キレイな女
授業、長いなあ。
サボりにサボりまくっている大学の講義だが、サボってるのは必修科目、選択必修科目、自由科目の中の、一般教養がほとんどだ。
学科、クラス単位で受ける講義はサボりようがないし、外国語や体育なんかも同様だ。
まあ、身体動かすのは嫌いじゃないからいいんだけど。
今受けているのは必修科目のアメリカ文化の講義。
純平が話していたのを思い出して、オレは国島千鶴の姿を探す。
いた。
深い茶色にカラーリングされたミディアムストレートの綺麗な髪の後姿が、斜め前に座っている。
ここからは横顔しか見えないが、主張するような高い鼻と、肉感的な厚い唇。目尻も綺麗な切れ長で、左目尻と眉のあいだに小さなほくろが二つ、それが出来上がった化粧のように、その顔に彩を与えている。
普通に見て、美人だと思う。
あのふっくらとした厚い唇。あれが千風ちゃんやリホにもあれば最高だったんだけどな。オレはけっこう唇フェチだ。純平じゃなくても、こいつ狙ってる男は多いんだろうなと思う。
その時、国島千鶴が何となく振り返って、目と目が合った。
目が合うと彼女は微かに笑って、顔を戻す。
悪くない。普通の女は、オレと目が合うと心が顔に現れる。動揺や、虚栄、好色の色が顔に浮かぶ。
だが国島千鶴は普通に、何でもないかのように笑った。
子どもじゃない女ってオレの目安の、最初の一歩はクリアしているらしい。
純平と、国島千鶴か。
応援してやろうかな? 純平の言葉を思い出す。「女の子は35億人いるけど、惚れた女の恋愛相談できるのなんて、ボクには一人だけだ」
オレにそんな事言う純平もかなり奇特なやつだが、オレはオレで別の部分に共感していた。
その通りだと思う。
女は世界の半分で、まあまあの美人なんて、この世にはごまんといる。
授業が終わり、席を立つ学生を見ながら筆記用具をしまっていると、代返ちゃんが近づいてくる。
「双葉くん、なんか久々に見た」
「そうかも。いつもありがとね、代わりに授業出てくれて。バイト忙しくって」
オレの社交辞令やウソ、気付かないってあり得ないと思うんだけどな、オレ的には。
「いいって。それより覚えてる?」
「ん?」
「報酬の話」
「ああ、バーで一杯?」
「うん。サークルの先輩に新宿の良い店教えてもらって、行きたかったんだ」
「じゃあさ、純平も誘っていい? で、小野寺には、国島を誘ってもらいたいんだけど」
そう言うと代返ちゃん、もとい
「双葉くんってさ、もしかして国島のこと……」
「違うよ。純平が気になってるんだって。それにオレも小野寺といきなり二人っきりは緊張するし。内緒ね、これ」
代返ちゃんの顔が見てて分かるくらい晴れ渡っていく。
気付かないって、本人は本当に気付かないんだな。使われてるのが自分で分からないって、憐れすぎる。ここまで簡単だと、いっそ全てを懺悔したくなる。
あるいはいっそ、ぶん殴りたくなる。
でもこんな時に思う。ああ、顔が良くて良かったなって。
※
「ああいう気の遣い方はやめてくれ」
翌日、学食の紅茶に口をつけて純平は困った顔をする。
昨日、バーで四人で会って、そのあとオレは代返ちゃんと二軒目で延長戦。目的は当然、純平と国島千鶴を二人にするためだった。
恋愛感情。
たまに意味分かんなくなるけど、誰かが誰かを好きになる、その感情は、こんなオレでも否定できない。だからオレは友だちのために罰ゲームみたいな時間を過ごして、純平は何だかんだで喜んでくれる、そう思っていた。
「何が不満なの、純平は?」
「不満じゃないよ。嬉しかった。でもこういうサプライズはこれっきりだ」
「で、どうだったの、国島とは?」
「普通だよ。あいつら付き合うのかなって話がほとんど。お前が小野寺さん狙ってるとか言っちゃったよ」
「別にいいよ、そんくらい。実際、使えるうちは使えるだけ使おうって思ってるし」
「お前に人の心はないの?」
純平が苦笑してオレを見る。
「オレ、分かんないんだよね。恋愛感情。今のカノジョとは、なんかちょうどいい距離感だし、恋って、オレには分からない」
「ボクは、国島さんとキスしたいって思うよ。あの綺麗な唇がボクのを舐めてくれたらいいなとも思う。でもそれ以上に、あの子の心がボクに向けばいいのにって思う」
「分かるよ。理解はできる」
「納得はできない?」純平が言う。
「オレの話はいいよ。それで、何か進展した?」
「連絡先交換して、今日はありがとうって。そんだけ。その辺の中学生だってやってる」
「浮かれないの?」
そう言うと、純平は呆れたようにオレの顔を見て、脇を向いた。
「品定め。値踏み。誰だってする。ボクも、国島さんもする。ボクたちはまだ探り合ってる段階なんだよ。仮に両想いだとしても、だから付き合います、にはならないんだよ。色んな外堀埋めて、プラスとマイナス考えて、ようやく答えが出る。お前は、恋愛を知らないからなのか、恋愛に夢見過ぎなんじゃないの? 少女マンガでも好きだったのか?」
