第5話 竜の肉を喰うということは 05
フルールは窓の外を眺めては、涙を流す。
靄のかかった灰色の空だというのに遠くに聳えるようにたつ高い塔が目に入る。あれだけ高い塔が村にあれば、竜人の襲撃早くに察知できたのではないだろうかと、どうしようも無いことを考えてしまう。ただ、見ているだけでなにも出来なかった無力さに、悔しさが滲む。
自分一人が助かった罪悪感、目の前で人々が殺されていく虚無感、逃げられなかった恐怖がずっと残っていた。
長閑だった小さな村を、なにも無い村と村人たちは卑下していたが、聖竜への信仰が厚い、優しい人たちの村。前国王の忘れ物なんて揶揄されるような王女が身を寄せても、嫌な顔せず、母と一緒に受け入れてくれた人たちだ。
竜人に蹂躙されるような、玩具のように弄ばれて殺される理由なんてないはずだった。
少し思いを馳せるだけで、止まらなくなる涙は嗚咽まで溢していく。
金色に輝き、砕け散った婚約者の顔がフルールを責めるように思い出される。フルールと婚約をしなければ、マルタンはあの村にはいなかったはずだ。順調に望むまま出世し、人生を謳歌したはずだと申し訳なさが立つ。
私も一緒に殺してくれればよかったのに……
助けらてから浮かぶのはずっと、そんな言葉ばかりだった。
「失礼します。姫様」
パンと湯気の立つスープの入った盆をアシルがいつでもすぐに食べられるようにとテーブルに置く。先に置いてある手の付けられていない食事の盆に眉が動いた。
窓の外を眺めていたフルールがアシルの方へ顔を向け、また窓の外を眺める。生気の失せたような表情に涙の溜まった瞳がアンバランスだった。
どこから入ってきたのか、アシルの足元をすり抜け、真っ黒な仔猫がフルールの顔をまじまじと見るような位置に座った。猫には珍しい真っ黒な双眸にフルールの赤い髪が映り込む。
「姫様」
「一人にして。出て行って」
小さくてもはっきりとした声だ。だが、アシルはお構いなしに彼女へ近づいていく。
「御髪はどうされたんですか?」
フルールを保護したときには誰もが目を見張る程美しく長かった髪が、今は無残にも床に散らばっていた。肩の辺りでバラバラに切り落とされている。
「切った」
見ればわかる返答にアシルは首を振り、壁に立て掛けてあるむき身の剣に視線が止まった。刀身が剥き出しになっているだけでも、心配だというのに、剣には今し方付いたばかりであろう血が滲んでいた。
「姫様!」
スカートを握り込んでいたフルールの手を開かせる。血を吸ったスカートは赤く染まり、手のひらにはスカートが吸いきれない血が滴っていた。
「髪を切った。それだけ」
「髪を切るだけで、こんなに深い傷は出来ないでしょう?」
フルールが怪我をい 痛がる様子はない。それでも、剣で付いた傷が痛くないわけがない。怪我をすれば痛いに決まっている。
アシルは咄嗟に自分の上着でフルールの傷を押えた。瞬く間に赤く染まっていく様子にアシルは顔を顰めた。
「痛いでしょう。なんでこんな……」
「……痛くない。だって」
「だってじゃありません! こんな怪我なんかして」
「お兄様も、私を生かしておいたらお困りになる」
「……姫様は生き残った。生きなきゃいけないんです」
アシルの言葉にフルールは手を振り解く。
「もう、私なんかを生かさなくてもいいの! お母様もマルタンも……居ないのに」
アシルはフルールの手を取り、止血のためにまだ血を吸っていない部分を傷口に当てる。
「生き残ったことに意味はあります。……司祭様ならそう言うでしょうね」
「あなただって……」
「死にたいと仰るならまだしも、あなたは生きたくないと言う」
アシルはフルールの目をじっと凝視するように強くはっきりと言う。
「それはただの、我が儘だ」
アシルはニコリと笑顔を浮かべる。
「あなた……」
思い出した痛みに顔を歪めさせながらも、フルールの視線はアシルにしっかりと向いていた。
「辛辣なことを平気で言うのね」
「ご気分を害されたようで申し訳ありません」
謝罪の言葉に気持ちがこもっていないことは明白だ。それもアシルは悪いと思っていない。
「……いいの。その通りだと思う」
フルールの目から落ちる大粒の涙が、そばかすの頬にある涙の筋を辿る。涙を溢す大きな青い瞳が、今にも落ちて壊れてしまう硝子玉のようで儚い。
どれだけ辛い目にあったのだろか。アシルには想像も及ばない。竜人に襲われ、運良く生き残ったなんて話は修道士をしていればよく聞く話だ。歓迎される話でないが、悲しんでいられるような話でもない。
「……どうして、竜人なんているの? どうしてお母様が死ななきゃいけなかったの?」
フルールの問いにアシルは黙り込む。答えなんて知らないし、掛ける言葉も見つからない。誰かに何度も、聞かれては答えられずにいる。竜人の被害を沢山見てきたアシルには酷な問いだ。
「目の前で竜人たちは虫けらのように人を殺していった。逃げる人を捕まえては手足を切り落とし、肌を焼き、弄ぶように首をはねた。愉しそうに小さな子まで……。あの地獄は……わたしを死なせてはくれなかった。泣き叫ぶ人たちが殺されていく様を見ているだけしか出来ないの。目を背けようとしても、出来なくて。体を捩ることすら……」
涙をこぼすフルールの声ははっきりとしていた。懺悔をするように語る悲惨な出来事。
「目の前でマルタンが死んで、お母様が玩具のように、放られた」
黒猫がフルールを慰めるかのように足に体をすり寄せる。まるで人の感情を理解しているかのようだ。
フルールはそれからアシルから傷の手当てを黙って受けた。従順に大人しく、涙を零すこともない。食事をするように言われれば一口二口だけでも食べるようになった。
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