鉛の空

飼うつもりがないのなら、助けるべきではない。

猫好きの部下が忠言してきたことは、端的に言えばそういう意味だった。


ポートマフィアの夜の仕事にはいろいろある。きな臭いことは元々多いが、ここ数日は空気に針でも仕込んであるかの如くだ。

昨晩は敵対勢力の殲滅作戦中に見つけてしまった猫の親子を、傘にかくまうこととなった。

情けをかけた。というよりは、衰弱した仔猫をその口にくわえてふらふらと歩き回る母猫に、我らの戦場いくさばを荒らしてほしくなかっただけ。だったのだが、


任務を終えた後に傘を取りに戻ってみたら、まだそこに二匹の猫が丸くなっていた。

路地裏は雨の上がった朝になっても、じとじととした空気が立ち込めており、長居をしたい気分にはなれない。

かと言って…。


「広津さん。そいつは、だめかもしれませんね」

自宅で三匹の猫を飼う、というその部下は、一瞥しただけでそう述べた。


「母猫も衰弱している。お乳が出ないのかもしれません」

「病院とか連れてってやればいいんじゃね?」

横から、別の部下が言う。

「お前、金払えんのか?」

「あ?金取るの?野良なのに?」

「動物病院は慈善団体じゃねぇ。その慈善団体だって、拾ってきた野良についちゃ金がなきゃ保護してくれねぇよ。仔猫一匹育てるのだって、金が要るんだよ」

「おめぇんとこ三匹もいんだから、後二匹ぐらい、いいだろ?」

「バカ言うな。これ以上は無理だよ」


そんな会話を聞きながら、息をするたびに動く腹の毛を見つめていた。その傍らの小さな猫のほうは、腹の動きすら微かだ。

仔猫を取り上げただけで、その爪でこの手をひっかこうとしていた母猫も、起き上がる元気すらない。


「どうせだめなら、かーちゃんに抱っこされて、ぬくぬくしながら。…いい夢のままで眠らせてやりてぇじゃねぇか」

もう見たくない。とばかりに、猫好きの部下は視線を外し、路地の奥に抜けようとこちらの背後に回る。


ふと、昨晩の事を思い出した。

母猫は、その口に仔猫を咥え、差し出した傘ですら最初は頼ろうとしなかった。

あの目で、何を求めてさまよっていたのか…。

たたんだ傘を持ち直し、一つ大きな息をつき、部下を振り返った。


「一番近い病院はどこだ?」




―――――



病院で会計待ちをしている間に、隣に座った部下が言った。

「放っておくと思いました」

隣を見ると、部下は少し視線を下に下げて、こう続けた。

「『仕事』の後だったじゃないですか。人殺しといて、猫助けるって、…正直、変な話っすよね」


二匹の猫を連れて病院に来た時、最初に問われたのは、二匹分の野良猫の治療費を払うつもりはあるのか?ということだった。

安い値段では済まない。特に、ここまで衰弱している猫に対してはそれなりの処置がいる。本当にいいのか?と。


いいから治療をしてくれ。と告げたとき、後ろの部下二人が一番動揺していたのは言うまでもない。


私とて。

日頃、猫など気にも留めなかった。

だが、どうしてだか、暗闇を歩く母猫の目が忘れられなかった。


「…すみません、余計なことを言いました」

何も返答しないこちらに、部下は恐れをなしたらしい。

「いや。そうじゃない。…確かに、変な話だな」

こういう時、口が煙草を欲する。だがここは禁煙だった。

マフィアなのだから、そんなものを気にしなければいいのだが…、揉め事を作ってまでの欲求でもない。行き場をなくした指先を見つめる。


「私も、どうしてこんなことをしているのか、よくわからないのだよ」


結局、二匹とも衰弱の度合いが重く、少なくとも今夜一晩は点滴を打ちながら様子を見るしかない。とのことだった。

数日入院をさせ、その間に引き取り手を探すなり、自分で育てる覚悟を決めるなり、しなければならない。



部下は、こちらの顔を見てから、少し笑った。


「猫が、そうさせたんですよ」

何を言い出すのかと思えば。

黙って部下を見返すと、やはり少し笑って、こう続けた。


猫又ねこまた。化け猫。…猫が人を惑わす昔話って、けっこうあるじゃないですか。猫が古来から人の愛玩動物である所以ゆえんは、人がその姿を好むのではなく、猫が人をそのように仕向けている。なんて話があるんだそうです。笑い話にもありますよ。奴らは実は地球を征服しに来た異星人で、まずは人間の心をわしづかみにして、住居と食料を確保させる。人間は奴らを飼いならしているつもりで、そのじつ、奴らを。ってね」


ふふふ。俺もその一人です。

部下は、それでも少し楽しそうに言葉を結んだ。


「ふん。なるほどな。そういうことにしておこう」

「猫は、助かったと思ってますよ」



そうだろうか?

猫が助かったのか。

己の罪悪感を隠すための蓑としたのか…。



「広津さん。すみません。ちょっと…」



病院の外で電話をしていた部下が、待合室のドアを少しだけ開けてこちらを呼ぶ。

そちらに足を向けると、渋い顔をした部下が耳打ちをしてきた。



クスリでトんじまった奴が、、、




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