夕焼けにクラクション


「千風ちゃんは自分がブスだったらって考えたことある?」

「なあに、それ」

「いや。千風ちゃん綺麗じゃん。そうじゃない人生と言うか、なんだろう。上手く言えないけど」

 千風ちゃんはソファに頭をもたせかけて、逆からオレを見る。逆さまの景色。こんなポーズが許されるのも、千風ちゃんが綺麗だからなんだ。

「顔? 重要だね、確かに。でも双葉がぶっちゃいくでも、私は双葉にかまうと思う」

「なんで?」

「甥っ子だから」

「そうじゃなくて」

 千風ちゃんは相変わらずだらーんとしたままオレを見つめる。

「そうじゃないとか、関係ないよ。双葉はその顔で、私はこの顔で、変えようがない。でもまあ、言いたいことは分かるかな。整形や事故で、ある日違う顔になった私を、双葉は私だって思えないでしょ」

「悩むよね、それって」

「今のカノジョさんが違う顔だったら、双葉っ子は付き合うのやめるの?」

「やめるかも知れない」

「ウソでも付き合いますって言え」

 千風ちゃんが笑う。

「いつになったらカノジョさん紹介してくれるの?」

「今はその話なし。あのさ、大学の子で、顔に悩んでる子がいる。良い意味で。美人だから、悩んでる子」

「ふうん、一握りの悩みだね」

「うん。で、そいつを好きなやつがいる。前に話したオレの友だち。お互いを知らないから、今はまだ、外見が好き。何て言おうか考えてるんだよね」

「簡単だよ」

「ん?」

「愛すれば、愛になる」

「ちかちゃんって、バカなの?」

「バカにバカって言われたくない」

「ああ、おバカな叔母がいるから、たまには試験勉強でもしようかな」

「しろしろ、学生。それが本業でしょ」

「はいはい」


   ※


 オレの前に、国島千鶴が座っている。国島はオレを見ている。

 オレは国島の身体を想像していて、それが今から、現実になる。

「正直に言ってもいい?」

「何のこと?」

「どうでもいいんだ、こんなこと。国島がほんとに純平のことが好きなら、そうすればいいと思う。チャットレディだからダメなんて、あいつはそんなやつじゃない。だから無理にそれっぽい女を演じる必要なんてない」

 オレの言葉は無視して、国島がバスローブを脱ぐ。

 いつも思う。どうしてラブホテルの照明はデフォで暗いんだろうな? 抱き合う相手の身体が見えづらいとか、マイナスな気がするんだけど。

「口止め料と、慰めが欲しかった。付き合うかもしれない斎藤くんの友だちの、あなたにでも」

「指先って言うか、手自体が白いね、国島は」

「それ何?」

「自分から話したことへの口止め料って意味分かんないから、オレも意味分かんないこと言ってみた」

「斎藤くんの気持ちは、嬉しいよ。嬉しいと思ってしまう相手だから、彼は。でも今はそれ以上に、双葉くんに抱いて欲しい」

「こうやって女を抱く男の空しさって分かる?」

「分からないよ。だって私は、女だから」

「愛してるって、言った方がいい?」

「それは嫌」

「奇遇だね。じゃあ綺麗だ、は?」

「綺麗なのには、慣れてるよ」


 悲しい。

 オレはたぶん、悲しいと感じている。

 隣で、眠りもせず、大きな瞳でオレを見ている国島が、オレには悲しい。

「双葉くんは、思ってたのと違った」

 大きなその目で、そんなことを言ってくる。

「ひょっとしたら友だちの好きな女を抱くことに、優越感とか、そういうの感じるかもって思った。でも全然違った。どれだけ優しく触れられても、あなたは私を見ていなかった。肉の人形になった気分だった。きみの心が、私には見えない」

「それでいいと思うよ。抱いたら、抱かれたら愛? 言ったでしょ、こんなんどうでもいいって。気持ちいいだって、コントロールできる。愛しいだって、コントロールできる。ヤッた後に言うのもなんだけど、オレの心がうっかり国島を愛しいって思っちゃったらどうするの?」

