曇天の道

パスカル

小雨降りしきる夜。

まだ乳離れもしていない子供がずっと泣いている。

その声も、先ほどまでより弱く、小さくなっている。

せめて雨をしのぐ場所を探して、薄暗がりを歩き回る。


煙い香りをかいだ気がしたが、雨のにおいと混じるそれは気に留めるほどの事でもなく、それよりも早くこの子を安心させてやらねばと歩みを早める。


「なにをしている?」


頭上から降り注いだ、明らかにこちらに投げかけられた声に足を止める。

それはあの煙い香りのあるじで、白煙がかすかにその主にまとわりついており、夜目に見えるのは小さく赤い一点の光。


「なにも好き好んでこんな夜に歩き回ることもあるまい。子供まで連れて」


白髪に髭を蓄え、片目に眼鏡をつけたその男は、最後は半ば呆れた声でこちらに語り掛けていた。

好きで歩き回っているわけではない。

仕方がないのだ。この子を休ませてやれる場所を探している。それだけだ。


煙の主の周りはなぜか、雨が止んでいた。

今は雨をしのげるだけでいい。

主がこちらに何をするでもない様子なので、そのまま止まっていた。

とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかない。どうせこの主は、こちらに興味がなくなればどこかへ去っていく。


いつの間にか、連れている子は泣かなくなっていた。眠ったのだろうか?

地に降ろし、その首筋に頬をつける。温かいし、寝息も聞こえる。

ずっと泣き通しで、疲れたのだろう。


「…かしてみろ」


主の手が伸び、子を抱き上げた。どこかへ連れていってしまわれるのじゃないかと、その手を阻もうとしたが、かなわなかった。

白い手袋が汚れるのもいとわず、子の身体を撫でさする。


「痩せているな」


主はすぐに子を返してくれた。…だが、こんな夜で、こういう時世だ。

簡単に人など信用してはならない。やはり、ちゃんと寝床を探そう。


再び子を連れ、その場を去ろうとした。


「いや。待て。そちらには行くな」


その声と共に、目の前に差し出されたのは、傘だった。


「そちらは、これから私の仕事場になる。行ってもらっては困るのだよ」


そのようなことはこちらは知らない。

そちらの邪魔をするつもりもないのだから、そちらとて、こちらの邪魔はやめてほしい。

傘の隙間を潜り抜け、先を急ごうとしたが、子ごと抱き上げられてしまった。


「雨はそろそろ止むだろう。それまでは、そこで休んでいるといい」


濡れた路地を微かな靴音が遠ざかっていく。

傘は濡れの少ない地を選んで立てかけられていた。

私はそこに、子と共にうずくまる。


今日の寝床はここにして、明日の事は目が覚めてから考えよう。





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