしよう。しかしそれでも無理なのだ。


 それを達成するための構造を、具体的に言おうか。




 食料生産を完全に自動化し。

 その自動化に必要な資源に関する利権を全て自分が所有し。

 利権を完全に放棄した上で、誰にもそれが主張出来ないように保護し。

 全世界、『全ての人間が対象になる規模で』構成する。



 これが出来ると?

 本気でそんなことが出来ると思うか?


 ああ、解り切った話だろう。



 



 その可能性は、須臾の果てにすら存在しない。


 §§


 では、感情的な慰めに移行しよう。

 それが無理だとわかっていながら、それでもなお追い求めてしまう悲しき人は、どうすればいいのだろうか。


 単純だ。




 




 人類は自然淘汰によって進歩している。人類の集合的無意識は、自然淘汰によって未来が閉ざされる危険性を理解している。


 それ故に。


 



 生活保護制度は、その本能が生み出したシステムだ。


 後ろめたさなど感じる必要はない。


 人類は自ら、それを生かすことを選択している。

 生きているのは貴方の意思ではない。人類の意思だ。全ての責は人類にある。


 貴方は他人に迷惑を掛けることを良しとして、その抱えきれない後ろめたさを抱えたまま、それでも善いと生きていけばいい。


 そうできるだけのキャパシティを、人類社会は備えている。

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働かなくてもいい社会は到来しない。 灰槻 @nonsugertea

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