「私の顔が、愛されてるんだなって知る」

「バカだよ。きみは。そして、そんなバカなきみに、純平は夢見てる。そしてきっと、きみに夢見させてくれる」

「この行為は、なんなのかな……」

 国島の瞳が潤んで、彼女はぎゅっと、瞼を閉じる。

 オレは彼女の髪を撫でる。

 さらさらだ。この感触、ずっと感じていたい。

「どうして私を抱いていいと思ったの?」

「綺麗だから」

「友だちの好きな相手でも?」

「体のつながりのある相手の方が、都合が良いこともある」

「セックスは嫌い?」

「嫌いじゃない。でも、オレとセックスをする女は嫌い」

「どういうこと?」

「例えば。見た目も性格も好みの相手が、自分にひたすら奉仕してくれたらどうする? 望むだけ快感をくれる。好きなだけ優しくしてくれる。リードしてくれて、リードできて、自分の思うがままの存在。そんな相手がいたら、人はきっと恋愛なんかしないだろ? 昔の王様がいい例だ。

 オレにとって女は、違うか。普通の女にとってオレは、そういう存在なんだよ。むしろそうありたいと思う。そういう風に、演じている。

 だけど。オレの偽物の優しさと見た目に溺れる女を、オレは好きになれない。オレにとってセックスは、与え合うんじゃなくて、与える行為。与えて欲しいだけの『ただの女』が、だから嫌い。オレにとってこの行為はロジックだよ。だから、オレの心を知ろうとはしないやつに、オレは魅力を感じない。ちょっと魅力があるって程度の女にオレは心動かされない。

『与えてくれるから、与え返したい』そう思えるやつが、この世界にどれだけいる?」

「いっぱいいると思うよ」

 国島はベッドの中で横にいる俺に背を向けて呟く。

「あなたがちょっと怖い」

「俺は普通だよ。大げさな話じゃない。国島と、クラスや街にいるその他大勢は同じ人類じゃないだろ? 俺もそう。俺たちは、高い場所にいるんじゃない。周りが驚くほど、低い場所にいるんだよ」