「なにその言い方」
「いいけど。簡単じゃないんだよ。男と女って」
純平は再び紅茶をすすって、ふっ、とオレを見た。
「なあ」
「なに」
「やっぱ協力、してくれるか?」
はははっ。可愛いな、純平。こいつでも、こんな顔するんだな。
オレにとっての「内側」の人間の恋愛感情は、オレにとって眩しく映る。
正直に言えば、何でそんな風に生きられるのって聞きたいくらいに。
※
「双葉くん、お昼は?」
「もう食った。国島は今から?」
「うん。ちょっと話あるし、付き合ってくれる?」
「いいけど」
国島千鶴。相変わらず唇が良いよな。周りの男が国島に視線を送っているのが分かる。
「ここにいるから、ランチとっておいで」
「うん。じゃあちょっと待ってて」
国島の話って、なんだろうな。まあ、たぶん純平の話だろうな。協力するって言った手前、これはこれでチャンスかもしれない。
真新しく見える、純白の食堂。
丼コーナー、麺コーナー、総菜に、サラダバー。恵まれた環境だと思う。
オレはその一角で、周りが飯を食っているのを尻目に、一人お茶会タイム。
純平と早めの昼食をしてから、オレはずっとここにいる。代返ちゃんは今ごろ代わりに授業出てると思うと少しだけ申し訳なく思う。
涼しい店内にいても感じる、外の暑さ。もう七月。そろそろ期末テストか。いい加減真面目にテスト勉強でもするかな。
それにしても、毎日学校に来て、授業受けて、混んだ学食で飯食って。加えてサークルにバイト、遊んだりデートしたりもあるだろうし。大変だな、大学生って。
他人事のようにそう思っていると国島千鶴がトレイを持って戻ってきた。
オレの向かいに座り、髪をゴムでまとめる。
「中華飯とサラダ? 野菜多めだね」
「野菜、結構嫌いじゃないんだ。身体にも良いし」
国島が食べだして、仕方ないから食べ終わるまで待つ。何してようと思っていると、国島が箸をおいて口を拭き、オレを見る。
「双葉くんって、授業出ないこと多いよね」
「ん? バイト忙しくて」
「何やってるの?」
「スポーツジムのトレーナー」
「ふうん。平日の昼間のスポーツジムは人手不足なんだね」
「見抜いてるなら、そういう言い方しないで欲しいな」
国島がにやにや笑って水を一口飲んだ。
「本当はそのあいだ何してるの?」
「今みたいに混む前に学食来たり、ゼミに入り浸ったり」
「ゼミ?」
「うん。過去問置いてあるし、今からパイプ繋いでおきたいし。オレは大学で勉強する気ないんだよね、ぶっちゃけ。大卒の資格だけ取れればいい」
「だったら通信や夜間って手もあるのに」
「通信に入ったら、勉強しながら働かないと親が納得しないでしょ」
「一応、考えてはいるんだね」
「一応ね」
ふうん、国島、こいつこういうやつか。何ていうか、見た目より話しやすい。少なくともただ綺麗なだけじゃないのは分かった。
「国島」
「なに?」
「探り合い、やめない?」
「いいよ。あなたはそういうの苦手みたいだし」
国島が笑った。国島は、純平が自分に気があることも、オレが代返ちゃんを利用してることも、オレがウソつきだってことも分かっている。
話が早いって、嫌いじゃないな。
「純平のこと、どう思ってる?」
そう聞くと、国島は少し眉を寄せて考える。
「今は何とも言えない。ただ付き合うだけなら文句ないけど、私は付き合うってそんなに重要視してないんだ。それでも気にならない訳じゃないのは、彼に魅力を感じてるからなのかな」
「男と付き合うのは面倒くさい?」
「バイトが忙しくって」
「ここで使ってくんな」
「あははっ。そうだなあ、一番の理由は、私が奨学金使ってここに通ってるってこと。あなたみたいにただ大学を出られればいいって訳にはいかないの」
「将来、何かやりたいことでもあるの?」
「やりたいというか、貧乏は嫌。家が貧しいから」
「ふうん。金のためか」
「軽蔑した?」
「別に。地に足ついた、堅実な夢だよね、それって」
「双葉くんの相槌は、優しいね。クラスの子があなたに黄色い声出すのも分かる気がする」
「心を込めないところがポイント」
「でしょうね。親身になればなるほど、人は自分の優しさを押し付けるから」
そう答えて、国島はまた食事を進める。
純平は、あいつは単純に、国島の見た目が好きなんだろう。別に好きのきっかけなんてそんな物だから別にいいけど、あいつはきっと、国島がこういうやつだって知らない。
恋愛が、自分の全部だってやつがいる。
恋愛は副産物で、国島のようにコントロールして生きているやつがいる。
オレのように、恋愛が分からなくて、手段として恋愛を使うやつがいる。
純平の恋愛は、どんな種類の恋愛なんだろう?