 そう言うと、国島は身体を返して俺を見つめ、憐れむように俺の額を撫でた。

「あなたと話していると、いつも胸の奥の奥にちょっとだけある気持ちを言い当てられたみたいで、苦しくなる」

「苦しむべきは、至らない世界だよ」

「そこまでは、追いつけないよ。あなたはきっと、自分から孤独になって、自分から苦しんでいるのね」

「じゃあ国島は?」

「私は自分の見た目に逃げ込んでいるだけだから」

「そのセリフは、ちょっとだけ愛しいな」

「じゃあ忘れて?」

「うん。国島は、ちょっとだけ愛しいから、楽に生きればいいと思う」

「やっぱり優しいね、あなたの言葉は」


   ※


 しばらくの時が経った。

 純平と国島は付き合いだして、オレはオレでのんべんだらりと毎日を過ごし、そんな二人に強制的に駆り出されて日曜日の昼間から、三人で健全にバーベキュー。

「双葉くんは将来考えてなさそうだもんね」

 国島が綺麗な顔をクシャっと歪めて、失礼なことを言う。

 目尻の二つのほくろが、彼女を国島なんだと告げる。

「真面目なきみには、そう見えるかもね」

「おい双葉! 喋ってないで手伝え!」

 純平が、鉄板を持ってよろよろしている。

「あいつ、筋肉ないね」オレは国島に話しかける。

「ね。がっかり」国島が笑う。

 中央区内の公園のキャンプスペースは、この時期だけあって盛況だ。

 区営のスポーツセンターのそばの公園に、純平の運転するレンタカーで到着したのが十一時。

 純平と国島で、炭とか食材の買い出しは済んでいるらしく、車で家まで迎えに来てもらって今に至る。

 このクソ暑い日に、バーベキュー。

 別にいいけど。


「双葉何してんの?」

「見ての通り、コーラとパイナップルジュースを混ぜてる」

「なんで?」

「これに肉を浸すのだよ」

「マジかよ。ボクはいい。普通に食いたい」純平が言う。

「純くん知らないの? これ下味の基本だよ」国島が純平のことを純くんって呼んでいる。なるほど。オレの知らないあいだに時間は流れてたんだな。

「バーベキューなんだから、焼肉のタレだろ」

「じゃあ、せっかくだからそれも混ぜよう」

「そうじゃねえ!」

 うるせえな、純平。

「国島さん的には、斎藤くんのこの態度どう思います?」オレは珍しくおどけたように国島に聞く。

「ダサいよね」

「だ、ダサ……。じゃあいいよ。なんならこのビールも混ぜたらいいさ!」

 純平が狼狽してるとこなんて初めて見たな。めっちゃ面白い。使えるな、このパターン。

「でもビール混ぜるのもアリなんだよね。コーラと一緒で、肉が柔らかくなる」

「お前、どこでそんな知識拾ってくるの?」

「アンテナの精度の差だよね」

 持ってきて良かったな、コーラとパイナップルジュース。


 何だかんだでバーベキューが始まる。

 純平が、浸した肉に鬼ハマりしている。アホだ、こいつ。

 国島は国島で、野菜ばっか食ってる。しかも自分だけ食うならまだしも、焼いた野菜をオレたちの皿にもどんどん乗せてくる。せっかくバーベキューしてんだから、オレは肉が食いたいのにな。

「二人は最近どっか行った?」

「横須賀行ってきた。関東っていいよな。テレビで見た景色が、現実にあるんだから」

「あとは純くんの家が多いよね」国島が答える。

「え、なに? エロ話?」

「違うって。純くんと私、まだしてないよ」

「へえ」

「千鶴。言わなくていいから」

「チキンなの? 純平は?」

「うるせーよ」

 この二人。マジで可愛すぎるんですけど。


 腹はそこそこいっぱいになって、一旦焼くのをやめる。この場所、夕方まで借りているらしいので、時間的にも余裕がある。

 オレは持ってきたラムネを飲んで、純平と国島は紅茶。

「そう言えばこいつ、最近バイトしてるんだって」純平が言う。

「へえ。全然行ってなかったっていうスポーツジムのバイト? 理由は例の年上カノジョさん?」

「違うの。叔母への誕生日プレゼント資金」

「ああ、同居してるっていう」

「何で国島はオレの交友関係、全部把握してんの?」

「せっかく働いてるなら、カノジョさんにも何かしてあげればいいのに」

「でもさ、デート代とかいつも全部カノジョが払ってるんだよね。そこにプレゼントフォーユーって言ってもカッコつかないでしょ」

「そうか、双葉くんはヒモだったのか」

 国島が軽蔑したようにオレを見る。

「でもそのカノジョも、そんなお前から何か貰ったら嬉しいんじゃないか?」

「女ってなにで喜ぶの?」

「指輪」国島が即答する。

「身に付けるものは、一身上の都合により却下です」オレ言う。

「なになに、訳アリ?」

「帰ってから純平に聞きな。で、他には?」

「うーん。そうなると、香水とか。オリジナルブレンドとかだとなお良い」

「匂いって好みあるよね」

「じゃあアロマもダメか」

「そう考えると難しいな」純平が意見を言う。

「逆に国島は何が欲しいの?」

「え、なんだろ。普通に欲しいのはトースターだけど」

「ダメだこりゃ」


 西の空に、橙の夕日が沈もうとしている。

 後片付けも終わって、オレたちは冷房の効いたレンタカーの中から夕陽を眺める。

「楽しかったな」運転席の純平が言う。

「そうだね。二人はこれから夜のデート?」

「シャワー浴びたいよ、私は。肌焼かないように気を付けてたのに、けっこう赤くなってるし」

「純平、シャワーだって」

「う、うるさい」

「今日一日思ってたんだけどさ、お前ってそんなにピュアなキャラだっけ?」

「好きになった相手には別なんだよ」

「一緒に入る? 純くん」

「え、あ、は、入る!」

 はははっ。

「オレは地下鉄で帰るよ。じゃあな、思春期くん。国島とお幸せに」

「冗談だって。そんな覚悟、私できてないし」

「じゃあ今日がチャンスじゃん。お前がちんたらやってると、国島はオレが食っちまうぞ」オレは純平に言う。

「冗談だよな?」

「何マジな顔してんだよ。それから国島」

「なに?」

「お前がちんたらやってると、純平はオレが食っちまうぞ」

「その顔で言われると笑えないな」なんて言いながら、国島が笑う。

「大学にいる唯一の友だちだからな、純平は。二人には、幸せになって欲しい」

「私も友だちでしょ?」

「へえ。じゃあそういうことで。以後よろしく。帰る」

 車を降りて、都営地下鉄の駅に歩いていく。

 暮れかけたオレンジの空に、クラクションが一回鳴った。

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