※
「授業サボっちゃったの、初めてだな」
「罪悪感?」
「どうせサボったなら、楽しまないと損かな」
国島と、新宿御苑の庭園で歩きながら話す。この時期は、バラが見頃で利用者も多い、そこに紛れて歩くオレたちは、端から見るとカップルに見えるのだろう。空が見たくなると、オレはたまにここに来る。
遮るもののない見上げた空は真っ青で、隣にはキレイな女。
「どうして庭園?」
「部屋から見上げた窓の外とか、街の中から見る空は、いつも何かに切り取られている。ここは、何もない。青と雲の白と、木々の緑だけ」
「ふうん。双葉くんはこういうの好きなんだ。なんか意外だな」
「対外用に、もっとチャラい趣味もストックしてるけどね」
「ストックって言い方が、すでにチャラい気もするけど」
隣を歩く国島の横顔は綺麗だ。薄着の、身体のラインが見て取れる服装も。
「斎藤くんはさ」
国島が口を開く。
「私のどこが好きなんだろう」
「顔じゃない?」
「身も蓋もないなあ」
「二人はまだそんなにお互いを知らないだろ。なら、見て分かる記号に頼るのは普通だと思うけど」
「あなたも?」
「国島は綺麗だと思うよ」
「そっか」
国島が先を歩き出した。並んで歩く理由もないから、オレは国島の背中を追って歩く。
「双葉くんなら分かると思うけど」
「ん?」
「自分で努力して得た力じゃないんだよね、顔って。生まれた時から、DNAがそうさせてる。私を見て一番最初に言う台詞はみんな、綺麗だね、なんだよね。嫌じゃない? そういうの。あなたはそう思わない?」
「授かったものなら、最大限使わないと。オレがその辺の普通の男なら、小野寺は毎回律儀に代返なんてしない。もっと言うなら今こうして国島と歩いてなんかいないと思う」
「それはまあ、そうかな」
「外見は、最も身近なアイデンティティだ。恵まれているのに国島はそれを否定するの? ブサイクな方がよかった?」
「私もね」
前を歩く国島が立ち止まり、前を見たまま言った。
「使ってるよ。自分のアイデンティティ。でもそれがすごく、悲しいんだ」
「…………」
国島は今、どんな顔してんだろう。
でもその背中はひどく寂しげに見えて、オレは言葉を飲み込む。
「あるサイトの、サクラギルコ。興味があったら、調べてみて。それじゃ、私もう帰るね」
「国島」
「ん?」背を向けたまま、国島が聞き返す。
「良く分からないけど、国島は、真面目だな」
「褒めてないよ、それ」
サクラギルコは、ライブチャットサイトの、チャットレディだった。
マスクをした国島が、パソコンの画面の向こうで、多弁なリップサービスをし、股を開き、嘘くさい喘ぎ声を漏らす。
見尻に二つ並んだほくろが、左目に見える。
金を稼ぐということ。
一日十時間、肉体労働をするより、画面の前で足を開けばそのうん十倍の額が稼げる。
パソコンの前でペニスを握りしめて、サクラギルコにコインを払う男たちはきっと、彼女に顔と痴態以外求めていない。
どうすんだよ、純平。
オレはラムネを飲んで、画面を消す。
お前、面倒な女に惚れたみたいだぞ。
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